2013年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年10月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

【ランキング】海外トラブル

これまでに海外旅行中に起こったトラブルをレベル別にまとめてみました。

レベル1 : 旅に影響なし (Ex. 未遂、フリスクを紛失)
レベル2 : 旅に影響あり (Ex. 旅程変更、歯磨き粉を紛失)
レベル3 : 旅を中断 (Ex. 金銭トラブル、鞄を紛失)
レベル4 : 旅を大幅に中断 (Ex. 入国不可、パスポートを紛失)
レベル5 : 旅を中止 (Ex. 重傷、全ての荷物を紛失)
低:レベル1⇔ レベル5:高


世の中には、良い人がいれば悪い人もいて、幸せなことがあれば不幸なこともある。

海外旅行は危険が付きもの。でも、それは日本も同じ。

危険を回避するということは、それに対して意識をするかしないかのどちらか。

治安が良い国でも油断をしていたら危険な目に合うし、治安が悪い国でもしっかり危機管理をしていたら問題ない。

ビビって何もしないよりは、チャレンジして新たな発見をした方が人生を楽しめる。

下を見ずに前進していきたい。


ってなことを心掛けているけど、調子にノッて油断して痛い目に合うんだな~これが

人の不幸は蜜の味ということで、楽しみつつ危機管理の参考になればと思います。


レベル1 (全4件)

海外トラブル File.01 (詳しくはコチラ

ランキング_海外トラブル_File1~振り返ってみて~
親切=良い人と勘違いしていた。観光客は宝箱を背をったカモだ。日本の常識は通用しない。後になって都合のいいことをいうのなんてザラ。親切にされるほど疑い深くならないといけない


海外トラブル File.02 (詳しくはコチラ
ランキング_海外トラブル_File2~振り返ってみて~
噂には聞いていたが・・・注意力が欠けていた。警察手帳なんか信じてはダメ。そもそも所持金を確認する警官なんていない。(逆に金で解決することもできるとか・・・)

海外トラブル File.04 (詳しくはコチラ

ランキング_海外トラブル_File4~振り返ってみて~
自然と水の大切さとを軽んじていた。喉の渇きほど苦しい物はない。砂漠だったら本当にヤバかった。この件は真面目に反省しよう。

海外トラブル File.07 (詳しくはコチラ

ランキング_海外トラブル_File7~振り返ってみて~
なんでもありの中国だけあって地味に怖かった。土地勘が無い分どうしようもないことはあるが、少しでも違和感を感じたらすぐに確認しよう



レベル2 (全2件)

海外トラブル File.05 (詳しくはコチラ

ランキング_海外トラブル_File5~振り返ってみて~
観光日数が減ったことに加えて一方的なガイドに対してストレスが一気にMAXに。ストレスは旅行の大敵。正直、機器トラブルはどうしようもないので、どれだけストレスを溜めないようにするかがポイントかな。エロいことを考えよう。

海外トラブル File.06 (詳しくはコチラ

ランキング_海外トラブル_File6~振り返ってみて~
まさか立て続けに起こるとは。ココまで来ると気持ちの切り替えが重要。前向きな気持ちで、もっと酷いケースを考える。そうすることで実はラッキーと勘違いすると気が楽になる。CAのネーチャンが可愛くてラッキー。


レベル3 (全2件)

海外トラブル File.03 (詳しくはコチラ
ランキング_海外トラブル_File3~振り返ってみて~
当時はめちゃくちゃパニックになった。なので大人げないことをしてしまった(反省)。この件で海外では「盗んだヤツも悪いが盗まれたヤツも悪い」と「公共施設で寝ている人は落し物と見られる」といことを教えられた。

海外トラブル File.08 (詳しくはコチラ

ランキング_海外トラブル_File8~振り返ってみて~
当時は完全に調子にノッていた。刺激欲しさに軽はずみなことをしてしまった。いくらでも帰れるタイミングはあった。人気(ひとけ)が無い店には1人で行かないこと。2度と同じことはしない・・・と思う。


レベル4 (0件)
ないでーす 


レベル5 (0件)
ないでーす

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| ランキング | 22:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ブログをやってみて分かったこと ~5カ月~

まえがき
今回の内容でございます。
  • 5カ月間、ブログをやってみて分かったこと

なんだかんだとブログを始めて5カ月が経ちました。

初めの1ヵ月は、慣れないHTMLとCSSを探り探りイジッてたり、ブログ初心者ガイドやWEBデザインの本を立ち読みしたりしてブログのテンプレートのカスタマイズばかりしていました。

余計なことに気が入ってしまい寄り道ばかりしていたけど、荒削りだが形になったのでとりあえずブログの記事を書き始めました。

過去の自分のブログを見ると「そういえばこの時こんな感じやったな」とか「懐かしー」とかよりも、「え?何コレ?なんか恥ずかしいんですけど」と思える。

今さらですけど、個人ブログって自分の考えやプライベートをさらけ出しているようで(その人のさじ加減ですけど)めちゃくちゃ恥ずかしいですね。外部ネットワークで展開していると尚更。

じゃぁ止めれば?ということになるのですが、ドMのボクとしては・・・(割愛)

(面白くない)冗談はさておいて、5カ月の間に「自分の趣味」や「渡航歴」、「日本観光」などを題材としたブログを、世界一周を想定しながらブログを更新してきました。

根本の「ブログは個人的趣味」、「閲覧者にエンジョイしてもらいたい」、「交流ツールの一つ」は変わっていないです。

ただ、実際に更新し続けた結果、ブログの内容や展開方法は改善する必要があるかな~?って思っています。

具体的にはこんな感じ↓

1.ブログ記事のボリューム

「渡航歴」や「日本観光」の記事は複数日を1つの記事にまとめていました。
ダイジェスト版としてサクッと終わらす予定が画像や動画、世界遺産や観光名所の補足説明など付加した結果、ブログにアクセスしても表示するのに時間がかかってしまうことになりました。
文章だけや小さい画像だけのブログにはしたくなく、旅行している気分や世界遺産の知識などを共有したいのでブログの内容はこれまでのような感じ行きたいと考えています。

また、ボリュームが大きいとブログの更新時間を長く確保することになるので、海外では日本での生活のような安定したネット環境やブログ更新する時間はほとんどないと思います。
こういったことも自分を苦しめることになるので、世界一周では小分けしてブログ記事を更新できたらと思います。


2.ブログの更新頻度

青春18きっぷの旅をして分かったこと。観光に時間を費やすので、ブログを更新している暇がない。
旅先でネット接続してもホテルの予約や観光スポットの検索ばかりしている。(リアルタイムのブログ更新は無理だな~)

渡航歴の記事を書いている時、しょーもない事でも印象に残っていることはすぐ思い出し、観光スポットの名前や何の写真だったかは調べてないと思い出せなかった。そのため、記憶の新しい間にすぐに記事を書かないと後になって余計な時間を費やすことになってしまう。

世界一周ではメモやブログの下書きはマメにし、すぐにブログ更新できる状態を維持して、極力リアルタイムの情報をお届けできるよう心掛けたいと思います。


3.ブログの内容

ブログを始めた頃↓は、先駆者の世界一周ブログのように海外旅行や世界一周する上での参考情報をブログに載せれたらと考えていました。

自己紹介から抜粋
このブログなんなん
一応、世界一周のブログにする予定です。
念願の世界一周に行くにあたり、せっかくなんで思い出作りとして始めてみました。
旅行記を主とし、移動・宿・手続きなどの海外旅行に関する参考情報を記したいと思います。
ちょっとした息抜きや観光気分を味わえたり、旅行計画に役立てられたら嬉しい限りです。

また、名刺代わりとしてこれから旅行される方、旅行中の方、旅行に興味ない方との交流手段として利用できたらと。
とはいえストレスなくブログ更新のために行動せず、世界一周後に読み返して笑える内容にしようと思います。


移動、宿、食事、ツアーなどの料金、アクセス、アドレス、プロセスなどの参考情報。
これを旅しながらまとめてる方、凄いと思う。(マメになりたいです。)

家計簿のように10円単位で算出している方も多くいる。(実はコレって才能がないと出来ないと思う)
ボク的に、料金に関しては移動やツアーはまだしも食事や宿はキリがないと思ってしまう。(大阪の商人魂と貧乏性で無駄なものがキライで、安くて良いものがスキ

なので、無駄な出費ほどよく覚えている。(チャリ撤去料2,500円とか)
言いかえれば、必要なものに無駄がないと思っている。(結局、料金が高いからといってココまで来て諦める?になってしまう)

とはいえ、自分が世話になっている以上、これから海外に旅立たれる方に向けて出来る限り参考情報を載せていきたいと思います。

ブログの改善点(まとめ)
1.ブログ記事のボリューム
      課題 : ボリュームが大きいと長時間のネット環境を確保する必要がある。また、閲覧するのに時間がかかってしまう。
      原因 : 一度にまとめてブログを更新するため。
      改善策 : マメにブログを更新して、1つの記事のボリュームを抑える
 
 2.ブログの更新頻度
       課題 : 旅中はブログを更新している時間がほとんどない
       原因 : ブログ更新の準備やネット検索でで時間を使っているため
       改善策 : ブログ更新の準備は空き時間を利用し、事前にできることは日本にいる間にネット検索する


 3.ブログ内容
       課題 : 参考情報のボリュームが少なかったり、まとめきれていない
       原因 : ワガママ
       改善策 : 頑張る


あとがき
5カ月前は世界一周への意欲に満ち溢れていた

5カ月前
アニマ浜口


“あの頃は元気だったなー”   と思ふ今日この頃でございます

現在
アニマ浜口_2



最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| ブログ開設 | 20:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】サマリー

まえがき
今回の内容でございます。
  • 渡航歴
  • 訪問した国々


渡航歴表
渡航歴まとめ


訪問した国々(赤色箇所) Map of the Worldにて作成
図_渡航歴


あとがき
“思い出を整理するまでが旅行なんだなぁ”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 16:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】やっと終わった

まえがき
今回の内容でございます。
  • これまでの海外旅行をまとめ終わって思うこと

ブログ記事の練習がてらこれまで行った海外旅行をまとめ始めてから5カ月。


やーーーーーっと終わった


今の気分。いやぁっほぉぅぅ

いやぁっほぉぅぅ

何度もブログを嫌いになりそうになりました。

何度もブログを往復ビンタしたくなりました。

ボク、頑張りました

そんなボクに拍手をあげたい
スタンディングオベーション_1

でも、

まとめ終わって思う。


世界一周、これからだよね?


あとがき
“燃え尽きたぜ 真っ白にな”   と思ふ今日この頃でございます

燃え尽きたぜ真っ白にな_1



最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 19:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】カンボジア、ベトナム③

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2004.08 スペイン、ポルトガル、モロッコ旅行記

~続き~
flag_flag_of_VietNam_1.pngベトナム/Vietnam

ベトナムといえば、フォー、ベトナムコーヒー、水上人形劇、アオザイ
渡航歴_ベトナムフォーjpg渡航歴_ベトナムコーヒー渡航歴_水上人形劇_3
渡航歴_アオザイ_1モダンアオザイ_1


訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ベトナム_自己評価

自分の中では十分にベトナムを満喫したので世界一周では訪れない予定です。
とはいえはあれから月日は経っていますし、ベトナムを全て観光した訳ではないので、もし
オススメがあれば教えてくださ~い



カンボジアから夜行バスでベトナムのホーチミンに向かった。

渡航歴_ベトナム地図_1

バスを乗せて船で川を渡る
渡航歴_ベトナム_1渡航歴_ベトナム_2

カンボジアの出国手続きとベトナムの入国手続きをして、いよいよベトナムに入国!!
渡航歴_ベトナム_3渡航歴_ベトナム_4



ホーチミン/Ho Chi Minh
旧南ベトナムの首都サイゴン。ベトナム戦争で陥落し、1976年の南北統一後、旧北ベトナムの指導者だったホー・チ・ミンにちなんで改称された。「政治都市」の首都ハノイに対し、「経済都市」として発展。

さっそく洗礼を受けた。バイク天国。怖いけどちゃんと直前でスピードを落としてくれます。(停まってはくれないです)
渡航歴_ホーチミン_バイク_1

アート作品のようなグッチャグチャな電線。屋台のねーちゃんが勝手に電線につないで電気を盗んでいました。
渡航歴_ベトナム_31渡航歴_ベトナム_31_2

ホーチミンは歴史ある都市だが、市内はそんなに観光するところはなかった。(2泊したけど1泊でよかったかも)

サイゴン大教会(聖母マリア教会)
ベトナム南部のホーチミン市(かつての南ベトナムの首都サイゴン)の市内(1区)、土産物店が並ぶドンコイ通りにある、カトリックの大司教座大聖堂。ベトナムがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて建設されたネオゴシック様式の聖堂である。「聖マリア大聖堂」とも呼ばれる。
渡航歴_ホーチミン_追加_2渡航歴_ホーチミン_追加_1

中央郵便局
フランス統治時代に建てられた。内部天井はクラシックなアーチ状になっている。
渡航歴_ホーチミン_追加_3渡航歴_ホーチミン_追加_4


戦争証跡博物館
ベトナム戦争の歴史を綴る博物館。建物は3階建てで、屋外にはベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車が展示されている。屋内には大砲や爆弾などの遺物、戦争の足跡をたどる貴重な記録が展示されている。枯葉剤の犠牲となった人々の写真もある。

1960年〜1975年に起こった共産主義陣営 vs 資本主義陣営の冷戦を背景とした代理戦争で、北ベトナムのホーチミン率いる社会主義陣営(ソ連・中国)と南ベトナムのゴ・ジン・ジェム大統領政権の資本主義陣営(アメリカ)が対立した。

入口には戦争で使用された重機や爆弾が展示されている
渡航歴_ベトナム_21渡航歴_ベトナム_22
渡航歴_ホーチミン_追加_8渡航歴_ホーチミン_追加_9

屋内には数々の写真や戦争資料などが展示されいる
渡航歴_ホーチミン_追加_10渡航歴_ベトナム_23

ベトちゃんドクちゃん。戦争や枯葉剤の被害者。
渡航歴_ホーチミン_追加_13渡航歴_ホーチミン_追加_12

戦争で使用された銃器
渡航歴_ホーチミン_追加_11渡航歴_ベトナム_25

戦争被害の統計がベトナム都市別にまとめられていた。最大で49%の土地と23%の人間が無くなった。
渡航歴_ホーチミン_追加_16渡航歴_ベトナム_24

独房や拷問道具、犠牲者など
渡航歴_ベトナム_27渡航歴_ベトナム_26
渡航歴_ベトナム_29
渡航歴_ベトナム_28
渡航歴_ホーチミン_追加_14渡航歴_ホーチミン_追加_15


街をぶらぶらした
渡航歴_ベトナム_17渡航歴_ベトナム_18
渡航歴_ホーチミン_追加_19渡航歴_ベトナム_20


ベトナム雑貨を買いにお店を巡った。(各都市で買い物をしたけどホーチミンが一番品数が豊富でした。首都ハノイは期待外れだった。)

個人商店で御茶碗とコップなどの食器を買った際に、まとめて買うからまけてとお願いした。

少しだけまけてもらえたが納得できなかったので、値段はそのままでいいからアレもコレも付けてと言っていたらお店のオネーチャンが、げきオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリームしていた 
(怒りパラメータ2013)
おこ → 激おこ → 激おこぷんぷん丸 → ムカ着火ファイヤー→ カム着火インフェルノォォォオオオウ → げきオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム

生まれて初めて値切った後に謝った
渡航歴_ホーチミン_追加_22

ベンタイン市場
露店がぎっしりと建ち並ぶ。品質が悪く値段も安くなかった。
渡航歴_ベトナム_6渡航歴_ベトナム_16

アオザイや家具、漆器、ベトナム雑貨など見ているだけでも楽しい。
渡航歴_ベトナム_8渡航歴_ベトナム_12
渡航歴_ベトナム_14渡航歴_ホーチミン_追加_18


ホーチミンでは小洒落たレストランが多かった。(屋台や大衆食堂は少なかった)

「フォー24」 肉団子入りフォー。ベトナムではよくパクチーともやし、ライム、唐辛子が備え付けられていた。
渡航歴_ベトナム_11

「gold fish」 バイン・セオの有名店とるるぶに載っていたので行った。他店の方が美味しく、他店よりも料金が3,4倍した(チャージ料がある)。オススメしない。
渡航歴_ホーチミン_追加_24渡航歴_ホーチミン_追加_25
バイン・セオ(ベトナム風お好み焼き)
渡航歴_ベトナム_19

「パタシュー」 フレンチベーカリー
渡航歴_ホーチミン_追加_5渡航歴_ホーチミン_追加_6
フランスに統治されていただけあってベトナムのフランスパンはカリフアで美味しい
渡航歴_ホーチミン_追加_7

「ラップ&ロール」春巻き専門店。空港前にあるデパートの食堂エリアで食べた。
渡航歴_ホーチミン_追加_20渡航歴_ホーチミン_追加_21
自分で包んで食べる
渡航歴_ベトナム_32


今回の旅はバス移動で計画していた(カンボジア、ベトナムはバスに比べて飛行機は4,5倍高い)

とはいえ移動時間を短くしたかったので格安航空券がないかネット検索をしていた。

ベトナム国際線はベトナム航空の独占状態で航空券の値下げは無かった。(LCCも参入しているが便数が少なく、空きがほぼない)

ホーチミン⇒ベトナム中部のダナン行きのチケットは何日も前から確認していたが、ずっとベトナム航空1.8万円で一定だった。

移動日の前日、いつものようにネット検索しているとホーチミン⇒ダナン行きのチケットがジェットスター航空2,500円で販売されていた。(おそらく直前のキャンセルによるものかと)

ソッコーで購入した。

でも飛行機に乗るまで不安だった。(予約確認や注意事項など全文英字だったので見落としがないか何度も確認した)

ホントに2,500円で乗れた 
渡航歴_ベトナム_33


ダナン/Da Nang
ベトナム中部の港市。人口38万3000(1992)。南シナ海に臨み,フランス植民地時代の旧名はトゥーラーヌTourane。フエの南東80kmに位置する。北のホンソンチャ岬,南のダナン半島とに抱かれたダナン湾の奥にある港で,カムレ川の河口にもあたる。古くからアンナン海岸の良港の一つとして知られ,フランスの中部ベトナム侵略に際してはまっさきに占領された港である(1858)。気候的には11~3月の北東モンスーン期はしのぎやすいが,あとの月は暑く,特に4~5月は酷暑となる。

ダナンはベトナム中部一の大都市。ベナンの北に位置するフエと南のホイアンの拠点として滞在した。(観光スポットはほぼない)

渡航歴_ミーソン遺跡MAP_1

現地住民に混じってフォーなどを食べた。揚げパンをフォーに浸して食べているベトナム人をよく見かけた。
渡航歴_ダナン_追加_1渡航歴_ベトナム_60
渡航歴_ベトナム_62渡航歴_ベトナム_61


ホイアン/Hoi An
1999年に登録されたベトナムの世界遺産(文化遺産)で、ダナンの南東24km、トゥーボン川の河口にあるクアンナム・ダナン省の港町。16~19世紀は海上交易の中継地であり、かつてヨーロッパ人たちはフェイホという旧名で呼んでいた。この町には中国やポルトガル、日本、フランスの商人が定住し、シルクや茶、コーヒー、カシューナッツなどの貿易をしていたことから、商人たちが住んだ住居は、彼らの故郷を偲ばせる建築様式をほぼ完全な状態で残している。日本人墓地や「日本橋」の別名を持つ屋根つきの来遠橋が残っており、当時は日本人町や中国人町もあったといわれ、伊万里焼の磁器も発見されている。現在の町並みは18世紀後半以降のもので、ベトナム戦争時代に破壊されることもなかった。人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして、世界遺産に登録された。

ダナンからホイアンへの移動は市民バスを利用した

朝早いこともあって通勤、通学の人で溢れていた。

暫くするとアオザイを着た女子学生達が乗って来た。(ベトナムの制服はアオザイみたいです)

世界共通で若者はオシャレに敏感です。(丈を短くしたり、タイトにしたり、上着やアクセサリーで個性をだしたり)

盗撮してしまっただって目の前にあるんだもんもう少しで付いて行くところだった
渡航歴_ベトナム_34渡航歴_ベトナム_35
んーいいですねーアオザイ (変態度:60%)

ホイアンに到着してすぐシンカフェ(ベトナム大手の旅行代理店)に行き、ミーソン遺跡のツアーに申し込んだ。


ミーソン遺跡
チャンパ王国の聖地跡、ミーソン。ホイアンから南西30kmのトウ・ボン川流域のジャングルの中にあります。現在残っている遺跡群は、チャンパ王国が徐々に領土を追われ失っていくのがわかるように中部から南部にかけて点々と残されています。専門家によりAからGまでの7つのグループに分けられており、それらは約20の建築物からなっています。中でもB5と呼ばれる塔は極めて貴重なもののひとつであり、現存するチャンパ芸術の中でも一番優雅で荘厳の造りであるとされています。

他のツアー客と区別をするため各グループに名前が付けられます
渡航歴_ベトナム_36渡航歴_ベトナム_37

ボクのグループ名はモンキーでした。ガイドがモンキーみたいだからなんでしょうか
渡航歴_ホイアン_追加_1渡航歴_ベトナム_40
渡航歴_ミーソン遺跡_1渡航歴_ベトナム_38

渡航歴_ベトナム_39

渡航歴_ミーソン遺跡_2渡航歴_ホイアン_追加_2
渡航歴_ベトナム_41渡航歴_ベトナム_42

ホイアンに戻って、街を観光した。

ランタンがホイアンの街全体に飾り付けられている
渡航歴_ホイアン_追加_3渡航歴_ホイアン_追加_4

お土産にランタンを10個ほど買った (今回はほどほどにまけてもらった。値切った後に謝るほど哀しいことはない)
渡航歴_ベトナム_50渡航歴_ベトナム_45
渡航歴_ベトナム_46渡航歴_ベトナム_58

来遠橋(日本橋) ホイアンにする日本人達によって架けられたことからこの名前がついた。
渡航歴_ベトナム_48渡航歴_ベトナム_49

進記家(タンキーの家) 日本と中国の建築様式が入り混じった応接間
渡航歴_ベトナム_51渡航歴_ベトナム_52

廣勝家(クアンタンの家) 何百年もの歴史が刻まれた黒光りする柱や梁が見事
渡航歴_ホイアン_追加_5渡航歴_ホイアン_追加_6

貿易陶磁博物館(海のシルクロード博物館) ホイアンの日本人町や御朱印船を描いた絵巻の写真などが展示されている
渡航歴_ホイアン_追加_7渡航歴_ホイアン_追加_8

福建會館 會館内には大きな渦巻き先行がいくつもぶら下がっている
渡航歴_ベトナム_56渡航歴_ベトナム_57

古い街並みをぶらぶら
渡航歴_ホイアン_追加_11渡航歴_ベトナム_47
渡航歴_ホイアン_追加_12渡航歴_ホイアン_追加_13

ホイアンの夜は、ランタンや観光名所がライトアップされる。

夜のホイアンをぶらぶら
渡航歴_ホイアン_追加_16渡航歴_ホイアン_追加_15

ホイアン三大名物を食べた。(どれも絶品だった)

「チュンバック」ホイアン郷土料理カオ・ラウの有名店。
渡航歴_ベトナム_55渡航歴_ベトナム_54
具だくさんの濃い味付けの太い米麺。小盛もあるので小腹にちょうどいい。
渡航歴_ベトナム_53

「ホワイト・ローズ」ホイアン名物のホワイト・ローズの製造卸元。他店のホワイト・ローズは全てここで製造されたもの。凄い数を手作りしていた。
渡航歴_ホイアン_追加_17渡航歴_ホイアン_追加_18
「ホワイト・ローズ」 米粉の皮にエビのすり身を詰めて蒸したもの。ヌックマムに付けて食べる。
渡航歴_ベトナム_59
「揚げワンタン」豚ミンチとエビのすり身を黄色い皮で包み揚げたもの。チリソースを付けて食べる。
渡航歴_ホイアン_追加_19



フエ/Hue
1993年に登録された世界遺産(文化遺産)。ベトナム中部、ダナン北西にある古都フエは、1802年に国内を統一したベトナム最後の王朝、グエン(阮)朝の首都だった。碁盤の目状の旧市街に残る遺産規模は、約5km2に及び、北京の紫禁城を4分の3に縮小した王宮や、グエン朝第4代皇帝のトゥドゥック帝陵、第12代皇帝のカイディン帝陵などの歴代皇帝の帝陵、ホンチェン殿、トゥニャン塔があるティエンムー寺などが残っている。人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして世界遺産に登録された。

阮朝王宮
ベトナム中部の古都フエ(Hue)にある、かつての王宮跡。フエは、ベトナム最後の王朝である阮朝(グエン朝、1802~1945年)の都が置かれていた町である。この王宮は1803年に建設され、1833年にフォン川のほとりの現在の場所に移された。高さ5mの城壁で囲まれた600m四方の王宮には、80もの柱によって支えられた、巨大な装飾屋根の宮殿がある。フエはベトナム戦争時の激戦地だったこともあり、この王宮にも、多くの戦争の傷跡が残っている。

王宮門 
渡航歴_ベトナム_83

太和殿 中国の紫禁城を真似て造られた
渡航歴_ベトナム_85渡航歴_ホイアン_追加_25

顕臨閣 9つの大きな聖堂の鼎が置かれている
渡航歴_ホイアン_追加_23渡航歴_ホイアン_追加_26

顕臨閣内を見学していると、なんとアオザイを着た女子学生がたくさん。(今回はピンクです
渡航歴_ホイアン_追加_27渡航歴_ベトナム_88
んーいいですねーアオザイ (変態度:70%)

延寿宮 以前は高価な椅子や中国式ランプなどアンティークな装いにしていたが、戦争による破壊や盗難のため現在はその面影はない。
渡航歴_ベトナム_87

広い敷地をぶらぶらしていると、
渡航歴_ホイアン_追加_20渡航歴_ホイアン_追加_21

またまたアオザイを女子学生の団体が
 ちょっと付いて行っちゃいました
渡航歴_ベトナム_86
んーいいですねーアオザイ (変態度:80%)

トゥドゥック帝廟
ベトナム中部の古都フエ(Hue)の郊外にある、トゥドゥック帝の墓所。トゥドゥック帝は、1848年から35年間にわたって在位した、阮朝(グエン朝)の第4代皇帝。生前に別荘として使用していた建物を、1864~1867年まで3年の歳月をかけて廟とした。この廟の近くに、かつてトゥドゥック帝が涼を求めて滞在し釣りを楽しんだ、蓮池と木造の釣殿が残っている。池の左側の階段を登ると皇帝を祀る寺院があり、その奥に皇帝の墓がある。
渡航歴_ベトナム_73渡航歴_ベトナム_74
渡航歴_ベトナム_75渡航歴_ベトナム_76
渡航歴_ベトナム_77渡航歴_ベトナム_78

ティエンム寺
かつての阮朝(グエン朝、1802~1945年)の王都だった、ベトナム中部の都市フエ(Hue)にある仏教寺院。フエの中心市街から5kmほどのところにある。この寺院には、フエで最も古く、美しいといわれる7層のパゴダ(仏塔)がある。この寺院の建立は1602年。現在のパゴダは、1844年に阮朝のティエウ・トゥリ王によって建てられた。最上階の7階には黄金の仏陀像が安置されていたが、1943年に盗まれてしまった。
渡航歴_ベトナム_80渡航歴_ベトナム_81
渡航歴_ベトナム_82渡航歴_フエ_追加_1

カイディン帝廟
ベトナム中部の都市フエ(Hue)の郊外にある、かつての王カイディン帝の墓所。フエは、1802年に成立し1945年まで存続した阮朝(グエン朝)の都が置かれた古都で、同市郊外には歴代の王の廟(びょう)がある。12代のカイディン帝廟もその一つで、フランス植民地時代の1920年から12年の歳月をかけて建設された、中国と西洋の折衷(せっちゅう)様式の廟である。
渡航歴_ベトナム_63渡航歴_ベトナム_64
渡航歴_ベトナム_66渡航歴_ベトナム_67
渡航歴_ベトナム_69渡航歴_ベトナム_72
渡航歴_ベトナム_70渡航歴_ベトナム_71




「ブン・ボー・フエ」フエ名物ブン・ボー・フエの人気店。
渡航歴_ベトナム_90
スパイシーなスープが美味しい。ガイドブックに書いているほど激辛ではなかった。
渡航歴_ベトナム_91

夜行バスでフエからハノイに向かった

ベトナムの夜行バスは横になって寝れるが縦に狭い。ずっと足と体を曲げていた。
渡航歴_フエ_追加_2渡航歴_ベトナム_92


ハノイ/Hanoi
ベトナムの首都。人口215万(1993)。ベトナム北部のトンキン・デルタの中央やや北寄りに位置する。中国語で河内と記されるように,ソンコイ川本流とその支流ドゥオン川に囲まれた地域に立地する。河口から約150km上流にあるが,標高は6mにすぎず,乾季にはトンキン湾の潮汐の影響がこの付近にまで及ぶ。ハノイでのソンコイ川の水位は低水時で2.5mほどであるが,増水期には11~12mにも及び,人々は絶えず築堤を行ってこれと対抗してきた。

ハノイには2泊した。(街は意外と小さく気になる観光スポットも少なかったので1泊でもよかったかも)

ハノイには思い描いていたベトナムの風景があった
渡航歴_ベトナム_93渡航歴_ベトナム_94
渡航歴_ベトナム_95渡航歴_ハノイ_追加_14

少し道を外れるとフランス様式の建物がある
渡航歴_ベトナム_107渡航歴_ハノイ_追加_5
渡航歴_ベトナム_97渡航歴_ハノイ_追加_18

タンロン遺跡(旧ハノイ城跡)
2010年に登録された世界遺産(文化遺産)。ベトナムの首都ハノイ中心部に位置し、10世紀にわたって政治の中心であり続けている地域。7~8世紀に中国が進出し、その後、大越国が独立した11世紀に李朝が城を建造した。北の中国、南のチャンパ王国の影響を受け、それぞれの文化がこの地で混じり合い独特の文化を形成した。その特徴が王城と18の遺跡群に反映されている。
渡航歴_ベトナム_102渡航歴_ベトナム_103
渡航歴_ベトナム_104渡航歴_ベトナム_105
渡航歴_ハノイ_追加_17渡航歴_ベトナム_106

ホアロー収容所
フランス支配に抵抗するベトナム人がここに捕らえられ、拷問されたりギロチンで死刑にされたりした
渡航歴_ベトナム_99渡航歴_ベトナム_100
渡航歴_ベトナム_101渡航歴_ハノイ_追加_4

ホアンキエム湖
何かないかとウロウロしたが何もなかった
渡航歴_ベトナム_109渡航歴_ベトナム_110

ベトナムで有名な水上人形劇。折角ここまで来たんだからと思ったが、それ以上に興味がなかったので行かなかった。
渡航歴_ハノイ_追加_19渡航歴_ハノイ_追加_20
引用

ハノイでは屋台や大衆食堂が多くある。(とはいえそんなに安くない。アジアって安いイメージがあったのに)

フォー・ティン ベトナムNo.1のフォー屋
渡航歴_ハノイ_追加_6渡航歴_ハノイ_追加_7
メニューはフォー・ボー・タイ(牛半生肉載せ)のみで、ネギとアサツキがどっさりと載るのが特徴
渡航歴_ベトナム_108

ダック・キム ブン・チャーの専門店
渡航歴_ハノイ_追加_2
そうめんに似た米の麺を、焼き肉、揚げ春巻き、野菜と一緒に青パパイヤが入ったヌックマムベースのタレに付けて食べる付け麺
渡航歴_ベトナム_96

バイン・ゴイ バイン・ゴイの専門店
渡航歴_ハノイ_追加_3
豚肉、春雨、キクラゲなどを米粉の皮に包んで揚げた餃子のようなもの。チリソースなどを付けて食べる。
渡航歴_ベトナム_98

コム・リー ベトナムの大衆食堂。大皿のおかずと少しずつ選ぶ。オススメの品をお願いしたら普通過ぎてビックリした。
渡航歴_ハノイ_追加_8渡航歴_ハノイ_追加_9
渡航歴_ハノイ_追加_13

ベトナム人の行列ができていた屋台。ビックリするぐらい不味かった。
渡航歴_ハノイ_追加_12渡航歴_ハノイ_追加_11

朝飯にフォーを路上で食べた。
渡航歴_ベトナム_113
フォーを色々食べてきたけど、ここで食べた鶏ダシのあっさりしたシンプルなものが一番旨かった気がする
渡航歴_ベトナム_114


ベトナム最終日、ベトナム通貨のベトナムドンを使いきろうと思い土産物屋を巡っていたが、店の数の割には同じようなものしかなく、結局ベトナム民族サパ族が造ったという花柄の鞄を買った。(使いもしない物を買うぐらいハノイに欲しい物が無かった。結局ベトナムドンは結構余ってしまった。)

渡航歴_ハノイ_追加_1渡航歴_ハノイ_追加_16
渡航歴_ベトナム_111渡航歴_ハノイ_追加_15



ハロン湾/Ha Long Bay
1994年に登録、2000年に登録内容が変更された世界遺産(自然遺産)。ベトナム北東部のトンキン湾に位置し、風光明媚であることから、中国の景勝地、桂林になぞらえて「海の桂林」と呼ばれる。湾内には大小約1600の奇岩、小島が存在する。ハはベトナム語で「降りる」、ロンは「竜」で、ハロンは「空飛ぶ竜が降り立った場所」という意味である。竜が敵を撃退した時に石灰岩の山が砕かれ、竜の足跡は深い谷となって海中に沈んだという「降竜伝説」がある。十数万年の歳月をかけた浸食作用により、石灰岩が独特の景観を生み出した。

前日にシンカフェ(ベトナム大手旅行代理店)で申し込んだツアーに参加してハロン湾に行った。

ハノイからの送迎(約3時間)、船、昼食、ガイド込みで5,000円ぐらいだった。(安かった印象がある)
渡航歴_ベトナム_115渡航歴_ベトナム_116

前評判でハロン湾はあまり期待していなかったが、思いのほか楽しめた
渡航歴_ベトナム_117

渡航歴_ベトナム_118

の~んびり進んでいく
渡航歴_ベトナム_121渡航歴_ベトナム_122

渡航歴_ベトナム_119_2
渡航歴_ハロン湾_2渡航歴_ハロン湾_3
渡航歴_ベトナム_123渡航歴_ベトナム_124

さすがに数時間同じ景色だと飽きてしまい、この↓オバチャンに夢中になっていた
渡航歴_ベトナム_125

ダウゴー島のティエンクン洞で鍾乳洞を見学する。(それっぽい岩の形にそれっぽい動物の名を付けていた)

入口
渡航歴_ベトナム_130

中央
渡航歴_ベトナム_131

出口
渡航歴_ベトナム_132


全体を通して、現時点のベトナムの印象はこんな感じです。
・ ベトナム雑貨
   
(安くてデザイン性の高い雑貨が多かった。これまでで一番多く買ったかもしれない。ホーチミンが一番品揃えがいい。)

・ ベトナム料理
   
(今回はいつも以上に郷土料理をよく食べたと思う。安いし、有名店の立地がよく、なにより味にハズレが少なかったからだと思う。)

・ アオザイ
   (んーいいですねーアオザイ(変態度:100%))


あとがき
帰りのハノイ国際空港にて、最後の最後に見つけてしまった
渡航歴_ベトナム_134

渡航歴_ベトナム航空CA制服
引用

“んーいいですねーアオザイ(変態度:∞)”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 15:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】カンボジア、ベトナム②

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2013.02 カンボジア、ベトナム旅行記

~続き~

 2日目 

朝食はシェムリアップのメインストリート沿いの大衆食堂でフォーみたいなやつを食べた
渡航歴_カンボジア_57渡航歴_カンボジア_60

朝市をぶらぶらして2日目の観光を始めた
渡航歴_シェムリアップ朝市渡航歴_カンボジア_59


ロリュオス遺跡群
アンコール・ワットやアンコール・トムに先立つこと300年あまり、クメール王国の最初の王都はここロリュオスに置かれていた。遺跡群内には最も大きな規模の「バコン」を中心に、王の両膝に捧げたとされアンコール遺跡最古の寺院である「プリア・コー」、大貯水池インドラタターカの中央に位置する「ロレイ」が建立されています。

バコン
バコン寺院はインドラヴァルマン一世がヒンドゥー教の神々に奉献した最初のピラミッド型寺院である。881年に創建され外堀は一辺700m、内堀の長さは東西150m、南北120mで、三周のラテライトの壁で囲まれ、第三周壁内には、レンガ造りの祠堂が八基が幾何学的に配置されている。中央にはメール山を形どった、ピラミッド型の五層の基壇の上に紅色砂岩造りの祠堂が一基中央にある。中央祠堂の規模が基壇に比べて小さいのは、後世にレンガから石造に修復したものである。一段目の基壇の一辺は65mあり、最高部まで65mあるピラミッド型の堂々たる建造物である。
渡航歴_カンボジア_65渡航歴_カンボジア_66
渡航歴_カンボジア_67渡航歴_プリア・コー
渡航歴_バコン_1渡航歴_バコン_2

プリア・コー
プリア・コー寺院は879年にインドラヴァルマン一世が両親に捧げる意味で建てた、アンコール遺蹟中の最古のヒンドゥー教寺院で、東西500m、南北400m敷地ある。プリア・コーは「聖なる牛」の意味でこの寺院に祭られていた聖牛ナンディンに由来している。基壇上には六基の祠堂が並び、塔を拝む形で三体の聖牛ナンディンノ石造が置かれている。
渡航歴_ロレイ_1渡航歴_ロレイ_2
渡航歴_カンボジア_62渡航歴_カンボジア_63
渡航歴_プリア・コー_2渡航歴_プリア・コー_3

ロレイ
ロレイ寺院は893年にヤショーヴァルマン一世により大貯水池の中央の小島に、父のインドラヴァルマン一世や祖先を祀るヒンドゥー教寺院として建設された。四基の祠堂の中央にはリンガが設置され、その上に聖水を注ぐと四方の樋に流れる仕組みになっている。この儀式はクメールの農業を支える原点であった治水技術を民衆に誇示する目的があったであろう。
渡航歴_カンボジア_68渡航歴_ロレイ_4


ベン・メリア
カンボジアのアンコール・ワットの約40km東の森の中にある寺院。世界遺産であるアンコール遺跡群のひとつ。崩壊が激しい。全貌が明らかになればアンコール・ワットを凌ぐといわれるほどの規模を持つと推測されている。

市街地から片道1.5時間。ちょっと遠いけど、天空の城ラピュタが好きな方は是非行って欲しいところ。あえて修復が施されずに当時のままの状態で森に埋もれた遺跡です。崩れた遺跡の石を潜ったり、飛び乗りして、遺跡内を探検できます。歴史建造物を使ったアスレチックです。行く時は運動靴で。オススメです。

入口に5つ頭のナーガがお出迎え
渡航歴_カンボジア_69渡航歴_ベンメリア_追加_4

崩れた遺跡がむき出しに
渡航歴_カンボジア_70渡航歴_カンボジア_76

建物の入口らしきところに係員らしき人がいて手を招いている。ここから探検が始まる。
渡航歴_カンボジア_80渡航歴_ベンメリア_追加_3

初めは歩きやすいが、
渡航歴_ベンメリア_追加_1渡航歴_カンボジア_71

進むにつれて足場が悪くなっていく。
渡航歴_カンボジア_73_2

壁には精巧なレリーフも残っている
渡航歴_カンボジア_74渡航歴_ベンメリア_追加_2

森が茂る木漏れ日の中、道なき道を進んでいく
渡航歴_カンボジア_75渡航歴_カンボジア_72

渡航歴_カンボジア_79渡航歴_カンボジア_77

あまり高いところに行くと降りれなくなる
渡航歴_カンボジア_78

夢中になって進んでいたら行き止まりに。一歩踏み外すと大惨事になるところだった。



アンコールワット遺跡の郊外は田舎。アスファルト舗装された国道もあるが赤茶色の道もたくさんある。

ベンメリアの帰りにバイクタクシー(2ケツ)の運転手が近道するというので田舎道を通った。田園風景や排気ガスのない風が気持ちよかったが、たまにすれ違う車の土煙で全身が砂まみれになった。(顔も服も赤茶色になった)

市街地から少し離れるとこんなとこばっかり
渡航歴_アンコールワット田舎道_2渡航歴_田舎町_1

昼過ぎに市街地に戻って来た。他の観光地も勧められたが、食事と買い物をしてのんびりすることにした。

オールドマーケット。中には市場や露店があり、周りにレストランや小洒落た土産店が並ぶ。
渡航歴_田舎町_2渡航歴_田舎町_3
渡航歴_カンボジア_81渡航歴_カンボジア_82

バイヨンの観音菩薩(顔)を探していて、左画(後方)と右画(真ん中)のどちらにするか悩み、結局左画のやつを購入した。梱包するとキャリーケースに入らない大きさになり、旅の残りをずっと手に持って移動していた。
渡航歴_カンボジア_83渡航歴_カンボジア_84

夕方になって夕日を観に行った。

アンコールワット遺跡の近くのプノン・バケンというところ。山の上の遺跡から夕日を観る。

渡航歴_夕日_1渡航歴_夕日_2

思いのほか夕日がしょぼかった(今回は朝日も夕日もダメダメでした)
渡航歴_カンボジア_86渡航歴_カンボジア_85

遠くにアンコールワットが見える(近くに気球でアンコールワットを見れるところがあります。気球は上に上昇するだけなのでボクはやめました)
渡航歴_アンコールワット空撮_3

前日に続いて、ディナーショーに行った。

「アンコール・モンディアル」 1日目に行ったところよりもよかった。
渡航歴_伝統舞踊2日目渡航歴_カンボジア_87

渡航歴_伝統舞踊_2



夜行バスで首都プノンペンを経由し、ベトナムに向かった

夜行バスの中、冷房が利きすぎてめっちゃ寒かった
渡航歴_カンボジア_92渡航歴_バス移動


全体を通して、現時点のカンボジアの印象はこんな感じです。
・ 遺跡
   (今回は定番コースを巡った。それでもまだまだ行っていない遺跡はたくさんある。全部回るのに少なくとも一週間ぐらいかかる規模。そして精巧なレリーフや手付かずの遺跡など盛りだくさんな見所。遺跡好きにはたまらないところだと思います。)

・ 観光が楽
  (今回ボクは日本人経営の宿に泊まった。シングルで2泊3日で5,000円。この宿の専属ガイドと常に行動していた。観光ルートの相談や手配など全てやってくれた。観光がめちゃくちゃ楽だった。2泊3日で、観光費は約1万円、食事・ディナーショーは約1万円弱。クオリティを考えるとすごく安いと思う。あちこちで日本語を見かけたので、日本人にやさしい観光都市だと思います。)

・ 好きな国ランキング3位
  (アンコールワット遺跡群を2日しか観光していないのですが、それだけでもカンボジアが好きなりました。ポイントは遺跡はもちろんのこと、観光し易く、安価で済ませられるところ。日本人が行って良かった国ランキングで常に上位に位置づけている理由がわかりました。)


~続く~

あとがき
先日、宮崎駿監督が引退を表明されました。

宮崎駿_1

惜しむ声もあるのですが(分かるっちゃ分かるけど)

十分でしょ (ホントお疲れさまでした

ちなみにそんな宮崎監督のジブリ作品で一番好きなのは、「天空の城ラピュタ」です。
渡航歴_天空の城ラピュタ_1渡航歴_天空の城ラピュタ_3渡航歴_天空の城ラピュタ_2

“あの頃のピュアな気持ちはどこに行ったんだろう・・・”   と思ふ今日この頃でございます

2位は「魔女の宅急便」、3位は「となりのトトロ」です。皆さんはどんな感じでしょうか。
渡航歴_魔女の宅急便_1渡航歴_となりのトトロ_1


最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 17:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】カンボジア、ベトナム①

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2013.02 カンボジア、ベトナム旅行記

2013年02月のお話。

社内業務と仕事復帰の準備をするため残り10日の休暇を残してメキシコ・アルゼンチン旅行から帰って来た。

仕事復帰後のタスクががっつり溜まっていると思いきや1日で片付く程度で、残り10日をどうするか、を考えるまでもなく東南アジアで一番行きたかったベトナムに行くことにした。(この時には海外旅行熱が松岡修三ぐらい出ていた)

旅程を考えている際に詰め込めばカンボジアのアンコールワットに行けそうだったので行くことにした。(この時は当分長期休暇がないことが分かっていたので経済面も期間も思いきったことをしました。会社を辞めると分かっていたら、この時行かなかったなぁ)

世界地図(赤色箇所が訪問した国)
世界地図_カンボジアーベトナム 


flag_flag_of_Cambodia_1.pngカンボジア/Cambodia

カンボジアといえば、国旗に描かれているアンコールワット、のみ(たぶん)
渡航歴_カンボジアと言えば_1

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_カンボジア_自己評価

自分の中では十分にカンボジアを満喫したので世界一周では訪れない予定です。
とはいえはあれから月日は経っていますし、カンボジアを全て観光した訳ではないので、もし
オススメがあれば教えてくださ~い



シェムリアップ/Siem Reap
シェムリアップはアンコールワット遺跡群の観光拠点になる街。日本から直行便もある。

世界遺産に登録されているのは、下画のアンコールワットに加えて周辺の数々の遺跡を含めた「アンコールワット遺跡郡」が対象となる。全てをしっかり見るのであれば1週間以上かかる規模です。

今回ボクは2日間で遺跡を巡りました。(かなり弾丸だと思います)

アンコールワット
渡航歴_カンボジア_アンコールワット_1
引用

アンコールワット遺跡全体図
アンコールワット遺跡MAP2_2

アンコールワット遺跡中心部
アンコールワット遺跡MAP


シェムリアップには深夜に到着した。

空港内でアライバルビザの手続きをした。(事前に日本でビザを取得しなくても大丈夫)
渡航歴_カンボジア_1渡航歴_カンボジア_2

ホテルの迎えの車の中で、日の出を観るか?と聞かれたので観に行った。(ホテルに到着したのが1:00AM、ホテルを出発したのが4:00AM、半分寝てた)


 1日目 

アンコールワットの入口まで送迎してくれたが遺跡までは自分で行かなければならない。

懐中電灯でやっと足元が見える程度で周りは真っ暗で何も見えない。(目隠しされたような状態)

少しだが人の流れがあったので、とりあえず付いて行った。

10分ほど歩くとザワザワと人の気配がし、近づくと大勢の観光客がいた。

ここが日の出スポットかどうかよく分からなかったが、とりあえず座った。


暫くすると目の前に見たことある景色が広がった。

左)なんか現れてきた  右)見たことあるー
渡航歴_カンボジア_3渡航歴_カンボジア_6

アンコールワットを眺める観光客。こんなにいるとは思わんかった。
渡航歴_カンボジア_4

だいぶ明るくなったものの太陽がどこにもない。これから出てくると思って待つも全然出てこない。曇っていて見えないんだとと思いホテルに戻ることにした。
渡航歴_カンボジア_7渡航歴_カンボジア_8

暫くすると周りがザワザワしていたので振り返ると、雲の隙間から太陽が覗いていた。それでもコレなのでこの日の日の出はハズレだった。
渡航歴_カンボジア_9

天気がいいとこんなんが見れるそうです。めっちゃ綺麗やーん
渡航歴_アンコールワット_日の出_1
引用


バンテアイ・スレイ
カンボジア西部のシエムレアプ(Siem Reap)北郊にあるアンコール遺跡群(世界遺産)の中の一つで、アンコールワット北東40kmのシエムレアプ川のほとりにあるヒンドゥー寺院の遺跡。東西95 m、南北110mの周壁に囲まれた小さな寺院だが、赤みを帯びた砂岩でつくられた壁には精巧な彫刻が施され、中央神殿には「東洋のモナリザ」と形容されるデヴァターの彫像があり、その価値が高く評価されている。「バンテアイスレイ」は「女の砦」(バンテアイは砦、スレイは女)という意味。

市街地から車で約1時間
渡航歴_バンテアイ・スレイ_追加_1渡航歴_バンテアイ・スレイ_追加_2

どこでもドアみたい、と思ったとか思わなかったとか
渡航歴_バンテアイ・スレイ_追加_3渡航歴_バンテアイ・スレイ_追加_4

ヒンドゥー教の神話が描かれている。ヴィシュヌ神の妻ラクシュミーが象の聖水で体を清めてもらっている画。
渡航歴_カンボジア_11

精巧な彫刻が残っているのは赤の砂岩の質がよかったためといわれている
渡航歴_バンテアイ・スレイ_追加_9

アンコールワットの彫刻に比べると、彫りが深くて柔和
渡航歴_カンボジア_12

結構デカイ
渡航歴_カンボジア_14

「東洋のモナリザ」とデバター。しなやかで柔らかい体の線と表情に魅せられる。
渡航歴_バンテアイ・スレイ_追加_5
渡航歴_バンテアイ・スレイ_追加_6渡航歴_バンテアイ・スレイ_追加_7

優美だなー
渡航歴_バンテアイ・スレイ_追加_8


タ・プローム
カンボジア西部シエムレアプ(Siem Reap)北郊にあるアンコール遺跡群(世界遺産)の中の一つ。アンコールトムの東方にある。クメール王国(アンコール王朝)のジャヤバルマン7世により12世紀末に仏教寺院として建設され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている。同寺院跡は密林に覆われ、遺跡はガジュマルによる侵食が激しく、遺跡の各所がガジュマルの幹が食い込んだ状態になっている。ユネスコでは、この樹木の侵食をそのまま残すか除去するかの修復方針をめぐって活発に議論が行われている。

バイクタクシーで遺跡を目指す。風は気持ちいが日差しと砂埃がすごい。でも渋滞がないので利便性は高い。
渡航歴_タプローム_1渡航歴_タプローム_2

門をくぐり、林を抜けると遺跡が見えてくる
渡航歴_タプローム_3渡航歴_タプローム_4

東門の木。巨大なスポアン(よう樹)が回廊を踏みつけている。
渡航歴_カンボジア_15

見上げると、ちょーーーーーーーーーーーーーーーー長い
タプローム_追加_1

自然の力を明らかにするために、樹木の除去や本格的な積み直しなど修復の手を下さないまま据え置かれていたが、近年、限界に達しつつある
渡航歴_タプローム_7渡航歴_カンボジア_17

渡航歴_タプローム_9渡航歴_タプローム_10

渡航歴_カンボジア_18渡航歴_タプローム_14

渡航歴_タプローム_11
渡航歴_タプローム_12

渡航歴_タプローム_16渡航歴_タプローム_17

回廊は迷路のよう
渡航歴_タプローム_5渡航歴_タプローム_6

最も有名な巨大木
渡航歴_タプローム_19_2

映画「トゥーム・レイダー」に登場した
渡航歴_タプローム_20

血管のようにからまる木
タプローム_追加_2



アンコールトム
カンボジア西部のシエムレアプ(Siem Reap)北郊にある、アンコール遺跡群(世界遺産)の中の一つ。クメール王国(アンコール王朝)のジャヤバルマン7世により、12世紀後半に建設されたといわれている。アンコールワット寺院の北にあり、一辺3kmの堀と高さ8mの城壁で囲まれた、広さ9km2の城塞都市遺跡である。城壁内の中心部には王宮跡やバイヨン(アンコール独特のヒンドゥー・仏教の混交寺院跡)がある。

渡航歴_アンコールトムMAP

バイヨンの観音菩薩
渡航歴_バイヨン_2

バイヨン
渡航歴_カンボジア_32

入口を進むと、まずは第一回廊
渡航歴_カンボジア_23渡航歴_カンボジア_29

第一回廊の壁には当時の暮らしや戦いの様子が分かるレリーフが連なる
渡航歴_カンボジア_30

第一回廊は高さがあり、三段構造で壁画が展開する
渡航歴_バイヨン_3渡航歴_カンボジア_31

第二回廊に観音菩薩がいる
渡航歴_カンボジア_28

無数にいる
渡航歴_カンボジア_27渡航歴_バイヨン_5

イッテQ!のスタジオにもいる
イッテQ

第2回廊のデバター像。足先がまっすぐ正面に向いていることからも彫りの深さがうかがえる
渡航歴_カンボジア_26渡航歴_バイヨン_4



アンコール・ワット
カンボジア西部のシエムレアプ(Siem Reap)北郊にあるアンコール遺跡群(世界遺産)の中の一つで、この遺跡を代表するヒンドゥー寺院の遺構。周囲1.5kmと1.3kmの長方形に濠で囲まれており、伽藍(がらん)の高さは65mに達する。12世紀前半に、クメール王国(アンコール王朝)のスーリヤヴァルマン2世が30年以上の歳月を費やして建設したもので、その大伽藍や美しい彫刻からクメール建築の傑作とされ、カンボジア国旗の中央にも、国の象徴として描かれている。1970年代のカンボジア内戦時、クメール・ルージュにより破壊されたが、各国が協力して修復にあたっている。アンコール(Angkor)は「王都」、ワット(Wat)は「寺院」を意味する。

綺麗な四角の濠の中にアンコールワットが建つ(入口は左)
渡航歴_アンコールワット空撮_1
引用

最外の第一回廊は約全長800m(入口は右)
渡航歴_アンコールワット空撮_2
引用

平面図
渡航歴_アンコールワットMAP_1

入口から真っすぐ延びる西参道(350m)
渡航歴_カンボジア_33渡航歴_カンボジア_34

西大塔門の前にある十字型テラスは水神「ナーガ」の欄干で縁取られている
渡航歴_カンボジア_35

第一回廊は屋根があるので保存状態がよい
渡航歴_アンコールワット遺跡_4渡航歴_アンコールワット遺跡_3

第一回廊のレリーフは、絵巻物のように読み進んでいくことにより、ひとつの物語が完結する説話性を持っている
渡航歴_カンボジア_36

インド古代の叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」などのが描かれている
渡航歴_カンボジア_38

渡航歴_アンコールワット遺跡_6

渡航歴_アンコールワット遺跡_7

第二回廊に進むと、
渡航歴_カンボジア_40

中央塔がそびえ立つ
渡航歴_アンコールワット遺跡_10渡航歴_アンコールワット遺跡_12

階段を上って、第三回廊へ
渡航歴_カンボジア_42渡航歴_カンボジア_44

中央祠堂の沐浴場。王国の農業を支える治水技術を示す宗教施設でもあった。
渡航歴_カンボジア_43

格子がはめ込まれた連子状窓
渡航歴_カンボジア_45渡航歴_アンコールワット遺跡_11


夜はディナーショーに行った。

地球の歩き方に載っている「クーレンⅡ」。2日目に行ったとこのほうがよかった。

渡航歴_アンコールワット遺跡_9渡航歴_カンボジア_49

カンボジアが誇るクメール文化の宮廷舞踊アプサラの踊り
渡航歴_伝統舞踊_1

バイヨンのアプサラのレリーフと同じポーズをする
渡航歴_バイヨン_アプサラ


夜はパブストリートでぶらぶらしたが、ビックリするぐらい眠かったのでホテルに帰って寝た
渡航歴_カンボジア_51渡航歴_カンボジア_55


~続く~

あとがき
渡航歴_レリーフ_7渡航歴_レリーフ_1渡航歴_レリーフ_3
渡航歴_レリーフ_5渡航歴_レリーフ_2

“触り過ぎじゃね?”   と思ふ今日この頃でございます

一応、触っといたけど


最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 16:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】メキシコ・アルゼンチン⑤

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2013.01 メキシコ・アルゼンチン旅行記


~続き~


エル・カラファテ/El Calafate

ロスグラシアレス国立公園
アルゼンチン南部、パタゴニア地方の国立公園。ペリトモレノ氷河、ウプサラ氷河をはじめ、40以上の氷河群がある。

氷河を観るためブエノスアイレスから飛行機でエル・カラファテに行った。(粘りに粘って早朝の便を確保した。往復3,4万円ぐらい。日中は3,4倍した。このとき闇両替していてよかったと思った。)

渡航歴_エルカラファテMAP

エル・カラファテからはペリト・モレノ氷河へのツアーがたくさんでている。

ペリト・モレノ氷河
アルゼンチン南部のサンタクルス州カラファテにある氷河。カラファテから約80km、世界遺産に登録されているロスグラシアレス国立公園内にある、先端部の幅約4km、高さ約60mといわれる広大な面積の氷塊である。アルヘンティーノ湖に流れ込み、青白く輝く流氷の間を船で見学するツアーもあり、間近で氷河を見ることができる。フィツロイ山とセロトーレ山を眺めながらのトレッキングや氷河登り、ラフティング、乗馬などを楽しめ、近くの湖や川ではマス釣りなどのスポーツフィッシングもできる。
ペリトモレノ氷河_1
ペリトモレノ氷河_5
引用

街の名前の由来になっている「カラファテ」にはブルーべりーのような紫の小さな実が成る。

街のメインストリートのジェラート店でカラファテ味を食した。程よい酸味があって思っていたより美味しかった。オススメ。
カラファテの実渡航歴_アルゼンチン_6

街にはツアー会社がたくさんあり様々なツアーが企画されている。(料金に大差はない)

ボクはミニトレッキングコース(クルージング、トレッキング、展望台、飯無)のツアーに参加した。(1.5万円ぐらい。別途国立公園の入園料が必要)

街からツアーバスで氷河近くの乗船場に行き、船に乗り換えて氷河周辺をクルージング
渡航歴_カラファテ_追加_17渡航歴_カラファテ_追加_1

上陸し、氷河の麓まで歩く
渡航歴_カラファテ_追加_2渡航歴_カラファテ_追加_3

木々の隙間から氷河が顔を出す
渡航歴_カラファテ_追加_4渡航歴_カラファテ_追加_18

レンズに光を入れ過ぎると氷河が全く写らない。それぐらい日差しが強い。
渡航歴_カラファテ_追加_5渡航歴_カラファテ_追加_6

氷河に含まれる酸素が光により青く見える
渡航歴_アルゼンチン_9

渡航歴_アルゼンチン_12



麓に到着して靴にアイゼンを装着し、いよいよ氷河トレッキングの開始!!
渡航歴_カラファテ_追加_7渡航歴_カラファテ_追加_8

果てしないく続く氷河
ペリトモレノ氷河_4

1列になって進んでいく
渡航歴_カラファテ_追加_9

思いのほか勾配がきつい
ペリトモレノ氷河_2

パノラマ
渡航歴_アルゼンチン_10

ガイドが深い穴に指をさして「ハポン(日本)」と言った。微笑んであげた。
ペリトモレノ氷河_9

気温が上がり氷河が溶けた水が川のように流れる
渡航歴_カラファテ_追加_10

アイゼンを地面にザクッザクッと突き刺して進む
渡航歴_カラファテ_追加_11

トレッキングの最後に周りの氷河で作ったウィスキーのロックを飲んだ
ペリトモレノ氷河_10渡航歴_アルゼンチン_8



氷河の見える場所でランチして、氷河に別れを告げた
渡航歴_カラファテ_追加_12渡航歴_アルゼンチン_11

バスに乗り換えて展望台に向かった。
展望台は遊歩道が整備されている
渡航歴_カラファテ_追加_14渡航歴_カラファテ_追加_19

トレッキングしたところとはまた違う氷河の姿が観れる
渡航歴_アルゼンチン_13



気温が高くなると氷河が崩れる
ペリトモレノ氷河_6ペリトモレノ氷河_3
引用

でも音が遅れて聞こえるから、なんとか目には入れれるものの、いつもシャッターチャンスを逃す。

「ピシッ、ピシッ・・・・・パーン(銃声のような音)・・・ゴゴゴ、バッッッシャーーーン、何でだよー」を繰り返していた
ペリトモレノ氷河_12ペリトモレノ氷河_7
ペリトモレノ氷河_8ドーハの悲劇
引用

エルカラファテの街はのんびりしていて、特に観光するところがなかったので買い物したり、肉を食ったりしてゆっくりした時間を過ごした。

日中は日差しの強い中冷たい風が吹き、夜は真っ暗になる
渡航歴_カラファテ_追加_15渡航歴_カラファテ_追加_20

パダゴニア地方の工芸品などのお土産をたくさん買った。(ブエノスアイレスより品揃えが良く、価格も高くないので(闇両替なので)、カラファテでまとめ買いした)
渡航歴_カラファテ買い物_1渡航歴_カラファテ買い物_6

「las almas」ほとんどの店を巡った結果、ここが一番良かった。ほとんどここで買った。オススメです。
渡航歴_カラファテ買い物_5渡航歴_カラファテ買い物_3
渡航歴_カラファテ買い物_2渡航歴_カラファテ買い物_4


宿にキッチンがあったので肉ばっかり食っていた。500g200円とか。アルゼンチンの牛肉はアホみたいに安い。

アルゼンチン自炊_1渡航歴_アルゼンチン_15
渡航歴_アルゼンチン_14渡航歴_アルゼンチン_7




プエルト・イグアス/Puerto Iguazu
アルゼンチン北東端ミシオネス州にある、パラナ川、イグアス川に面する町。ブラジルとアルゼンチンの国境にあるイグアスの滝の、アルゼンチン側の観光拠点として知られる。

ブエノスアイレスから夜行バスで世界三大瀑布の一つ、イグアスの滝を観に行った。

イグアスの滝MAP

イグアスの滝
南米アルゼンチンとブラジルの国境をなすイグアス川最下流部にかかる、世界最大の滝です。 滝幅4km、最大落差約80m。 滝の両岸はアルゼンチンおよびブラジルの国立公園に指定され、世界遺産に登録されています。アルゼンチンから滝へのゲートウェイとなる町はプエルト・イグアス。アルゼンチン側の景観は、大小無数の滝がかかっているのが大きな特徴で、それを縫うようにして掛けられている遊歩道を歩きながらその景観を楽しむことができます。また、「悪魔の喉笛」を上から見下ろすような格好で眺めることができます。
渡航歴_イグアスの滝_2

イグアスの滝_1

遊歩道を進んでいく。遠くのほうから滝の音が聞こえる。
渡航歴_イグアスの滝_追加_1渡航歴_イグアスの滝_追加_2

イグアスの滝には無数の滝が流れ、それに伴ってコースがいくつもあった。(じっくり観光するのであれば2日はいるかと)
渡航歴_アルゼンチン_27



階段を下りて、崖沿いを進む。滝を様々なアングルから観ることができる。
渡航歴_アルゼンチン_31

ボート乗り場に到着
渡航歴_イグアスの滝_追加_4渡航歴_イグアスの滝_追加_3

滝に突っ込んで楽しんだ (水着必須。防水の鞄を貸してくれるので荷物はそこに入れて船に持ち込みます)
渡航歴_アルゼンチン_29_2



トロッコ列車で「悪魔の喉笛駅」まで行き、遊歩道を進むと、
渡航歴_イグアスの滝_追加_5渡航歴_イグアスの滝_追加_7

悪魔の喉笛が見えてきた
渡航歴_アルゼンチン_33

雨が降ったせいか水量が増えて豪快に流れてる気がした。(水着必須。水しぶきというか水が飛んできます)
渡航歴_アルゼンチン_32



晴天のイグアスの滝も観たかった。(虹がでるらしい)
渡航歴_イグアスの滝_4
引用


全体を通して、現時点のアルゼンチンの印象はこんな感じです。
・ 自然豊か
    (氷河から瀑布など。時間があれば南部のパタゴニア地域で釣りやキャンプとかしたかった。)

・ 牛肉が安い
    (おにぎり、スナック菓子の感覚で牛肉が買える。肉屋なら更に安く買える。牛肉大国なので飲むサラダのマテ茶が主流なのかも。)

・ 治安が悪い
    (高インフレの影響とは思うのですが、やっぱり1週間で4人の被害者に出会ったのは異常かと。本当はもっといるような気がします。)

・ 奇跡が起こる
    (ボカ・ジュニアーズの試合に連れて行ってくれた夫婦に感謝。再会できる奇跡が起こんないかな。)



あとがき
“毎日ステーキが食べれるなんてステキ”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 07:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】メキシコ・アルゼンチン④

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2013.01 メキシコ・アルゼンチン旅行記


~続き~

flag_flag_of_Argentina_1.pngアルゼンチン/Argentina

アルゼンチンといえば、タンゴ、エビータ、牛肉消費量世界一、飲むサラダのマテ茶、マラドーナ、モネール
渡航歴_アルゼンチンと言えば_1渡航歴_アルゼンチンと言えば_エビータ_1渡航歴_アルゼンチンと言えば_アサード_1
渡航歴_アルゼンチンと言えば_マテ茶_1渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_1渡航歴_アルゼンチンと言えば_モネールダンス_1

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_アルゼンチン_自己評価

自分の中では十分にアルゼンチンを満喫したので世界一周では訪れない予定です。
とはいえはあれから月日は経っていますし、アルゼンチンを全て観光した訳ではないので、もし
オススメがあれば教えてくださ~い




ブエノスアイレス/Buenos Aires
アルゼンチン共和国の首都。同国中東部、ラプラタ川西岸に位置する港湾都市。後背地の肥沃なパンパスからの小麦・酪農品などを輸出。ボカ地区はタンゴの発祥地。

観光名所
【渡航歴】アルゼンチン_ブエノスアイレスまとめ
引用

近年のアルゼンチンでは高インフレが続く経済状況で、物価が上昇し続け、アルゼンチンペソの価値が低くなっている。

それもあってアルゼンチン人も自国のアルゼンチンペソよりも安定している米ドルを欲しがります。

もちろんそんなことを考えるのは政府や金融機関ではなく、アンダーグラウンドな闇両替屋です。(目的な何なんでしょうか?渡米?資産運用?金の洗浄?)

ブエノスアイレスのメインストリートであるフロリダ通りを歩くと、そこら中から「カンビオ(両替)、カンビオ」という声が聞こえます。そのほとんどが闇両替屋です。本来、闇両替屋はひっそりやっているものですが、フロリダ通りでは日中に人が大勢いる中で客引きをしています。(捕まらないのでしょうか?)

ブエノスアイレスのフロリダ通り。都会的な通りです。
渡航歴_ブエノスアイレス_街並み_1渡航歴_ブエノスアイレス_街並み_4

ボクが行った時は、レートが2.7、つまり銀行で両替する2.7倍の額で両替できました。(なので普通の両替屋はココ半年でほとんど潰れたそうです)

2.7倍って思うかもしれないのですが、これで日本での生活レベルと同じぐらいになります。それだけ物価が上昇している(ペソの価値が低くなっている)ということなんです。

闇両替屋を利用すると得をすることが多いのですが、いくつか注意することがあります。

1.偽札が含まれている
      (ボクの場合、馴染みのない紙幣なだけによっぽどでない限り判断つかないです)

2. 枚数を誤魔化している
      (ボクの場合、受け取ったらどんなに枚数が多くてもその場で数えます)

3. レートや桁数を誤魔化している
      (ボクの場合、事前にレートを確認して換算後の値を確認してから両替をします。桁数が多いと1桁減っても気付きにくいです。)

4. 金を受け取るだけで、渡さない
      (渡した金を持って逃げたり、監禁される。レアケースですがなくはないそうです。)

ブエノスアイレスの闇両替のことは事前に耳にしていた。

こちらから数人の闇両替屋に声をかけ、その中最も高いレートのところで闇両替をした。

ブエノスアイレスで2回ほど闇両替をした。

その1回目がヤバかった(かもしれない)。

レートを確認した後、別のところで両替をするといことで「カンビオ、カンビオ」と客引きしていたニーチャン(見た目は普通)に付いて行った。

行き先は立派なビル(20階建ぐらい)、内観も綺麗。だけど薄暗く人気が無い。

不景気の影響?それとも闇両替というだけあって隠れて営業しているから?など思うも、念のためエレベーターには乗らずに階段で行くようにお願いした。

闇両替屋は2階のマンションの一室にあり、見た目はどこにでもある両替屋(パチンコ屋の両替場みたいな感じ)

入室してすぐ違和感を感じた。

(えらい薄暗いな・・・客はボクだけか・・・入口以外は全てカーテンに仕切られていて奥で何をしているかわからない・・・あれ?ヤバイとこ来た?)

ここで帰るという選択肢もあったが、(闇両替はどこも同じ)と思いそのまま闇両替を続けた。

後に立つ客引きのニーチャンに入口のドアは開けたままにしてほしいとお願いした。(最悪ダッシュで逃げられるように)

神経の半分を後のドアに集中している中、目の前の両替口のカーテンが開き、イカツいニーチャンが現れた。

まさにこんな感じ。軍服を着ていた。
渡航歴_ブエノスアイレス_闇金の風貌

やっっっばーーー、とは思いつつも、騒いだり途中で帰ると逆にヤバイことになるかもしれないと思い様子を見ることにした。

米ドルを渡した。

暫くすると使いこまれたアルゼンチンペソ紙幣が出てきた。

その場で紙幣の数を数えた。

数は合っていた。

礼を言って帰ろうと後を振り返ると、いつの間にか男が1人いた。(パジャマのようなペラペラのスーツを着ていた)

どう見ても客には見えない。しかもずっとボクを見ている。

やっっっ、って思う前に小走りで部屋を出て、階段を駆け下りた。

このことを夜に同じ宿の日本人に話すと、それはおかしいと指摘された。

闇両替は客引きがその場で両替するという。

確かに2回目に両替した時はビルには行かず、その場で両替した。

・・・もう少しで海外トラブル・ランキングにランクインするところだった

2回目に依頼した闇両替屋。十分怪しい。でも写真を撮らせてくれた。
渡航歴_アルゼンチン_26

こんなスリリングな体験から始まったアルゼンチン旅行。

実は、(今の)アルゼンチンはめちゃくちゃ治安が悪いです。

冒頭でもお話したとおり高インフレのため、失業率が高く、物価が高くて食糧が買えない人が多くいます。(実際、空港から市内を結ぶシャトルバスに乗っている時、窓から子供連れの若い家族のホームレスを何組か見ました)

アルゼンチン人は生きるのに必死です。

そんな彼らから見ると観光客は歩く宝箱です。

1週間で4人の被害にあった日本人と会いました。(これまでで最高人数です)

1. ケチャップ強盗(※1)に合いそうになった女性
      (宿のシャワールームで髪を洗っていました)

2. ケチャップ強盗に合ってしまった女性
       (いくつか荷物を取られたそうです)

3. 羽交い絞めされて荷物を強奪されそうになった男性
      (荷物は守ったものの顔が腫れ、傷だらけでした。ホテルの場所をiPhoneで調べている時にやられたそうです。apple製品は需要が高くすぐに売れるので犯罪者に人気。)

4. 羽交い絞めされて荷物を全て強奪された女性
      (宿でふさぎ込んでいました)

※1 臭い液体をかけてきて仲間が服を拭くのを手伝っている間に置き引きやスリを行う。昔はケチャップをかけていたとか。

メキシコほどではないのですが警官は巡回しています。でも、それ以上に観光客を狙う犯罪者が多いということかもしれないです。

経済情勢が不安定な国が一番危険かもしれないです。(本当に危険な国、地域には入ることすらできないので)

ブエノスアイレスの地下鉄。綺麗な壁画も多いが、

渡航歴_ブエノスアイレス_駅_1渡航歴_アルゼンチン_16

殆どの車両が落書きされていた。車両の中もいい雰囲気ではない。1駅、2駅でもタクシーを使った方がいいと言われた。
渡航歴_アルゼンチン_38渡航歴_アルゼンチン_17

スペイン植民地時代の面影を残す街並み
渡航歴_ブエノスアイレス_街並み_3渡航歴_ブエノスアイレス_街並み_2

歩道にはタンゴのステップがある
渡航歴_アルゼンチン_41

「El Ateneo」誰が決めたか知らないが世界で2番目に美しい本屋。1番はハンガリーやオランダにあるとのこと(世界一がたくさん)
渡航歴_ブエノスアイレス_本屋_1渡航歴_ブエノスアイレス_本屋_2

劇場を改装して本屋にしている。舞台は現役とのこと。
渡航歴_アルゼンチン_2渡航歴_アルゼンチン_42

「Pippo」地球の歩き方に、有名なアルゼンチン家庭料理の店、コンボメニューが人気と書いてあったので頼んでみた。店内はボク1人だった。
渡航歴_ブエノスアイレス_レストラン_1渡航歴_ブエノスアイレス_レストラン_3

普通のステーキだった。ポテト多くね?オススメしません。
渡航歴_ブエノスアイレス_レストラン_2


レコレータ墓地
エバ・ペロン(マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン、通称エビータ)の墓を見に行った。

エビータの恵まれない少女が女優、大統領夫人となるも33歳で病に倒れた壮絶な生涯は、ブロードウェイミュージカルや映画(マドンナ主演)になっている。

エビータの墓どこにあるか全然分からんかった。地図が入口にしかなく案内板がないのでフランス人夫婦と協力して探した。

今でも花を供えに来る人が絶えない
渡航歴_アルゼンチン_24


コロン劇場

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある劇場。当初は五月広場の一角に位置していたが、1880年代の移民増加を機に、1907年、現在の建物が新設された。正面玄関を入ると、床は白大理石のモザイクが施されていて、紅大理石や黄大理石の荘厳な手すりや柱、天井のステンドグラスと玄関ホールが美しいといわれる。大ホールは真紅の垂れ幕に縁取られた舞台で、蹄型に7階建ての観客席が広がる。天井ドームにはラウル・ソルディによる壁画があり、中央には直径が7mもある巨大なシャンデリアが輝く。世界で最も音響効果のいい劇場の一つで、パリのオペラ座、ミラノのスカラ座とともに世界三大劇場の一つに数えられる。

世界第2の大きさ
渡航歴_ブエノスアイレス_ポロン劇場_1渡航歴_ブエノスアイレス_ポロン劇場_7

劇場内見学ツアーに参加した
渡航歴_ブエノスアイレス_ポロン劇場_4渡航歴_ブエノスアイレス_ポロン劇場_5

ガイドがオペラを歌ってくれた。歌声が響き渡る。
渡航歴_アルゼンチン_34渡航歴_アルゼンチン_35

通常2,800人、立ち見を含めると4,000人の観客を収容できる
渡航歴_アルゼンチン_36渡航歴_アルゼンチン_37

渡航歴_ブエノスアイレス_ポロン劇場_3渡航歴_ブエノスアイレス_ポロン劇場_2


アルゼンチンはサッカー大国

マラドーナやメッシなどサッカーを知らない人でも名前は聞いたことある選手が数多くいる。

マラドーナとメッシ
渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_2メッシ_1

そんなアルゼンチンの国内クラブで有名なのがブエノスアイレスをホームとするボカ・ジュニアーズ。

トヨタカップ2007に出場している
ボカジュニアーズ_2

ボカ・ジュニアーズの試合を観たいと思い、チケットの購入方法を調べていると、宿泊していた日本人宿のオーナーに指摘された。

「ボカ・ジュニアーズの試合(特にホーム)はチケットが入手できない」
「観光客が入手する方法は定価の何倍も出してツアーに参加するしかない」

オーナーの指摘を信じていない訳ではなかったが、折角アルゼンチンまで来たので雰囲気だけでもと思い、バスと電車を乗り継いでスタジアムに向かった。

スタジアム周りはボカ・ジュニアーズのユニフォームを着たサポーターで溢れかえっていた。

スタジアムの入場口はデモを制圧するかのような装備の警官が建ち並んでいた。

悪あがきで当日券や余っているチケットががないかとチケットブースやダフ屋を探したが見つからなかった。

入場者を見ているとチケットの他にIDカード(身分証明書)のようなものを係員に提示していた。

IDチェックに引っかかって入場できないグループもいた。

(あぁ・・・そもそもIDカードがないとだめなのか・・・)

入場を諦め、スタジアム前の広場で雰囲気だけでも味わうことにした。

そして試合が開始した。

広場からはスタジアム上部が見え、声援は十分聞こえる
ボカジュニアーズ_1_2
引用

広場には多くの人がいた。

すると開始して間もなく、座っているボクに50代ぐらいのオッチャンとオバチャンが声をかけてきた。

(え?何?ここで座ってたらあかんの?)

不安な気持ちで2人を見ていると、ポケットからチケットを出し、スタジアムに入るジェスチャーをしてきた。

どういうことか聞いてみたら、「チケットあげるから一緒に楽しもう」と言う。

(何?何?どういうこと?ダフ屋?後で法外な額を請求してくるんじゃないの?)

(でも、試合は観たいし・・・)

いくらか聞いてみた。

「フリー」

(えっ?タダ?)

信じられなくてスタジアム内の席に着くまで3回確認した。

結果、ものすごーーーーーーーく良い夫婦で、哀愁漂うボクが可哀そうに見えて声をかけてくれたそう。

ボカ・ジュニアーズのチケットが入手困難なのは地元住民やサポータが独占しているためで、余ったチケットをボクにくれた。入場口のIDチェックも同伴者であれば不要だった。

奇跡が起こったんです。(この話を宿のオーナーに話したら奇跡と言われた、と同時に一生分の運を使ったんじゃない?とも言われたので残りの旅が不安になった)

なんか悪いと思い、スタジアム内でスナックや飲み物を奢らせてもらおうとすると、「そんなのいらない。いいから楽しめ!!」と気遣ってくれた。

しかも、試合終了後に食事に誘われた。ただ、その夜がブエノスアイレス最後の夜でどうしてもタンゴに行きたかったので泣く泣く断った。

連絡先を聞くも伝わらず、なんだかんだでハグしてサンキューを連呼して別れた。

闇両替や被害にあった日本人のこともありアルゼンチンの治安に不安を感じていた中での出来事だった。

単純かもしれないが、ここから一気にアルゼンチンが好きになった。

世の中悪いやつばかりじゃないんですね。


そんな訳で本題。

スタジアム内は熱気ムンムン。席は2階席の上。すぐ左横にはボカ・ジュニアーズのサポータ群。
渡航歴_アルゼンチン_18渡航歴_アルゼンチン_20

ボクのサングラスで記念撮影する夫婦。ホント、良い人だった。
渡航歴_アルゼンチン_19

試合はホームのボカ・ジュニアーズが4-0で圧勝した。ゴールはもちろん、ファールやディフィンスなどの1プレイに対して怒号を飛ばす。言葉が分からなかったので何に対してかは不明だが、顔を真っ赤にしてブチ切れている人がたくさんいた。(試合に興奮してとかいうレベルではなかった)周りの人はノーリアクション。観客やサポーターだけを見ていても楽しかった。

ざっくり編集したので雰囲気だけでも味わって頂けたらと



ボカ地区の観光スポットのカミニートを観ながらタンゴショーの店に向かった。(さすがにアルゼンチンの夜の徘徊は怖かった。けど迷子になって10人ぐらいに道を尋ねていた。)

カミニート
アルゼンチンのブエノスアイレスにある通り。ブエノスアイレスの港町、ボカに位置する。家々の壁やテラス、屋根が原色で大胆に塗り分けられているこの独特の一角は、フィリベルト作のタンゴの名曲「カミニート」を記念して、彼の親友であるボカ生まれの画家、キンケラ・マルティンによって造られた。週末になると多くの画家の卵たちが作品を持って集まり、ミニ美術館のようになる。また、路上では大道芸人がタンゴの調べにのって踊っている。「カミニート」は「小径」という意味。

夜は誰もいない。治安的にも日中に観ることをお勧めします。
渡航歴_ミニミート_1渡航歴_ミニミート_3
渡航歴_ミニミート_2渡航歴_ミニミート_4

日中はこんな感じ。路上タンゴや偽マラドーナが現れるらしい。
渡航歴_ミニミート_5渡航歴_ミニミート_7
渡航歴_ミニミート_6
引用

「Bar Sur」ウォン・カーウェイ監督作品ブエノスアイレスのロケ地になったタンゴが目の前で観れるバー。
渡航歴_barsur_1

タンゴの他にアコーディオンやチェロ、シャンソンなどを楽しめる。
渡航歴_アルゼンチン_21

右) このペアがカッコよかったのでよく覚えている
渡航歴_barsur_2渡航歴_barsur_3
                                                               引用
服が擦れる音、風圧を感じるぐらい近くで踊る。
渡航歴_アルゼンチン_22渡航歴_アルゼンチン_23

動画だとすごく暗いが実際はこんな感じ。


ブエノスアイレスでよく見かけた独特のデザインの看板。日本人宿の近くにあり最終日にデッカいのを買おうと思っていたら祝日で閉まっていた。アルゼンチンの唯一の心残り。そもそもこれなんていうんやろか?

渡航歴_アルゼンチン_25渡航歴_アルゼンチン_39
渡航歴_アルゼンチン_39_3渡航歴_アルゼンチン_39_2


~続く~
あとがき
改めて思った。

渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_10渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_11

渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_8渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_7渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_5渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_6

渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_9

渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_3

渡航歴_アルゼンチンと言えば_マラドーナ_4

“マラドーナ、好き”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 15:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】メキシコ・アルゼンチン③

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2013.01 メキシコ・アルゼンチン旅行記


~続き~

チチェン・イッツァ/ChichénItzá
メキシコ,ユカタン州で10―13世紀に栄えたマヤ新帝国の都市。チチェンは〈井戸のほとり〉,イッツァは〈水の魔術師〉を意味するマヤ語。遺跡は,〈戦士の神殿〉〈カスチーヨ〉と呼ばれるピラミッド神殿,天文台,球技場などの石造建造物群からなり,戦闘の光景や戦士の列などを表した彫刻,壁画にはトルテカ文化の影響が濃い。

渡航歴_チチェンイッツア_地図

入口を進むとメキシコの代表的な建造物が現れた
渡航歴_メキシコ_60_2渡航歴_メキシコ_60_11

エルカスティージョと呼ばれるピラミッド
このピラミッドには1つの面に91段の階段があり、4面で364段。さらに最上段を加えれば、1年の日数を表す365段になっている。

渡航歴_メキシコ_61




春分の日と秋分の日の2回、ククルカンが降臨します。(ククルカンに影ができて名前の意の通り「羽毛を持つ蛇」となる)
渡航歴_チチェンイッツア_1渡航歴_チチェンイッツア_2
引用

ツォンパントリ(頭蓋骨の城)
生贄の骸骨を大衆にさらる場所
渡航歴_メキシコ_60_3

球戯場
ウシュマル遺跡と同様に穴にボールを入れる。勝ったチームのキャプテンが成功をにない生贄として捧げられた。(ボクだったらオウンゴールばっかり狙う)
渡航歴_メキシコ_60_4渡航歴_メキシコ_60_10 

戦士の神殿(千本柱の神殿)
渡航歴_メキシコ_60_6渡航歴_メキシコ_60_5

尼僧院。マヤ人が古代より崇拝していたチャック・モール像で装飾されている。
渡航歴_メキシコ_60_7

渡航歴_メキシコ_60_8

カラコル(カタツムリの意)。マヤの天文観測台。
渡航歴_メキシコ_60_9



カンクン/Cancún
1970年代にメキシコ政府により開発が開始され,カリブ海に面する漁村が巨大ホテルの立ち並ぶ国際空港を備えた近代的リゾートへ変貌した。マヤ語で"カン"は蛇、"クン"は巣という意味で蛇の巣という意味である。

渡航歴_メキシコ_カンクン観光名所

旅行パンフレットでよくみるカンクンはリゾートエリアのカンクン。物価も一気に上がり、お金がないと遊べないところだった。(綺麗なビーチもホテル宿泊者やレジャー施設の利用者しか見たり、入ることができない)
渡航歴_メキシコ_カンクン_1

半日カンクンをぶらぶらしたが、正直、有名ホテルやハードロックカフェ等よくあるリゾート地でボクには退屈だった。

「Taco Factory」ステーキタコス700円ぐらい。これが一番安い。
渡航歴_メキシコ_64

しょーもない動画です。お暇なときにでもどうぞ。


リゾートエリアからバスで20,30分ほど離れたところには安宿や良心的な値段のお店がある。

ボクはそこを拠点に観光をした。

「ポージョ・エン・モーレ」唐辛子、木の実、チョコレートなどを使うモーレ・ソースで鶏肉を味わうメキシコ料理の最高傑作(少しクセがある)。「パボ・エン・レジェノ・ネグロ」七面鳥と茹で卵、ミートボールを添えた黒いソースをかけたユカタン州の伝統料理。
渡航歴_メキシコ_63_2

右)「タマレス」古代マヤ伝来の料理。肉、野菜をトウモロコシの葉に包んで蒸したもの。
渡航歴_メキシコ_63

下)ソパ・デ・トルティージャ。スペイン語で「ソパ」はスープのこと。
渡航歴_メキシコ_74

ステーキタコス1,000円ぐらい。この店ではマリアッチが演奏していた。
渡航歴_メキシコ_76

渡航歴_メキシコ_75



トゥルム/Tulum
カリブ海沿岸の高さ12mの断崖に立つ、14世紀末に栄えたマヤ文明の宗教都市遺跡である。断崖に建つカステージョや、保存状態のいいフレスコ画が描かれたフレスコ神殿などがある。太陽崇拝を示すように、主要な建物は西向きに建てられている。青く美しいカリブ海と白亜の遺跡のコントラストが美しい。「トゥルム」はマヤ語で「城壁」という意味で、遺跡が三方を石壁に囲まれていることに由来する。
渡航歴_トゥルム遺跡_1

渡航歴_トゥルム遺跡_地図

遺跡と青いカリブ海のコントラストがヤバイ。

遺跡としては小さいがトップランクに入る好きな遺跡。
渡航歴_メキシコ_65_4渡航歴_メキシコ_65_3渡航歴_メキシコ_65_5渡航歴_メキシコ_65
渡航歴_メキシコ_66渡航歴_メキシコ_67

階段を降りるとビーチ。泳いだり、日光浴ができる。
渡航歴_メキシコ_65_2


ヤバイです
渡航歴_トゥルム遺跡_2_2


プラヤ・デル・カルメン/Playa del Carmen
カリブ海に面したリゾート地として知られ、沖合約20キロメートルに世界的なダイビングスポットとして知られるコスメル島がある。

旅で出会った日本人が口をそろえてコスメル島のスキューバー・ダイビングはヤバイと言うので、トゥルム遺跡からカンクンに戻る際に立ち寄ってみた。

ビーチ沿いにお土産店やレストランが建ち並ぶ
渡航歴_メキシコ_70_3渡航歴_メキシコ_70_2

コスメル島行きフェリーのチケット売り場。行くか迷ったが残り時間が中途半端だったのでやめた。
渡航歴_メキシコ_71

カンクン周辺では亀やイルカと戯れたり、
渡航歴_メキシコ_コスメル_3渡航歴_メキシコ_コスメル_1
引用

セノーテで神秘的なスキューバー・ダイビングが出来ます。

渡航歴_メキシコ_セノーテ_1渡航歴_メキシコ_セノーテ_2
引用

スキューバー・ダイビングのライセンスが欲しー

そんなことを思いながらビーチで遊ぶ子供を見たり、
渡航歴_メキシコ_70

オヤジに絡んだりしていた。「ちょっと聞いてもらっていいですか?ブツブツ(中略)ブツブツ。ちゃんと聞いてます?」
渡航歴_メキシコ_73


そして、アルゼンチンへ飛んだ

~続く~


全体を通して、現時点のメキシコの印象はこんな感じです。
・ 好きな国ランキング2位

・ 遺跡
   
広大な大地にあったり、山の上にあったり、ジャングルの中にあったり、カリブ海に面していたりと遺跡好きな人にはたまらないと思います

・ 壁画
   
メキシコ壁画運動(1920年代から1930年代にかけてメキシコ革命下のメキシコ合衆国で起こった絵画運動)の面影を残す壁画は力強く感じます。この迫力は現地でしか味わえない。(渋谷駅にある岡本太郎の「明日の神話」もメキシコで製作された)

・ 伝統舞踊
   歌、踊りもそうですがなんといっても衣装がカワイイです。今回はユカタン州の伝統舞踊しか観ていないので次回は別の州のを観たいと思っています。メキシコシティとかでは全ての州の伝統舞踊を観れるレストランとかあるそうです。

・ 陽気な国民性
   治安が悪いのはアメリカ側の北部で観光都市や観光スポットは治安は悪くなかったです。(念のため、治安が良いということではないです。ポリさんとアーミーがわんさかいます)。愛想がよく、フレンドリーな噂通りのアミーゴな国でした。


あとがき
メキシコに行く前は、こんなヤツ↓がたくさんいると思っていた。
渡航歴_メキシコ_陽気なメキシコ人_2

行ってみて分かった。

“こういうヤツ↑は不審者なんだな”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 09:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】メキシコ・アルゼンチン②

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2013.01 メキシコ・アルゼンチン旅行記


~続き~



ウシュマル/Uxmal
マヤ古典期後期に栄え、建築物の壁面を覆うプウク様式と呼ばれる複雑なモザイク装飾を特徴とする。

ウシュマル遺跡
ウシュマルはカバー・サイール・ラブナー・シュラパック遺跡などを含む約160km2の区域の中心と考えられています。ウシュマルとはマヤ語で「3回建てる」という意味の通り、何度も建て直されました。マヤ文明の代表的な遺跡と言えます。メリダからカンペチェ行きバスで1時間30分。メリダからは周辺の遺跡を回る周遊バスもあります。

渡航歴_メキシコ_ウシュマル_1
引用

渡航歴_ウシュマル遺跡_地図2

入口を入ってすぐ見えた
渡航歴_ウシュマル遺跡_7渡航歴_メキシコ_56

魔法使いのピラミッド
ウシュマル王の挑戦を受けた小人が、母親である魔法使いの力を借りて一夜にして建てたと言われるピラミッド。角の丸くなっているピラミッドは珍しい。

渡航歴_メキシコ_55

高さ38メートル。 60度の傾斜角
渡航歴_ウシュマル遺跡_2

裏側に回ると、雨乞いの髪として崇拝されていたというチャック像が階段に沿ってぎっしり並べられている。
渡航歴_ウシュマル遺跡_3

アーチをくぐると、
渡航歴_メキシコ_55_2渡航歴_メキシコ_55_3


尼僧院

小さな部屋をもつ4つの建物が中庭を取り囲んでいるので、ウシュマルを征服したスペイン人が「尼僧院」と名付けた。

渡航歴_ウシュマル遺跡_4

「プウク様式」壁一面に彫刻を施した石の組み合わせ、複雑なモザイク(幾何学模様)や蛇などのモチーフで華麗に装飾する
渡航歴_ウシュマル遺跡_1

球戯場
宗教的な意味合いが強い球技は、サッカーのように手が使えなかった。石の輪に球を打ちこむと、一気に勝ちとなるルール。

渡航歴_メキシコ_55_5渡航歴_メキシコ_55_6

総督の館
ウシュマルの支配者が使っていたといわれている。
その理由の一つが、正面に立っているモニュメント「パワーの源」「権力の象徴」だからとか。
渡航歴_ウシュマル遺跡_10

グレートピラミッド
高さ30m。ウシュマル遺跡の全体が見渡せる。

渡航歴_メキシコ_55_7渡航歴_ウシュマル遺跡_11

ウシュマル遺跡にはイグアナがあちこちにいた
渡航歴_ウシュマル遺跡_6




メリダ/Mérida
ユカタン州の州都メリダ。ウシュマル遺跡とチチェンイッツア遺跡の間に位置する。州都だけあり街は大きく、遺跡ツアーや観光拠点に利用する観光客が多い。

夕方に到着
渡航歴_メキシコ_59_3渡航歴_メキシコ_59_2

当初、メリダはウシュマル遺跡を観た後、宿泊のためだけに滞在する予定だった。

渡航歴_メリダ地図

翌早朝にチチェンイッツア遺跡に移動するので、ホテルでシャワーを浴びてすぐ寝れる準備をしてから飯を食べに外出した。

渡航歴_メキシコ_59_5渡航歴_メキシコ_59_4

何を食べようかと中心地をぶらぶらしていると市庁舎前にステージやパイプ椅子、音響装置などの設置されていた。

後日、調べて分かったが、メリダでは毎週?月曜の21時から無料で、ユカタンの伝統音楽ハラナに合わせて踊るバケリーアというユカタン州の伝統舞踊ショーだった


大体の観光客は、お金を払ってツアーに参加したりチケットを購入し、観光客ばかりの中に混じって、特定の施設の中で、小一時間、観賞すると思う。
ボクもほとんどこうやって観てきた。
でも、メリダで観たバケリーアは、無料で、地元住民に混じって、街の中心地で(屋外)、4時間ほど、多種多様の歌、踊り、衣装を披露する。
これまで観た伝統舞踊の中でトップクラスの内容だった。(No.1かもしれない)

オススメです!!

何か始まりそうな雰囲気だったのでコンビニでビールを買って、一般客向けの椅子に座って待った。(ステージ前のパイプ椅子は有料席?だった。関係者やメディアカメラマンやお偉いさんがいた)

21時になってバケリーアが始まった。

王(神)に模した男を中心に誕生をテーマにした演目が始まる

渡航歴_メキシコ_58

種を撒き大地を造る

音楽が変わり、女王(女神)が登場し、ピチピチのスリットネーチャンが飛び跳ねる


てっきり市庁舎前だけでやると思っていたら、広場を中心に四方のあちこちでやっていた。

路上オペラを見ていたらカテドラル前でスペイン植民地時代をテーマにした演目が始まっていた


オッサンの歌声に合わせて2種の衣装の男女が踊る


白地に花柄の入った衣装ウイピルとオネーチャンがカワイイ。同じメリダでもオバちゃんの場合があるみたい。今回はみんなピチピチ。
渡航歴_メキシコ_59_2_2



ぶつからないように交差し紐を編んで、更に元に戻す。そうとう練習したんどうろうなー


ビール瓶とテキーラグラスを置いたお盆を頭に乗せて踊る。顔を見合わせた時に恥ずかしがるオニーチャンがカワイイ。


フィナーレ。コケたとき応援した。甲子園でがむしゃらに頑張る高校球児を応援するように。(ちなみにボク甲子園観たことないです)



大満足な夜を過ごし、翌朝チチェン・イッツア遺跡に向かった。


~続く~




あとがき
メキシコの伝統舞踊は州によって様々な音楽、踊り、衣装などがある。

ハリスコ州。マリアッチ楽団の演奏に合わせてスカートを大きく振って踊る。
渡航歴_メキシコ_民族衣装_8

ベラクルス州。音楽ソン・ハローチョに合わせてフラメンコの要素が見られる踊りをする。
渡航歴_メキシコ_民族衣装_9

オアハカ州。色鮮やかな衣装を着てパイナップルを持って踊るフロール・デ・ピーニャ、黒字の布に細かい刺繍が施されたサンドゥンガ。
渡航歴_メキシコ_民族衣装_11渡航歴_メキシコ_民族衣装_12

ユカタン州。白地に花柄のウイピル。
渡航歴_メキシコ_民族衣装_15

アステカ起源の踊りコンチョロス
渡航歴_メキシコ_民族衣装_13渡航歴_メキシコ_民族衣装_14

コウイウノスキ州オレノシュミ
渡航歴_メキシコ_民族衣装_7渡航歴_メキシコ_民族衣装_9渡航歴_メキシコ_民族衣装_1渡航歴_メキシコ_民族衣装_6


“いつも最後に違う方向にいっちゃんだよな~”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 01:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】メキシコ・アルゼンチン①

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2013.01 メキシコ・アルゼンチン旅行記

2013年01月のお話。

激務のプロジェクトを終え、ダメ元で約1ヵ月の有給休暇を申請したところ、承認を得ることができた。そこで当時一番行きたかったメキシコに行くことにした。1ヵ月もあるしどうせならと思い、2番目に行きたかったブラジルに行こうとしたがビザ取得に必要な残高証明証の発行に2,3週間かかるということを直前で知ったので、7番目ぐらいに行きたかったお隣のアルゼンチンに行くことにした。

世界地図(赤色箇所が訪問した国)
世界地図_メキシコ-アルゼンチン


メキシコ国旗メキシコ/Mexico

メキシコといえば、マリアッチ、タコス、テキーラ、ルチャりブレ、ドクロ等
メキシコ_マリアッチメキシコ_タコス
渡航歴_メキシコ_テキーラメキシコ_ルチャ渡航歴_メキシコ_髑髏_1

ガイドブックやネット、ニュースから、メキシコの治安は悪いイメージがあった。たまたま目にしたニュースが「麻薬撲滅に力を入れていた女市長が麻薬カルテルに殺害された」、「マフィアの抗争が激化したため警官が全員辞表を提出してその街に警官がいなくなった」、「3000人以上の警察官が汚職等で免職となった」など、ハンパない内容だった。

上着を着よう
渡航歴_メキシコ_メキシコギャング_1

治安が悪過ぎるせいなのか観光地では1ブロックごとに警察かアーミーがいた。

首にぶら下げているボクのカメラを見るたび鞄に入れるよう言われた

渡航歴_メキシコ_警察_1

そんな不安にさせることもあったが、それ以上の魅力を感じるのに時間はかからなかった。

メキシコ人は、観光地にありがちな見返りを期待するフレンドリーさではなく、アミーゴ(友達)的なフレンドリーさで接してくれる。レストランの店員、警官、バスの運転手、街ゆく人、たまたま隣で座っている人など。こちらから声を掛けても嫌な顔一つしない。この陽気さにすぐ魅了された。

陽気なメキシコ人
渡航歴_メキシコ_陽気なメキシコ人渡航歴_メキシコ_陽気なメキシコ人_2


訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_メキシコ_自己評価

現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_メキシコ_訪問予定都市



メキシコシティ/MexicoCity
メキシコシティは、人口2200万人を数えるラテンアメリカ最大の都市です。メキシコ中央部に位置し、政治、経済、文化の中心となっています。メキシコ中部の観光拠点にもなりますが、メキシコシティの中だけでも数え切れないほど見て回るものがたくさんあります。古代文明、スペイン支配、現代にいたるまで様々な文化がつくり上げた街です。古代アステカ遺跡の後ろにそびえる高層ビルなど、他ではめったに見ることができない景色があります。歴史地区は世界文化遺産にも登録され、観光客を集めています。

現地ではメキシコと言わず、「メヒコ」(スペイン語)って言います。

観光名所
渡航歴_メキシコ_メキシコシティまとめ
引用


メトロポリタン・カテドラル
スペインの建築家en:Claudio de Arciniegaとen:Juan Miguel de Agüeroがデザインした。ルネサンス、バロック、新古典主義様式が採用されている。1513年に建設が始められた。1614年に支倉使節団が訪問している。建設開始から300年を経て、1818年に完成した。ハプスブルク家出身の皇帝マクシミリアン1世が1864年にここで戴冠式を行っている。プルタルコ・エリアス・カリェス大統領がカトリック教会を迫害し始めたとき、教皇ピウス11世はメトロポリタン大聖堂を閉鎖する事を決め、再開されたのは1930年だった。1962年には火災にも見舞われた。2007年にも民主革命党の支持者によって襲撃される事件が発生した。2008年、建設当初に隠されていたタイム・カプセルが発見され話題となった。

先日訪れた仙台市博物館(
詳しくはコチラ)で知ったことと繋がった。伊達正宗と家臣支倉常長はメキシコと交流してたんです。

渡航歴_メキシコ_メトロポリタン大聖堂_1
引用

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メトロポリタン・カテドラル_2

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メトロポリタン・カテドラル_5

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メトロポリタン・カテドラル_3

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メトロポリタン・カテドラル_7

渡航歴_メキシコ_26

渡航歴_メキシコ_27渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メトロポリタン・カテドラル_4




テンプロ・マヨール
1913年工事中にアステカ神殿の墓底部や蛇の彫刻が発見され、ここがアステカ帝国最後の最大都市テノチティトラン(TENOCHTITLAN)の中央神殿跡であることが証明されました。テンプロ・マヨール博物館が隣接しています。

メキシコシティのど真ん中にあり、遺跡越しにカテドラルや国立宮殿が見える
渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_3

渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_7

渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_8

渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_2

テンプロ・マヨール博物館
ツォンパントリの祭壇
渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_18

渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_10

渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_11

渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_12

渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_13

渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_14

渡航歴_メキシコ_テンプロマヨール_16



国立人類学博物館

これまで行った博物館の中でもトップクラス。オススメ!!

入口
渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_1

中庭
渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_21

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_2

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_3

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_4

テオティワカンのケツァルコアトル神殿(レプリカ)
ケツァルコアトルとは、アステカ人の言葉であるナワトル語で「羽毛の生えた蛇」という意味です。これと同じ意味の言葉が、マヤ語では「ククルカン」と言います。メソアメリカ文明に共通の蛇の顔をした神様です。ケツァルコアトル(羽毛の生えた蛇神)は雨や水を支配する神様であると同時に農耕や宗教的な知識を教えた神様でもあって、とても重要な神様でした。大きな目玉と牙のある像がトラロックです。これも雨の神様です。マヤではチャックと呼ばれています。
渡航歴_メキシコ_29

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_5

カカシュトラの色鮮やかな壁画
渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_6

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_7

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_8

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_9

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_10

テノチティトランの復元模型
渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_11

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_12

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_15

アステカ人の大地の女神、コアトリクエ像
別名「蛇のスカートをはいた女神」。頭は2匹の蛇が向かい合った異様な顔をしています。胸の部分には心臓と手首をつないだ首飾り(あるいは胸飾り)を付けています。腰の部分には頭蓋骨の飾りを付けています。
渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_14

そしてお目当ての2012年に、地球が滅びると言われた切っ掛けとなったコレ↓が登場。

太陽の石(アステカ・カレンダー)
太陽の石はアステカの暦石とも言われることがあります。このアステカの暦石はかつてのアステカ帝国の都テノチティトラン中央広場(現在のメキシコシティのソカロ広場)に捨てられていました。1790年発見されています。直径が3.6メートルほどの大きな円形の石です。アステカの暦は独特の循環史観でできています。260日の祭式暦と365日の太陽暦の二つを併用していました。太陽暦は20日からなる18ヶ月と余りの5日間を合わせた365日で、余りの5日間は宗教生活も世俗的な活動も控える不吉な日でした。それぞれの月には人身御供(生け贄)を伴う儀式が行われ、農作物の豊作や太陽の正常な運行を祈ったのでした。 二つの暦が再びかみ合うのは、最小公倍数の1万8980日(52年目)となります。アステカ人はこの52年を1周期と考える循環史観で生活していました。

渡航歴_メキシコ_32

渡航歴_メキシコ_31

太陽の石(解説図)
アステカの神話によると、これまでに4つの太陽の時代がありましたが、既に滅びてしまいました。現在は5番目の太陽の時代だとされます。実は、この中に5つの太陽が描かれています。中央で舌を出しているのが5番目の太陽です。ナイフのような舌を出して、人の心臓(人身御供)を求めています。その上下斜めには今までに滅んだ4つの太陽が描かれています。太陽とともに宇宙や人類も滅びますが、一説によると、5番目の太陽の時代は紀元前3114年8月11日に始まり、2012年12月21日に終わると解釈されています。
渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_13

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_16

渡航歴_メキシコ_35

オルメカの巨大人頭像
渡航歴_メキシコ_34

渡航歴_メキシコ_33

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_17

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_18

チャックモール(生け贄の心臓が置かれた台)
アステカ人たちが人身御供(生け贄)を行っていた証拠です。腹の上にお盆のようなものが置かれていますが、この上には人の心臓がおかれたのです。人身御供(生け贄)が行われた理由には、アステカ人の宇宙観が関係しています。それは次のような考えに基づくものでした。世界は現世に先だって4つの異なった太陽を有する宇宙時代を経ています。現在は5番目の太陽の時代です。太陽が運行を停止して世界の破滅が来ないように、太陽に人間の血を与え、再生させる必要があると考えていました。従って、人身御供は太陽に対する神聖な義務であり、世界を破滅から救い、人類を救済する唯一の道であったのです。世界の破滅を予感させるような出来事もしばしば起こりました。例えば、1450年から1451年にかけてメキシコ中央高原は異常気象に見舞われました。飢餓と野獣の脅威に見舞われたアステカの支配者たちはますます生け贄の数を増やし、天候の回復を祈りました。また、戦争は生け贄を調達するためにしばしば行われました。
渡航歴_メキシコ_チャックモール

小学生の時に読んで今でも印象に残っているジョジョ1章の1シーン「生贄の儀式」を思い出した。(ジョジョの1章,2章はメキシコのアステカ文明やマヤ文明を題材にしたものが多い)
ジョジョ生贄

2階には各文明の生活が垣間見れる民族衣装や生活様式が展示されている。

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_19

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_20

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_22

渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_23

ここの土産物は値段が高いが、種類が豊富でオシャレなものが多かった。時間の無い人にオススメ。ここでいろいろ買ったが、一番欲しかった「太陽の石(アステカ・カレンダー)」グッズに気に入るものが無かったので他の店で探すことにした。

骸骨もオシャレ
渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_25

博物館を出て、露店が建ち並ぶ通りで土産物を手売りしていたオヤジに声を掛けられた。手に持っていた土産物の中に「太陽の石」の壁掛けあったので、いくらか聞いたら約100円と言ってきた。安くて、見た目も悪くなかったので、遊び半分に購入した。

数日後、見事に割れていた。欠けた破片を触るとジャリジャリしている。多分砂や粘土で造ったと思われる。

100円じゃなかったら発狂していた
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_24

しばらく放置した
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_25

国立人類博物館の前の大通りに約100m間隔で数十体の像が建っていた。

頭が欠けている。カッコいいアンパンマン。
渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_26

ここら辺りから芸術性の方向が変わった。

最初よく分からなかった。シルク・ド・ソレイユ?
渡航歴_メキシコ_国立人類博物館_27

念のため正面に立って下着を履いてるかどうか確認した
渡航歴_メキシコ_36


メキシコ国立自治大学
ラテンアメリカで最大規模を誇る総合大学で、大学本部の建物、オリンピックスタジアム、博物館、彫刻空間などからなる。これらは、60名以上の建築家、技術者、芸術家らによって、統一性を持って作り上げられ、1952年に完成した。全面にアステカ人とスペイン人をモチーフにした絵などが描かれたモザイク壁画がある、中央図書館が特に有名。これらの創造的な価値を認められ、世界遺産に登録された。

街ぐらいの広さの大学。

図書館に入ってやろうと思ったが受付のジジイのオーラにビビって止めた。
渡航歴_メキシコ_25

シケイロス作「民衆から大学へ、大学から民衆へ」
渡航歴_メキシコ_メキシコ国立自治大学_1

どこの土産物屋でも見かけたメキシコを代表する現代女流画家フリーダ・カーロ

民族芸術の第一人者にも数えられている
渡航歴_メキシコ_フリーダー_1渡航歴_メキシコ_フリーダー_3

左)2~3の小さな酷評  右)小さな鹿
フリーダカーロ_2~3の小さな酷評フリーダカーロ_小さな鹿

左)水があたえてくれたもの  右)猿と自画像
フリーダカーロ_水が与えてくれたものフリーダカーロ_猿と自画像

そのフリーダ・カーロの旦那であるディエゴ・リベラの壁画を見に行った。

夫婦揃っての写真
渡航歴_メキシコ_フリーダー_2


ディエゴ・リベラ壁画館

入口
渡航歴_メキシコ_ディエゴ・リベラ壁画館_2

アラメダ公園の日曜の午後の夢
渡航歴_メキシコ_28

センターに描かれているガイコツの女性と手をつないでいるのが少年時のリベラ、その間に見える
女性が妻フリーダ・カーロ

渡航歴_メキシコ_ディエゴ・リベラ壁画館_1

国立宮殿内のディエゴ・リベラの壁画を見たかったが、ちょうどデモをやっていて終日、国立宮殿に行くことが出来なかった。

「メキシコの歴史」ディエゴ・リベラの作品はメキシコ壁画運動の背景を漂わせるものが多い。
渡航歴_メキシコ_国立宮殿
引用


メキシコ文部省
ディエゴ・リベラの壁画を見に行った。

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メキシコ文部省_7

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メキシコ文部省_8
渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メキシコ文部省_5

兵士に武器を配るフリーダ
渡航歴_メキシコ_メキシコ文部省_1

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_メキシコ文部省_4

リベラ作「革命のパレード」中央部に描かれているのはフリーダ・カーロ
渡航歴_メキシコ_メキシコ文部省_2

ベジャス・アルテス宮殿
メキシコシティに位置するオペラハウス。メキシコ国立芸術院などとも表記される。宮殿は1901年にイタリアの建築家、アダモ・ボアリによってデザインされたものだが、壮観なアール・デコ様式の内観と壮麗なアール・ヌーヴォー様式の外観は、1934年になるまで建設が終了することはなかった。竣工以来、その建物全体の重量により、年々数センチメートルずつ地面へ沈下している。

渡航歴_メキシコ_ベジャス・アルテス宮殿_4

渡航歴_メキシコ_ベジャス・アルテス宮殿_1
引用

渡航歴_メキシコ_ベジャス・アルテス宮殿_2

渡航歴_メキシコ_ベジャス・アルテス宮殿_3

ディエゴ・リベラ
ベジャス・アルテス宮殿_10


テオティワカン遺跡
メキシコ中央高原2番目の規模を誇るテオティワカン文明の遺跡で、なかでも最大の建造物で「太陽のピラミッド」と名づけられた巨大なピラミッドは、高さ64mで、一辺の長さが225mにもなる。「月のピラミッド」は死者の道の北の端に位置し、1998年に内部の発掘が行われて、生けにえにされたと思われる人骨などが発見された。「ジャガーの神殿」は、遺跡内で壁画がほぼオリジナルに近い原色かつ完璧な形で残っている数少ない遺跡である

渡航歴_テオティワカン_地図

入口を抜けると「ケツァルコアトルの神殿」が見える
渡航歴_メキシコ_ケツァルコアトルの神殿_4

渡航歴_メキシコ_ケツァルコアトルの神殿_2

6層構造になっている。豊穣を祈るために羽毛の蛇の象が壁面を埋め尽くしている。
渡航歴_メキシコ_ケツァルコアトルの神殿_1

国立人類博物館で見たレプリカの本物版。
渡航歴_メキシコ_ケツァルコアトルの神殿_3

「死者の道」を歩く
渡航歴_メキシコ_死者の道_1

テオティワカンで最も高い建築物の「太陽のピラミッド」
渡航歴_メキシコ_1

高さ65m。世界で3番目の大きさ。
渡航歴_メキシコ_太陽のピラミッド_1

炎天下で既にふらふら。根性で登った。
渡航歴_メキシコ_2_2

メキシコシティは高地なので空気が薄く、頭がくらくらする
渡航歴_メキシコ_3



「月のピラミッド」からの眺め。左奥が太陽のピラミッドで中央に延びるのが死者の道。
渡航歴_メキシコ_月のピラミッド_1

メキシコシティにいる間ずっと国立人類学博物館の「太陽の石」グッズを探していた。土産物店やショップ、デパートなど観光しながら目を配っていた。なかなか気に入ったものが見つからない中、ココ↓でツボな「太陽の石」グッズを見つけた。

シウダデラ市場

観光客向けの土産市場。そんなに安くはない。

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_シウダデラ市場_2渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_シウダデラ市場_1

目に入ったのが下図の上部にある壁掛け。いくつもの色の違う木製のパーツを組み合わせている。一目ぼれした。右の一番大きいサイズはアホみたいな値段(覚える気がしないほど)。左のサイズは結構な値段(高すぎて覚えていない)。一番小さいサイズ(約20cm)で5,000円ぐらい。壁に掛けるのであれば・・・など考えて、約60cmぐらいのサイズを購入することにした。

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_シウダデラ市場_3

アステカカレンダーアステカカレンダー_2

ボクがよく土産物屋で値下げする時にやること。

  1.高いよアピール
      (お手上げポーズ)
  2.少し興味がある素振りをする
      (「どうしよっかな、でもいらない」みたいな。欲し過ぎる素振りをすると店員が調子にのる)

  3.一旦、店を出る・出ようとする
      (後ろ髪を引かれるように。呼び止められたらコッチのもの)
  4.とりあえず相手の提示額の1/3を希望する
       (1/2ぐらいは店員も想定している。物によりますけど。)
  5.遠慮はしない
       (値段が下がらなかったら。別の商品を付けてもらう。やり過ぎるとキレられる)
     
ボクは金が絡むと頑張るタイプ

で、頑張った結果少しだけ安くしてもらい、財布を見ると全然足りなかった。(ちょー苦笑い)

近くのATMでお金おろして買った。(カードが使えると言われたがココでは怖くて使えなかった)

いくらか忘れたが海外旅行で買った土産物で一番高価だった。
(たしか1,2万円ぐらいだったと思う。日本のネット上では27cmで28,000円で売っていた。)


ローマ&コンデサ地区
代官山みたいなところ。多少高くてもオシャレな雑貨や服が欲しければココ。

渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_ローマ&コンデサ地区_1渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_ローマ&コンデサ地区_2
渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_ローマ&コンデサ地区_4渡航歴_メキシコ_メキシコシティ_ローマ&コンデサ地区_3

メキシコ一発目の食事はタコスと決めていた。

メキシコシティの老舗タコス屋「SALON CORONA」
渡航歴_メキシコ_6渡航歴_メキシコ_7

いろんなタコスを頼んだ。メキシコ名物のコロナビールと食べると格別だった。
渡航歴_メキシコ_8

メキシコシティの屋台でよく見かけた茹でたトウモロコシ。たっぷりマヨネーズと粉チーズとチリをかけて食べる。辛さよりもマズさが勝った。マヨネーズはいらない。
渡航歴_メキシコ_9

時間があれば建築家ルイスバラガンの作品やメキシコプロレスのルチャ・りブレを観たかった。

バラガン邸とサテライト・タワー
渡航歴_メキシコ_ルイスバラガン_2渡航歴_メキシコ_ルイスバラガン_3
渡航歴_メキシコ_ルイスバラガン_1
引用

ドロップキックって自分のダメージの方が大きくない?
渡航歴_メキシコ_ルチャリブレ_10



モレリア/Morelia
植民地時代の面影を残す古都。1541年,初代副王メンドサにより建設され,彼の生地にちなんでバヤドリードと名づけられたが,1828年メキシコ独立の英雄J.M.モレロスの出身地であることを記念して現在名に改められた。
渡航歴_メキシコ_12

カテドラル
1640年から100年以上費やして建築された、プラテレスコ様式の聖堂です。ドームは、青と白のタイルに覆われ、内装は華麗な装飾が施されています。
渡航歴_メキシコ_10

渡航歴_メキシコ_モレーリア_カテドラル

州政府庁舎
18世紀に建てられた、当時の流行のバロック様式の建物です。内部回廊には、地元画家アルフレッド・サセルによるメキシコの歴史に関する壁画が描かれています。
渡航歴_メキシコ_モレーリア_州庁舎_1

渡航歴_メキシコ_モレーリア_州庁舎_3

渡航歴_メキシコ_11

渡航歴_メキシコ_モレーリア_州庁舎_2

渡航歴_メキシコ_モレーリア_州庁舎_4



グアナフアト/Guanajuato
標高2035mの狭い谷あいにあり,付近の鉱業・農牧業地帯の中心都市。1554年に建設され,銀山開発とともに発展し,最盛期には人口10万人を記録した。その繁栄のあとをとどめる歴史的建造物も多く,植民地時代の雰囲気を味わえる代表的観光地で,また1732年創立のグアナフアト大学がある文化の中心。1810年イダルゴの率いる独立革命軍の手に落ちた最初の重要な都市で,彼の最期の地でもある。
渡航歴_メキシコ_グアナフアト_w

朝日を見に行った。
渡航歴_メキシコ_15

後ろを振り向くとピピラ記念像がいる
ピピラ祈念像

陽が照って来た。夕日の方が良かったかも
渡航歴_メキシコ_18

教会の鐘の音が響き渡る
渡航歴_メキシコ_16

黄色の教会パリシカを目指して丘を下った
渡航歴_メキシコ_グアナフアト_1

カラフルな街並み
渡航歴_メキシコ_グアナフアト_3渡航歴_メキシコ_グアナフアト_2

バシリカ
渡航歴_メキシコ_19
渡航歴_メキシコ_グアナフアト_バシリカ

グアナファト大学
大学生気分で入ってみた
渡航歴_メキシコ_グアナフアト大学_1

大学?って思わせる内観、外観
渡航歴_メキシコ_グアナフアト大学_4

渡航歴_メキシコ_グアナフアト大学_3渡航歴_メキシコ_グアナフアト大学_5

ここでスペイン語を学ぶ日本人留学が多いとか
渡航歴_メキシコ_グアナフアト大学_6

口づけの小道
隣同士で犬猿の仲だった2軒の息子と娘が恋に落ち、夜ごと2階の窓辺から身を乗り出して、路地を隔てて口づけを交わしたという伝説があり、観光客のカップルはここでキスをするという。
渡航歴_メキシコ_グアナフアト_口づけの小道_2渡航歴_メキシコ_グアナフアト_口づけの小道_1


フアレス劇場
大道芸人がパフォーマンスをし劇場前はいつも賑わっている
渡航歴_メキシコ_13

週末の夜になると、フアレス劇場前のラウニア公園から、中世スペインの学生服を着て音楽を奏でる楽団エストゥディアンティーナEstudiantinaが、音楽を演奏しながら夜のグアナファトの街を練り歩く
渡航歴_メキシコ_14_2

付いて行ってみた


「Truco7」。チョスを頼んだら500円ぐらいでコノ↓デカサ。しかも出来たて。たっぷりチーズがかかっていて、見た目はめっちゃうまそう・・・90%残した。特性カプチーノは普通。
渡航歴_メキシコ_グアナフアト_グルメ_1渡航歴_メキシコ_20

カラフルな骸骨キャンディー。グアナファトにミイラ博物館がありミイラ飴というのがあるらしい。
渡航歴_メキシコ_グアナフアトの土産_1渡航歴_メキシコ_グアナフアトの土産_2



グアダラハラ/Guadalajara
第2の都市で,人口165万0042(1990)。標高1589m。夏の雨季(7~9月)を除き温暖で乾燥している。北東部にサンチアゴ川が流れる肥沃な農業地域であるアテハマク盆地の中心地で,農産加工をはじめ各種の近代工業が発達。市街は1541年現在の地に建設され,マヨール広場を中心に碁盤目状に計画された道路とその並木が美しい都市景観をつくりだしている。メキシコ唯一のゴシック建築である大聖堂(1561‐1618)やバロック様式の粋を集めたサンタ・モニカ教会(1718)等の歴史的建造物も多く,同市は〈西部の真珠〉と形容される。

カテドラル
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_カテドラル_2

渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_カテドラル_1

ハリスコ州庁舎
1810年メキシコ独立の父であるイダルゴ神父が奴隷解放を宣言した場所
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_ハリスコ州庁舎_1

渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_ハリスコ州庁舎_2

オロスコ作「立ち上がる僧侶イダルゴ
コレ↓ヤバかった。メキシコで見た壁画で一番かも。迫力が画像で伝わらないのが悔しい。
渡航歴_メキシコ_21

会議堂の天井にも、
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_ハリスコ州庁舎_3

僧侶イダルゴと先住民大統領ベニート・ファレス
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_ハリスコ州庁舎_5


オスピシオ・カバーニャス
オスピシオ・カバーニャスは、孤児、身体障害者、老人、慢性疾患患者などを救済する施設として、1810年に完成した。病院や作業所を併設した画期的な施設で、施設内の礼拝堂は豪華な絵画で飾られていた。20世紀前半には、メキシコの画家ホセ・クレメンテ・オロスコ(1883~1949年)によって、施設の壁や天井に「炎の人」など100点以上の絵が描かれた。虐げられた者の怒りと悲しみを、力強いタッチで描いたこれらの作品は、施設に暮らす人々の心を癒し、勇気づけた。一時は、3000人もの孤児が生活していたこの救貧施設は、1980年にその役割を終えたが、メキシコにおける福祉政策のモデルとなったことが評価され、世界遺産に登録された。
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_オスピシオン・カバーニャス_1

オロスコが描いた「スペインのメキシコ侵略」を総称される50以上の巨大な壁画や天井画がある
渡航歴_メキシコ_23

右画像の天井部が「炎の人」
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_オスピシオン・カバーニャス_2渡航歴_メキシコ_22

中庭からの眺め。シンメトリックな外観。
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_オスピシオン・カバーニャス_3


「La Chata」地球の歩き方に行列ができると記載があった
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_グルメ_1

トルティージャの中に鶏肉・チーズを入れたものを揚げたのも。全体的に良心的な値段だった。
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_グルメ_2

ムセオ デ セラ (ろう人形館)。有名なルチャ・リブレの選手。ボクには全選手同じにみえる。
渡航歴_メキシコ_グアダラハラ_人形_1




オアハカ/Oaxaca
オアハカ州は,サポテカをはじめとするインディオの人口がこの国で最も多い地域で,母語のほかにスペイン語をも常用する人を含めると約72万人にのぼる。オアハカ市は,オアハカ谷の伝統的農業地帯の中心地で,工業は小規模な農産加工業に限られるが,色彩豊かなやきもの,サラペ(毛布),レボッソ(肩かけ),金銀細工など,インディオの伝統的工芸品の宝庫である。

サントドミンゴ教会
1575年から約10年かかけて建造されたメキシコ風バロック建築です。二つの鐘楼を持つ外観の素晴らしさと、重厚な内装(特に主祭壇)が特徴的です。世界遺産に登録されているオアハカ歴史地区の代表的な建物です。
渡航歴_メキシコ_37

渡航歴_オアハカ_サントドミンゴ教会_1

左図はぶどうの樹で表現された先住民の死生観とキリスト教の聖人が刻まれた「生命の樹」
渡航歴_オアハカ_サントドミンゴ教会_3渡航歴_メキシコ_オアハカ_サントドミンゴ教会_1


オアハカ文化博物館

修道院の外廊と中庭
渡航歴_メキシコ_オアハカ_オアハカ文化博物館_6渡航歴_メキシコ_オアハカ_オアハカ文化博物館_1

スペイン植民地時代などのオアハカの歴史に関する品が多く展示品されている。全部回るのに2時間ぐらいかかった。見ごたえ十分。
渡航歴_メキシコ_オアハカ_オアハカ文化博物館_2渡航歴_メキシコ_オアハカ_オアハカ文化博物館_3

モンテ・アルバン遺跡から発掘されたトルコ石が装飾されたドクロ
オアハカ文化博物館_1渡航歴_メキシコ_オアハカ_オアハカ文化博物館_4


モンテ・アルバン遺跡
オアハカで最大の遺跡。高さ約500mの丘に広がっています。オルメカ・サポテカ文化の中心を成す宗教都市遺跡です。広場は周囲をテオティワカン形式の建物が取り囲んでおり、現存する建物のほとんどが絶頂期である第3期のものです。

オアハカ市内からバスで30,40分。モンテ・アルバンは「白い山」の意。
渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_1

入口付近にモンテアルバンの出土品の博物館がある。左画はピラミッドの踊る人のレリーフ(本物)
渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_2渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_3

左)宮殿からの眺め  右)球戯場
渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_5渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_4

左)天文台  右)ピラミッドの踊る人のレリーフ(複製)
渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_7渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_11

南の基壇。こうやってみると低く見えるが、
渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_9渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_6

登ると以外と高い。
渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_8渡航歴_メキシコ_オアハカ_モンテ・アルバン遺跡_10

オアハカには“女だったら買ってたのに” と男のボクに思わせるぐらい可愛い雑貨や民芸品のお店がたくさんあった。

渡航歴_メキシコ_44

渡航歴_メキシコ_41

渡航歴_メキシコ_43

コレ↓を買った。クソ暑かったメキシコでは一回も着ていない。日本でも着ていない。まぁそんなもんでしょ。(そういえば男物でイイ感じのやつが少なかった気がする)
渡航歴_メキシコ_42

アレブリヘス。動物などをモチーフにカラフルな彩色がされたアレブリヘスと呼ばれる木彫りの置物。街のあちこちにあった。ちょっとグロイところがいい。
渡航歴_オアハカ_アレブリヘス_1渡航歴_オアハカ_アレブリヘス_2
引用

メキシコでもコンビニがある。日本でいうレジ横のあらあげクンやアメリカンドッグのような簡易調理食品がメキシコにもあってコーンチップ(味付けなしドンタコス)をよく買っていた(5回ほど)。レジを通してからセルフサービスでトマト、ハラペーニョ、刻み玉ねぎ、チェダーチーズを入れる。

ソフトクリームのようにチェダーチーズをかける。セルフサービスなので山盛り入れた。これで100円。オススメ。
渡航歴_メキシコ_38渡航歴_メキシコ_39




パレンケ/Palenque
メキシコ湾に注ぐウスマシンタ川の中流域にあるマヤ文化の神殿建築遺構群。マヤの諸都市のうち,ティカルTikalに代表される初期の遺跡についで,上流にあるヤシュチランYaxchilán,ピエドラス・ネグラスPiedras Negrasなどの遺跡とともに,7~8世紀ころ栄えた。500m×300mの中心部の周囲東西10kmにわたってひろがる。メキシコ国立人類学歴史学研究所で調査,修復が行われている。

マヤ古典期の最高傑作と言われる遺跡です。紀元前300年頃に起こり7世紀頃には各地から巡礼者が集まる聖都として栄えました。宮殿・碑文の神殿・十字架の神殿など独特の優美な建物が当時の面影を残しています。
渡航歴_メキシコ_パレンケ_1
引用

街からバスで20分。自然保護料として入場料とは別に料金をとられる。

渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_1

ジャングルの中に突然遺跡が現れる。当日はあいにくの雨。それはそれで神秘的な感じがしてよかった。
渡航歴_メキシコ_48

碑銘の神殿。パレンケのパカル王の墓と遺体が見つかったらしい(立ち入り禁止)。遺体が入った石棺にはマヤ人宇宙人説の発端になった宇宙ロケットのレリーフが描かれている。
渡航歴_メキシコ_46

石棺のレリーフ。上部より、天の鳥ケツァル、十字の世界樹、双頭の蛇、パカル王(パイロット)、日没の太陽(死の象徴)、冥界のあご。
渡航歴_パレンケ_宇宙ロケット_1
引用

隣の神殿には入れる。
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_3渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_4

縦長の通路が続き、いくつもの部屋と棺があった。
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_5渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_6

宮殿。マヤ建築でも他に例がない高さ15mの4階建ての「天文観測塔」がある。
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_14

宮殿を探索してみた


ジャングルを進むと、
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_8

教会や神殿が現れ、十字の神殿の長い階段を上る。
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_9渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_10

十字の神殿から見た眺め。奥の左側が碑銘の神殿、右側が宮殿。
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_12

神殿内で少し雨宿り。
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_13渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_11

パレンケ遺跡から街に戻る途中にパレンケ遺跡博物館に行った。

パレンケの特徴的な大型香炉立て
渡航歴_パレンケ遺跡博物館_1
渡航歴_パレンケ遺跡博物館_5渡航歴_パレンケ遺跡博物館_6渡航歴_パレンケ遺跡博物館_7

ジョジョ2章の柱の男サンタナを思い出した
ジョジョ_サンタナ_2ジョジョ_サンタナ_1
神殿の彫刻(複製)。687年の戦いで敗れたトニナ の支配者がキニチ・カン・バラム2世の前に跪く様子が刻まれます。複製なので図像が明瞭でリアルです。
渡航歴_パレンケ遺跡博物館_2

神殿内部を飾った柱(本物)。1998年に発掘されたもの。左側の柱は天井から床まで赤や青の彩色が当時のまま残る。右側の柱は彩色はかなり 消えてきているが、明瞭な漆喰彫刻が残される。
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_17

渡航歴_パレンケ遺跡博物館_3渡航歴_パレンケ遺跡博物館_4

碑銘の神殿の中で発見されたパカル王の遺体が入った石棺と蓋石(複製)。葬室の壁は厚いガラスで中が覗けるように作ってあり、壁面の彫刻も ガラスに刻まれ、マヤアーチの天井もガラス製です。
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_18

蓋には宇宙ロケットのレリーフが刻まれている。
渡航歴_パレンケ遺跡博物館_8

渡航歴_パレンケ遺跡博物館_10

メキシコシティの国立人類学博物館にも複製があり、上から見下ろすような展示になっているので宇宙ロケットのレリーフが良く見える。
渡航歴_パレンケ遺跡博物館_9

ポストカードを買いに併設する土産店に入ったら、宇宙ロケットのレリーフが描かれた石板のレプリカが売っていた。

渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_22

男のロマンが燃え上がった

映画バック・トゥ・ザ・フューチャーを初めて観た時のワクワク感
バック・トゥ・ザ・フューチャー_1

宇宙ロケットのデザインの土産はパレンケの街でも、パレンケ遺跡入口の露店でもよく見かけた。

でもなんか、綺麗なやつは精巧過ぎてロマンに欠け、古ぼけたやつは造りが粗かったり安っぽかったりしてロマンに欠けた。

この土産店の石板のレプリカは、遺跡にあってもおかしくないぐらい、ちょうどイイ感じで古ぼけて雰囲気がある。

何よりもボクの中の男のロマンを燃え上がらせた


映画インディー・ジョーンズを初めて観た時のワクワク感
インディー・ジョーンズ_1 

肝心の値段はというと、(確か)5,000円ぐらい。1万円以上でもおかしくないクオリティ。

ただ、一つだけ気になることが。

重さ2kg 


(これから旅は半分も終わっていないのに・・・これからアルゼンチン行くのに・・・)
ショーケース越しに石板のレプリカを見つめながら5分ほど考えていると、なにか聞こえてきた。
(ボク ヲ ツレッテイッテ)
!?
石板が喋った!?
思いが強いと物にも魂が宿るというが・・・


みたいな妄想
をちょっとして石板のレプリカを買った。

引っ越しの段ボールから現物を撮り出すのが面倒だったのでイメージだけで(スイヤセン)。この後、石板のレプリカをバスタオルでグルグル巻きにして旅を続けた。
渡航歴_パレンケ土産_1

パレンケ遺跡に行く予定がある方、遺跡が好きな方、2kgなんて気にしない方、男のロマンを持っている方にオススメします。


メキシコのレストランでタコスを頼むと色んなディップが付いてくる。なので毎日タコスでも飽きない。

サルサソース、アボカドソース、パラペーニョソース、トマトのみじん切り、ライム
渡航歴_メキシコ_50

左の黒いソースが旨かった。何か分からんけど。食べるラー油にたいな感じ。
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_23



カンペチェ/Campeche
ベラクルスとユカタン半島を結ぶ交通の要所を占め,トウモロコシ,バナナ,ココヤシ,サイザルアサなどの農産物集散地。豊かな漁場をひかえているが,十分に開発されていない。重要産業は木材業。1521年に建設され,海賊からの防御のための城塞,城壁を現在もとどめている。

カンペチェには夜に到着して、昼前に出発したのでほとんど観光をしていない。

潮の香りがした
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_26渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_28

白亜の教会カテドラル
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_27渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_32

LOWシーズンなのか夜は静かだった
渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_29渡航歴_メキシコ_パレンケ遺跡_30

早朝にリゾートホテル沿いを散歩した。遊ぶ少年2人の像。本物の少年と思って近づいて苦笑い。
渡航歴_メキシコ_51渡航歴_メキシコ_52

裏路地に入るとカラフルな家が建ち並ぶ
渡航歴_カンペチェ街並み1

カンペチェの中心地は城壁に囲まれていて、歴史的要塞都市として世界遺産登録されています。

この要塞でパイレーツ・オブ・カリビアン(カリブの海賊)からの攻撃を防衛した
渡航歴_カンペチェ街並み_2渡航歴_カンペチェ街並み_3


~続く~
あとがき
メキシコ旅行で3回ほどコノ↓儀式を見かけた。

ロス・ボラドーレス
1,500年以上続く豊作を祈るメキシコの伝統儀式。30mの高さの柱に腰ひもを縛り付け、笛の音色にあわせて宙吊りになって回りながら下りてくる。回る回数も13回と決まっていて4人で合計52回。マヤカレンダーは太陽暦52年(1年=52週)なので、1回の儀式で新しい太陽が生まれ変わると言われている。

渡航歴_ロス・ボラドーレス_1渡航歴_ロス・ボラドーレス_2
渡航歴_ロス・ボラドーレス_3渡航歴_ロス・ボラドーレス_4

いつもコレ↓が思い浮かんだ。

学校遊具の回旋塔。鉄柱に繋がれた吊り輪を握り、遠心力を利用して回転を楽しむ遊具。
回旋塔

小学校の頃、休憩時間になるとクラス全員(約40人)で回旋塔を楽しんだ。回転力を強くするため、2,3人を外側に残し残り全員が内側の支柱に集まって吊り輪を回転させた。遠心力も加わってハンパない回転力となり外側の2,3人は宙に浮き地面と平行になって回転する。体の軽いヤツは垂直方向に傾く。(上図なんてまだ甘い)

休憩時間の終了のチャイムが鳴ると、誤って手を離してしまったヤツの吊り輪が残ったヤツの顔にめがけて飛んでいく。(顔面に直撃して涙や鼻血を流したヤツが大勢いた)

“ある意味ロス・ボラドーレスの方が安全じゃね?”   と思ふ今日この頃でございます


そんなことがあるせいか近年では回旋塔の危険性が問題視され数が減っているとのこと。(なんか寂しいねー)


最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 渡航歴_2001~2013 | 16:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

そうだ、岸和田だんじり祭り、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 岸和田だんじり祭り

岸和田だんじり祭 に行ってきた。

「だんじり(地車)」とは、神社の祭礼に曳き出される、笛・太鼓・鉦などの囃子方を乗せた「曳き物・練り物」のひとつです。全国各地の祭礼には多くの「山車(だし)」が登場します。特に大阪を中心とした近畿一円で見られる「山車(だし)」のひとつを「だんじり(地車)」といいます。しかし、地域によっては「山車」や「まつり屋台」などの曳き物を「だんじり」と呼ぶところもあれば、「太鼓台」や「布団太鼓」などの「担き物(かきもの)」を「だんじり」と呼ぶところもあります。
だんじりの起源は、京都市八坂神社の「祇園祭」から派生していると考えられています。

岸和田だんじり祭り_2

屋形の形や装飾意匠的には、一枚以上の屋根(ほとんどが二枚屋根)が付き、鳥獣・草木・人物などの木彫刻が細工された、二軸四輪のコマが付く屋台のことを指します。囃子方(鳴物)が乗る部分より上、特に屋根まわりは、寺社の屋根を模し、寺社建築の様式が用いられています。京都祇園祭の山や鉾とは違い、「塗り」や「彩色」などはほとんど施されておらず「白木」のままというのも特徴のひとつです。
岸和田だんじり祭り_5
曳行時の役割
岸和田だんじり祭り_役割  
1.鳴り物
大太鼓、小太鼓、笛、鉦を担当。通常、青年団から鳴り物係が選ばれる。

2.綱先(つなさき)・綱中(つななか)
だんじり曳行の主動力。曳き手のうち、曳き綱の先頭を綱先、中ほどを綱中と呼ぶ。綱先は曳き綱がたるまないように綱を張り、綱中は進行方向に全力で綱を曳く。

3.綱元(つなもと)
だんじりに一番近い曳き手を綱元と呼ぶ。やりまわしの時に綱中の力をだんじりに伝える重要な役割を果たす。

4.前梃子
コマの回転面と地車の間にヒノキ材の梃子を差し込みだんじりを制御する。やりまわしの時、内側の前梃子は旋回のきっかけをつくり、内側のコマの回転を抑え、だんじりを曲がりやすくする。左右二本の前梃子を操作する係は非常に危険な役のため、かなりの熟練を要する。

5.大工方
だんじりの大屋根や小屋根に乗り、団扇を手に華麗に舞う。まただんじりの前方が見えない後梃子に進行方向を指示する。

6.後梃子 
だんじりの舵取り梃子で長さ約3.5メートル。大工方の合図により左右にくくり付けられた綱(ドンス)を引いたり、肩で押すなどし、だんじりの向きを変える。二十人から三十人で担当する。

9月に入ると大阪南部(阪南地方)は、だんじり一色になります。


毎年9月に岸和田市(海側)で、10月に岸和田市(山側)と和泉市で行われる。

ボクは中学生まで和泉市で生まれ育ったのでだんじりに思い入れがあります
岸和田だんじり_大阪地図

だんじりといえば岸和田だんじり祭が有名。

岸和田だんじりの見所といえば、ゆっくり慎重に角を曲がる京都祇園祭の山鉾の「辻まわし」(詳細はコチラと違って、スピード落とさずに突っ込んで曲がる「やりまわし」。

全力で綱を曳く青年団や少年団などの「曳き手」、曲がる際に指示を出す屋根に乗る「大工方」、梶取り役の「前梃子(テコ)」「後梃子」。三位一体のバランスが、華麗で豪快な「やりまわし」を演出しているといっても過言ではありません。
強引に曲がった後にだんじりが揺らぎ宙に浮くと興奮する
岸和田だんじり祭り_6_2

9月の岸和田地区のコースはこんな感じ↓ここを22体のだんじりが疾走する。

だいたい端から端まで歩いて20,30分。
岸和田だんじり祭りMAP_1

9時頃に南海岸和田駅に到着。既に駅前は場所取りの予約シートで埋め尽くされていた。
日本観光_岸和田だんじり_1

9/14(本番1日目)は朝6時から祭りが始まっていて、到着してすぐにだんじりが現れた。

「そーりゃー、そーりゃー」の掛け声と鳴り物の音を聞いて、すぐに昔に戻った
岸和田だんじり祭り_6

男も女もハッピ姿がカッコイイ。女は高校生までだんじりを曳くことができる。
日本観光_岸和田だんじり_2

ボクが通っていた小中学校では「だんじり休み」があった。だんじりの準備や本番前に行われる試験曳きのため学校が休みになった。だんじりの時期が来ると出席人数が減るから。指と手で机を叩いて鳴り物の練習をするから。理由はどうあれ大人も子供もだんじりに夢中になる。

ボクも当日夢中になって動画ばっかり撮っていた。



13:00から駅前の商店街のアーケード下でだんじりのパレードが行われる。ディズニーランドのようなパレードではなく見物人のすぐ横をだんじりが疾走する。

仮装してたりする
日本観光_岸和田だんじり_3

最後のシーン、個人的にツボ


パレード時の駅前はすごく混雑する。11時ぐらいに席取りすることをお勧めします。団扇やタオルがビュンビュン飛んできます。


出店もたくさん出ています。

アホみたいに人がいます。奥までびっちり。
日本観光_岸和田だんじり_7

じっくり焼かれるスモークターキーを見て、ヒヨコ達がピヨピヨと悲鳴をあげていた
日本観光_岸和田だんじり_5

休憩中のだんじりが見れます。

細部まで彫刻されている。試験曳きの時はゆっくり見れます。
日本観光_岸和田だんじり_8

ここでコントロールします
日本観光_岸和田だんじり_9

9月の岸和田だんじり祭では、岸和田地区の他に春木地区(岸和田地区の2駅隣)でもだんじりを曳いています。

春木地区は9体のだんじりが疾走する。派手さは岸和田地区に劣るが人込み少なく目の前で見るなら春木地区がよい。
日本観光_岸和田だんじり_10

デパートの駐車場や屋上から見れます
春木だんじり




だんじりではイカツいオッサンやヤンチャなニーチャンの中に「だんじりヘアー」のピチピチのネーチャンがいます。デザインが豊富なのでコレを見て楽しむのもアリかと。

だんじりヘアー_5

休憩するピチピチ
だんじりヘアー_1だんじりヘアー_2
だんじりヘアー_4だんじりヘアー_3


土産にタオルを買った。世界一周に持って行こ。
岸和田だんじり_タオル 

やっぱ、だんじりが一番やな!!
岸和田だんじり祭り_4 


あとがき
だんじりが大好き。世界一の祭りだと思っている。そんなだんじりを客観的に考えてみた。

(止まって、走って、曲がって、走って、また止まって、走って、曲がって、走って・・・何これ?)

“だんじりが大好き”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 14:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

日本の世界遺産

まえがき
今回の内容でございます。
  • 世界遺産ってどれくらいあるの?
  • 日本の世界遺産って何があるの?

世界遺産は2013年時点で981件が登録されている。

内訳は、文化遺産が759件、自然遺産が193件、複合遺産が29件で、このうち危機遺産は44(シリアでは内戦により6件が登録された。虚しいことだ)

国別の登録件数ではイタリアが最も多く、計49件。次いで中国45件、スペイン44件と続く。

日本はというと、文化遺産が13件、自然遺産が4件の計17件で、世界13位(123カ国中)

世界遺産ランキング2013
 
年々増加しているが世界遺産の登録数は1000件ぐらいで落ち着くと言われている。

(補足)
数年以内には世界の登録件数が1000件に達する見込みだが、世界遺産委員会では新規の登録件数の増加を抑制するため、各国が推薦できる件数は現在は2件までとしている。これが2014年の第38回世界遺産委員会からは各国1件までと、さらに制限することが決まっている。

今年2013年、日本では富士山が登録された。

(補足)
・ 富士山の登録名は「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」。ゴミ問題が理由で自然遺産の登録に落選し、文化遺産でリトライして登録した。

・ 富士山が登録された裏で鎌倉(登録名は「武家の古都・鎌倉」)が落選していた。理由は、実は鎌倉時代の遺産がほとんどない、なかなか解消されない深刻な交通渋滞、乱開発による自然・景観への悪影響が著しい。

・2014年には「富岡製糸場と絹産業遺産群 - 日本産業革命の原点」が、
  
富岡製糸場と絹産業遺産群_1富岡製糸場と絹産業遺産群_2

 2015年には「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が登録にチャレンジします。
  端島(軍艦島)も遺産の対象
  九州・山口の近代化産業遺産群_2九州・山口の近代化産業遺産群_1


2013年時点で日本の世界遺産はこんなにもある。

日本の世界遺産2013

行ったことのない日本の世界遺産は3つ。
  1. 知床 (北海道)
  2. 小笠原諸島 (東京都)
  3. 白川郷・五箇山の合掌造り集落 (岐阜県)
死ぬまでに行きたいと思う。

あとがき
富士山の自然遺産での落選の理由はゴミ問題ではなく、富士山の裾野に自衛隊や米軍の演習場があって、これが世界遺産認定の妨げになっていたとかいないとか。今回、富士山が登録されたのはオリンピックと同じような根回し手回しが奏功したとかしないとか。

ボクが島根県の石見(いわみ)銀山に行った時は世界遺産に登録される前だった。当時の島根は出雲大社しかないと言われ、石見銀山はガラガラだった。そんな島根も石見銀山が世界遺産に登録されてからビックマネーが転がったとか転がらなかったとか。

東京オリンピック2020でもビックマネーが・・・

それを聞いてから滝川クリステルの、お・も・て・な・しの手のポーズが違った風に見えてしまう。

か・ね・が・す・き
おもてなし

“信じるかどうかはあなた次第”   と思ふ今日この頃でございます

喪黒福造_1 


最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 17:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

世界遺産が好き

まえがき
今回の内容でございます。
  • 世界遺産検定2級
  • 世界遺産検定2級のポイント

世界遺産検定 を受けてみた。(世界遺産検定の詳細はコチラ

3級,2級,1級,マイスターの4階級があり、1級,マイスターを受験するには下位階級を保有している必要があり、初めて世界検定を受験する人は2級,3級のどちらかになる。

マイスター:世界遺産のために行動したいと思う方におすすめ (120分 18,000円)
1級:世界遺産を極めたい方におすすめ (90分 90問 9,000円)
2級:世界遺産や地歴の知識に自信のある方におすすめ (60分 60問 4,900円)
3級:はじめて世界遺産を学ぶ方におすすめ (60分 60問 3,800円) 

100点満点中60点以上が合格ライン。
日程は7月,12月の年2回(特別開催として2級,3級のみ且つ主要都市のみで3月,9月にも受験できる)。


受けようと思ったのは退職後にマスタースケジュールを作成した今年5月上旬。

世界遺産検定のHPや合格者のブログを見ていると以下のような傾向があった。
  • 勉強時間は、3級が8h、2級は1ヵ月
  • 勉強方法は、公式ガイドと過去問題集と時事ネタ
  • 「世界遺産の基礎知識」と「日本の世界遺産」の範囲をミッチリ勉強すれば45点が取れる
  • 合格者のコメント:通勤時間だけで半年勉強して2級に合格しました。
公式ガイドがあり、45点取れる出題範囲が分かっていて、なにより「2級:世界遺産や地歴の知識に自信のある方におすすめ」ってことは、それなりに世界遺産を観てきたオレであれば楽勝でしょ?と思ったので、3級を飛ばして2級を受けることにした。

早速、教材を買った。

公式ガイド2,520円、過去問題集(過去2回分)1,260円
世界遺産検定2級_1

それから1ヵ月が経った。引っ越しの段ボールに入ったまま1ページもめくっていない。

6月上旬、受験の申し込みをした。

申し込み方法は、WEB申込か郵便払込のどちらか。

キャンペーン期間中に本屋の受験申し込み書に記載しているキャンペーンNo.を入力してWEB申込をするとコレ↓が貰える。

好きな写真家の1人の富井義夫(詳細はコチラ)のブックカバー(フランスのモン・サン・ミシェル)
世界遺産検定2級_2

受験日は7/7。あと1カ月もあるし、余裕っしょ?。だってオレ、それなりに世界遺産を観てきたし。

調子にノっていた
ビッグウェーブ_1

受験日まであと1週間。

本格的に教材を読み始めた。

公式ガイド、ふむふむ、なるほどね・・・・

過去問題集、ふむふむ、なるほどね・・・・

調子にノるのをやめた
ビッグウェーブ_2

ここから1週間、大学受験のように勉強をした。(仕事してたら無理だった)

そして、試験当日。

世界遺産検定2級_6

大阪会場は関西大学だった。

会場に到着し、2級受験の部屋に入った。

300名ぐらいいた。(こんなにいるとは思わなかった)

受験開始。

準備はしていたが、まさか出題するとは思わなかった。

富士山の問題 
(富士山が世界遺産に登録されたのは6/26。受験日は7/7。)

※出題された問題は公式過去問題集をご参照下さい

受験日の1ヶ月後に合格通知がくる。
なんとか合格できた。(72点)
2級受験者数:1463人 (結構いるんやな)
2級認定者数:792人54.1% (半分の人が調子にノったんやな)
世界遺産検定2級_3_2


簡単にですが世界遺産検定2級のポイントをまとめました。
参考になればこれ幸いでございます。
ポイントマーク+縮小+文字
    世界遺産検定2級のポイント

      ・教材は公式ガイドと過去問題集だけでよい
          公式ガイドは、「世界遺産の基礎知識」と「日本の世界遺産」を
          丸暗記するぐらいの気持ちで覚え、そして理解する。この2つの
          問題を完璧に解けたら45点を取れるので「海外の世界遺産」は
          後回しでよい。「海外の世界遺産」は量が多いのでまずは太文字
          の箇所を。1ページ1世界遺産のところは太文字以外の文章も
          覚える。ボクの場合ここを薄く勉強してしまったので結構点数を
          落としました。
 
      ・時事問題は今年と過去2年ぐらいの世界遺産を
          ボクの場合、ニュースとユネスコや登録された世界遺産のHPを
          閲覧しました。世界遺産以外にも世界遺産発表の開催地や
         その年の出来事などが出ていました。

      ・まずは過去問題集で出題傾向を
          過去問題集で出題傾向を見てから、公式ガイドを見た方が頭に入ります。
          2,3回繰り返して問題に慣れること。今回、過去問と同じ問題は1問ぐらい
          しか出題されませんでしたので過去問題集の丸暗記は無意味です。

      ・勉強時間は1ヵ月以上がベスト
          ボクの場合まともに勉強したのは1週間です。出来なくもありませんが
          シンドイです。時間をかけて反復して勉強した方が頭に入りやすいですし、
          合格への近道です。ボクはそれなりに世界遺産を観ていたので多少は
          頭に入りやすかったのですが、それでもほとんどが初めて知る世界遺産
         や情報でした。



あとがき
世界遺産をベースに世界一周する予定。昔から世界遺産は大好きだった。そんな世界遺産を身近に楽しめるものとしてTV番組がある。ボクが定期的に見ている番組は、「イッテQ」「アナザースカイ」「世界の村で発見!こんなところに日本人(せいじ、おもろい)」等。これらTV番組は自動録画して時間がある時に見ている。

昔から見ている世界遺産の番組の1つ、TBSの「THE 世界遺産」。

録画数:149
世界遺産検定2級_4

2010.07.11から録画が溜まり続けている。ペトラ(ヨルダン)は世界一周で訪れる予定なのに。
世界遺産検定2級_5

149 × 30分 ≒ 74時間 ≒ 3日

“世界遺産、嫌いになりそう・・・”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 免許・資格 | 14:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

青春18きっぷを使ってみた 2013夏を振り返って

まえがき
今回の内容でございます。
  • 青春18きっぷの総括

初めて青春18きっぷを使って日本観光をした。

なんだかんだで色んな所に行った。

簡単にですが実績をまとめてみました。

参考になる情報があればこれ幸いでございます。(初めは真面目に書いていたんですけど・・・)



◆日程
2013.08.26 ~08.31、09.02~09.09
計 14日間


◆行き先

  • 北海道 (函館)
  • 青森県 (青森、弘前、白神山地)
  • 秋田県 (秋田)
  • 岩手県 (盛岡、平泉)
  • 宮城県 (仙台、松島)
  • 山形県 (山形)
  • 静岡県 (静岡、富士宮)
  • 三重県 (伊勢)
  • 兵庫県 (姫路)
  • 香川県 (高松、瀬戸内海の島々)
  • 広島県 (広島、宮島)

◆経路

青春18きっぷルート_1

青春18きっぷルート_2

青春18きっぷルート_3

◆旅のスタイル

   パーティー
      1名
   作戦
      みんながんばれ
      ガンガンいこうぜ
      いのちだいじに
      じゅもんつかうな
      じゅもんせつやく
      めいれいさせろ
    睡眠時間
      平均5h



◆費用

    移動
       青春18きっぷ 11,500円 × 2
       富士宮駅⇔富士山5合目 3,000円
       弘前駅⇔白神山地 2,700円
       他
    宿泊
       ビジネスホテル 約6,000 × 7
       ネットカフェ 約2,500 × 4
    食事
      さぬきうどん 約400円 × 4
      牛タン定食 1,890円
      椀子そば 3,150円
      3色海鮮丼 1,500円
      黄色のりんご 100円
      伊勢うどん 450円
      他

    観光
      瀬戸内国際芸術祭2013 約15,000円
      他

    合計 約13~15万円


◆思い出
  • 富士山の杖が邪魔
  • 青森のリンゴは黄色

◆気持ち悪い趣味(旅編)
  • 映画アメリの真似事 (観光スポットとフィギュアを被写体に撮影)
  • ご当地の顔デカ・キューピー (ノーマル・キューピーでないところがこだわり)
鹿児島旅行でコイツ↓に出合ってから、旅行先で見つけたら買うようにしている。ノーマル・キューピーはたくさんあるが、顔デカ・キューピーはバリエーションも少なく、観光名所や土産物店でもなかなか見かけない。そんなレア感がボクの収集癖を擽る。

西郷どんバージョン
顔デカキューピー_6

東北では6体と出合った
上段)左から、まりも、ヒグマ、りんご
下段)左から、もみじ饅頭、宮島鹿、桃

顔デカキューピー_1

九州地方
顔デカキューピー_2

中国、近畿、東海、信州地方
顔デカキューピー_4

関東地方 栃木の餃子キューピーかぶってるし
顔デカキューピー_5


えっ?キモイって?

知ってる

あとがき
先駆者の世界一周ブログを見ていると家計簿のように費用を10円単位でまとめている方がたくさんいる。さすがにそこまでは無理とは思いながらも、ボクも費用をまとめようと思っている。でも、今回の青春18きっぷの旅で痛感した。

“オレ、できないかも”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 21:02 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

そうだ、伊勢神宮、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 伊勢神宮(式年遷宮)

青春18きっぷを使って、三重県の伊勢神宮に行ってきた。

静岡駅の始発を乗車し、名古屋駅で乗り換えの時に朝食をとった。

名古屋駅ホーム内のきしめん屋。立ち食いだけどグルメ雑誌に載っている有名店。名古屋出張の時よく食べていた。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_3日本観光_名古屋、伊勢神宮_1

味噌煮込みきしめん(玉子入り)600円。初めて食べた時、“なんなんコレ”と思ったが今ではおいしく感じる。大人になりました。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_2


伊勢神宮(いせじんぐう)

訪れた観光スポット(赤丸箇所)
三重県観光マップ_2

伊勢神宮
三重県伊勢市にある皇大神宮と豊受(とゆけ)大神宮の総称。前者を内宮(ないくう),後者を外宮(げくう)といい,両宮を併せて伊勢大神宮,大神宮,二所大神宮などとも呼ばれたが,現在では,神宮を正式の名とし,一般に伊勢神宮と呼ばれている。内宮は天照坐皇大御神,その神体として八咫(やた)鏡を祭り,天手力男(たぢからお)命と,瓊瓊杵(ににぎ)尊の母にあたる万幡(よろずはた)豊秋津姫命を合祀し,別宮10社,摂社27,末社16,所管社30などを併せている。

東北と違い関西は暑かった
日本観光_名古屋、伊勢神宮_4

伊勢神宮は今回で2回目。

式年遷宮がお目当て。

式年遷宮(しきねんせんぐう)
持統天皇(645~702)の時代に始まったとされる。社殿を造り替える20年に一度の大祭です。正殿(しょうでん)を始め 御垣内(みかきうち)のお建物全てを建て替えし、さらに殿内の 御装束(おんしょうぞく)や神宝を新調して、御神体を新宮へ遷(うつ)します。2013年10月2日(水)、5日(土)に、それぞれ内宮(ないくう)と外宮(げくう)で、“遷御”という中心的祭儀が行われ、第62回『式年遷宮』がクライマックスに向かいます。

式年遷宮_2

お伊勢参りは外宮から内宮
日本観光_名古屋、伊勢神宮_29


外宮
日本観光_名古屋、伊勢神宮_6

伊勢神宮_外宮MAP

駅前。早速、新しい鳥居が現れた。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_5

表参道
日本観光_名古屋、伊勢神宮_27

表参道火除橋。外宮は左側通行です。(その理由は後述で)
日本観光_名古屋、伊勢神宮_7

「式年遷宮記念 せんぐう館」入場料300円。式年遷宮の歴史や工程などに関する資料が展示されている。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_8

第二鳥居。鳥居をくぐる際には必ず一礼をする。これを「一揖(いちゆう)」という。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_11

多賀宮。平日にも関わらずすごい行列。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_15

参拝の作法はコレ↓やっていなかったり、間違ったぐらいで願いをシカトするほど神さんの器は小さくないと思うけどね。
参拝方法_1

ついでに、手水の作法も
手水方法_1

右側に新しい社が建てられている
日本観光_名古屋、伊勢神宮_16

式年遷宮は神様の引っ越し。宮大工の伝統継承の意味もある。
式年遷宮_1

亀石。池から出てきた亀が歩いていた。ギャルがカワイイといっていたが、可愛くはない。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_21日本観光_名古屋、伊勢神宮_20

パワースポットの三ツ石。手をかざすとリフレッシュした。決して森林浴をしたからではない。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_22

伝統継承中
日本観光_名古屋、伊勢神宮_23

御饌殿の前
日本観光_名古屋、伊勢神宮_24


バスで内宮に移動。片道410円。

日本観光_名古屋、伊勢神宮_28


内宮
日本観光_名古屋、伊勢神宮_31

伊勢神宮_内宮MAP

宇治橋鳥居
日本観光_名古屋、伊勢神宮_30

宇治橋。内宮は右側通行。(理由はこの後すぐ)
日本観光_名古屋、伊勢神宮_32

日本観光_名古屋、伊勢神宮_33

第一鳥居。あれ?鳥居をくぐってないんやけど。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_34

五十鈴川御手洗場。
外宮が左側通行、内宮は右側通行の理由は、単に御手洗場がそれぞれ左側と右側にあるから。深い意味はないんです。

日本観光_名古屋、伊勢神宮_35

五十鈴川の清流で手を清め、心を澄ませる
日本観光_名古屋、伊勢神宮_36

第二鳥居
日本観光_名古屋、伊勢神宮_37

神楽殿
日本観光_名古屋、伊勢神宮_38

日本観光_名古屋、伊勢神宮_39

日本観光_名古屋、伊勢神宮_40

階段を上ったところに御正殿がある
日本観光_名古屋、伊勢神宮_42

新御敷地。御正殿からここに引っ越しをする。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_41

御稲御倉
日本観光_名古屋、伊勢神宮_43

荒祭宮。今日一番の行列。神さん、引っ越し準備で忙しいのに。今日も残業ですかね。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_44

外宮と内宮で御朱印をした。

左)外宮  右)内宮
伊勢神宮_御朱印_1伊勢神宮_御朱印_2

(ん?ハンコ?こんなんやったけ)

と思って前回の御朱印を見てみた。

ハンコなんやね。御朱印をするオッチャンが手を抜いている訳じゃなくて伊勢神宮の御朱印がこれなんやね。(てか、前回来たのは2年前か。ずいぶん昔に思えるが。ヤツは生きてるかな?)
伊勢神宮_御朱印_4

2007年から始めた御朱印。御朱印帳もいっぱいになってきたこともあり、限定物に弱いボクは式年遷宮記念の御朱印帳を買った。

伊勢神宮の御朱印帳(式年遷宮記念版)1,500円。御朱印朝は各所で特有のデザインのものが売っています。
伊勢神宮_御朱印_3

内宮を出て、飯と土産物を買いに「おはらい町」と「おかげ横丁」に行った。

「おはらい町」も凄い人。なにか祭事かイベントがあると思いきやそうではない。

日本観光_名古屋、伊勢神宮_51_2

赤福も凄い行列。余裕で並ぶのをやめた。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_54

赤福のかき氷はうまそうだった。でも満席で、こちらも余裕で待つのをやめた。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_53
「おかげ横丁」もアホみたいに人がいたので長居はしなかった。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_54_2

「伊勢うどん 岡田屋」 テキトーに入った店
伊勢うどんといえば、極太のふにゃふにゃ麺に、濃厚なたまり醤油の黒ダレ(ツユは入っていない)。コシ0(ゼロ)の麺の理由は、昔に大勢の参拝客に出すために作り置きができ、なお素早く食べ終わるように進化したとか。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_57日本観光_名古屋、伊勢神宮_56

伊勢うどん450円。初めて食べた時、“なんなんコレ”と思ったが今ではおいしく感じる。大人になりました。
日本観光_名古屋、伊勢神宮_55

屋敷風ファミマでご当地ビールを買った
日本観光_名古屋、伊勢神宮_59日本観光_名古屋、伊勢神宮_58

ほろ酔い気分で大阪に帰った。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 伊勢市駅 ⇒ 大阪駅 
    所要時間 : 約5h


あとがき
名古屋出張の際によく買っていた赤福。土産でもよく貰った。そんな赤福を見ていつも思う、

赤福餅_1

“めっちゃ握ってるやん・・・”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 14:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

そうだ、秋田と山形と静岡、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 秋田
  • 山形
  • 静岡

秋田(あきた)

訪れた観光スポット(赤丸箇所)
秋田県観光マップ_2

この旅で秋田駅に2回訪れた。

日本観光_秋田駅

2回とも青森の中継地として来ただけで、宿泊しかしていない。

この日も始発で山形に向かうため秋田駅に行くと早朝にもかかわらず行く人が足を止めてTVを見ていた。

本日2013.09.08は2020年オリンピック開催国の発表日

そして、

 東京に決定した 

コレって凄いことだよね!!
日本観光_秋田、山形、静岡_1

決定から3分後、号外が配布されていた。(えっもう!?)

秋田にいるとは思わなかった
日本観光_秋田、山形、静岡_2

TVクルーも出動。

ボクはココにいるよ
日本観光_秋田、山形、静岡_3

完全に無視されて山形に向かった。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 秋田駅 ⇒ 山形駅 
    所要時間 : 約5h


山形(やまがた)

山形県観光マップ_2

山形には来る予定がなかったが乗り継ぎの都合で山形を2時間だけ観光することにした。

日本観光_秋田、山形、静岡_4

山形美術館と最上歴史観
日本観光_秋田、山形、静岡_6日本観光_秋田、山形、静岡_5

山形城跡
日本観光_秋田、山形、静岡_14日本観光_秋田、山形、静岡_10

山形城は2009年大河ドラマのロケ地になった
日本観光_秋田、山形、静岡_8日本観光_秋田、山形、静岡_9

山形県立博物館(入場はしていない)
日本観光_秋田、山形、静岡_12日本観光_秋田、山形、静岡_11

足早に観光し終え、静岡に向かった。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 山形駅 ⇒ 静岡駅 
    所要時間 : 約10.5h

福島駅前をぶらぶら
日本観光_秋田、山形、静岡_15

上野駅で乗り換えにて。ちなみに上野動物園のシンシンはメスです。
日本観光_秋田、山形、静岡_16


静岡(しずおか)

静岡県観光マップ_3

終電で止まった駅が静岡駅だった。静岡では宿泊しただけ。
日本観光_秋田、山形、静岡_17

そして最終日に伊勢神宮に行った。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 静岡駅 ⇒ 伊勢市駅 
    所要時間 : 約6h


あとがきこのころは電車の窓を一切見ていなかった。

“電車、当分乗りたくない”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 14:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

そうだ、白神山地、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 白神山地
  • 散策・登山コースの選定ポイント
  • 白神山地に行って思ったこと

青春18きっぷを使って、青森県の白神山地に行ってきた。

白神山地(しらかみさんち)

白神山地とは
白神山地は、青森県南西部から秋田県北西部にまたがる130,000haに及ぶ広大な山地帯の総称です。このうち原生的なブナ林で占められている区域16,971haが1993年12月に世界遺産として登録されました。
 青森県側の面積は、その約4分の3を占め、12,627haとなっています。

地質
白神山地の地質は、およそ9,000万年前頃(白亜紀)にできた花崗岩を基盤に、2,000万年前~1,200万年前頃(新第三紀中新世)の堆積岩(凝灰岩、泥岩、砂岩)とそれを貫く貫入岩類(地下の深いところからマグマが上昇してできる岩。流紋岩、石英閃緑岩等)で構成されています。地形の特徴は、深い谷が入り組んでいて、谷壁が急傾斜をなすため、落差の大きな滝も数多く、景観にも優れています。

地形
白神山地を流れる河川には、青森県側に大川、暗門川、赤石川、追良瀬川、笹内川があり、秋田県側には粕毛川があります。その各河川の流域を分ける尾根沿いに標高1,000mから1,200m級の山々が連なっています。主なものとしては、大川流域に青鹿岳(標高1,000m)、赤石川流域に魔須賀岳(標高1,012m)、追良瀬川流域に天狗岳(958m)があります。そして旧岩崎村と旧深浦町を分ける分水嶺に白神岳(1,232m)と、白神山地内では最高峰の向白神岳(1,243m)があるほか、県境の尾根沿いに二ツ森(1,086m)、真瀬岳(988m)、雁森岳(987m)、小岳(1,042m)があります。

特徴
白神山地の特徴は、人為の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が東アジア最大級の規模で分布していることにあります。また、このブナ天然林には、ブナーミズナラ群落、サワグルミ群落等をはじめ多種多様な植物が生育し、高緯度にもかかわらず、ツキノワグマ、ニホンザル、クマゲラ、イヌワシ等をはじめ非常に多くの動物が生息し、白神山地全体が森林博物館的景観を呈しています。特に世界遺産地域は、最も良く原生状態が保たれており、その価値は、地球的に見ても極めて重要であると評価されています。ブナ林は、動物の餌となる植物が多く、他の森林に比較して豊富な動物が生息しているほか、水源涵養機能や地表侵食防止機能なども高いのが特徴です。このような多面的な機能や美しさは、近年日本でも高く評価されるようになっています。

白神山地は7つ以上の散策・登山コースがあります。

当初はWEB検索でコース紹介やアクセス方法を確認してコースを選定していたのですが、結局、現地に行って観光案内所で相談して決めました。

悩んだ4つのコースの選定ポイントをご紹介します。
ポイントマーク+縮小+文字
    白神山地の散策・登山コースの選定ポイント

    ※個人的な見解を記載しています。詳細及び正確な情報jは専用HPでのご確認をお願い致します。

白神山地コース紹介_1 

      ①暗門の滝コース
          アクセス:弘前駅前からバス、他
          コース所要時間:約1.5h
          特徴:いっぱい滝がある、弘前を拠点できる
          コメント:最終、このコースにしました。詳細は後ほど。

暗門の滝_1暗門の滝_2 

     
②十二湖コース
          アクセス:JR十二湖駅、他
          コース所要時間:約2h
          特徴:いっぱい湖がある、コースが駅から近い
          コメント:青春18きっぷを使うのであれば最も費用を抑えられるが駅まで時間がかかるのでやめた
 

十二湖コース_1十二湖コース_2

      ③ミニ白神コース
          アクセス:JR鰺ヶ沢駅、他
          コース所要時間:約2h
          特徴:ガイドが常駐、聴診器や熊の爪痕などサービス精神が旺盛
          コメント:当初このコースに行く予定だったが、駅から出発地点へのバスの便が午前しかないので断念した

ミニ白神コース_1ミニ白神コース_2

      ④白神岳コース
          アクセス:JR白神岳登山口駅
          コース商用時間:約5h
          特徴:本格的な登山コース。白神山地のパノラマを観るのであればコレ。
          コメント:青森観光であればこのコースにしていた

白神岳コース_1白神岳コース_2
 


青森駅の観光案内所においていたコノ↓パンフレットを見て、弘前駅から白神山地に行くことにした。

暗門の滝コースに加えて、ブナ林散策道マザーツリーを観ることができる
白神山地バス_1

往復2,700円
白神山地バス_3

日帰りであれば9:15、10:10出発のどちらかに乗車する必要があります
白神山地バス_2 


それでは白神山地に出発

バスからリンゴ園が見える
日本観光_白神山地_5

約2hで終点の津軽峠に到着
日本観光_白神山地_6

ここから白神山地のパノラマが見えるかなーと思っていたけど、
日本観光_白神山地_9

こんな感じで少しガッカリした。ススキが生えていて一足早い秋を感じた。
日本観光_白神山地_8_2

こんなん観たかった
白神山地パノラマ_1
引用

マザーツリーは津軽峠から徒歩5分
日本観光_白神山地_10

マザーツリー。推定樹齢400年、幹周り465cm、直径148cm、樹高30m。
日本観光_白神山地_7

日本観光_白神山地_7_2

津軽峠からアクアグリーンビレッジANMONまでバスで下り、ブナ林散策道に向かった。

ブナ林散策道の入口
日本観光_白神山地_11

日本観光_白神山地_14

ブナ林遊歩道の入口に白神山地の湧水の飲み場がある。

コンビニで購入した水と飲み比べた。結果は明らか。
日本観光_白神山地_15

最初は整備されているが、だんだんと自然のままの状態になってくる
日本観光_白神山地_16日本観光_白神山地_27

鳥や昆虫や風などの音で林の中は賑やか
日本観光_白神山地_17

急な坂が多い
日本観光_白神山地_18

日の当たり具合で林の色が変わる
日本観光_白神山地_19

雨が降った後だったのでブナの中に流れる水の音を聞いてみた。聞こえた・・・たぶん。
日本観光_白神山地_20

水源涵養機能や地表侵食防止機能をもった土壌。木の枝で挿すとスポンジのような感じだった。
日本観光_白神山地_20_2

切り株の上には新しい命が

日本観光_白神山地_25日本観光_白神山地_24

ブナ以外にも多種多様な木が立っている
日本観光_白神山地_29日本観光_白神山地_30

本来はここから暗門の滝コースに行く訳だが、運が悪いというかなんなのか、先日の豪雨(そのときは岩手県の平泉を観光していた)により、危険のため暗門の滝コースは閉鎖されていた。

日本観光_白神山地_31

こんなん観たかった
暗門の滝_3
引用

暗門の滝コースに行けない分、ゆっくり歩いてブナ林を堪能した
日本観光_白神山地_32

帰りに土産店でリンゴのソフトクリーム300円を食べた。リンゴの舌触りが残る濃厚な味だった。
日本観光_白神山地_33

リンゴも食べた。青森では赤いリンゴよりも青いリンゴをよく食べると言っていた。確かに皮が軟らかく甘かった。
日本観光_白神山地_34


最後に、今回ボクが白神山地に行って思ったことを以下に記したいと思います。

1.デカさの屋久島、バリエーションの白神山地
樹齢が桁違いだけあって屋久島の木の方がデカいので、白神山地ではそんなに迫力を感じなかった(ぶっちゃけマザーツリーに興奮しなかった)。でも各種の散策・登山コースがあるように、多様多種な体験をしたいのであれば白神山地かと。

屋久島
屋久島_1屋久島_2

2.気軽に行ける
今回ボクは手ぶらで行きました。それぐらい軽装で行くことも出来ます。そしてなにより時間に制限はあるが簡単に白神山地に行くことができます。車があればなおさら。青森観光を兼ねているのであれば、今回ボクが利用した弘前からのバスをオススメします。

3.秋がベストシーズン
10月下旬は紅葉で綺麗だそうです。青春18きっぷを使っていなかったら秋に行っていた。そして、やっぱり晴れがいい。
白神山地の紅葉_2白神山地の紅葉_1

ご参考になればこれ幸いでございます。
てか、今回のボクの白神山地、30点だな


それなりに白神山地を楽しんで、秋田に向かった。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 弘前駅 ⇒ 秋田駅 
    所要時間 : 約3h


あとがき
今回の青春18きっぷの旅で日本の世界遺産を6つ訪れた。

1.富士山 ⇒ 天気:雨(富士登山を途中棄権)
2.厳島神社 ⇒ 天気:雨(弥山の登山を断念)
3.原爆ドーム ⇒天気:雨
4.姫路城 ⇒ 天気:晴(閉館して外観のみ)
5.平泉 ⇒ 天気:雨(ゲリラ豪雨で早々と観光を終了、画像データ紛失)
6.白神山地 ⇒ 天気:曇(前日の豪雨で暗門の滝コースが閉鎖)


“オレ、呪われてる?思い当たる節があり過ぎるんですけど・・・”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 14:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

そうだ、弘前、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 弘前

青春18きっぷを使って、青森県の弘前に行った。

弘前(ひろさき)

弘前
青森県南西部の市。もと津軽氏の城下町。第二次大戦前は第八師団が設置された。リンゴ栽培が盛ん。津軽塗・こぎん刺しの産地。夏には、ねぷた祭りが行われる。

日本観光_白神山地_4

弘前に到着してすぐに白神山地に行きたがったが、午前中しか白神山地行きのバスが出ていなかったので到着した日は弘前を観光することにした。

弘前はリンゴの町だっけあって、あちこちにリンゴがあった。

リンゴは可愛くていい。大阪にたこ焼きのオブジェがあちこちにあったらイライラする。
日本観光_白神山地_2日本観光_白神山地_1

リンゴが乗っかったポストでせんべい汁とリンゴディニッシュを食べた
日本観光_白神山地_3

弘前は街ぶらが好きな方にオススメしたい街。洋館や屋敷、教会、レトロな店舗などが建ち並ぶ。(弘前は個人商店が多い)

観光案内所で貰った街ぶらマップを持って夜になるまで散策した。

それぞれ名称がありますが多すぎるので割愛させて頂きます、すみません

洋館群
日本観光_函館、弘前_3日本観光_函館、弘前_4
日本観光_函館、弘前_14日本観光_函館、弘前_27

屋敷群
日本観光_函館、弘前_28日本観光_函館、弘前_29
日本観光_函館、弘前_30日本観光_函館、弘前_31
日本観光_函館、弘前_36日本観光_函館、弘前_33
日本観光_函館、弘前_34日本観光_函館、弘前_35

教会群
日本観光_函館、弘前_64日本観光_函館、弘前_61
日本観光_函館、弘前_73日本観光_函館、弘前_74

レトロ建造物群

日本観光_函館、弘前_62日本観光_函館、弘前_65
日本観光_函館、弘前_63日本観光_函館、弘前_66
日本観光_函館、弘前_67日本観光_函館、弘前_70
日本観光_函館、弘前_71日本観光_函館、弘前_78
日本観光_函館、弘前_79日本観光_函館、弘前_81
日本観光_函館、弘前_82日本観光_函館、弘前_83
日本観光_函館、弘前_85日本観光_函館、弘前_86
日本観光_函館、弘前_87日本観光_函館、弘前_88

街ぶらをしながら、観光名所も巡った。

弘前城
青森県弘前市に残されている梯郭(ていかく)式の平山城(ひらやまじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。3重の濠と土塁に囲まれた約50万m2の敷地に、江戸時代に建造された3重3階の独立天守や櫓(やぐら)や門などが現存しており、3層の天守閣、櫓3棟、城門5棟が残され、いずれも国の重要文化財に指定されている。この城は、津軽統一を成し遂げた戦国武将の津軽為信(大浦為信)が1603年(慶長8)に、4万7000石の弘前藩の中心となる城として築城を開始し、死後の1611年(慶長16)に完成した。以後、藩主津軽氏の居城、弘前藩の政庁として廃藩に至るまでの260年間、藩政の中心となった。当初、5層の天守閣が2代藩主信枚(のぶひら)により建造されたが、1627年(寛永4)に落雷で焼失し、現在残っている3層の天守は9代藩主寧親(やすちか)が1810年(文化7)に再建したものである。また、弘前城を中心とした一帯は弘前公園となっており、桜の名所として全国的に知られる。天守閣は津軽藩政時代の歴史資料を展示する弘前城史料館となっている。

日本観光_函館、弘前_17日本観光_函館、弘前_18

遠くで見ると大きくみえるが、
日本観光_函館、弘前_19

近くで見ると小さい
日本観光_函館、弘前_20

天守閣内の弘前城史科館
日本観光_函館、弘前_21日本観光_函館、弘前_22

いまだに出土品がでてくるそうです
日本観光_函館、弘前_23

弘前城は新緑に溢れていた
日本観光_函館、弘前_24日本観光_函館、弘前_25

桜のトンネルも新緑。春に観たかった。
日本観光_函館、弘前_26

弘前城はやっぱり春に来るべきだね
弘前城_1
引用


山車展示館
天和2年(1682)、4代藩主津軽信政公の時代、8月15日弘前八幡宮祭礼施行のおり、神輿の露払いとして、各町内の人々によって繰り出し始めた弘前市の山車。京都や江戸の文化を受けた人形を中心に、現存する7つの山車を一堂に保存、展示しています。ねぷたまつりの時に出陣する津軽剛情張大太鼓(直径4m)も収納されています。

津軽剛情張大太鼓
日本観光_函館、弘前_7

日本観光_函館、弘前_8日本観光_函館、弘前_9
日本観光_函館、弘前_10日本観光_函館、弘前_11
日本観光_函館、弘前_13日本観光_函館、弘前_12


弘前は邦画や韓国映画のロケ地になったらしく、あちこちにロケ地紹介の写真や案内板があった。

「奇跡のリンゴ」 菅野美穂、もう人妻なんだな
日本観光_函館、弘前_16


津軽藩ねぷた村
弘前ねぷたまつりや津軽三味線生演奏、津軽民芸品製作実演など津軽をまるごと体験可能。青森県内の土産や特産品を取り扱う売店、津軽の郷土料理など提供する食事処も充実。

入場料500円(ちょー安いと思います)
日本観光_函館、弘前_37

津軽弁で弘前のねぷた祭りについて説明してくれます
日本観光_函館、弘前_38

太鼓を実演してくれます
日本観光_函館、弘前_39

ニーチャンに津軽弁で勧められて衣装とハチマキを借りて太鼓を叩かせてもらいました
日本観光_函館、弘前_43

弘前のねぷたは扇型なんです
日本観光_函館、弘前_40

青森はね”ぶ”た、弘前はね”ぷ”た、五所川原はたちね”ぷ”たです。

青森ねぶた
人形の灯籠のような山車で、ハネトと囃子がいます。ハネトは踊るのではなく、”跳ねる”と言います。囃子は太鼓・笛・手振り鉦がいます。かけ声は「ラッセラー ラッセラー ラッセ ラッセ ラッセラー」という感じです。参加団体は、県庁・市役所・山田学園・青森工業高校・自衛隊・JR・NTT・子供ねぶたなども出ます(幼稚園や、子供会など)。それぞれの団体が、ねぶたを出します。
青森ねぶた_1

弘前ねぷた
扇形で、表が武者絵で裏が見返り美人になっています。青森ねぶたと違い、割と静かな感じです(跳ねることはありません)。かけ声は「ヤーヤドー」です。
弘前ねぷた_1

五所川原立佞武多
人形灯籠ですが、高さがあります。1998年に復活したお祭りです。青森ねぶたや、弘前ねぷたと違い、毎年1体ずつ新作が作成されます。その新作の他に、五所川原の高校でねぷたを出していたり、ドラゴンボールの孫悟空や桃鉄やガンダムのねぷたもありました。かけ声は、「ヤッテマーレ ヤッテマーレ」です。
五所川原_1


小さいねぷた
日本観光_函館、弘前_44

大きいねぷた
日本観光_函館、弘前_45

弘前ねぷたの見返り美人
日本観光_函館、弘前_46

サザエさんも太鼓を叩いていた
日本観光_函館、弘前_51日本観光_函館、弘前_50

金魚ねぶたの絵付けを実演
日本観光_函館、弘前_47日本観光_函館、弘前_41

津軽三味線を実演。津軽三味線カッコイイねー。2人同時演奏する時に“ハッ”っていう掛け声がたまんない。
日本観光_函館、弘前_49

他にも、弘前こけし、津軽塗、津軽凧、独楽などの実演していた
日本観光_函館、弘前_55日本観光_函館、弘前_53
日本観光_函館、弘前_56日本観光_函館、弘前_59

中庭の鯉がキモかった
日本観光_函館、弘前_58日本観光_函館、弘前_57

かくれんぼしている少年。ノスタルジックな気分になった。
日本観光_函館、弘前_60_2

犬と散歩ができる公園。そこでなんと、
日本観光_函館、弘前_76_2

青森の青森県立美術館で見たかった「あおもりけん」がいた
日本観光_函館、弘前_76

「カワイイんで撮らせて下さい」といって撮らしてもらった。
日本観光_函館、弘前_75
いやぁーやっぱり津軽弁の女性はええわー。なんか癒されるんよね。津軽弁聞きたさに、街ぶらしてる時、意味なく道を尋ねていたからね。そんなことを考えているせいかオネーチャンどころかワンちゃんと「あおもりけん」にもそっぽを向かれた。

あとがき
津軽弁聞きたさにキャバクラに行くところだった
日本観光_函館、弘前_89

“ほんま津軽弁ええわー、きたねーオッサンもかわいく見える”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 14:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

そうだ、青森と函館、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 青森
  • 函館

青春18きっぷを使って、青森県の青森と北海道の函館に行った。

訪れた観光スポット(赤丸箇所)
青森県観光マップ_2

北海道県観光マップ_2

秋田駅の始発に乗って、青森に向かった。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 秋田駅 ⇒ 青森駅 
    所要時間 : 約4h


青森(あおもり)

電車の発車音が津軽三味線だった。一気に目が覚めた。
日本観光_青森、函館_2

青森
青森県中央部の市。県庁所在地。青森湾に臨み、江戸廻米(かいまい)の積み出し港として発展。8月に行われるねぶた祭は東北三大祭りの一。

東北の主要駅の駅内や駅前には必ず観光案内所があり、しかも空いているのでよく利用していた。

青森駅でも同様に観光案内所に入り、興味があった2つの観光スポットについて聞いてみた。

ボク) 青森県立美術館とねぶたの家ワ・ラッセについてなんですが・・・
係員) 青森県立美術館は休館していますよ
ボク) エヘヘ (なんでこのタイミングやね~ん)

日本観光_青森、函館_36

ガイドブックで見つけた「あおもりけん」というデカイ犬のオブジェを見たかった。(デカイだけ、それだけでいいんです)

青森県立美術館_1

ボク) ねぶたの家ワ・ラッセはここから歩いて行けますか?
係員) すぐそこよ
ボク) エヘヘ (あまり調べてへんことばれてもーたー)

ボク) 他に青森市で有名な観光スポットはありますか?
係員) 海と海鮮
ボク) エヘヘ (両方、海ですやーん)

ということで予定よりも青森から早く離れることにした。とはいえここまで来てなんだかな~と思いスケジュールとルートを見直すとゆっくりできないが北海道の函館に行けることが分かった。

行っちゃえー

ノリで函館に行くことにした。

その前にココ↓に行った。

ねぶたの家 ワラッセ
青森市文化観光交流施設「ねぶたの家 ワ・ラッセ」が2011年1月にJR青森駅の海手にオープンしました。街の発展を見届けてきたねぶた祭の歴史や魅力を余すことなく紹介し、ねぶたのすべてを1年を通じて体感することができる"夢の空間"です。
1階の「ねぶたミュージアム・ねぶたホール」は、この施設のメインとなる部分で、2階まで吹き抜けになった広大なスペースです。毎年、祭本番に出陣した5台程度の大型ねぶたの他、中型ねぶたやねぶたのパーツなどが所狭しと展示・紹介されています。 
末永く、多くの人々に愛され、親しまれるような愛称を広く募集し、選考された最優秀作品「ワ・ラッセ」と優秀作品の「ねぶたの家」を合わせ愛称と決定しました。青森市民といつも一緒に生活してるねぶたが住む「家」があることで、ねぶたが祭期間中の一時的なものではなく、一年中青森市民と一緒に暮らし生活している、市民の一人という意味合いと、ねぶたの掛け声である「ラッセラー」と「笑い」の他に、ねぶた祭での人と人の『輪』や調和の『和』、また、ねぶたを通じた活動により育まれる市民の『環』をコンセプトとしております。


モダンなデザイン
日本観光_青森、函館_3

入館するといきなり現れた
日本観光_青森、函館_4

デカいフィギュアぐらいのサイズ。右のヤツ欲しかった。
日本観光_青森、函館_6

チケットを購入し(600円。ちょー安いと思う)、ミュージアムに入場するとねぶた祭りのLIVE音が響き渡る。

ねぶた祭りの歴史から始まる。
日本観光_青森、函館_7

「ねぶた」の語源はコレ↓です。
ねぶたの語源

ねぶた祭りの様子が映された大型スクリーンを通り抜けると、
日本観光_青森、函館_8

ねぶた祭りに関する説明資料が目の前いっぱいに展示される。
日本観光_青森、函館_9

ねぶたができるまで。下絵から比例式で寸法を算出し、それを立体的に角材や竹などで組み立てていく。そこから墨入れや色付け電球などの装飾をしていく。
日本観光_青森、函館_10

タッチパネルでマイねぶたを作ったり、ねぶた福笑いで遊べる
日本観光_青森、函館_11日本観光_青森、函館_12

完成したねぶたは目の前で再現される
日本観光_青森、函館_13

金魚ねぶたのようなカワイイねぶたもある
日本観光_青森、函館_14日本観光_青森、函館_15

下書きと現物
日本観光_青森、函館_17日本観光_青森、函館_18

進んでいくとTVで見たことあるデカイねぶたが現れた
日本観光_青森、函館_21

巨大スクリーンに今年のねぶた祭りの様子が映し出されていた。ここで色んな催しが行われる。
日本観光_青森、函館_22

日本観光_青森、函館_23

日本観光_青森、函館_24

日本観光_青森、函館_25

日本観光_青森、函館_26

日本観光_青森、函館_30

日本観光_青森、函館_32

日本観光_青森、函館_29

ガイドのネーチャンのノリに合わせていると、いつの間にかこんなことに。ラッセラー、ラッセラ♪
日本観光_青森、函館_28

たくさんの顔に睨まれて出口へ
日本観光_青森、函館_33日本観光_青森、函館_31

土産売り場でコレ↓を買うか10分迷った。

ここでしか購入できないTシャツ。デザインがツボ。Tシャツは十分間に合ってる、と言い聞かせ世界一周で使えそうな手ぬぐい(限定版)を買った。ってか限定版に弱い。
日本観光_青森、函館_34日本観光_青森、函館_38


ねぶた祭りを堪能し、函館に向かった。
青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 青森駅 ⇒ 函館駅 
    所要時間 : 約4.5h

青春18きっぷはJRの普通、快速のみで特急は対象外となる。但し、一部特例がある区間があり、便数が少ないという理由から青森県の蟹田駅と北海道の木古内駅の特急は青春18きっぷで乗車できる。

青森県蟹田駅。青森⇔北海道間を走る特急白鳥号。白鳥なのにめっちゃ緑。
日本観光_青森、函館_39日本観光_函館、弘前_2

青函トンネルを通る。トンネルに入る前まで興奮していたけど、入って1分後で飽きた。そんなもんです。
日本観光_青森、函館_40_2日本観光_青森、函館_40

乗り継ぎがうまくいかず木古内駅で2時間待ち。遠くに見える青森を眺めていた。
日本観光_青森、函館_42日本観光_青森、函館_41

函館特有のカーブになっている地形に沿ってワンマン電車が進む
日本観光_青森、函館_43


函館(はこだて)

函館駅に到着した時には日が暮れ始めていた

日本観光_青森、函館_44

函館
北海道南西部の市。津軽海峡に面する。渡島(おしま)総合振興局所在地。もと江戸幕府直轄領。安政元年(1854)開港。かつて青函連絡船が通じる北海道の表玄関であり、また北洋漁業の基地として発展した。ハリストス正教会・トラピスチヌ修道院・五稜郭(ごりょうかく)・啄木公園などがある。もと箱館と書いたが明治になり改められた。

観光名所やお店がだいたい18時頃に閉まるので、急いでホテルに荷物を置き中心地に向かった。

函館観光マップ。函館山以外は徒歩で観光できます。
函館観光マップ

奥に見えるのが函館山。夜景はここから見る。
日本観光_青森、函館_45

土産物屋が密集している赤レンガ倉庫に行った。

日本観光_青森、函館_49日本観光_青森、函館_48
日本観光_青森、函館_47日本観光_青森、函館_46

少しだけ観光した
日本観光_青森、函館_52日本観光_青森、函館_54

日が暮れそうだったので函館山に向かった。

坂の上にロープウェイ乗り場があります。ロープウェイ以外にバスでも頂上に行くことができます。
日本観光_青森、函館_53日本観光_青森、函館_56

函館に来た理由は、日本三大夜景の一つであり、またミシュラン三星の函館山からの夜景を見るため。これだけを見に来た。とはいえ、これまでそれなりに国内外で夜景を見てきたのでそんなに期待はしていなかった。

でも夜景を見て思った。

(来てよかった)

頂上に着くとちょうど日が落ちるところだった
日本観光_青森、函館_58_2

まだ街は暗い
日本観光_青森、函館_57

徐々に光が点灯し始めた
日本観光_青森、函館_59

イイ感じになってきた
日本観光_青森、函館_61

さっきまでいた赤レンガ倉庫街
日本観光_青森、函館_62

函館の夜景、完成。このクビレがイイ!!一面ピカピカの夜景もいいけど地形を活かした夜景もすごく魅力的。
日本観光_青森、函館_63

ちょっと明るくし過ぎた。叶姉妹みたいになってもうた。
日本観光_青森、函館_65

帰りにポストカードを買おうと見たが、自分が撮ったやつと同じようなものばかりだったのでやめた。バリエーション増やせばいいのに。
日本観光_青森、函館_66

教会郡を観ながら夜の函館をぶらぶら
日本観光_青森、函館_69日本観光_青森、函館_68

晩飯は函館名物のB級グルメを食べた。

「ラッキーピエロ」のハンバーガー。全国ご当地ハンバーガーNo.1
日本観光_青森、函館_50_2日本観光_青森、函館_77

人気No.1のチャイニーズチキンバーガー350円。揚げたてのチキンに甘辛タレがからむ。
日本観光_青森、函館_76
「ハセガワストア」の焼き鳥弁当。普通のコンビニ。注文すると焼き鳥を焼いてくれる。
日本観光_青森、函館_50日本観光_青森、函館_72

やきとり弁当(中)530円。焼き鳥は普通。野菜とタレが旨かった。
日本観光_青森、函館_74

ん"ん"、一度しか食べていないのでハッキリ言えないんですが、海鮮に飽きた地元住民が好むような濃い味付けのよくあるハンバーガーと焼き鳥に思えました。コスパは素晴らしいんですけどね。

夜の赤レンガ倉庫をぶらぶら
日本観光_青森、函館_78日本観光_青森、函館_79

1人で何かをすることにおいて、ほとんどの事に対して抵抗がなくなってきた。

1人で旅すること、1人で飯を食うこと、1人で夜景を観ること

そんなボクでも1人ですることに躊躇うことがある。

1人で飲み屋に行くこと。(海外だと平気で行くけどね。国内だとまだ人の目を気にしてるんだな)

この時めっちゃビアホールに行きたかった。1人、函館のご当地ビールを飲みながらホテルまで歩きました。
日本観光_青森、函館_80


翌日、早朝、函館の朝市に行った。

日本観光_青森、函館_84日本観光_青森、函館_85
日本観光_青森、函館_82日本観光_青森、函館_83

蟹もらった
日本観光_青森、函館_81

どこで朝食するか市場をぶらぶらした。(基本どこも同じ感じ。オプションが決め手かも)

オプションの塩辛に惹かれてこの店に決めた。

寝る前に塩辛を食べて朝起きると鼻血が出ていたことがあるぐらい(血圧が上がったのかな)塩辛が好きです
日本観光_青森、函館_86日本観光_青森、函館_87

3色海鮮丼1,500円。ボクはいくら、ほたて、ウニの3色にした。他にマグロ、サーモン、蟹等から選べる。
日本観光_青森、函館_88


朝食に満足し、また青函トンネルを通って青森県の弘前に向かった。
青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 函館駅 ⇒ 弘前駅 
    所要時間 : 約4.5h


あとがき
札幌で半年ほど生活したことがあり、今回久々に北海道に来て思った。(分かる人には分かるかと)

“やっぱり夏の北海道はカラッと晴れて風が涼しくて心地いいなぁ”   と思ふ今日この頃でございます


最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 14:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

そうだ、岩手、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 平泉
  • 盛岡

青春18きっぷを使って、岩手県の平泉盛岡に行ってきた。

訪れた観光スポット(赤丸箇所)
岩手県観光マップ_2


はじめに、
旅では大体カメラを2台持っていく。

1台はメインとなる一眼レフ。観光スポットで首にぶら下げ、雨や移動の時に鞄に入れる。

もう1台は手軽に撮れるように防水コンデジをポケットに入れている。

青春18きっぷの旅でもこのようなスタイルで写真を撮っていた。

富士登山から始まった青春18きっぷの旅。それまでは猛暑が続きカンカン照りだったのに、8月後半から天候が良くない。

その中でも今回の岩手県を観光した日は酷かった。ゲリラ豪雨に何度も直面した。
(この豪雨は後日に観光する白神山地にも影響してしまう)

バケツをひっくり返したような雨が急に降る。その度に一眼レフを鞄に入れ、雨が止むと鞄から一眼レフを出す。そんなことを繰り返していた。

一眼レフが雨に濡れないように細心の注意をしていた。

実際、平泉では通常に撮影出来ていた。盛岡でも撮影できていた。ただ、その日の夜に撮影した画像をPCに取り込もうとした時、カメラのモニターにまさかのメッセージが目に飛び込んできた。

フォーマット・エラー

ふぉーまっと・・・えらー?

ギャーーーーーーーーーーー
絶叫した顔_1

なんで?

なんでなの?30分前までちゃんと使えていたのに?

修学旅行で平泉を訪れていた学生に紛れて、同じ格好をした坊さんの団体を見て“坊主も修学旅行なの?”って笑ってしまったから?

どしゃ降りの中傘もささずにずぶ濡れなっているネーチャンに興味を持ち、ずっと後を歩いていたから?(ネーチャンの携帯で話す声がゴリゴリのニーチャンだった。オカマでも目の保養になりました。)

椀子そばで学生をそそのかしてゲロさせたから?

日頃の行い?

もう少しちゃんと調べたらよかったが、その場で確認できることを試してダメだったので仕方がなく初期化(フォーマット)してしまい、その日撮った平泉と盛岡の画像を損失してしまった。

アウトーーーーーーーーーーーーーーー
アウト_1

気が向いたらフォーマットエラーになった原因とフォーマットしたデータは復元する方法を調べようと思う。(少し調べてみたらなんかできるっぽい)

ボクは「写真が旅の全てではないと思うタイプ」「無くなったものは仕方がない思うタイプ」「国内だからまた行けると思うタイプ」と思うようにするタイプです。

少ないけどポケットの防水コンデジで撮った画像がせめてもの救いだ。

PS. 
平泉の金色堂内で買ったお守り、そっこーバラバラになった。

日本観光_盛岡、平泉、秋田_17

アウトォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ
アウト



改めて、
青春18きっぷを使って、岩手県の平泉と盛岡に行ってきた。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 仙台駅 ⇒ 平泉駅 
    所要時間 : 約2h


平泉(ひらいずみ)

平泉
平泉は岩手県の内陸部、西磐井郡平泉町にある地名。
平泉一帯は、11世紀末に奥州藤原氏の初代清衡が、岩手県南部の江刺から拠点を移した地と言われている。それまではこの土地を豪族の安倍氏が支配していたが、朝廷に反発したことがきっかけで1051年から62年にかけて前九年の役が始まる。1053年に源頼義が陸奥国守として赴任、安倍氏を牽制(けんせい)した。
一時期は安倍氏側が優勢だったが、出羽国(現在の秋田~山形県)の豪族・清原氏が頼義側に加担したことで形勢は逆転、頼義側の勝利に終わった。安倍氏は処罰され滅亡する。ところが戦功を挙げた源頼義は伊予守に配置替えとなり、奥州を支配したのは清原武則だった。
藤原清衡の父・経清は安倍氏に加担したため戦後処刑され、息子の清衡も同様に処刑されるはずだったが、母が清原氏に嫁いだことで命拾いをする。しかし、母が清原氏との間に真衡・家衡の2人の息子を生んだため、相続争いが勃発。更に源頼義の息子の義家が清原一族の内紛に介入することで、1083年から後三年の役が始まる。真衡・家衡の敗死に伴い、87年に戦いは終結。それ以降、清衡は陸奥の奥六郡と出羽の山北三郡の支配権を得る。拠点を平泉に移し、1124年に「今後、戦争のない世になるように」との願いを込めて中尊寺を建立した。奥州は金の産出が豊富で、中尊寺の金色堂は外面、内面、須弥壇(しゅみだん)まで金箔で覆われている。ちなみに最近の研究では、マルコ・ポーロが『東方見聞録』に記した「黄金の国・ジパング」は平泉の中尊寺や毛越寺などに施された黄金を指している可能性が高いと言われている。
28年、清衡は中尊寺で眠るように亡くなり、遺体は金色堂に葬られた。清衡の遺志を継いで、二代基衡は毛越寺を、三代秀衡は無量光院を建立する。初代清衡から三代秀衡まで約100年間、奥州を藤原氏が治めたが、平安末期、兄である源頼朝との不和のため、源義経が奥州に潜伏。1189年、四代泰衡は義経を大将とするようにという秀衡の遺言にもかかわらず、義経を自害に追い込む。その後、義経を匿ったとして頼朝軍が奥州に押し寄せ、これにより奥州藤原氏は滅亡した。平泉の中尊寺・毛越寺などの寺院や庭園は藤原氏三代が仏教に基づく極楽浄土の理想世界の実現を目指して造営された。これら建造物が浄土思想を表現する目的で創造された独特の事例であることが評価され、2011年6月に世界文化遺産に登録された。登録対象は中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山である。

平泉駅から観光スポットを巡回する観光バスがあります。

巡回バスの経路
平泉観光マップ_2


ボクは、平泉駅⇒毛越寺平泉文化遺産センター中尊寺を徒歩で、中尊寺⇒平泉駅をバスで移動した。(ゲリラ豪雨で観光どころではなくなり、メイン所も抑えていたので中尊寺を見て観光を終了した)


毛越寺
岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺。医王山金剛王院と号し,〈もうつうじ〉とも呼ばれる。850年(嘉祥3)円仁の開基と伝え,平安末期に藤原基衡が再興,秀衡によって完成されたという。堂塔40余宇,禅房500余宇と称され,その規模は中尊寺をしのぎ,その荘厳のみごとさは〈海内無双〉と称された。金堂は円隆寺と号し,堂額は関白藤原忠通の筆で,仏師雲慶(運慶か。ただし年代があわない)に依頼して造られた本尊の丈六薬師像を見た鳥羽法皇は,その東下をさしとめ,これを都にとどめようとしたという。

今年10月に中村勘九郎 中村七之助 「平泉歌舞伎」が行われるほど自然豊かで雰囲気のあるお寺
毛越寺_1
引用

遣水。毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催される。
毛越寺_2_2
引用


平泉文化遺産センター
中尊寺に行く前に訪れて欲しいところ。平泉の知識を分かり易く短時間で頭に叩き込めます。
平泉文化遺産センター_1
引用


中尊寺
岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の東北大本山。山号は関山。寺伝によれば,850年(嘉祥3)円仁の開創で,859年(貞観1)に清和天皇より中尊寺の号を賜ったと伝えるが,資料を欠く。平安末期に藤原清衡が平泉に移り住み,諸堂宇の建立に着手した。1126年(大治1)の金堂落慶供養願文により,前九年・後三年の役を経て奥羽地方の覇者となった清衡が,奥羽におとずれた平和を記念し,非命にたおれた敵味方の霊をとむらうための鎮魂の寺としてこれを営み,あわせて鎮護国家の根本道場にしようとしたものであったことがわかる。

中尊寺や金色堂を含む仏閣が約20ぐらい建ち並ぶ
中尊寺マップ_1

林の中の参道を進んでいく
中尊寺_3
引用

弁慶堂には弁慶と源頼朝(牛若丸)がいる
中尊寺_7中尊寺_5
引用

金色堂と中尊寺(本堂)は離れたところに建っています
中尊寺_4
引用

中尊寺(本堂)辺りでゲリラ豪雨が始まった。

古寺で雨宿り
日本観光_盛岡、平泉、秋田_1

中尊寺内の芭蕉像。旅の行く先にいつもいる。
中尊寺_2
引用

金色堂
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)
まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の細工(螺鈿)透かし彫りの金具・漆の蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。

仏像は、須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、その前に観音菩薩(向かって右)と勢至菩薩(向かって左)、左右に3体ずつ地蔵菩薩が1列に並び、最前列には持国天(向かって右)と増長天(向かって左)が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。

孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。

国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。

雨の中、金色堂前でボクの気持ち悪い趣味の一つをやった
日本観光_盛岡、平泉、秋田_2

金色堂内はこんな↓感じ。

ライトアップされてまさにこんな感じで金ピカ
金色堂_1
引用

京都の金閣寺と比べると小さいけど、
金色堂_2
引用

装飾がヤバイ
金色堂_4
引用

みっちり装飾されている
金色堂_3
引用

いつものようにポストカードを買い、御朱印をした
日本観光_盛岡、平泉、秋田_16日本観光_盛岡、平泉、秋田_15


このあと無量光院に行こうと思ったが、雨が凄過ぎて観光どころではなくなり、メイン所は抑えたこともあって平泉観光を終りにした。

無量光院
現在は跡地として残っている。平泉は跡地が多いので妄想をよくすると思います
無量光院_2
引用

昔はこんな感じだった。京都の平等院鳳凰堂を模していた建てられた。
無量光院_1
引用

平泉を後にし、盛岡に向かった。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 平泉駅 ⇒ 盛岡駅 
    所要時間 : 約1.5h



盛岡(もりおか)

盛岡
岩手県中部の市。県庁所在地。北上川が貫流し、雫石(しずくいし)川・中津川などが合流。もと南部氏の城下町で、盛岡城(不来方(こずかた)城)跡がある。鉄鋳物、特に南部鉄瓶を特産。

盛岡といえば、3大麺料理の椀子そば、盛岡冷麺、じゃじゃ麺が有名。

それ以外になんにもなかった。
(個人的な感想です)

まずが椀子そばを食べに行った。

岩手観光の広告でよくみる東屋本店に行った
日本観光_盛岡、平泉、秋田_5

この店を選んだ理由は、100杯以上食べると貰える証明手形を手に入れるため
証明手形_1
引用

椀子そばのメニューはこんな感じ。(初めに説明してくれます)
メニューわんこそば 2,625円。杯数は算木(数え棒)で数えます。お椀は重ねません。薬味7種。
わんこそば 3,150円。杯数は重ねたお椀で数えます。薬味9種(鮪刺身・なめこおろし・とりそぼろ・胡麻・海苔・一升漬・錦盛・他)

お椀を重ねた姿を見たかったので、迷わず3,150円のコースにした。

薬味だけでも結構な量。100杯を目指すのであれば余裕ができてから薬味を食べたほうがいいです。男性で平均80杯ぐらいだそうです。
日本観光_盛岡、平泉、秋田_7

椀子15杯でかけそば1杯だそうです
東屋_2
引用

椀子そばには出汁が入っていて、そばを食べた後に画像左にある樽に出汁を捨てていく
東屋_3
引用

朝から何も食べずペコペコな状態で挑んだ。

椀子そば、食ってやる

お椀が空になったらすぐさまそば入れる女性が隣に立つ。若い女性が入れてくれる席は華やかな感じがした。
東屋_1
引用

ボクにはベテランのオバちゃんが入れてくれた。椀子がなくなって厨房に行く際に “私がいない間にお椀に蓋をしたらダメですよ” と言われた。目が笑ってないんですけど・・・
日本観光_盛岡、平泉、秋田_6

どんどん入れられてどんどん食べて行く。10分ぐらいで重なるお椀の数を教えると50杯ほどだった。(満腹中枢に刺激を与える前にハイペースで食べた)

ペコペコの状態だったとはいえ、全然余裕だった。ここらあたりから薬味を楽しんだ。

隣の2人組の学生さんも奮闘している。頑張っている姿を見てつい声を掛けてしまった。

「頑張っていますね」「すごいねー」「かっこいいねー」

心から学生さんを応援した。


そんなことしているうちに100杯に達した。


目的は証明手形を貰うこと。ここからどこで止めるかタイミングを考えていた。

「止めるときは隙をみてお椀に蓋をするんですよね?」とオバちゃんに聞くと、「そうですよ」と微笑んで答えてくれた。

「蓋をしめようとしても容赦なく、そばをいれてくるんですよね?」とオバちゃんに聞くと、「そうですよ」と微笑んで答えてくれた。

学生さんを見ると苦しそうにしている。1人は120杯、もう1人は90杯。

120杯の彼はトイレに行った。

90杯の彼は100杯に向かって頑張っている。

そんな90杯の彼に精魂込めて応援した。

「もう少しで100杯じゃないですか?いけるっしょ?がんばれー」

そんなことをしているうちにボクは120杯に達した。

どこで止めようか考えているボクにオバちゃんは助言をくれた。

「どうせなら語呂合わせで123杯で止めたらどうですか?」

ある意味オバちゃんの宣戦布告だ。

オバちゃんを横目で見ながら、椀子そばを食べていく。

121杯

オバちゃんがずっとこっちを見ている。

122杯

蓋をすぐ取れるところに置き、最後のいっぱいを口に放り込み、一心不乱で椀子に蓋をした。

オバちゃんの気配がない。

(あれ?オバちゃんとのバトルは?)

きょとんとしたボクを見て、オバちゃんが笑顔で一言。

「お腹大丈夫ですか?お疲れさまでした」

客の混みようにもよるが、客の体調を考えてバトルはあまりしないとのこと。

そんな気遣いを感じ、もう少しでボクの心を弄んだオバちゃんを抱きしめるところだった。

ちなみにここで終わりじゃないんですよ。この後デザートが出ます。
東屋_4

デザートを食べて爽やかな気持ちでまったりしていたその時、

90杯の彼が出汁を入れる桶にリバースしていた。

ピッコロ大魔王_卵

ちょど120杯の彼もトイレから帰ってきて、話を聞いていると彼もリバースをしていたそう。
ナッパ_1

しかも2階のトイレはゲロまみれで使用できないから、1階のトイレでやってきたそう。

食べた後でよかった
と思った。

最後にお目当ての証明手形を貰った。

左はコースを頼むと必ず貰える証明書、右が100達成すると貰える証明手形
日本観光_盛岡、平泉、秋田_18

証明手形を手に入れて達成感に浸りながら清算しにレジに行くと、

レジの横に証明手形が500円で販売されていた。

証明手形、売ってるやーーーん



椀子そばを食べ終わり、どうしようかと思うも盛岡の観光スポットに心躍るものがなくお腹にも余裕があったので、続けてじゃじゃ麺を食べに行くことにした。

じゃじゃ麺発祥の店、白龍(パイロン)本店
日本観光_盛岡、平泉、秋田_8

日本観光_盛岡、平泉、秋田_9

初めてじゃじゃ麺を食べる。肝心のじゃじゃ麺の画像がないんだな。
日本観光_盛岡、平泉、秋田_10

初めに味噌と麺をグチャグチャに混ぜて食べ、空いた皿でちいたんたん(玉子スープ)を作る。
白龍じゃじゃ麺_1
引用

完食したはいいものの、ちいたんたん(玉子スープ)が効いたのか前屈みにならないとお腹が苦しい状態になっていた。

人間の進化_2

続けて盛岡冷麺を食べに行こうと考えたが、チンパンジーになるのが嫌だったので盛岡の市内観光をすることにした。

盛岡の市内観光といっても、盛岡に所縁ある宮沢賢治や石川啄木の観光スポットは数多くあるが、文学オジサンでないボクにはあまり興味がなく、唯一興味をもったコレを見に行った。

岩手銀行中ノ橋支店
明治44(1911)年に竣工された盛岡を代表する建築遺産。国の重要文化財に指定にも指定された赤レンガの壁と緑のドームが印象深い建物。


現在は閉鎖されていて、隣に同銀行が建っている。ちなみにコレは盛岡観光ランキングで上位の名所です。
日本観光_盛岡、平泉、秋田_3

中もレトロな雰囲気が漂いイイ感じ。でも入れない。
日本観光_盛岡、平泉、秋田_4

宮沢賢治と石川啄木に興味を持とうと思い、ココ↓に行った。

もりおか啄木・賢治青春館
明治43(1910)年築の洋館「旧第九十銀行」は国の重要文化財。現在は盛岡で青春時代を送った石川啄木と宮沢賢治のテーマ館。企画展やコンサートも開催。喫茶コーナーやショップもある。
もりおか啄木・賢治青春館_1もりおか啄木・賢治青春館_2
引用

館内には宮沢賢治と石川啄木に関する資料が多く展示されていた。

その中で同世代の小説家の紹介コーナーでコレ↓が目に入った。

与謝野晶子。こんなパンチ効いてたっけ?
与謝野晶子_1

なんかお腹も胸もいっぱいになったので、盛岡を離れて秋田に向かうことにした。
(東北って便数が少なく、乗り換えの待ち時間が長いので(特に普通車)他県に向かう終電が18時ぐらいになる)
青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 盛岡駅 ⇒ 秋田駅 
    所要時間 : 約3.5h

秋田では秋田駅近くのホテルに泊まっただけ
日本観光_盛岡、平泉、秋田_13日本観光_盛岡、平泉、秋田_14


あとがき
海外旅行では短期間に名物を食べまくり、よくネアンデルタール人になってしまう。こうなると体も頭も動かなくなる。
“腹八分って大事なんだなぁ”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 14:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

そうだ、宮城、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 仙台
  • 松島

2回目の青春18きっぷの旅、一発目の行き先は宮城県。

訪れた観光スポット(赤丸箇所)
宮城県観光マップ_2

大阪から始発で仙台に向かった。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 大阪駅 ⇒ 仙台駅 
    所要時間 : 約17.5h

これだけ長い間乗っていると国際線に乗っている気分だった。

仙台駅に到着したのは23時過ぎ
日本観光_大阪→仙台_1

翌朝、日本三景の1つの松島に行った。

松島(まつしま)
松島_1
引用

松島
宮城県中部、仙台湾奥にある松島湾一帯の総称。松島丘陵が沈降してできた溺(おぼ)れ谷で、大小260余の島が点在する景勝地。京都府の丹後(たんご)の天橋立(あまのはしだて)、広島県の安芸(あきの)宮島と並ぶ日本三景の一つ。国指定の特別名勝で、県立松島自然公園に指定。島々にはクロマツやアカマツが茂り、凝灰岩の海食地形がみられる。大高森(おおたかもり)の壮観、富(とみ)山の麗観、扇(おうぎ)谷の幽観、多聞(たもん)山の偉観が「松島四大観(しだいかん)」とされる。1609年(慶長(けいちょう)14)に伊達政宗(だてまさむね)によって再建された国宝の瑞巌(ずいがん)寺、重要文化財の五大堂・観瀾亭(かんらんてい)などがある。海水浴場・キャンプ場や水族館・松島タワー展望台などの施設が整備され、四季を通じて観光客でにぎわう。湾内を遊覧船が運航。姉取(あねとり)山に観光道路の松島パノラマラインが通じる。

仙台から約30分
日本観光_仙台、松島_26

日本三景の松島、だけど、
日本観光_仙台、松島_1_1

曇ってるし
日本観光_仙台、松島_5

遊覧船に乗って楽しむ予定だったけど、楽しくなさそうだったので乗るのをやめた。

遊覧船1,500円
日本観光_仙台、松島_2

遊覧船を見送った
日本観光_仙台、松島_3

松島では遊覧船以外に島を散策したり国宝級の仏閣を観光することができる。

五大堂
日本観光_仙台、松島_4日本観光_仙台、松島_7

福浦橋を渡って島を散策
日本観光_仙台、松島_6日本観光_仙台、松島_12
日本観光_仙台、松島_8日本観光_仙台、松島_11

瑞巌寺
日本観光_仙台、松島_13日本観光_仙台、松島_14
日本観光_仙台、松島_16日本観光_仙台、松島_15

入場料が700円だったのと興味が湧かなかったので境内には行かなかった。瑞巌寺はこんな↓感じみたい。

左)瑞巌寺 右)庫裏(国宝)
瑞巌寺_1瑞巌寺_2
引用

境内には、「臥龍梅」と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗お手植えと伝えられている。また、参道にはシンボルとも言える杉並木があったが、2011年3月11日の東日本大震災の津波に見舞われしまい、その後の塩害によって立ち枯れが目立ったことから、約300本が伐採されることになった。
瑞巌寺_3
引用

瑞巌寺の隣にある円通院に行った。

円通院。境内の奥にある三慧殿(さんけいでん)は、政宗の孫・光宗が眠る廟所。文武に優れ、その才を幕府も恐れたとか。廟の中には国の重要文化財の家形厨子があり、よく見るとハートやスペードのマークが刻まれている。
日本観光_仙台、松島_17日本観光_仙台、松島_18
日本観光_仙台、松島_19日本観光_仙台、松島_20
日本観光_仙台、松島_21日本観光_仙台、松島_22

駅に戻る途中、昼飯時だったので宮城名物の牛タンを食べることにした。

「牛タン炭焼 利久」 ここまで来て全国展開している店に入るのはどうかと思ったが、ランチセットのメニューと価格にやられてしまった
日本観光_仙台、松島_25日本観光_仙台、松島_24

特選牛たん定食 極コース1,980円 (同名のコースが他店にもあるがメニューと価格が松島限定らしい)
日本観光_仙台、松島_23
牛タンの炭焼き・ステーキ・刺身、テールスープと麦ごはん(安くない?)。牛タンの刺身は初めて食べたが旨かった。牛肉の刺身より好きかも。


仙台(せんだい)

仙台
宮城県中央部の市。県庁所在地。指定都市。江戸時代は伊達(だて)氏の城下町として繁栄。東北地方の政治・経済・文化・交通の中心地。広瀬川が市街地を貫流し、河岸には東北大学や青葉城(仙台城)趾がある。七夕祭りは東北三大祭りの一。杜(もり)の都と称される。

るーぷる仙台という仙台市内を巡回する観光バスを利用した。

一日券600円
日本観光_仙台、松島_27

巡回ルート
るーぷる仙台


ポイントマーク+縮小+文字
    仙台市内を観光するポイント

      ・るーぷる仙台の1日券を使うこと
          観光スポットも網羅され、30分毎にバスが来るので便利。
          レンタルサイクルもあるみたいだが仙台は起伏が多いので元気
          のある人限定。注意点として、最終便が16時過ぎになる。市営
         バスもあるが、朝から観光することをオススメする。

      ・仙台市内観光は朝から
          ボクは午後から半日かけて観光したが全然時間が足らなかった。
          歴史以外の観光スポットがいっぱいある。完全になめていた。



瑞鳳殿(ずいほうでん)
伊達政宗自らの遺言により建てられた霊屋(霊廟)。国宝に指定されていた桃山様式の建築は昭和20(1945)年の戦災による焼失後再建され、二・三代藩主の霊屋とともに豪華絢爛な姿が甦った。
日本観光_仙台、松島_28

日本観光_仙台、松島_29

ココに伊達正宗が眠っている。これとよく似た建造物が他にもあり子・孫と三代で祀られている。
日本観光_仙台、松島_30

日本観光_仙台、松島_31

日本観光_仙台、松島_33

左が入口、右が出口
日本観光_仙台、松島_34

バス停の途中に寄った神社で見つけた。1人浮いてね?(こんなことをせずにさっさと観光すればよかった)
日本観光_仙台、松島_35


仙台市博物館
国宝に指定されている慶長遣欧使節関係資料や、重要文化財の伊達政宗の具足など、約9万点の資料を収蔵。常設展は季節ごとに展示替えし、約1000点を展示。
日本観光_仙台、松島_37

博物館の前に日本フィギュアスケート発祥の池がある。

てっきり足と足をくっつけて女性が背を反っていると思ったら、
日本観光_仙台、松島_36

めっちゃアクロバティックなことをしていた。(こんなことをせずにさっさと観光すればよかった)
日本観光_仙台、松島_36_2_2

伊達正宗の鎧を思わせるよな黒と青の内装
仙台市博物館_1
引用

歴史博物館なのに近未来みたい
仙台市博物館_2

ジオラマとタッチパネルで楽しく見れる
仙台市博物館_3

土器などの出土品から始まり、
日本観光_仙台、松島_60日本観光_仙台、松島_38

伊達正宗の肖像画など(独眼竜じゃねえの?)、仙台の歴史と伊達正宗を中心に作品が展示されている。
日本観光_仙台、松島_61日本観光_仙台、松島_39

瑞鳳殿から発見された刀。他にペンケースや鉛筆も見つかっている。
日本観光_仙台、松島_62日本観光_仙台、松島_40

婚礼調度―乗物と貝桶。10代藩主伊達斉宗の正室で紀州徳川家から嫁いだ鍇姫(かたひめ)の竹菱梅葵紋蒔絵女乗物。
日本観光_仙台、松島_40_1日本観光_仙台、松島_40_2

奥州仙台領国絵図。仙台藩領全体を描いた巨大な絵図。
日本観光_仙台、松島_43日本観光_仙台、松島_44

江戸時代の仙台の城下町の様子を模した絵
日本観光_仙台、松島_64日本観光_仙台、松島_36_3

杉田玄白の解体新書 (長崎かどっかで見た覚えがある。全国にあるんや)
日本観光_仙台、松島_36_4

戊辰戦争で出兵する兵隊を見送る様子を写した写真
日本観光_仙台、松島_66日本観光_仙台、松島_45

そして男心を擽る武器・武具コーナー
日本観光_仙台、松島_67日本観光_仙台、松島_46

やっぱりコレでしょ↓

黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用。金色の細い月形の前立が印象的な伊達政宗の具足。胴は鉄板に黒漆塗で五枚に分割される。草摺(くさずり)は九間六段下がり。兜は六十二間の筋兜で兜銘は「宗久」。政宗以後、歴代藩主や家臣たちもこの具足形式を踏襲したので、五枚胴は仙台胴とも呼ばれた。
日本観光_仙台、松島_70

海外交流に力を入れていた伊達家のデザインセンスを感じた。

仙台市博物館_3仙台市博物館_4
左)山形文様陣羽織(黒羅紗地裾緋羅紗 金銀モール陣羽織)
伊達政宗所用の陣羽織。羅紗という毛織物で作られている。黒羅紗地(くろらしゃじ)に金銀のモールの縞をのせ、裾は緋色(ひいろ)の羅紗で山形文様に表している。この山形文様は、黒と緋の羅紗両方を輪郭がピタリと合うように切断し、さらに縫い目が見えないように羅紗の切断面をすくって縫い合わせる切嵌(きりばめ)という技法を用いている。また衿(えり)には焦げ茶色の襞(ひだ)飾りがついていた跡があり、当初は南蛮(なんばん)服飾に見られる襞衿(ひだえり)のような形だったと考えられる。桃山時代に流行した南蛮趣味の色濃い陣羽織である。

右)水玉模様陣羽織
羅背板(らせいた)という薄い毛織物で作られ、紫の地に大小の赤・青・緑・黄・白の五色の円形模様を散らした陣羽織。この模様は地を円形に切り抜き、そこに色を変えた円形模様をはめこむ切嵌(きりばめ)という技法で表している。円の輪郭は紐でくくっている。背には大きく伊達家の家紋である竹雀紋(たけにすずめもん)を金糸で刺繍する。斬新なデザインと配色の美しさが際立つ陣羽織である。なお現在は水玉模様の陣羽織として知られるが、明治時代の伊達家の宝物目録には、「紫地羅背板五色乱星」の名で記されており、水玉ではなく星とされていた。また伊達政宗所用と伝えられるが、製作年代が政宗の時代より下がる可能性も指摘されている。

鎧と羽織を着た伊達正宗はこんな感じ。オシャレだねー。まさに「伊達男」。
伊達正宗_1

博物館内では特別展示として、浮世絵が展示されていた。

東北地方に逃避した源義経、付き添う武蔵坊弁慶、義経を追う源頼朝のモデルにした作品をメインに、他にも葛飾北斎や歌川広重など多くの作品があった。
日本観光_仙台、松島_50日本観光_仙台、松島_47
日本観光_仙台、松島_49日本観光_仙台、松島_48

慶長18(1613)年、伊達政宗は、スペイン領メキシコとの直接貿易などを目的に、家臣支倉常長や宣教師ルイス・ソテロらを、スペイン国王やローマ教皇のもとへと派遣しました。
平成25(2013)年は、伊達政宗の外交使節である慶長遣欧使節が出帆して400年目の記念の年に当たります。

そんな記念の年に伊達正宗や支倉常長達とローマ教皇との外交が評価され、ローマ教皇パウロ5世像と支倉常長像とローマ市公民権証書の3点がユネスコ世界記憶遺産として登録された。


ユネスコ世界記憶遺産登録記念の特別展示
日本観光_仙台、松島_69日本観光_仙台、松島_51

ローマ教皇パウロ5世像と支倉常長像
日本観光_仙台、松島_53

ローマ市公民権証書。証書には「仙台」や「伊達正宗」の文字が載っている。
日本観光_仙台、松島_54


仙台城跡
400年以上前、伊達政宗が天然の要害である青葉山に築いた城。現在、主要な建物は残っていないが、市を一望する天守台の伊達政宗騎馬像は観光スポットになっている。

城壁は上部に行くほど反りかえっている
日本観光_仙台、松島_56

仙台のシンボル、伊達正宗像
日本観光_仙台、松島_71

仙台の景色。雨でなんも見えねぇ。
日本観光_仙台、松島_57

仙台城の歴史や発掘調査の結果などを紹介する仙台城見聞館や国宝に指定されている伊達正宗により建立されて大崎八幡宮など行きたかった観光スポットはいくつかあったが、スケジュールとホテルの予約の都合で今回の仙台市内観光はこんな感じで終えた。
締めに名物のずんだ餅パフェ300円を食べた。抹茶ソフトとずんだ餅は合うねー。
日本観光_仙台、松島_58


あとがき
“牛タンは好き。でも丸々一本の牛タン(調理前)はあまり見たくない”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 00:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

青春18きっぷを使ってみた 続・2013夏

まえがき
今回の内容でございます。
  • 青春18きっぷ(4~10回目)の経路

8月末の販売終了直前で2枚目の青春18きっぷを購入し、9/2~9/10の9日間で7日分を使うことになった。

そして先日、旅を終えた。

上)1枚目 下)2枚目   2枚目は雨に濡れて捺印の文字が良く見えない。けど問題なく使用できた。
青春18きっぷ2回目_1

行き先は青春18きっぷ購入する際に決めていた。

行き先は、ずばり東北

関西人には未知の領域で、東京在住の時も友人のいる福島県までしか行ったことがなかった。

そんな未知の領域への興味と、なにより青春18きっぷでどこまでいけるかやってみたかった

出発時に決めていた観光スポットは以下のとおり。
  • 宮城県仙台
  • 岩手県平泉(中尊寺金色堂)
  • 岩手県盛岡
  • 青森県白神山地
後は電車の中で調べたり、現地で情報収集して気まぐれに旅をした。

いろいろあった結果、以下の経路になった。

青春18きっぷルート_2

青春18きっぷルート_3


東日本を1周しちゃった
(詳細は別記事で)

あとがき
東北のローカル線には味のある駅や電車がたくさんあった。それを撮る鉄道オタクもたくさんいた。“この車両カッコいい” “この駅雰囲気あるなー”など思うが、わざわざ駅を降りたりして写真を撮りたいと思わなかった。そんなボクの駅や電車での楽しみは、撮っている鉄道オタクを撮ること。鉄道オタクが撮っている先を見ていると少し駅や電車に興味が湧く自分がいた。

“てゆうか、こんだけ電車に乗り続けたボクは鉄道オタクでは?”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
ブログランキングの詳細はコチラ

| 日本 | 23:46 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |