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【キューバ】サンティアゴ・デ・クーバからのキューバ革命

世界一周 152日目 国旗_キューバ サンティアゴ@キューバ  のお話

まえがき
今回の内容でございます。
  • 世界遺産マーク モロ要塞(サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城)
  • 7月26日モンカダ兵営博物館
  • カーニバル博物館

キューバ革命の発端となる歴史を持つサンティアゴ・デ・クーバに行ってきた。 

カマグエイ→サンティアゴ, Viazulバス, 6h30min, 18CUC≒1,800円
移動_カマグウェイ→サンティアゴ

Viazulのバスターミナル前には「SANTIAGO」の看板がある
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バスターミナルの前に巨大なモニュメントがある
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個人的に好きなタイプ
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ハバナの革命広場にあるゲバラ、カミーロの肖像と同じタイプの肖像(名前聞いたけど忘れた)
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バスターミナルから中心地に向かうためバス停で待っているとバスというより乗り合いトラックみたいなものが来た。サンティアゴはこのタイプがたくさん走っていた。
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サンティアゴの街は中心地を起点に丘になっている
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カテドラル前の道路で違反者が取り締まられていた。変な意味ではなくキューバの女性警官セクシーなんです。ミニスカートに黒の網タイツ。セクスィーなんです。
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マルタ広場。日差しが強すぎて影のところ以外誰も座っていなかった。
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キューバ革命が始まるきっかけとなった場所にある7月26日モンカダ兵営博物館に行った
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7月26日モンカダ兵営博物館
この兵営は1854年に刑務所として建てられたもので、1952年にクーデターによって政権についたバティスタの、キューバ国内第2の規模を誇る兵営であった。1953年7月26日、カストロ率いる革命軍は親米バテイスタ政権の打倒を掲げこのモンカダ兵営を襲撃。その日、兵営内ではカーニバルのあとのパーテイが開かれていた。早朝、気が緩んでいるところを狙っての襲撃だったが、この作戦は失敗に終わる。121人のうち61人の仲間が犠牲になり、カストロも逮捕された。しかし、この襲撃の失敗こそがのちのキューバ革命実現に向けての大きな契機となる。カストロは恩赦で出獄したのちメキシコに渡り、反バテイスタの組織7月26日運動(M267)を結成。メキシコで同士となったゲバラらと再びキューバに上陸し、ゲリラ戦を展開したのち1959年にバテイスタ政権を崩壊させる。革命軍の腕に付けられている「26」の数字は、この日を忘れないという意味が込められていたのだ。博物館の入口になっている3番ゲートには今も当時の弾痕が残っている。館内にはモンカダ兵営襲撃に至る経緯、カストロと弟のラウル、およびアベル・サンタマリアそれぞれの部隊がとった襲撃の経路、殺害されたメンバーの写真、グリラ戦の様子、M-26のユニホーム、武器などが展示されている。

博物館は修学旅行生や観光客で賑わっていた
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当時の弾痕が残る3番ゲート(博物館入口)。思っていたより数が多く、穴が大きかった。生々しい・・・
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犠牲になった61名の配置や当時の状況
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革命軍の経緯
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ここはキューバ革命の火種を切った場所、そう考えると心が震えた(キューバ人じゃないし、にわかキューバ革命ファンだけど、震えた)

1CUP≒4円のオレンジジュースとおちょこサイズのコップに入ったカプチーノを飲んだ
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世界遺産のモロ要塞に向かった。

サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城
1997年に登録された世界遺産(文化遺産)。サンティアゴ・デ・クーバは、キューバ東部のサンティアゴ・デ・クーバ湾に面した人口約40万人の港町である。この町はディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル(キューバ征服を指揮し初代キューバ総督に就任したスペイン人)によって建設され、1515年から1607年まではキューバの首都だった。この町にあるサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城(サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ要塞)は、ヨーロッパの列強諸国がカリブ海の覇権を競った16世紀末、キューバの戦略的な重要拠点であるサンティアゴ港を防衛するため、スペインの国王フェリペ2世の命令で建設された。この要塞には砦、弾薬庫、砲台などが複雑に配置され、イタリア人技術者ファン・バウティスタ・アントネッリの設計によるイタリア・ルネサンス様式の遺構が残されている。サンティアゴ・デ・クーバはその後、16~17世紀には海賊による密貿易の拠点となり、18世紀末にはハイチ独立により、この地に移り住んだフランス人たちがサトウキビの栽培を手がけた。こうした経緯から、スペインとフランスの建築様式が混在する町並みを形成することになった。また、この町は1898年、米西戦争が起こった舞台となり、1953年にはフィデル・カストロ率いる160名の兵士が陸軍の兵営を攻撃しキューバ革命が始まるきっかけになった歴史も持っている。現在はマンガン鉱や銅鉱などの鉱物や砂糖、タバコの積み出し港としてにぎわっている。

世界遺産_サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城

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一部Dliftから引用
  
中心地からタクシーで15CUC≒1,500円ぐらいと聞いていたが、高いので公共バスで行けないか探したら以外と簡単に見つかった。

中心地→モロ要塞, 乗り合いトラック, 2CUP≒8円, 40min
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終点はモロ要塞の手前。「モロ要塞は休館しているよ、だから向こうの綺麗なビーチへ行った方がいいよ」と客引きが嘘を言いボートに乗せようとする
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終点からモロ要塞入口までは徒歩30,40分はあります(結構遠い)途中にそこそこ綺麗なビーチがある。
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ビーチからちょっとしたトレッキングが開始。15分ほど登ってモロ要塞が見えてきた
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ロカ(la Roca,「岩」)城と呼ばれるだけあって監守な造りになっている
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橋を渡るとチケット売り場(入場料4CUC≒400円)
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中は高い塀が入り組んでいる
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武器庫、宿舎、教会、牢獄などがある
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城塞は切り立った崖の上に建っている。高さ約60m
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カリブの海賊との攻防や米西戦争の海戦の舞台となっただけあって大砲がたくさん設置されている
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武器もたくさん展示されている
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海賊が腰巻きにさしてそうな湾曲した持ち手の銃
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ヘンリー・モーガン(中央)をはじめとするカリブの海賊達。リアル・ワンピース。
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米西戦争の資料なども展示されている
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帰りも乗り合いトラックに載った。魚が入ったバケツを持った漁師さん達が乗ってきた。魚の生臭い匂いが漂う。
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ちょうど目の前に漁師さんの脇が。生臭い魚と仕事終わりの脇の臭い、ハンパねぇ。
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トラックで仲良くなったキューバ人家族が電話番号を教えてくれた。FacebookやE-Mailの交換ではないところが新鮮。
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中心地の到着し、とりあえずジュース(1CUP≒4円)。昼になると更に日差しが強くなる。
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バカルディ博物館に行きたかったが時間外でもないし、休館日でもないのに3回訪問したがずっと閉まっていた。バカルディといえばラム酒の有名ブランド。サンティアゴの初代市長エミリオ・バカルディの一族がそのラム工場を営んでいた。。革命後にバカルディが亡命するとその技術がプエルト・リコに移され、キューバではハバナ・クラブと名前が変わった。
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キューバのタバコを買ってみた。ショートピースのようなフィルターなしの紙巻きタバコ。1箱7CUP≒30円。キューバ人客は1本単位で購入していた。
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旅疲れと暑さにやられベンチで横になった。そこが裁判所の目の前だったせいかすぐに叩き起こされた。
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うさん臭い屋台。でもノリがよかったから買った。パンとハムだけのサンドイッチ。10CUP≒40円
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カーニバル博物館に行ってみた。入場料1CUC≒100円
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館内は狭く、展示されているカーニバルの衣装もあんまりな感じだった。
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でも、中庭で披露されるダンスショーがよかった。100円のわりにはクオリティーは高い。でも全員私服。1時間ほどしてショーが終わるころに音楽CDの売り子に変身する。
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レストランの前でシェフが自慢の料理を披露していた。めちゃくちゃ美味しそうだったけど1品5,000円以上ばかり(ランゴスター1万円だった)。ボクは40円のチャーハンで我慢。
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生ビール(1CUC≒100円)を相席したキューバ人の若者と飲んだ。サンティアゴではレアルマドリードのクリスティアーノ・ロナウドのような美形で筋骨隆々な若者をよく見かけた。サンティアゴは男前が多いいめー
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サンティアゴは音楽も盛んな街。1泊して夜にジャズバーやサルサバーを観に行こうと思っていたけど、一方的にOK?OK?を連呼する宿の案内人に腹が立ち、いろいろあって、宿泊せずにサンティアゴを後にすることにした。(ハバナであんなに時間が余ると分かっていたらサンティアゴで2泊ぐらいしたのに、失敗した・・・)


あとがき
「革命」ってなんかカッコいい、「カリブの海賊」ってなんかカッコいい、「黒編みタイツのミニスカポリス」ってなんかいい、思ってしまう。

“男って単純で幼稚なんだなぁ”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
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| キューバ | 23:41 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

Re: タイトルなし

> http://chupatrip.blog.fc2.com/blog-entry-180.html
>
> 古い記事ですが、写真の削除お願いしますね。
>
> Tony寛斎

Tony寛斎 様

この度はご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ありません。

ご指摘箇所の削除が完了しましたので報告させて頂きます。

ご確認のほど宜しくお願い致します。

別ブログ記事にて削除完了後にメール連絡とのことですが、FC2ブログの記事コメントからではTony寛斎様のメール連絡先がわかりかねます。

お手数おかけし恐縮ですが、本コメントでの確認・返信若しくは本ブログの右フィールド内「メール/Mail」からご連絡頂けないでしょうか。

以上、宜しくお願い致します。

| ShinShin | 2014/05/23 09:41 | URL |

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

| 履歴書 | 2014/06/08 10:09 | URL |















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