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【渡航歴】メキシコ・アルゼンチン①

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2013.01 メキシコ・アルゼンチン旅行記

2013年01月のお話。

激務のプロジェクトを終え、ダメ元で約1ヵ月の有給休暇を申請したところ、承認を得ることができた。そこで当時一番行きたかったメキシコに行くことにした。1ヵ月もあるしどうせならと思い、2番目に行きたかったブラジルに行こうとしたがビザ取得に必要な残高証明証の発行に2,3週間かかるということを直前で知ったので、7番目ぐらいに行きたかったお隣のアルゼンチンに行くことにした。

世界地図(赤色箇所が訪問した国)
世界地図_メキシコ-アルゼンチン


メキシコ国旗メキシコ/Mexico

メキシコといえば、マリアッチ、タコス、テキーラ、ルチャりブレ、ドクロ等
メキシコ_マリアッチメキシコ_タコス
渡航歴_メキシコ_テキーラメキシコ_ルチャ渡航歴_メキシコ_髑髏_1

ガイドブックやネット、ニュースから、メキシコの治安は悪いイメージがあった。たまたま目にしたニュースが「麻薬撲滅に力を入れていた女市長が麻薬カルテルに殺害された」、「マフィアの抗争が激化したため警官が全員辞表を提出してその街に警官がいなくなった」、「3000人以上の警察官が汚職等で免職となった」など、ハンパない内容だった。

上着を着よう
渡航歴_メキシコ_メキシコギャング_1

治安が悪過ぎるせいなのか観光地では1ブロックごとに警察かアーミーがいた。

首にぶら下げているボクのカメラを見るたび鞄に入れるよう言われた

渡航歴_メキシコ_警察_1

そんな不安にさせることもあったが、それ以上の魅力を感じるのに時間はかからなかった。

メキシコ人は、観光地にありがちな見返りを期待するフレンドリーさではなく、アミーゴ(友達)的なフレンドリーさで接してくれる。レストランの店員、警官、バスの運転手、街ゆく人、たまたま隣で座っている人など。こちらから声を掛けても嫌な顔一つしない。この陽気さにすぐ魅了された。

陽気なメキシコ人
渡航歴_メキシコ_陽気なメキシコ人渡航歴_メキシコ_陽気なメキシコ人_2


訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_メキシコ_自己評価

現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_メキシコ_訪問予定都市



メキシコシティ/MexicoCity
メキシコシティは、人口2200万人を数えるラテンアメリカ最大の都市です。メキシコ中央部に位置し、政治、経済、文化の中心となっています。メキシコ中部の観光拠点にもなりますが、メキシコシティの中だけでも数え切れないほど見て回るものがたくさんあります。古代文明、スペイン支配、現代にいたるまで様々な文化がつくり上げた街です。古代アステカ遺跡の後ろにそびえる高層ビルなど、他ではめったに見ることができない景色があります。歴史地区は世界文化遺産にも登録され、観光客を集めています。

現地ではメキシコと言わず、「メヒコ」(スペイン語)って言います。

観光名所
渡航歴_メキシコ_メキシコシティまとめ
引用


メトロポリタン・カテドラル
スペインの建築家en:Claudio de Arciniegaとen:Juan Miguel de Agüeroがデザインした。ルネサンス、バロック、新古典主義様式が採用されている。1513年に建設が始められた。1614年に支倉使節団が訪問している。建設開始から300年を経て、1818年に完成した。ハプスブルク家出身の皇帝マクシミリアン1世が1864年にここで戴冠式を行っている。プルタルコ・エリアス・カリェス大統領がカトリック教会を迫害し始めたとき、教皇ピウス11世はメトロポリタン大聖堂を閉鎖する事を決め、再開されたのは1930年だった。1962年には火災にも見舞われた。2007年にも民主革命党の支持者によって襲撃される事件が発生した。2008年、建設当初に隠されていたタイム・カプセルが発見され話題となった。

先日訪れた仙台市博物館(
詳しくはコチラ)で知ったことと繋がった。伊達正宗と家臣支倉常長はメキシコと交流してたんです。

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引用

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渡航歴_メキシコ_27渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メトロポリタン・カテドラル_4




テンプロ・マヨール
1913年工事中にアステカ神殿の墓底部や蛇の彫刻が発見され、ここがアステカ帝国最後の最大都市テノチティトラン(TENOCHTITLAN)の中央神殿跡であることが証明されました。テンプロ・マヨール博物館が隣接しています。

メキシコシティのど真ん中にあり、遺跡越しにカテドラルや国立宮殿が見える
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テンプロ・マヨール博物館
ツォンパントリの祭壇
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国立人類学博物館

これまで行った博物館の中でもトップクラス。オススメ!!

入口
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中庭
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テオティワカンのケツァルコアトル神殿(レプリカ)
ケツァルコアトルとは、アステカ人の言葉であるナワトル語で「羽毛の生えた蛇」という意味です。これと同じ意味の言葉が、マヤ語では「ククルカン」と言います。メソアメリカ文明に共通の蛇の顔をした神様です。ケツァルコアトル(羽毛の生えた蛇神)は雨や水を支配する神様であると同時に農耕や宗教的な知識を教えた神様でもあって、とても重要な神様でした。大きな目玉と牙のある像がトラロックです。これも雨の神様です。マヤではチャックと呼ばれています。
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カカシュトラの色鮮やかな壁画
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テノチティトランの復元模型
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アステカ人の大地の女神、コアトリクエ像
別名「蛇のスカートをはいた女神」。頭は2匹の蛇が向かい合った異様な顔をしています。胸の部分には心臓と手首をつないだ首飾り(あるいは胸飾り)を付けています。腰の部分には頭蓋骨の飾りを付けています。
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そしてお目当ての2012年に、地球が滅びると言われた切っ掛けとなったコレ↓が登場。

太陽の石(アステカ・カレンダー)
太陽の石はアステカの暦石とも言われることがあります。このアステカの暦石はかつてのアステカ帝国の都テノチティトラン中央広場(現在のメキシコシティのソカロ広場)に捨てられていました。1790年発見されています。直径が3.6メートルほどの大きな円形の石です。アステカの暦は独特の循環史観でできています。260日の祭式暦と365日の太陽暦の二つを併用していました。太陽暦は20日からなる18ヶ月と余りの5日間を合わせた365日で、余りの5日間は宗教生活も世俗的な活動も控える不吉な日でした。それぞれの月には人身御供(生け贄)を伴う儀式が行われ、農作物の豊作や太陽の正常な運行を祈ったのでした。 二つの暦が再びかみ合うのは、最小公倍数の1万8980日(52年目)となります。アステカ人はこの52年を1周期と考える循環史観で生活していました。

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太陽の石(解説図)
アステカの神話によると、これまでに4つの太陽の時代がありましたが、既に滅びてしまいました。現在は5番目の太陽の時代だとされます。実は、この中に5つの太陽が描かれています。中央で舌を出しているのが5番目の太陽です。ナイフのような舌を出して、人の心臓(人身御供)を求めています。その上下斜めには今までに滅んだ4つの太陽が描かれています。太陽とともに宇宙や人類も滅びますが、一説によると、5番目の太陽の時代は紀元前3114年8月11日に始まり、2012年12月21日に終わると解釈されています。
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オルメカの巨大人頭像
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チャックモール(生け贄の心臓が置かれた台)
アステカ人たちが人身御供(生け贄)を行っていた証拠です。腹の上にお盆のようなものが置かれていますが、この上には人の心臓がおかれたのです。人身御供(生け贄)が行われた理由には、アステカ人の宇宙観が関係しています。それは次のような考えに基づくものでした。世界は現世に先だって4つの異なった太陽を有する宇宙時代を経ています。現在は5番目の太陽の時代です。太陽が運行を停止して世界の破滅が来ないように、太陽に人間の血を与え、再生させる必要があると考えていました。従って、人身御供は太陽に対する神聖な義務であり、世界を破滅から救い、人類を救済する唯一の道であったのです。世界の破滅を予感させるような出来事もしばしば起こりました。例えば、1450年から1451年にかけてメキシコ中央高原は異常気象に見舞われました。飢餓と野獣の脅威に見舞われたアステカの支配者たちはますます生け贄の数を増やし、天候の回復を祈りました。また、戦争は生け贄を調達するためにしばしば行われました。
渡航歴_メキシコ_チャックモール

小学生の時に読んで今でも印象に残っているジョジョ1章の1シーン「生贄の儀式」を思い出した。(ジョジョの1章,2章はメキシコのアステカ文明やマヤ文明を題材にしたものが多い)
ジョジョ生贄

2階には各文明の生活が垣間見れる民族衣装や生活様式が展示されている。

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ここの土産物は値段が高いが、種類が豊富でオシャレなものが多かった。時間の無い人にオススメ。ここでいろいろ買ったが、一番欲しかった「太陽の石(アステカ・カレンダー)」グッズに気に入るものが無かったので他の店で探すことにした。

骸骨もオシャレ
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博物館を出て、露店が建ち並ぶ通りで土産物を手売りしていたオヤジに声を掛けられた。手に持っていた土産物の中に「太陽の石」の壁掛けあったので、いくらか聞いたら約100円と言ってきた。安くて、見た目も悪くなかったので、遊び半分に購入した。

数日後、見事に割れていた。欠けた破片を触るとジャリジャリしている。多分砂や粘土で造ったと思われる。

100円じゃなかったら発狂していた
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しばらく放置した
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国立人類博物館の前の大通りに約100m間隔で数十体の像が建っていた。

頭が欠けている。カッコいいアンパンマン。
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ここら辺りから芸術性の方向が変わった。

最初よく分からなかった。シルク・ド・ソレイユ?
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念のため正面に立って下着を履いてるかどうか確認した
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メキシコ国立自治大学
ラテンアメリカで最大規模を誇る総合大学で、大学本部の建物、オリンピックスタジアム、博物館、彫刻空間などからなる。これらは、60名以上の建築家、技術者、芸術家らによって、統一性を持って作り上げられ、1952年に完成した。全面にアステカ人とスペイン人をモチーフにした絵などが描かれたモザイク壁画がある、中央図書館が特に有名。これらの創造的な価値を認められ、世界遺産に登録された。

街ぐらいの広さの大学。

図書館に入ってやろうと思ったが受付のジジイのオーラにビビって止めた。
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シケイロス作「民衆から大学へ、大学から民衆へ」
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どこの土産物屋でも見かけたメキシコを代表する現代女流画家フリーダ・カーロ

民族芸術の第一人者にも数えられている
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左)2~3の小さな酷評  右)小さな鹿
フリーダカーロ_2~3の小さな酷評フリーダカーロ_小さな鹿

左)水があたえてくれたもの  右)猿と自画像
フリーダカーロ_水が与えてくれたものフリーダカーロ_猿と自画像

そのフリーダ・カーロの旦那であるディエゴ・リベラの壁画を見に行った。

夫婦揃っての写真
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ディエゴ・リベラ壁画館

入口
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アラメダ公園の日曜の午後の夢
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センターに描かれているガイコツの女性と手をつないでいるのが少年時のリベラ、その間に見える
女性が妻フリーダ・カーロ

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国立宮殿内のディエゴ・リベラの壁画を見たかったが、ちょうどデモをやっていて終日、国立宮殿に行くことが出来なかった。

「メキシコの歴史」ディエゴ・リベラの作品はメキシコ壁画運動の背景を漂わせるものが多い。
渡航歴_メキシコ_国立宮殿
引用


メキシコ文部省
ディエゴ・リベラの壁画を見に行った。

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兵士に武器を配るフリーダ
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リベラ作「革命のパレード」中央部に描かれているのはフリーダ・カーロ
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ベジャス・アルテス宮殿
メキシコシティに位置するオペラハウス。メキシコ国立芸術院などとも表記される。宮殿は1901年にイタリアの建築家、アダモ・ボアリによってデザインされたものだが、壮観なアール・デコ様式の内観と壮麗なアール・ヌーヴォー様式の外観は、1934年になるまで建設が終了することはなかった。竣工以来、その建物全体の重量により、年々数センチメートルずつ地面へ沈下している。

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引用

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ディエゴ・リベラ
ベジャス・アルテス宮殿_10


テオティワカン遺跡
メキシコ中央高原2番目の規模を誇るテオティワカン文明の遺跡で、なかでも最大の建造物で「太陽のピラミッド」と名づけられた巨大なピラミッドは、高さ64mで、一辺の長さが225mにもなる。「月のピラミッド」は死者の道の北の端に位置し、1998年に内部の発掘が行われて、生けにえにされたと思われる人骨などが発見された。「ジャガーの神殿」は、遺跡内で壁画がほぼオリジナルに近い原色かつ完璧な形で残っている数少ない遺跡である

渡航歴_テオティワカン_地図

入口を抜けると「ケツァルコアトルの神殿」が見える
渡航歴_メキシコ_ケツァルコアトルの神殿_4

渡航歴_メキシコ_ケツァルコアトルの神殿_2

6層構造になっている。豊穣を祈るために羽毛の蛇の象が壁面を埋め尽くしている。
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国立人類博物館で見たレプリカの本物版。
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「死者の道」を歩く
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テオティワカンで最も高い建築物の「太陽のピラミッド」
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高さ65m。世界で3番目の大きさ。
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炎天下で既にふらふら。根性で登った。
渡航歴_メキシコ_2_2

メキシコシティは高地なので空気が薄く、頭がくらくらする
渡航歴_メキシコ_3



「月のピラミッド」からの眺め。左奥が太陽のピラミッドで中央に延びるのが死者の道。
渡航歴_メキシコ_月のピラミッド_1

メキシコシティにいる間ずっと国立人類学博物館の「太陽の石」グッズを探していた。土産物店やショップ、デパートなど観光しながら目を配っていた。なかなか気に入ったものが見つからない中、ココ↓でツボな「太陽の石」グッズを見つけた。

シウダデラ市場

観光客向けの土産市場。そんなに安くはない。

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_シウダデラ市場_2渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_シウダデラ市場_1

目に入ったのが下図の上部にある壁掛け。いくつもの色の違う木製のパーツを組み合わせている。一目ぼれした。右の一番大きいサイズはアホみたいな値段(覚える気がしないほど)。左のサイズは結構な値段(高すぎて覚えていない)。一番小さいサイズ(約20cm)で5,000円ぐらい。壁に掛けるのであれば・・・など考えて、約60cmぐらいのサイズを購入することにした。

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_シウダデラ市場_3

アステカカレンダーアステカカレンダー_2

ボクがよく土産物屋で値下げする時にやること。

  1.高いよアピール
      (お手上げポーズ)
  2.少し興味がある素振りをする
      (「どうしよっかな、でもいらない」みたいな。欲し過ぎる素振りをすると店員が調子にのる)

  3.一旦、店を出る・出ようとする
      (後ろ髪を引かれるように。呼び止められたらコッチのもの)
  4.とりあえず相手の提示額の1/3を希望する
       (1/2ぐらいは店員も想定している。物によりますけど。)
  5.遠慮はしない
       (値段が下がらなかったら。別の商品を付けてもらう。やり過ぎるとキレられる)
     
ボクは金が絡むと頑張るタイプ

で、頑張った結果少しだけ安くしてもらい、財布を見ると全然足りなかった。(ちょー苦笑い)

近くのATMでお金おろして買った。(カードが使えると言われたがココでは怖くて使えなかった)

いくらか忘れたが海外旅行で買った土産物で一番高価だった。
(たしか1,2万円ぐらいだったと思う。日本のネット上では27cmで28,000円で売っていた。)


ローマ&コンデサ地区
代官山みたいなところ。多少高くてもオシャレな雑貨や服が欲しければココ。

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_ローマ&コンデサ地区_1渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_ローマ&コンデサ地区_2
渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_ローマ&コンデサ地区_4渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_ローマ&コンデサ地区_3

メキシコ一発目の食事はタコスと決めていた。

メキシコシティの老舗タコス屋「SALON CORONA」
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いろんなタコスを頼んだ。メキシコ名物のコロナビールと食べると格別だった。
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メキシコシティの屋台でよく見かけた茹でたトウモロコシ。たっぷりマヨネーズと粉チーズとチリをかけて食べる。辛さよりもマズさが勝った。マヨネーズはいらない。
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時間があれば建築家ルイスバラガンの作品やメキシコプロレスのルチャ・りブレを観たかった。

バラガン邸とサテライト・タワー
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渡航歴_メキシコ_ルイスバラガン_1
引用

ドロップキックって自分のダメージの方が大きくない?
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モレリア/Morelia
植民地時代の面影を残す古都。1541年,初代副王メンドサにより建設され,彼の生地にちなんでバヤドリードと名づけられたが,1828年メキシコ独立の英雄J.M.モレロスの出身地であることを記念して現在名に改められた。
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カテドラル
1640年から100年以上費やして建築された、プラテレスコ様式の聖堂です。ドームは、青と白のタイルに覆われ、内装は華麗な装飾が施されています。
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州政府庁舎
18世紀に建てられた、当時の流行のバロック様式の建物です。内部回廊には、地元画家アルフレッド・サセルによるメキシコの歴史に関する壁画が描かれています。
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グアナフアト/Guanajuato
標高2035mの狭い谷あいにあり,付近の鉱業・農牧業地帯の中心都市。1554年に建設され,銀山開発とともに発展し,最盛期には人口10万人を記録した。その繁栄のあとをとどめる歴史的建造物も多く,植民地時代の雰囲気を味わえる代表的観光地で,また1732年創立のグアナフアト大学がある文化の中心。1810年イダルゴの率いる独立革命軍の手に落ちた最初の重要な都市で,彼の最期の地でもある。
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朝日を見に行った。
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後ろを振り向くとピピラ記念像がいる
ピピラ祈念像

陽が照って来た。夕日の方が良かったかも
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教会の鐘の音が響き渡る
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黄色の教会パリシカを目指して丘を下った
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カラフルな街並み
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バシリカ
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グアナファト大学
大学生気分で入ってみた
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大学?って思わせる内観、外観
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ここでスペイン語を学ぶ日本人留学が多いとか
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口づけの小道
隣同士で犬猿の仲だった2軒の息子と娘が恋に落ち、夜ごと2階の窓辺から身を乗り出して、路地を隔てて口づけを交わしたという伝説があり、観光客のカップルはここでキスをするという。
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フアレス劇場
大道芸人がパフォーマンスをし劇場前はいつも賑わっている
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週末の夜になると、フアレス劇場前のラウニア公園から、中世スペインの学生服を着て音楽を奏でる楽団エストゥディアンティーナEstudiantinaが、音楽を演奏しながら夜のグアナファトの街を練り歩く
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付いて行ってみた


「Truco7」。チョスを頼んだら500円ぐらいでコノ↓デカサ。しかも出来たて。たっぷりチーズがかかっていて、見た目はめっちゃうまそう・・・90%残した。特性カプチーノは普通。
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カラフルな骸骨キャンディー。グアナファトにミイラ博物館がありミイラ飴というのがあるらしい。
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グアダラハラ/Guadalajara
第2の都市で,人口165万0042(1990)。標高1589m。夏の雨季(7~9月)を除き温暖で乾燥している。北東部にサンチアゴ川が流れる肥沃な農業地域であるアテハマク盆地の中心地で,農産加工をはじめ各種の近代工業が発達。市街は1541年現在の地に建設され,マヨール広場を中心に碁盤目状に計画された道路とその並木が美しい都市景観をつくりだしている。メキシコ唯一のゴシック建築である大聖堂(1561‐1618)やバロック様式の粋を集めたサンタ・モニカ教会(1718)等の歴史的建造物も多く,同市は〈西部の真珠〉と形容される。

カテドラル
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ハリスコ州庁舎
1810年メキシコ独立の父であるイダルゴ神父が奴隷解放を宣言した場所
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オロスコ作「立ち上がる僧侶イダルゴ
コレ↓ヤバかった。メキシコで見た壁画で一番かも。迫力が画像で伝わらないのが悔しい。
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会議堂の天井にも、
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僧侶イダルゴと先住民大統領ベニート・ファレス
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オスピシオ・カバーニャス
オスピシオ・カバーニャスは、孤児、身体障害者、老人、慢性疾患患者などを救済する施設として、1810年に完成した。病院や作業所を併設した画期的な施設で、施設内の礼拝堂は豪華な絵画で飾られていた。20世紀前半には、メキシコの画家ホセ・クレメンテ・オロスコ(1883~1949年)によって、施設の壁や天井に「炎の人」など100点以上の絵が描かれた。虐げられた者の怒りと悲しみを、力強いタッチで描いたこれらの作品は、施設に暮らす人々の心を癒し、勇気づけた。一時は、3000人もの孤児が生活していたこの救貧施設は、1980年にその役割を終えたが、メキシコにおける福祉政策のモデルとなったことが評価され、世界遺産に登録された。
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オロスコが描いた「スペインのメキシコ侵略」を総称される50以上の巨大な壁画や天井画がある
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右画像の天井部が「炎の人」
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中庭からの眺め。シンメトリックな外観。
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「La Chata」地球の歩き方に行列ができると記載があった
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トルティージャの中に鶏肉・チーズを入れたものを揚げたのも。全体的に良心的な値段だった。
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ムセオ デ セラ (ろう人形館)。有名なルチャ・リブレの選手。ボクには全選手同じにみえる。
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オアハカ/Oaxaca
オアハカ州は,サポテカをはじめとするインディオの人口がこの国で最も多い地域で,母語のほかにスペイン語をも常用する人を含めると約72万人にのぼる。オアハカ市は,オアハカ谷の伝統的農業地帯の中心地で,工業は小規模な農産加工業に限られるが,色彩豊かなやきもの,サラペ(毛布),レボッソ(肩かけ),金銀細工など,インディオの伝統的工芸品の宝庫である。

サントドミンゴ教会
1575年から約10年かかけて建造されたメキシコ風バロック建築です。二つの鐘楼を持つ外観の素晴らしさと、重厚な内装(特に主祭壇)が特徴的です。世界遺産に登録されているオアハカ歴史地区の代表的な建物です。
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左図はぶどうの樹で表現された先住民の死生観とキリスト教の聖人が刻まれた「生命の樹」
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オアハカ文化博物館

修道院の外廊と中庭
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スペイン植民地時代などのオアハカの歴史に関する品が多く展示品されている。全部回るのに2時間ぐらいかかった。見ごたえ十分。
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モンテ・アルバン遺跡から発掘されたトルコ石が装飾されたドクロ
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モンテ・アルバン遺跡
オアハカで最大の遺跡。高さ約500mの丘に広がっています。オルメカ・サポテカ文化の中心を成す宗教都市遺跡です。広場は周囲をテオティワカン形式の建物が取り囲んでおり、現存する建物のほとんどが絶頂期である第3期のものです。

オアハカ市内からバスで30,40分。モンテ・アルバンは「白い山」の意。
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入口付近にモンテアルバンの出土品の博物館がある。左画はピラミッドの踊る人のレリーフ(本物)
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左)宮殿からの眺め  右)球戯場
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左)天文台  右)ピラミッドの踊る人のレリーフ(複製)
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南の基壇。こうやってみると低く見えるが、
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登ると以外と高い。
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オアハカには“女だったら買ってたのに” と男のボクに思わせるぐらい可愛い雑貨や民芸品のお店がたくさんあった。

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コレ↓を買った。クソ暑かったメキシコでは一回も着ていない。日本でも着ていない。まぁそんなもんでしょ。(そういえば男物でイイ感じのやつが少なかった気がする)
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アレブリヘス。動物などをモチーフにカラフルな彩色がされたアレブリヘスと呼ばれる木彫りの置物。街のあちこちにあった。ちょっとグロイところがいい。
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引用

メキシコでもコンビニがある。日本でいうレジ横のあらあげクンやアメリカンドッグのような簡易調理食品がメキシコにもあってコーンチップ(味付けなしドンタコス)をよく買っていた(5回ほど)。レジを通してからセルフサービスでトマト、ハラペーニョ、刻み玉ねぎ、チェダーチーズを入れる。

ソフトクリームのようにチェダーチーズをかける。セルフサービスなので山盛り入れた。これで100円。オススメ。
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パレンケ/Palenque
メキシコ湾に注ぐウスマシンタ川の中流域にあるマヤ文化の神殿建築遺構群。マヤの諸都市のうち,ティカルTikalに代表される初期の遺跡についで,上流にあるヤシュチランYaxchilán,ピエドラス・ネグラスPiedras Negrasなどの遺跡とともに,7~8世紀ころ栄えた。500m×300mの中心部の周囲東西10kmにわたってひろがる。メキシコ国立人類学歴史学研究所で調査,修復が行われている。

マヤ古典期の最高傑作と言われる遺跡です。紀元前300年頃に起こり7世紀頃には各地から巡礼者が集まる聖都として栄えました。宮殿・碑文の神殿・十字架の神殿など独特の優美な建物が当時の面影を残しています。
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引用

街からバスで20分。自然保護料として入場料とは別に料金をとられる。

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ジャングルの中に突然遺跡が現れる。当日はあいにくの雨。それはそれで神秘的な感じがしてよかった。
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碑銘の神殿。パレンケのパカル王の墓と遺体が見つかったらしい(立ち入り禁止)。遺体が入った石棺にはマヤ人宇宙人説の発端になった宇宙ロケットのレリーフが描かれている。
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石棺のレリーフ。上部より、天の鳥ケツァル、十字の世界樹、双頭の蛇、パカル王(パイロット)、日没の太陽(死の象徴)、冥界のあご。
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引用

隣の神殿には入れる。
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縦長の通路が続き、いくつもの部屋と棺があった。
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宮殿。マヤ建築でも他に例がない高さ15mの4階建ての「天文観測塔」がある。
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宮殿を探索してみた


ジャングルを進むと、
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教会や神殿が現れ、十字の神殿の長い階段を上る。
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十字の神殿から見た眺め。奥の左側が碑銘の神殿、右側が宮殿。
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神殿内で少し雨宿り。
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パレンケ遺跡から街に戻る途中にパレンケ遺跡博物館に行った。

パレンケの特徴的な大型香炉立て
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ジョジョ2章の柱の男サンタナを思い出した
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神殿の彫刻(複製)。687年の戦いで敗れたトニナ の支配者がキニチ・カン・バラム2世の前に跪く様子が刻まれます。複製なので図像が明瞭でリアルです。
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神殿内部を飾った柱(本物)。1998年に発掘されたもの。左側の柱は天井から床まで赤や青の彩色が当時のまま残る。右側の柱は彩色はかなり 消えてきているが、明瞭な漆喰彫刻が残される。
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碑銘の神殿の中で発見されたパカル王の遺体が入った石棺と蓋石(複製)。葬室の壁は厚いガラスで中が覗けるように作ってあり、壁面の彫刻も ガラスに刻まれ、マヤアーチの天井もガラス製です。
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蓋には宇宙ロケットのレリーフが刻まれている。
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メキシコシティの国立人類学博物館にも複製があり、上から見下ろすような展示になっているので宇宙ロケットのレリーフが良く見える。
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ポストカードを買いに併設する土産店に入ったら、宇宙ロケットのレリーフが描かれた石板のレプリカが売っていた。

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男のロマンが燃え上がった

映画バック・トゥ・ザ・フューチャーを初めて観た時のワクワク感
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宇宙ロケットのデザインの土産はパレンケの街でも、パレンケ遺跡入口の露店でもよく見かけた。

でもなんか、綺麗なやつは精巧過ぎてロマンに欠け、古ぼけたやつは造りが粗かったり安っぽかったりしてロマンに欠けた。

この土産店の石板のレプリカは、遺跡にあってもおかしくないぐらい、ちょうどイイ感じで古ぼけて雰囲気がある。

何よりもボクの中の男のロマンを燃え上がらせた


映画インディー・ジョーンズを初めて観た時のワクワク感
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肝心の値段はというと、(確か)5,000円ぐらい。1万円以上でもおかしくないクオリティ。

ただ、一つだけ気になることが。

重さ2kg 


(これから旅は半分も終わっていないのに・・・これからアルゼンチン行くのに・・・)
ショーケース越しに石板のレプリカを見つめながら5分ほど考えていると、なにか聞こえてきた。
(ボク ヲ ツレッテイッテ)
!?
石板が喋った!?
思いが強いと物にも魂が宿るというが・・・


みたいな妄想
をちょっとして石板のレプリカを買った。

引っ越しの段ボールから現物を撮り出すのが面倒だったのでイメージだけで(スイヤセン)。この後、石板のレプリカをバスタオルでグルグル巻きにして旅を続けた。
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パレンケ遺跡に行く予定がある方、遺跡が好きな方、2kgなんて気にしない方、男のロマンを持っている方にオススメします。


メキシコのレストランでタコスを頼むと色んなディップが付いてくる。なので毎日タコスでも飽きない。

サルサソース、アボカドソース、パラペーニョソース、トマトのみじん切り、ライム
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左の黒いソースが旨かった。何か分からんけど。食べるラー油にたいな感じ。
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カンペチェ/Campeche
ベラクルスとユカタン半島を結ぶ交通の要所を占め,トウモロコシ,バナナ,ココヤシ,サイザルアサなどの農産物集散地。豊かな漁場をひかえているが,十分に開発されていない。重要産業は木材業。1521年に建設され,海賊からの防御のための城塞,城壁を現在もとどめている。

カンペチェには夜に到着して、昼前に出発したのでほとんど観光をしていない。

潮の香りがした
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白亜の教会カテドラル
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LOWシーズンなのか夜は静かだった
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早朝にリゾートホテル沿いを散歩した。遊ぶ少年2人の像。本物の少年と思って近づいて苦笑い。
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裏路地に入るとカラフルな家が建ち並ぶ
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カンペチェの中心地は城壁に囲まれていて、歴史的要塞都市として世界遺産登録されています。

この要塞でパイレーツ・オブ・カリビアン(カリブの海賊)からの攻撃を防衛した
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~続く~
あとがき
メキシコ旅行で3回ほどコノ↓儀式を見かけた。

ロス・ボラドーレス
1,500年以上続く豊作を祈るメキシコの伝統儀式。30mの高さの柱に腰ひもを縛り付け、笛の音色にあわせて宙吊りになって回りながら下りてくる。回る回数も13回と決まっていて4人で合計52回。マヤカレンダーは太陽暦52年(1年=52週)なので、1回の儀式で新しい太陽が生まれ変わると言われている。

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いつもコレ↓が思い浮かんだ。

学校遊具の回旋塔。鉄柱に繋がれた吊り輪を握り、遠心力を利用して回転を楽しむ遊具。
回旋塔

小学校の頃、休憩時間になるとクラス全員(約40人)で回旋塔を楽しんだ。回転力を強くするため、2,3人を外側に残し残り全員が内側の支柱に集まって吊り輪を回転させた。遠心力も加わってハンパない回転力となり外側の2,3人は宙に浮き地面と平行になって回転する。体の軽いヤツは垂直方向に傾く。(上図なんてまだ甘い)

休憩時間の終了のチャイムが鳴ると、誤って手を離してしまったヤツの吊り輪が残ったヤツの顔にめがけて飛んでいく。(顔面に直撃して涙や鼻血を流したヤツが大勢いた)

“ある意味ロス・ボラドーレスの方が安全じゃね?”   と思ふ今日この頃でございます


そんなことがあるせいか近年では回旋塔の危険性が問題視され数が減っているとのこと。(なんか寂しいねー)


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| H2 渡航歴_2001~2013 | 16:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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