PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

そうだ、岩手、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 平泉
  • 盛岡

青春18きっぷを使って、岩手県の平泉盛岡に行ってきた。

訪れた観光スポット(赤丸箇所)
岩手県観光マップ_2


はじめに、
旅では大体カメラを2台持っていく。

1台はメインとなる一眼レフ。観光スポットで首にぶら下げ、雨や移動の時に鞄に入れる。

もう1台は手軽に撮れるように防水コンデジをポケットに入れている。

青春18きっぷの旅でもこのようなスタイルで写真を撮っていた。

富士登山から始まった青春18きっぷの旅。それまでは猛暑が続きカンカン照りだったのに、8月後半から天候が良くない。

その中でも今回の岩手県を観光した日は酷かった。ゲリラ豪雨に何度も直面した。
(この豪雨は後日に観光する白神山地にも影響してしまう)

バケツをひっくり返したような雨が急に降る。その度に一眼レフを鞄に入れ、雨が止むと鞄から一眼レフを出す。そんなことを繰り返していた。

一眼レフが雨に濡れないように細心の注意をしていた。

実際、平泉では通常に撮影出来ていた。盛岡でも撮影できていた。ただ、その日の夜に撮影した画像をPCに取り込もうとした時、カメラのモニターにまさかのメッセージが目に飛び込んできた。

フォーマット・エラー

ふぉーまっと・・・えらー?

ギャーーーーーーーーーーー
絶叫した顔_1

なんで?

なんでなの?30分前までちゃんと使えていたのに?

修学旅行で平泉を訪れていた学生に紛れて、同じ格好をした坊さんの団体を見て“坊主も修学旅行なの?”って笑ってしまったから?

どしゃ降りの中傘もささずにずぶ濡れなっているネーチャンに興味を持ち、ずっと後を歩いていたから?(ネーチャンの携帯で話す声がゴリゴリのニーチャンだった。オカマでも目の保養になりました。)

椀子そばで学生をそそのかしてゲロさせたから?

日頃の行い?

もう少しちゃんと調べたらよかったが、その場で確認できることを試してダメだったので仕方がなく初期化(フォーマット)してしまい、その日撮った平泉と盛岡の画像を損失してしまった。

アウトーーーーーーーーーーーーーーー
アウト_1

気が向いたらフォーマットエラーになった原因とフォーマットしたデータは復元する方法を調べようと思う。(少し調べてみたらなんかできるっぽい)

ボクは「写真が旅の全てではないと思うタイプ」「無くなったものは仕方がない思うタイプ」「国内だからまた行けると思うタイプ」と思うようにするタイプです。

少ないけどポケットの防水コンデジで撮った画像がせめてもの救いだ。

PS. 
平泉の金色堂内で買ったお守り、そっこーバラバラになった。

日本観光_盛岡、平泉、秋田_17

アウトォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ
アウト



改めて、
青春18きっぷを使って、岩手県の平泉と盛岡に行ってきた。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 仙台駅 ⇒ 平泉駅 
    所要時間 : 約2h


平泉(ひらいずみ)

平泉
平泉は岩手県の内陸部、西磐井郡平泉町にある地名。
平泉一帯は、11世紀末に奥州藤原氏の初代清衡が、岩手県南部の江刺から拠点を移した地と言われている。それまではこの土地を豪族の安倍氏が支配していたが、朝廷に反発したことがきっかけで1051年から62年にかけて前九年の役が始まる。1053年に源頼義が陸奥国守として赴任、安倍氏を牽制(けんせい)した。
一時期は安倍氏側が優勢だったが、出羽国(現在の秋田~山形県)の豪族・清原氏が頼義側に加担したことで形勢は逆転、頼義側の勝利に終わった。安倍氏は処罰され滅亡する。ところが戦功を挙げた源頼義は伊予守に配置替えとなり、奥州を支配したのは清原武則だった。
藤原清衡の父・経清は安倍氏に加担したため戦後処刑され、息子の清衡も同様に処刑されるはずだったが、母が清原氏に嫁いだことで命拾いをする。しかし、母が清原氏との間に真衡・家衡の2人の息子を生んだため、相続争いが勃発。更に源頼義の息子の義家が清原一族の内紛に介入することで、1083年から後三年の役が始まる。真衡・家衡の敗死に伴い、87年に戦いは終結。それ以降、清衡は陸奥の奥六郡と出羽の山北三郡の支配権を得る。拠点を平泉に移し、1124年に「今後、戦争のない世になるように」との願いを込めて中尊寺を建立した。奥州は金の産出が豊富で、中尊寺の金色堂は外面、内面、須弥壇(しゅみだん)まで金箔で覆われている。ちなみに最近の研究では、マルコ・ポーロが『東方見聞録』に記した「黄金の国・ジパング」は平泉の中尊寺や毛越寺などに施された黄金を指している可能性が高いと言われている。
28年、清衡は中尊寺で眠るように亡くなり、遺体は金色堂に葬られた。清衡の遺志を継いで、二代基衡は毛越寺を、三代秀衡は無量光院を建立する。初代清衡から三代秀衡まで約100年間、奥州を藤原氏が治めたが、平安末期、兄である源頼朝との不和のため、源義経が奥州に潜伏。1189年、四代泰衡は義経を大将とするようにという秀衡の遺言にもかかわらず、義経を自害に追い込む。その後、義経を匿ったとして頼朝軍が奥州に押し寄せ、これにより奥州藤原氏は滅亡した。平泉の中尊寺・毛越寺などの寺院や庭園は藤原氏三代が仏教に基づく極楽浄土の理想世界の実現を目指して造営された。これら建造物が浄土思想を表現する目的で創造された独特の事例であることが評価され、2011年6月に世界文化遺産に登録された。登録対象は中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山である。

平泉駅から観光スポットを巡回する観光バスがあります。

巡回バスの経路
平泉観光マップ_2


ボクは、平泉駅⇒毛越寺平泉文化遺産センター中尊寺を徒歩で、中尊寺⇒平泉駅をバスで移動した。(ゲリラ豪雨で観光どころではなくなり、メイン所も抑えていたので中尊寺を見て観光を終了した)


毛越寺
岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺。医王山金剛王院と号し,〈もうつうじ〉とも呼ばれる。850年(嘉祥3)円仁の開基と伝え,平安末期に藤原基衡が再興,秀衡によって完成されたという。堂塔40余宇,禅房500余宇と称され,その規模は中尊寺をしのぎ,その荘厳のみごとさは〈海内無双〉と称された。金堂は円隆寺と号し,堂額は関白藤原忠通の筆で,仏師雲慶(運慶か。ただし年代があわない)に依頼して造られた本尊の丈六薬師像を見た鳥羽法皇は,その東下をさしとめ,これを都にとどめようとしたという。

今年10月に中村勘九郎 中村七之助 「平泉歌舞伎」が行われるほど自然豊かで雰囲気のあるお寺
毛越寺_1
引用

遣水。毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催される。
毛越寺_2_2
引用


平泉文化遺産センター
中尊寺に行く前に訪れて欲しいところ。平泉の知識を分かり易く短時間で頭に叩き込めます。
平泉文化遺産センター_1
引用


中尊寺
岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の東北大本山。山号は関山。寺伝によれば,850年(嘉祥3)円仁の開創で,859年(貞観1)に清和天皇より中尊寺の号を賜ったと伝えるが,資料を欠く。平安末期に藤原清衡が平泉に移り住み,諸堂宇の建立に着手した。1126年(大治1)の金堂落慶供養願文により,前九年・後三年の役を経て奥羽地方の覇者となった清衡が,奥羽におとずれた平和を記念し,非命にたおれた敵味方の霊をとむらうための鎮魂の寺としてこれを営み,あわせて鎮護国家の根本道場にしようとしたものであったことがわかる。

中尊寺や金色堂を含む仏閣が約20ぐらい建ち並ぶ
中尊寺マップ_1

林の中の参道を進んでいく
中尊寺_3
引用

弁慶堂には弁慶と源頼朝(牛若丸)がいる
中尊寺_7中尊寺_5
引用

金色堂と中尊寺(本堂)は離れたところに建っています
中尊寺_4
引用

中尊寺(本堂)辺りでゲリラ豪雨が始まった。

古寺で雨宿り
日本観光_盛岡、平泉、秋田_1

中尊寺内の芭蕉像。旅の行く先にいつもいる。
中尊寺_2
引用

金色堂
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)
まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の細工(螺鈿)透かし彫りの金具・漆の蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。

仏像は、須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、その前に観音菩薩(向かって右)と勢至菩薩(向かって左)、左右に3体ずつ地蔵菩薩が1列に並び、最前列には持国天(向かって右)と増長天(向かって左)が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。

孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。

国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。

雨の中、金色堂前でボクの気持ち悪い趣味の一つをやった
日本観光_盛岡、平泉、秋田_2

金色堂内はこんな↓感じ。

ライトアップされてまさにこんな感じで金ピカ
金色堂_1
引用

京都の金閣寺と比べると小さいけど、
金色堂_2
引用

装飾がヤバイ
金色堂_4
引用

みっちり装飾されている
金色堂_3
引用

いつものようにポストカードを買い、御朱印をした
日本観光_盛岡、平泉、秋田_16日本観光_盛岡、平泉、秋田_15


このあと無量光院に行こうと思ったが、雨が凄過ぎて観光どころではなくなり、メイン所は抑えたこともあって平泉観光を終りにした。

無量光院
現在は跡地として残っている。平泉は跡地が多いので妄想をよくすると思います
無量光院_2
引用

昔はこんな感じだった。京都の平等院鳳凰堂を模していた建てられた。
無量光院_1
引用

平泉を後にし、盛岡に向かった。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 平泉駅 ⇒ 盛岡駅 
    所要時間 : 約1.5h



盛岡(もりおか)

盛岡
岩手県中部の市。県庁所在地。北上川が貫流し、雫石(しずくいし)川・中津川などが合流。もと南部氏の城下町で、盛岡城(不来方(こずかた)城)跡がある。鉄鋳物、特に南部鉄瓶を特産。

盛岡といえば、3大麺料理の椀子そば、盛岡冷麺、じゃじゃ麺が有名。

それ以外になんにもなかった。
(個人的な感想です)

まずが椀子そばを食べに行った。

岩手観光の広告でよくみる東屋本店に行った
日本観光_盛岡、平泉、秋田_5

この店を選んだ理由は、100杯以上食べると貰える証明手形を手に入れるため
証明手形_1
引用

椀子そばのメニューはこんな感じ。(初めに説明してくれます)
メニューわんこそば 2,625円。杯数は算木(数え棒)で数えます。お椀は重ねません。薬味7種。
わんこそば 3,150円。杯数は重ねたお椀で数えます。薬味9種(鮪刺身・なめこおろし・とりそぼろ・胡麻・海苔・一升漬・錦盛・他)

お椀を重ねた姿を見たかったので、迷わず3,150円のコースにした。

薬味だけでも結構な量。100杯を目指すのであれば余裕ができてから薬味を食べたほうがいいです。男性で平均80杯ぐらいだそうです。
日本観光_盛岡、平泉、秋田_7

椀子15杯でかけそば1杯だそうです
東屋_2
引用

椀子そばには出汁が入っていて、そばを食べた後に画像左にある樽に出汁を捨てていく
東屋_3
引用

朝から何も食べずペコペコな状態で挑んだ。

椀子そば、食ってやる

お椀が空になったらすぐさまそば入れる女性が隣に立つ。若い女性が入れてくれる席は華やかな感じがした。
東屋_1
引用

ボクにはベテランのオバちゃんが入れてくれた。椀子がなくなって厨房に行く際に “私がいない間にお椀に蓋をしたらダメですよ” と言われた。目が笑ってないんですけど・・・
日本観光_盛岡、平泉、秋田_6

どんどん入れられてどんどん食べて行く。10分ぐらいで重なるお椀の数を教えると50杯ほどだった。(満腹中枢に刺激を与える前にハイペースで食べた)

ペコペコの状態だったとはいえ、全然余裕だった。ここらあたりから薬味を楽しんだ。

隣の2人組の学生さんも奮闘している。頑張っている姿を見てつい声を掛けてしまった。

「頑張っていますね」「すごいねー」「かっこいいねー」

心から学生さんを応援した。


そんなことしているうちに100杯に達した。


目的は証明手形を貰うこと。ここからどこで止めるかタイミングを考えていた。

「止めるときは隙をみてお椀に蓋をするんですよね?」とオバちゃんに聞くと、「そうですよ」と微笑んで答えてくれた。

「蓋をしめようとしても容赦なく、そばをいれてくるんですよね?」とオバちゃんに聞くと、「そうですよ」と微笑んで答えてくれた。

学生さんを見ると苦しそうにしている。1人は120杯、もう1人は90杯。

120杯の彼はトイレに行った。

90杯の彼は100杯に向かって頑張っている。

そんな90杯の彼に精魂込めて応援した。

「もう少しで100杯じゃないですか?いけるっしょ?がんばれー」

そんなことをしているうちにボクは120杯に達した。

どこで止めようか考えているボクにオバちゃんは助言をくれた。

「どうせなら語呂合わせで123杯で止めたらどうですか?」

ある意味オバちゃんの宣戦布告だ。

オバちゃんを横目で見ながら、椀子そばを食べていく。

121杯

オバちゃんがずっとこっちを見ている。

122杯

蓋をすぐ取れるところに置き、最後のいっぱいを口に放り込み、一心不乱で椀子に蓋をした。

オバちゃんの気配がない。

(あれ?オバちゃんとのバトルは?)

きょとんとしたボクを見て、オバちゃんが笑顔で一言。

「お腹大丈夫ですか?お疲れさまでした」

客の混みようにもよるが、客の体調を考えてバトルはあまりしないとのこと。

そんな気遣いを感じ、もう少しでボクの心を弄んだオバちゃんを抱きしめるところだった。

ちなみにここで終わりじゃないんですよ。この後デザートが出ます。
東屋_4

デザートを食べて爽やかな気持ちでまったりしていたその時、

90杯の彼が出汁を入れる桶にリバースしていた。

ピッコロ大魔王_卵

ちょど120杯の彼もトイレから帰ってきて、話を聞いていると彼もリバースをしていたそう。
ナッパ_1

しかも2階のトイレはゲロまみれで使用できないから、1階のトイレでやってきたそう。

食べた後でよかった
と思った。

最後にお目当ての証明手形を貰った。

左はコースを頼むと必ず貰える証明書、右が100達成すると貰える証明手形
日本観光_盛岡、平泉、秋田_18

証明手形を手に入れて達成感に浸りながら清算しにレジに行くと、

レジの横に証明手形が500円で販売されていた。

証明手形、売ってるやーーーん



椀子そばを食べ終わり、どうしようかと思うも盛岡の観光スポットに心躍るものがなくお腹にも余裕があったので、続けてじゃじゃ麺を食べに行くことにした。

じゃじゃ麺発祥の店、白龍(パイロン)本店
日本観光_盛岡、平泉、秋田_8

日本観光_盛岡、平泉、秋田_9

初めてじゃじゃ麺を食べる。肝心のじゃじゃ麺の画像がないんだな。
日本観光_盛岡、平泉、秋田_10

初めに味噌と麺をグチャグチャに混ぜて食べ、空いた皿でちいたんたん(玉子スープ)を作る。
白龍じゃじゃ麺_1
引用

完食したはいいものの、ちいたんたん(玉子スープ)が効いたのか前屈みにならないとお腹が苦しい状態になっていた。

人間の進化_2

続けて盛岡冷麺を食べに行こうと考えたが、チンパンジーになるのが嫌だったので盛岡の市内観光をすることにした。

盛岡の市内観光といっても、盛岡に所縁ある宮沢賢治や石川啄木の観光スポットは数多くあるが、文学オジサンでないボクにはあまり興味がなく、唯一興味をもったコレを見に行った。

岩手銀行中ノ橋支店
明治44(1911)年に竣工された盛岡を代表する建築遺産。国の重要文化財に指定にも指定された赤レンガの壁と緑のドームが印象深い建物。


現在は閉鎖されていて、隣に同銀行が建っている。ちなみにコレは盛岡観光ランキングで上位の名所です。
日本観光_盛岡、平泉、秋田_3

中もレトロな雰囲気が漂いイイ感じ。でも入れない。
日本観光_盛岡、平泉、秋田_4

宮沢賢治と石川啄木に興味を持とうと思い、ココ↓に行った。

もりおか啄木・賢治青春館
明治43(1910)年築の洋館「旧第九十銀行」は国の重要文化財。現在は盛岡で青春時代を送った石川啄木と宮沢賢治のテーマ館。企画展やコンサートも開催。喫茶コーナーやショップもある。
もりおか啄木・賢治青春館_1もりおか啄木・賢治青春館_2
引用

館内には宮沢賢治と石川啄木に関する資料が多く展示されていた。

その中で同世代の小説家の紹介コーナーでコレ↓が目に入った。

与謝野晶子。こんなパンチ効いてたっけ?
与謝野晶子_1

なんかお腹も胸もいっぱいになったので、盛岡を離れて秋田に向かうことにした。
(東北って便数が少なく、乗り換えの待ち時間が長いので(特に普通車)他県に向かう終電が18時ぐらいになる)
青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 盛岡駅 ⇒ 秋田駅 
    所要時間 : 約3.5h

秋田では秋田駅近くのホテルに泊まっただけ
日本観光_盛岡、平泉、秋田_13日本観光_盛岡、平泉、秋田_14


あとがき
海外旅行では短期間に名物を食べまくり、よくネアンデルタール人になってしまう。こうなると体も頭も動かなくなる。
“腹八分って大事なんだなぁ”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 14:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://chupatrip.blog.fc2.com/tb.php/76-d2ff5cf5

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT