2013年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年09月

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そうだ、広島と姫路、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 厳島神社
  • 原爆ドーム
  • 姫路城

青春18きっぷを使って、広島県の厳島神社原爆ドーム、兵庫県の姫路の旧友に会いに(ついでに姫路城に)行った。

訪れた観光スポット(赤丸箇所)
広島県観光マップ_2

兵庫県観光マップ_2


この日の目的は姫路の旧友に会いに行くことだったが、会うのが夜だったことと青春18きっぷで唯一使用できる宮島行きのフェリーを使おうと思い広島に行った。

瀬戸内国際芸術祭2013の拠点とした香川県高松を早朝に出発した。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 高松駅 ⇒ 宮島口駅 
    所要時間 : 約5h

高松駅発岡山行き4:36
日本観光_広島、姫路_1


厳島神社(いつくしまじんじゃ)
日本観光_厳島神社_1
引用

厳島神社  
1996年に登録された世界遺産(文化遺産)で、広島県廿日市市宮島町にある。瀬戸内海に浮かぶ宮島(別名厳島)は、日本三景の一つに数えられる。この神社は、平安時代末期、武士による新しい社会体制を築いた権力者、平清盛ゆかりの建物である。海の上に配置された建造物の多くが、13世紀までに再建されたものだが、創建時の様式が忠実に復元されており、平安時代の寝殿造りの特徴を顕著に表している。色鮮やかな朱塗りの社殿が海に向かって鳥が羽を広げるように伸び、本社本殿など37棟の建物が300mに及ぶ回廊で結ばれている。満潮時には大鳥居とともに海に浮かんで見える、世界でも類を見ない宗教施設であり、日本古来の精神性を伝える特異な建造物と景観が評価され、世界遺産に登録された。

広島に行く頃には雨が降っていた。

日本観光_広島、姫路_3

宮島に来るのは今回で3回目。

ぶっちゃけ宮島に来たかったわけではない。

タダで宮島に行けるというセコい性分と青春18きっぷでどこまで行けるか?という悪ノリ

フェリーに乗り、暫くすると見えてきた。

日本観光_広島、姫路_4_2

This is 宮島。宮島は正式名称を「厳島(いつくしま)」と言う。日本三景の一つでもあり、「安芸(あき)の宮島」とも呼ばれている。
日本観光_広島、姫路_5

宮島には鹿がいる。

雨が降っているせいか全く動かなかったので富士山の杖で突っついたが微動だにしない
日本観光_広島、姫路_6

海に沿って進んでいくと、
日本観光_広島、姫路_7

厳島神社が現れる
日本観光_広島、姫路_10

大鳥居。この鳥居は根本が海底に埋められているのではなく、鳥居の重みだけでそこに存在している。引き潮の時は近くまで行ける。
日本観光_広島、姫路_8 

本殿
日本観光_広島、姫路_17

日本観光_広島、姫路_13

日本観光_広島、姫路_19

平舞台。広さが553平方メートルもある寝殿造りの庭になる部分で、社殿の前に仮廊を設けたという記録が残っています。これが時期を限らずに、普段から設けられるようになっていきました。前の方には突きだした火焼前(ひたたき)と呼ばれる部分があり、菅絃祭の際に使用されます。239本もの赤間石が平舞台を支えています。
日本観光_広島、姫路_15

日本観光_広島、姫路_16

潮が満ちれば床近くまで水につかり、引けば高床式の様相を呈する厳島神社。平らな海底に置いた礎の上に、柱を設け、建物自体の重さで建っています。回廊の床板の隙間は高潮時に床下から押し上げてくる海水の浮力を弱め、床上の水を海へ返す役目を果たしています。

日本観光_広島、姫路_11

日本観光_広島、姫路_12


廻廊。幅が4メートル、長さが275メートルにも及びます。一直線に伸びた入塗りの廻廊は圧巻。
日本観光_広島、姫路_20

日本観光_広島、姫路_18

ボクの気持ち悪くない趣味の一つ、御朱印
日本観光_広島、姫路_14

厳島神社の後ろにある弥山(みせん)も世界遺産に含まれる。晴れていたら登ろうと思ったが、先日の富士登山の件もあるので大人しく諦めた。

宮島観光マップ

土産店の通りをぶらぶら。牡蛎クリームコロッケはうまかった。もみじ饅頭はもういいわ。
日本観光_広島、姫路_21

大しゃもじ。世界一とのこと。・・・何これ
日本観光_広島、姫路_23

同じ場所にまだいたんで、また杖で突っついてみたらメンチを切られた
日本観光_広島、姫路_25

宮島を後にし、広島市内に向かった。



原爆ドーム

“忘れてはいけない”を意する世界でも数少ない「負の世界遺産」。
原爆ドーム  
1996年に登録された日本の世界遺産(文化遺産)で、広島市中心部の元安川の川沿いにあり、川をはさんだ南側に平和記念公園がある。元は、チェコ人の建築家ヤン・レツルによって設計され、1915年に竣工された「広島県産業奨励館」の建物で、中央に高さ25mのドーム部がある、地上3階、地下1階のレンガ造り。ネオバロック風のモダンな建物だった。1945年8月6日の午前8時15分、この建物の南東上空約580mで原子爆弾が炸裂。建物はすさまじい熱線に包まれ、その直後に猛烈な爆風に襲われて一気に崩壊したとされる。わずかに、中央のドーム部分を中心とした外壁を残し、建物の本体部分はほぼ全壊した。現在、残った建物は人類史上初めて使用された核兵器による負の遺産で、人類の平和を願うシンボルとしての価値が評価され、世界遺産に登録された。

原爆がドームの上で爆発したので全壊しなかったと言われている
原爆ドーム_1
引用

日本観光_広島、姫路_28日本観光_広島、姫路_32

日本観光_広島、姫路_34

日本観光_広島、姫路_29

日本観光_広島、姫路_35

↓思いつきで書いています。面白くないので飛ばして頂いて結構です。

綺麗事を言うつもりはないが、原爆ドームを見ていると重苦しい気持ちになる。

もちろん当時の状況を想像してもあるが、このことをココに来ないと考えない自分に向けてもある。

正直、人間なんて自分の都合の良いように生きる生物と思っている。なぜなら知恵を持つから。

自分が満足すれば良いと思い、自分の考えが正しいと思っている。その究極が戦争だと思っている。

戦争なんてしない方がいいなんて、幼稚園児でも答えられる。

じゃあ戦争をしないようにするにはどうすればいいか。人間である以上無くならないと思う。

21世紀なのにまだ戦争が起こっている。30世紀になっても起こっていると思う。

じゃあどうすればいいのか。

発生数を抑える、被害を最小限にする・・・そうするためには・・・一個人で考えることではないよな。

そもそも答えなんてあるの?あったら毎日ニュースのトピックにならないし・・・

バカなボクには結論付けられない。

前述で人間は私利私欲の生き物と言ったが、世の中にはそうでない人もたくさんいる。

そんな人たちに憧れ、そんな人たちに少しでも近づきたいと思う。

そうすればさっきの結論を付けることができるかもしれない。

まぁとりあえず当分はクソのような自分で生きていくか。そして世界一周とかしながら徐々に変えていこう。


お好み村に目もくれず広島を後にし、姫路に向かった。
青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 広島駅 ⇒ 姫路駅 
    所要時間 : 約5h
    思い出 : “じゃけぇ”  広島弁懐かしい


姫路城(ひめじじょう)
姫路城_1
引用


姫路城
1993年に登録された日本の世界遺産(文化遺産)で、兵庫県姫路市にある城。別名、白鷺城(はくろじょう/しらさぎじょう)とも呼ばれる。16世紀後半に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)によって基礎が築かれ、17世紀初頭に現在の姿になった。1956年に始まった「昭和の大修理」を経て、往時の姿に最も近い状態に保たれた。現存する日本の城郭建築の最高傑作といわれ、平山城(ひらやまじろ)の典型で、天守をはじめ城郭の主要部分が完存している貴重な遺産である。五重7階の大天守と、東、西、乾(北西)の3つの小天守は渡櫓(わたりやぐら)で結ばれ、幾重にも連なる千鳥破風(はふ)や唐破風の屋根を頂く大天守と、白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)に仕上げられた外壁が、鮮やかな構成美を持っていることなど、芸術的な優美さと要塞としての機能性や保存状態が評価され、世界遺産に登録された。


現在は、「平成の大修理」をしている(工期は2015年3月まで)
姫路城_2
引用

姫路城_3
引用

姫路城に来るのは今回で2回目。

姫路駅を出ると大通りの奥に姫路城が見える。

姫路城よりも姫路が近代的になっていたことに驚いた
日本観光_広島、姫路_40

姫路城に着いたころには日が暮れていた
日本観光_広島、姫路_41

もちろんチケット売り場なんて開いていない
日本観光_広島、姫路_45

とりあえず一枚撮った
日本観光_広島、姫路_44

姫路城はついでで、本来の目的は姫路在住の旧友に会いに来た。

そして2010.07ロシア旅行のお土産で、旧友の奥さんの好きなマトリョーシカを渡しに来た。(3年越しにようやく)

日本観光_広島、姫路_48

旧友夫婦から世界一周の餞別を貰った。

ありがとうね  世界一周に持って行くよ

そして、大阪に戻った。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 姫路駅 ⇒ 大阪駅 
    所要時間 : 約1h


富士登山から始まり、瀬戸内国際芸術祭2013を楽しんで、広島に寄り道し、姫路で旧友に会った青春18きっぷの旅。

あ"ー疲れたー
日本観光_広島、姫路_43


まだ青春18きっぷの旅は続く・・・


あとがき
青春18きっぷの旅で、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと思っていたこと

“この棒、邪魔なんだなぁ”   と思ふ今日この頃でございます

富士山の金剛杖
日本観光_富士登山_40


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そうだ、瀬戸内国際芸術祭2013、行こう。③

まえがき
今回の内容でございます。
  • 瀬戸内国際芸術祭2013 3日目(小豆島、犬島、豊島)
  • 瀬戸内国際芸術祭のポイント

~続き~

瀬戸内国際芸術祭2013 3日目

3日目は現地に来てから行きたくなった小豆島と犬島に行くことにした。

3日目の経路(赤矢印)
瀬戸内国際芸術祭_島マップ_3日目

この日から台風の影響を受けて天候が不安定だった。

いつものように高松港に行き、小豆島行きの高速フェリーに乗った。

この時乗った高速フェリーがカッコよかった。梅宮辰夫がうっすら見えた。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_86

小豆島に行く目的は、ビートたけし作品を見るため。んーミーハーだねー。

高松港からビートたけし作品のある最寄りの坂手港への直通便はなく、手前の草壁港で下船して小豆島の島内バスで行く必要がある。

ビートたけしの作品は1回/hでXX:00から5分間だけ見ることができる

日本観光_瀬戸内国際芸術祭_92

高松港⇒草壁港(フェリー)、草壁港⇒坂手港(バス)のダイヤでは9:00の5分前に坂手港に到着予定だった。しかし、バスの乗車人数が多かったこともあり9:00ちょうどに到着した。

走ればまだ間に合うかもと急いでいたら案内人の方が笑顔で“ココから5分以上かかるから10:00にまたおいでー”と。

たしかに作品まではずっと坂で、急いでも5分以上かかった。(高松港から小豆島のビートたけし作品を9:00に見るには確率の低い賭けになると思います)

なので10:00まで坂手港周辺をぶらぶらした。

日本観光_瀬戸内国際芸術祭_91

スター・アンガー
坂手港の灯台跡地に巨大な立体作品を設置。太陽のような光り輝く球体の上に、水の神様である龍が鎮座し、叫びを上げる姿は会期中の坂手港のシンボル・モニュメントとなった。また、隣接するフェリー待合所の壁画も手がける。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_89

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日本観光_瀬戸内国際芸術祭_88

観光案内所で情報集めをしているうちに10:00前になった。

この右奥の井戸がビートたけし×ヤノベケンジ作品
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_94

ANGER from the Bottom
ビートたけしが構想したプランをヤノベケンジがアレンジして制作。島にある古井戸の底に潜む巨大な地霊的化け物が、時折現れて人々を脅かすという寓話的な彫刻作品だ。

イソップ童話「金の斧」がモチーフとなっている。手を滑らせて川に落とした斧が天使の頭に突き刺さってしまった。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_95



日本観光_瀬戸内国際芸術祭_96

ここから小豆島をバスで横断した。

坂手港から乗車し、小豆島名物の醤の郷エリアで下車した。

醤油の蔵屋敷。バスを降りてすぐに醤油の匂いがした。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_103日本観光_瀬戸内国際芸術祭_115

キッコーマン製造所と醤油博物館。学生の頃来た時、醤油ソフトクリームでブルーになったことを思い出した。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_105日本観光_瀬戸内国際芸術祭_104

醤油倉庫レジデンスプロジェクト
江戸末期創業の老舗醤油会社の倉庫を活用したプロジェクト。会期毎に加茂(春)、小山(夏)、鈴木(秋)の3名の作品を展示する。空間構成を織咲が担当。
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醤油の結晶
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小豆島町コミュニティアートプロジェクト
「アーティストをしのぐ作品を作ろう!」をスローガンに島民が力をあわせて作品を制作。醤油のたれ瓶(弁当用の小型容器)に多様な濃度の醤油を入れて並べる作品を発表する。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_106

最初見た時何か分からんかった。よーく見ると、
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弁当の醤油入れ
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_110

現地でこんなことしたり、コレをブログに載せようとするボク、痛いな~(言い訳ですが今、深夜です)
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_109

オリーブのリーゼント
オリーブにも似た顔型の白い立体に、「強さ」や「若さ」を感じさせるリーゼントのヘアスタイル。オリーブの木々の中にもモノクロの造形物が立ち現れることで、畑の中に異次元の世界が出現し、神々しいまでの空間が地域を象徴する場として生まれる。モノを介して、人と人を繋げるという、デザインの根源的役割を見つめなおした作品。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_113

ここから小豆島の最西の土庄(とのしょう)港まで一気にバスで移動した。

土庄港に到着したときには雨が降っていた。

太陽の贈り物
「オリーブの島」として親しまれているこの島の玄関口である港に、オリーブの葉を組んで王冠の形に仕立てた立体作品を設置。金色に光り輝く葉による円環からは海が眺められる。また、葉には島の子どもたちが寄せたメッセージが刻まれ、未来への夢を託す。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_117

日本観光_瀬戸内国際芸術祭_118

雨の中、犬島に向かった。

今回は小豆島の東部を中心に作品を見たが、北部、南部にも作品が集中している。ただバスで巡るには便数が少ないので1日では無理とのこと。もし1日で巡るとしたらレンタカーを勧められた。


犬島(いぬじま)
犬島に到着した時は雨はやんでいた
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_149

犬島は花崗岩の産出地で大きな岩があちこちで見られる
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_149_2

犬島精錬所美術館
犬島精練所美術館は、近代化産業遺産である銅製錬所の遺構を活用し、自然エネルギーやその土地にある素材を活かした三分一博志の建築と、三島由紀夫をモチーフとした柳幸典のアートワークで構成される。 「遺産、建築、 アート、 環境」 という要素を複合的に感じることができる美術館だ。 自然エネルギーである太陽熱、地熱をはじめ、犬島で採れる石やカラミレンガを使い、環境に負荷を与えないよう設計された空間のなかで、日本の近代化に警鐘を鳴らした三島を題材としたアート作品を展示。現代社会が失ったものを振り返り、これからの未来について大切なことは何かを考える きっかけとなる場所である。
犬島精錬所美術館_1
引用

ここから作品が開始
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_119

煉瓦の壁が続く
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_121日本観光_瀬戸内国際芸術祭_120

そして、美術館に入館する。予想以上によかった。

曲がり角に鏡が設置された迷路のような一本道が続く。何度も曲がっているのに前の景色は変わらない。前だけでなく後も見てほしい。

犬島精錬所美術館_4
引用

宙に物が浮かび時間が止まっているかのよう
犬島精錬所美術館_2
引用

犬島精錬所美術館_3
引用

中に三島由紀夫の作品の一説が文字のチェーンとしてぶら下がっている
犬島精錬所美術館_5
引用

美術館を出て、精錬所跡をぶらぶらする。

美術館の横の丘を登ると、
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_122日本観光_瀬戸内国際芸術祭_123

精錬所が一望できる。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_126日本観光_瀬戸内国際芸術祭_124

更に奥に進むと、
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_125日本観光_瀬戸内国際芸術祭_127

発電所跡がある。

日本観光_瀬戸内国際芸術祭_128


犬島「家プロジェクト」F邸/Biota (Fauna/Flora)
アートと建築が島の風景や生活、人々と一体となるよう、「桃源郷(アルカディア的な理想をこめた)」をテーマに展開される犬島「家プロジェクト」。本作品は、石の神様が祀られている神社に隣接する民家を解体、使える部分を利用してリノベーション。内部では、動物や植物を思わせる様々な形態、テクスチャーをもつ彫刻を坪庭を含む空間全体を使ってダイナミックに展開。犬島という場を背景に、新しい生のかたちを表現する。
犬島「家プロジェクト」F邸_1
引用

犬島「家プロジェクト」F邸_2
引用

このあたりから雨がどしゃ降りになってきた
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_131


太古の声を聴くように、昨日の声を聴く
石職人の家の跡に作品を展開。太古の記憶に反応するように、島内で探し集めた石や民家の梁、それらを配置した地面に、植物や小さな生き物などが描かれ、島民が描いたパーツも織り込まれる。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_132


犬島「家プロジェクト」S邸/コンタクトレンズ
アートと建築が島の風景や生活、人々と一体となるよう、「桃源郷(アルカディア的な理想をこめた)」をテーマに展開される犬島「家プロジェクト」。透明アクリルの壁が連なる「S邸」は、大きさや焦点が異なる円形レンズを設置。周りの景色の形や大きさが歪んで映し出される。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_133


犬島「家プロジェクト」A邸/リフレクトゥ
アートと建築が島の風景や生活、人々と一体となるよう、「桃源郷(アルカディア的な理想をこめた)」をテーマに展開される犬島「家プロジェクト」。円形で透明アクリルの「A邸」は、中に入ると作品と外の風景が眺められる。このギャラリーに、華やかな色の造花の花びらを貼り合わせた作品を展示。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_134

日本観光_瀬戸内国際芸術祭_136

雨が強くなってきたので雨宿りをすることにした。

中の谷東屋
アートと島めぐりの休憩所として親しまれている《中の谷東屋》。SANAA/妹島和世+西沢立衛が設計した“ラビットチェア“に座って声や音を発すると、こだまのように反響し、新鮮な体験ができる。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_137

こだまのように反響する設計になっているのが、
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_138

天井に無数の穴が開いている。芸術に雨宿りを邪魔された。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_139


犬島「家プロジェクト」C邸/The Master and the Slave:Inujima Monogatari
アートと建築が島の風景や生活、人々と一体となるよう、「桃源郷(アルカディア的な理想をこめた)」をテーマに展開される犬島「家プロジェクト」。「C邸」は瀬戸内海を望む坂道に位置する築200年の古民家を改修したギャラリーで映像作品を発表。かつての犬島の地場産業だった石切りを主題とし、実際の石切場を野球場に見立てるなど、島の風景や人々をいかした作品だ。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_140

中で作品が放映されている。
犬島「家プロジェクト」C邸_1
引用

建物の裏には作品で使用したバットがあった
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_141


犬島「家プロジェクト」I邸/Universal Reception/*Universal Wavelength/Prayer
アートと建築が島の風景や生活、人々と一体となるよう、「桃源郷(アルカディア的な理想をこめた)」をテーマに展開される犬島「家プロジェクト」。本作品は、木造平屋を改修した建物で、光をキーワードに水、音、植物などの要素を用いたインスタレーションを発表。サウンドアートユニット、Jue and Anoaによるサウンドインスタレーションにも注目したい。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_142

内観
犬島「家プロジェクト」I邸_1
引用

島をぐるっと一周しフェリー乗り場に戻った。(犬島は小さい島なので2時間もあれば全作品を見ることができます)

フェリーまで時間があったのでお茶処でぼーっとしていた。

お茶処が入った黒い建物
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_148

炭が壁に貼られている。壁にもたれると大変なことに。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_147


雨も止み、この旅最後となる豊島に向かった。


豊島(てしま)
2回目の訪問 (1回目は2日目)

あなたが愛するものは、あなたを泣かせもする(日本フランチャイズバージョン)
港に面した空家をレストランに改装。迷彩柄やストライプ、水玉などの模様が天井や床、壁、テーブルに施され、店内の空間がまるごと作品となっている。

日本観光_瀬戸内国際芸術祭_150

中で食事ができる
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_152

キッチンもこんな感じ。天気がいいと外で食事ができる。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_151日本観光_瀬戸内国際芸術祭_159

2階は水玉
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_153日本観光_瀬戸内国際芸術祭_154

この幾何学なデザインなんか好きだな~と思ったら、好きなブランドのボルコムのロゴマークに似ていた。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_160

この旅の鞄とロゴマーク
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_160_2ボルコムロゴマーク


豊島横尾館
家浦地区の集落にある民家を改修してつくられた、横尾忠則の美術館。三連の大作絵画「原始宇宙」をメインとした平面作品11点と、円塔の中や庭園に展開されるインスタレーション作品が敷地全体に拡がる。生と死をひとつのものとして考える場となる。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_165

豊島横尾館_3
引用

豊島横尾館_1
引用

豊島横尾館_2
引用

この後どうしようかと悩んでいると“写真撮りましょうか”と声を掛けられて撮ってもらった一枚。撮ってもらったねーちゃんのカメラが立派だったので写真好きかと推測するが、ボクから何もお願いしていないのにバランス良く撮れているいることに驚いた。これから写真を撮ってもらう時はカメラ好きな人にお願いしよう。お年寄りに頼むと“どこ撮ってんねん”的な写真やギャルに頼むと“テキトーじゃね?”的な写真が生まれる。それはそれで面白いけど。

日本観光_瀬戸内国際芸術祭_163_2


豊島で行きたかった作品がコレ↓

心臓音のアーカイブ
コンセプトは「世界中の人の心臓音が聴ける『図書館』」。クリスチャン・ボルタンスキーが制作した心臓音の鼓動に合わせて電球が明滅するインスタレーション空間「ハートルーム」と、人々の心臓音が聞ける「リスニングルーム」、心臓音を採録する「レコーディングルーム」で成り立つ。
心臓音のアーカイブ_1
引用
心臓音のアーカイブ_2
引用

豊島から高松港へのフェリー乗り場に行くと、前日同様、長蛇の列が。

係員が整理券を配ってくる。

またLUCKY TICKETだ
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_166

昨日と同じだし問題ないっしょ、と思うも念のため聞いてみた。

“これで帰れますよね?”


瀬戸内国際芸術祭2013の締めに(また)うどんを食べた。

「こんぴらや」 閉店間際に行った
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_172日本観光_瀬戸内国際芸術祭_173

ぶっかけ(中)300円ぐらい。有料と思われる梅干しを自由に取っていいと言われたので3つもらった。大阪人は遠慮を知らない。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_174


この日はホテルに泊まって翌早朝に広島に向かうことにした。



なんだかんだでほとんど待ち時間なく充実した時間を過ごせた。

次回は1つの島をゆっくりと見て回りたいと思う。

今回は芸術祭6島周遊乗船2日券を買ってしまったため元を取らねば(2往復するとお得と思い忙しくフェリーに乗ったが、高速フェリーに乗らず、美術館の待ち時間のリスクを考えると片道切符の方が自由で効率的に島を移動できる。(経済的にもほとんど変わらないと思う)

あと思いのほか観光する時間が短かった。

だいたい9:00~16:30に作品が開放されていて、帰りのフェリーの時間や島内、島間の移動を差し引くと5,6h/日の観光時間になった。

そういう意味でも直島や豊島、小豆島のような大きな島は丸1日使ってもよかった。

簡単にですが、今回の経験をもとにポイントをまとめましたのでご参考にでもどうぞ。次回は瀬戸内国際芸術祭2013は秋シーズン(10.05~11.04)です。

ポイントマーク+縮小+文字
    瀬戸内国際芸術祭を効率良く楽しむポイント

      ・作品観賞パスポート4,500円は買った方がいい
          前売り4,000円や全シーズン5,000円とかもある。
          このパスがあればほとんど無料で作品を見れるが、人気の美術館は
          半額(1,000円引き)になるだけで、なんだかんだと結構お金を使う。

      ・芸術祭6島周遊乗船2日券4,000円は買わなくてもよい
          だいたい2往復で元を取れますが、ゆっくり観光したい方は片道チケット
          の購入をお勧めします。今回のボクみたいに短期間で見たい作品だけ
          を巡るには便利かもしれません。なによりも購入日から2日間がネック。
          期間中の2日間ではないので注意。

      ・なにを見る、どうやって巡るは軽くガイドブックで予習し、詳細は現地で
          HPやガイドブックは概要だけです。現地には詳細な観光マップ、時刻表
          が各港、各島で配布されています。ボクは現地に行ってから知ったことも
          多くありましたし、案内所のスタッフから有力情報を多くもらいました。
          
      ・作品展示時間帯とバスの便数、帰りのフェリーを意識すること
          屋内展示作品はだいたい9:00~16:30。バスの便数はだいたい1便/h
         (人気の島は臨時便あり3便/h)。ぶっちゃけ田舎なので車、チャリンコ
          じゃないと待ち時間が増えると思います。夢中になって作品を見ていて
          帰りのフェリーに乗れず、別の港に行く羽目になった人がいるとか
          いないとか
          
      ・マスト作品とオススメ作品
          マスト作品は、直島の「地中美術館」、「ベネッセハウス・ミュージアム」、
          草間彌生のかぼちゃシリーズ、豊島の「豊島美術館」
          直島と豊島はどちらも丸一日でもいいと思います。
          オススメ作品は、直島の「李禹煥美術館」、「ANDO MUSEUM」、
          小豆島の醤の郷エリア、犬島の「犬島精錬所美術館」、男木島
          (小さい島に作品が密集している。島探索しながら見れる)
         
          まぁボク自身全作品見たわけでもないので説得力がないとは思いますが、
          ご参考になればこれ幸いでございます。

          



あとがき
“犬島には猫がたくさんいたなぁ”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
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そうだ、瀬戸内国際芸術祭2013、行こう。②

まえがき
今回の内容でございます。
  • 瀬戸内国際芸術祭2013 2日目(直島、豊島)

~続き~

瀬戸内国際芸術祭2013 2日目

せっかく香川県に来たので、朝飯にうどんを食べることにした。

「手打ちうどん さか枝」 早朝から開いているので新聞配達員もうどんを食べていた。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_48日本観光_瀬戸内国際芸術祭_50

かけうどん(中)にまるごと一本の竹輪の天ぷらをトッピングしても300円でお釣りがきた。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_49

うどん屋をはしごした。

「手打十段 うどんバカ一代」 サイン色紙がいっぱい。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_51日本観光_瀬戸内国際芸術祭_52

名物の窯バターうどん(中)500円ぐらい。バターと生卵と荒引き黒コショウを混ぜて食べる。うどん版カルボナーラーみたいな感じ。
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腹ごしらえを終えて、高松港のフェリー乗り場に向かった。

2日目はこの旅のメインとなる直島と豊島に行った。

2日目の経路(赤矢印)
瀬戸内国際芸術祭_島マップ_2日目 


直島(なおしま)
瀬戸内国際芸術祭より前からアートで有名な島。

学生時代から興味はあったが社会人になって機会がなく来れずじまいだった。そんなこともあってやっと来れたことに興奮していた。(うどんの食い過ぎで苦しかった訳ではない)

直島に到着してすぐチャリンコをレンタルし、人気No.1の地中美術館に向かった。

開館時間ちょうどぐらいに着いたのに、いきなり整理券が配布されていた。(人気スポットでは時間指定の整理券を持っていないと入場券が購入できないシステムになっている)

受け取った整理券は90分後に入館するものだった。(午後に地下美術館の待ち時間をみてみたら200分待ちとかなっていた。連休やお盆などのピーク時はもっとすごいんだろうな・・・)

待ち時間の間に他の美術館・作品を見ることにした。(地下美術館から近場の美術館への無料シャトルバスが出ている)


李禹煥美術館
李禹煥にとって初となる個人美術館。谷あいから海へとつながる地形を活かした安藤忠雄の設計による建物は、外部空間と地下に造られた内部空間とをゆるやかにつなぎ、「つくる」ことをぎりぎりまで抑え、最小限の要素で構成された李の作品と深く結びついた空間となっている。訪れてまず、18.5mのコンクリート柱のそびえる「柱の広場」に迎えられる。コンクリート壁のアプローチを通り、自然石と鉄板からなる彫刻を配した「照応の広場」を経て、1970年代から今日までの絵画、彫刻を収めた「出会いの間」へ至る。さらに「沈黙の間」、「影の間」、「瞑想の間」を巡ることで、鑑賞者は、作品と共にある「空間」そのものを感じ、深い思索の世界へと誘われる。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_54

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日本観光_瀬戸内国際芸術祭_56

入館の行列に並んでいる時“影”に目がいった。きっと光の屈折が計算された設計になっているのだろう。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_58

「出会いの間」絵画と彫刻の8作品が印象的に展示されている
李禹煥美術館_1
引用

「石の影」プロジェクターによる映像を石の影となる部分に美しく投影した作品
李禹煥美術館_2
引用

「沈黙の間」自然石と鉄板を配したインスタレーション。最小限のモノで造られた空間には静けさが漂う。
李禹煥美術館_3
引用


ベネッセハウス ミュージアム

安藤忠雄の設計で2006年にオープンした宿泊専用棟のベネッセハウス パークには、回廊や中庭など随所にアートが設置されている。宿泊者以外は、ツアーに参加することで鑑賞できる。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_59

ベネッセハウスミュージアム_6
引用

内観
ベネッセハウスミュージアム_1
引用

“LIVE AND DIE”のような○○AND○○のメッセージが1つ毎に点灯する
ベネッセハウスミュージアム_4
引用
ベネッセハウスミュージアム_5
引用

瀬戸内海の石でできたサークル。館内には木や泥でできたサークルがある。
ベネッセハウスミュージアム_3
引用

砂で出来た国旗。国旗間にパイプが繋がっていてアリが穴を掘り一つにしていく。
ベネッセハウスミュージアム_2
引用

そんなこんなしているうちに地中美術館の入場時間になった。

地中美術館
瀬戸内海の美しい風景を損なわないよう地中に埋設された安藤忠雄の建築に、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品が恒久設置されている。また、空間には自然光が注ぎ、時間帯や季節によってさまざまに表情を変え、何度足を運んでも新鮮な発見ができる。
地下美術館_11

外観、内観どこからみても魅了される空間設計。絶妙な加減で日光がコンクリ打ちっぱなしの中に差し込む。

地下美術館_1
引用

地下美術館_2
引用

地下美術館_6
引用

地下美術館_7
引用

「クロード・モネ・スペース」 真っ白の広い空間で自然光だけで「睡蓮」シリーズ5点を観賞する
地下美術館_5
引用

「アフラム、ペール・ブルー」 白い光がまるで立体のようにみえる
地下美術館_12
引用

「オープン・フィールド」 平面に見える青色箇所に入れる。TVに入る感じ。
地下美術館_4
引用

傾斜と光と色で目の錯覚が起きる不思議な空間が広がる
地下美術館_10
引用

そしてコレ↓がヤバかった。期待以上だった。

「タイム/タイムレス/ノー・タイム」 球体と金色の木彫を配した空間作品
地下美術館_9
引用

ゲームの世界のような非現実的な空間だった
地下美術館_8
引用

地中美術館を出て、豊島へのフェリーの時間に余裕がなかったが、どうしても見たかったベネッセハウス・ミュージアムの先の桟橋にある直島のシンボルを見ることにした。

地中美術館からつつじ荘行きの無料シャトルバスを乗った。

直島のシンボルの横をバスで通り過ぎる
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_65

地中美術館への戻りのシャトルバスは10分後。その次は30,40分後ぐらい。無駄な時間はないといわんばかりに皆ダッシュでシンボルに向かう。

シンボル、ちょー人気
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_64

直島のシンボル、草間彌生の「南瓜」 瀬戸内海に突き出した桟橋の上に立つ黄色いかぼちゃ
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_63_2

ベネッセハウス・ミュージアムから南瓜までのビーチにもたくさんの展示作品があった。時間があったらゆっくり歩いて見たかった。

大急ぎでシャトルバスに乗って地中美術館に戻り、チャリンコで古い街並みが残る本村(ほんむら)エリアに向かった。

夏の林の坂を疾走した。ゆずの「夏色」が頭に浮かんだ。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_66

本村エリアに到着して、真っ先にコレ↓に行った。

ANDO MUSEUM
約25年前から直島と関わり、数多くの美術施設を設計してきた安藤忠雄が、古い町並みの残る本村地区に建てたミュージアム。自身が取り組んできたプロジェクトや、直島の歴史を模型や写真で紹介する。その島の歴史を刻んだ街並みに配慮し、外観は古い民家の姿を残す。中はコンクリートの空間が広がり、建物そのものが作品となっている。傾斜した壁や円形の部屋、トップライトによる光の取り入れ方は安藤の今までの設計スタイルを凝縮している。直島では一貫して自然との共生をテーマに掲げてきた安藤が、歴史を見せるという新たなテーマに取り組んだもので、小さな空間に安藤建築の粋を集めたものとなっている。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_68

内観
ANDO MUSEUM_1
引用

安藤忠雄が手掛けた作品の模型や説明資料が数多くある
ANDO MUSEUM_3
引用

メモ書きも貴重な資料
ANDO MUSEUM_2
引用

満足して美術館から出たはいいもののココで傘入れに挿した富士山の杖を忘れてしまった。すぐに気が付いたが、あと少しダルさが上回っていたら取りに戻らずに放置するところだった。

家プロジェクト「角屋」Sea of Time 98ほか
現在も生活が営まれる地域で、古い家屋などを改修し、人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、家の空間そのものを作品化した「家プロジェクト」。本作品は、200年ほど前の家屋を改修した家プロジェクトの第1弾。外観は漆喰仕上げ、焼板、本瓦だが、中には125個のLEDデジタルカウンターが水面で明滅を繰り返す。
家プロジェクト「角屋」_1
引用

家プロジェクト「石橋」ザ・フォールズ/空(くう)の庭
現在も生活が営まれる地域で、古い家屋などを改修し、人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、家の空間そのものを作品化した「家プロジェクト」。本作品は、築約100年の民家の母屋と倉を改修。千住の長年のモチーフである滝を描いた大作《ザ・フォールズ》と、14面の襖絵《空の庭》が展示されている。後者は瀬戸内の風景に触発され、制作された。
家プロジェクト「石橋」ザ・フォールズ_2
引用

家プロジェクト「石橋」ザ・フォールズ_1
引用

家プロジェクト「はいしゃ」舌上夢 ボッコン覗
現在も生活が営まれる地域で、古い家屋などを改修し、人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、家の空間そのものを作品化した「家プロジェクト」。本作品は、かつて歯科医院兼住居だった建物を大竹伸朗がまるごと作品化。屋内外に多様なオブジェや廃材、看板、ネオン管などがコラージュされ、混沌とした空間をつくり出している。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_70

本村エリアで見れなくて残念だったのがコレ↓。

家プロジェクト「南寺」バックサイド・オブ・ザ・ムーン
現在も生活が営まれる地域で、古い家屋などを改修し、人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、家の空間そのものを作品化した「家プロジェクト」。本作品は、かつて寺だった場所に、安藤忠雄が建物を設計。中に入ると、しばらくは何も見えない真っ暗な闇だが、やがて作品の光をとらえることができる。
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120分待ちだった
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入港した宮浦港に戻り、チャリンコを返却してフェリーの出発時間まで港周辺をブラブラした。

I♥湯
実際に入浴できる美術施設。日本各地から様々なオブジェが集められ、大竹が得意とするスクラップブックの手法が余すことなく発揮されている。船底やコックピット、秘宝館から持ち込んだ小象、屋上の松の植栽など、外観から内装まで、徹底して「飽きさせない」というテーマが反映されている。
I♥湯

入ってはいないが中はこんなんみたい
I♥湯_2
引用

「BUNRAKU PUPPET」 島の伝統芸能である女文楽の人形の動きを表現した作品
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「SANAAデザインのイス」 意外に座り心地がいい
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草間彌生の「赤かぼちゃ」 
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中は結構広い
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_73_2


そして豊島に向かった。


豊島(てしま)
到着したのが15時頃。時間があるように思えるが島内の移動と16:30頃に閉館することを考えると全く時間がない。

それでも豊島に来たのはコレ↓のため。コレ↓だけのために来た。

豊島美術館
2010年秋、建築家・西沢立衛とアーティスト・内藤礼により唐櫃に誕生した美術館。瀬戸内海を望む豊島の小高い丘の中腹に立地。周囲には美術館建設を機に地元住民が中心となって再生した棚田が広がり、自然と建築、アートが融和した美しい環境をつくりだしている。内部空間では、床のいたるところから水が湧きだし、一日を通して「泉」が誕生する作品《母型》が展開される。
豊島美術館_1
引用

ぐるりと一周して美術館の中へ
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広さ40m×60m、高さ4.5mの空間に柱が一本もない
豊島美術館_2
引用

天井の開口部から外の自然を取り込む
豊島美術館_3
引用

いくつもの水が床から湧き出し、合体して泉を形作る。地面は少し勾配があって水が動きだす。
豊島美術館_4
引用

空間がそうさせるのか、ゆっくりとした水の動きがそうさせるのか、時間がゆっくり流れる感じがした。

ただ、調子にのっていると靴下が濡れてしまうのでご注意を。

バスの時間まで併設するカフェでぼーっとした
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豊島から高松港に帰るフェリー乗り場にて、出発30分前にも関わらず200人ぐらいの行列が出来ていた。

チケットは中で購入するのでまだ先の先
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今並んでいるのは豊島から高松港への最終便フェリー。これに乗れないと当日には高島港に戻れない(小豆島からぐるっと回れば夜には帰れる?)

フェリーの定員は70名とパンフレットに記載されている。並んでいる観光客もざわざわしている。とはいえさすがに帰れるでしょと根拠のない自信を持って並んでいた。

暫くするとフェリーの係員が整理券を配布しに来た。

いつもは“整理券”と書かれたチケットを貰いフェリーの席を確保するのだが、この時はコレ↓が渡された。

LUCKY TICKETってなんやねん!!ラッキー?運?運なの?ビンゴか何かで決めちゃうの?
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_82

さすがに不安になって“これで帰れるんですよね?”と確認した。


高松港に戻り、この日3食目のうどんを食べた。

「うどん市場」 クタクタだったのでホテルの近くの店を選んだ
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_85日本観光_瀬戸内国際芸術祭_84

かぼすうどん(中)500円ぐらい。セルフサービスの店では生姜を何杯もいれる。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_83

ホテルに戻って気が付いたが、富士山の杖をこの店に忘れてしまった(この日2回目)。

夫婦喧嘩ではないが、杖に苛立ちを覚え、すこし距離を置くため翌日に取りに行くことにした。


~続く~

あとがき
香川のうどんを食べていつも思うこと

“テーブルマーク(旧加ト吉)の冷凍うどんのクオリティ、ハンパねぇ”   と思ふ今日この頃でございます

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そうだ、瀬戸内国際芸術祭2013、行こう。①

まえがき
今回の内容でございます。
  • 瀬戸内国際芸術祭2013 旅行計画
  • 瀬戸内国際芸術祭2013 1日目(女木島、男木島)

青春18きっぷを使って、瀬戸内国際芸術祭2013に行ってきた。

瀬戸内国際芸術祭とは、2010年から始まり3年に1度瀬戸内海の島々で開催される芸術祭。2013年は、季節の移り変わりを楽しみ、ゆったりした気持ちで島々を巡ることができるよう、春、夏、秋の3シーズンに分けて開催されている。

訪れた観光スポット(赤丸箇所)
香川県観光マップ_2

瀬戸内国際芸術祭2013のホームページや公式ガイドブックから以下のポイントで旅行計画をした。
  1. 高松を拠点にする (宿泊施設や交通の利便性を重視した)
  2. 観たい作品に絞る (各島の作品を全て観るとなると最低1週間は必要)
  3. フェリーの時刻表からざっくりとしたルートを決める (詳細は現地や当日に決めた方がいい。現地ではHPやガイドブックよりも分かりやすい地図や時刻表が配布されている。何よりも案内所で確認した方が確実で手っ取り早い。)

旅程は友人との兼ね合いもあってがっつりとは決めず流動的に計画することにした。
結果は、2泊3日の予定だったが観たい作品が増えて3泊4日になった。(富士山から直行し高松駅に深夜に到着したので高松には結局4泊した)

瀬戸内国際芸術祭では岡山県の宇野港か香川県の高松港からフェリーで島々を巡ることになる。ボクは宿泊施設が充実していた高松港を拠点とした。どちらの港にも展示作品があるので両方行ったり、夜に屋外展示作品を見るのであれば島に泊るのもいいと思う。

瀬戸内国際芸術祭_全国マップ_2

作品が展示されている瀬戸内海の島は12ほどあり大きく東側と西側に分かれている。ボクは有名所が集まる東側の島々を中心に巡ることにした。当初は直島豊島を巡り、空いた時間に他の島を巡ろうと思っていたが、見たい作品が増えたのとフェリーと島内バスの時刻表と展示時間(大体9:00~16:30)の都合で日程を1日増やして、女木島男木島小豆島犬島を巡ることにした。

瀬戸内海(東側)の島々
瀬戸内国際芸術祭_島マップ_2

瀬戸内海の西側の島々にもたくさんの作品が展示されている。西側では芸術祭の期間や季節限定の作品やグルメが多いように思えた。高松を拠点にするにはアクセスが厳しかったので今回はどの島にも行っていない。次回の瀬戸内国際芸術祭はこの西側の島々を中心に巡りたいと思う。

瀬戸内海(西側)の島々
瀬戸内国際芸術祭_島マップ2




高松駅には23時過ぎに到着した。
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ホテルに行く途中、東横インの「お遍路さんプラン」というものを見つけた。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_175

富士山を下山した後、コンビニで登山グッズを自宅に郵送する際、金剛杖を含めると料金が増したので(長さ分増えた)、ケチって杖を持ち歩いていた。

日本観光_富士登山_40

そんな姿で高松を歩いているとよくお遍路さんに間違われたのでお遍路さんとして東横インに宿泊できたかも。でもお遍路さんは連泊しないよね。しょーもないことしてバレた時の苦笑いを考えたら止めてよかったと思う。

富士登山で睡眠不足と体が疲弊していたので、翌日は休息日として1日中休むことにした。(のハズだったが・・・)



瀬戸内国際芸術祭2013 1日目

この日は休息日として1日ホテルにいる予定だった。

が、10時間がっつり寝たら元気になったので昼から観光することにした。

瀬戸内国際芸術祭を観光するにあたり、期間中に島々のどの作品で1度使用できる(無料・割引)作品観賞パスポートと特定の島を巡るフェリーと高速船を2日間だけ乗れる芸術祭6島周遊乗船2日券を購入した。

作品もフェリーも単体、片道でチケットを購入することができる。パスポートはお得だが、乗船2日券はそんなにお得でもないし、経路や期間(購入日から2日)に限りがあるので購入しなくてもよかった。(高速フェリーを使わずとも島々を効率よく巡回できるし、期間中の2日だったらよかった)

左)作品観賞パスポート4,500円  右)乗船2日券4,000円
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_177

各作品の傍にシャチハタがありスタンプラリーのように作品観賞パスポートに押して集めていく。係りの人に押してもらうと思っていたが、無人の作品でもシャチハタがあることに後々気付く。そこから面倒になってほとんど押してはいないが、それでも3日巡って一部の作品しか見れなかった。

日本観光_瀬戸内国際芸術祭_178

昼から観光するとはいえ、展示作品はだいたい16:30に閉まり、小さい島のフェリーは夕方にはなくなる。

ということで案内所で相談して、1日目は小さい島で高松港から近い女木島男木島を巡ることにした。

1日目の経路(赤矢印)
瀬戸内国際芸術祭_島マップ_1日目

高松港のフェリー乗り場
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高松港にも作品がある。

Liminal Air -core-
高松港に、高さ約8メートルもの2本のカラフルな柱が立っている。その一部は鏡となっていて、周囲の光景を映し、見る位置や時間帯、状況に応じてさまざまな表情を見せる。
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んおめ号で女木島に向かう
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女木島(めぎしま)

女木島は鬼ヶ島とも呼ばれている。

女木島に到着。奥の燈台には、
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鬼が見張りをしている。
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さっそく港で作品が見れた。
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カモメの駐車場
港にずらりと並んだ約300羽のカモメは、風が吹くといっせいに方向を変える。風の流れとカモメの群れの習性を視覚化した作品
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20世紀の回想
グランドピアノとその上に立つ4本の帆で構成されたインスタレーション。ピアノから音楽が流れ、すぐそばに広がる海の波の音と呼応して旋律を奏でる。
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鬼ヶ島というだけあって鬼の洞窟がある(鬼の洞窟は山の上にあるのでバスで行った方がいいです)
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外は猛暑なのに洞窟は冷蔵庫のように涼しい
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鬼の洞窟の中にも作品がある。(既存の観光名所に展示している作品も多数ある)

カタツムリの軌跡

鬼の洞窟のなかで3つの映像作品を発表。いずれもカタツムリが題材で、円筒型のスクリーンにカタツムリの軌跡が回転するアニメーションなどが上映される。
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オニノコ 瓦プロジェクト
香川県の伝統工芸品のひとつ、鬼瓦(讃岐装飾瓦)。この鬼瓦の制作に県内の中学生約3000人が挑み、鬼の洞窟のなかとその周辺に展示する。
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鬼もあちこちにいる
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とりあえず鬼の大将に挑んでみた
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最後に握手して、バイバイ
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鬼の洞窟の上にちょっとした展望台がある。

奥に見えるのが高松港。女木島はフェリーで15分ぐらい。
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当日は猛暑。お盆が過ぎたら涼しくなるんじゃなかったっけ?
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こんな感じで女木島を後にした
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男木島(おぎしま)
今回巡った中で最も島民の生活を感じ取れた島。瀬戸内海の港町だけに尾道のような景色や猫をあちこちで見れた。

男木島に到着。早速作品が登場。
日本観光_瀬戸内国際芸術祭_31

男木島の魂
港のそばにあり、巨大ゲートのような空間。屋根には日本語やアラビア語、ヘブライ語、中国語などのさまざまな文字が組み合わされ、世界の多様さを現すとともに、日中はその影が地面に映る。そして夜は空に向かって光が投射する光景が広がる。

コレ観光案内所なんだよね
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全ての島に画像右のような青白の案内標識がある。これがないとすぐ迷子になる。
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タイム・チューブ-ときまきつつの家
新聞や雑誌を巻き、筒状のオブジェを数多く制作し、古民家に展示。島民をはじめ大勢の人たちを巻き込んで取り組むプロジェクトだ。
タイム・チューブ-ときまき つつ の家

男木島 路地壁画プロジェクト wallalley
島巡りをしていると、集落のあちらこちらでカラフルな壁画に出くわす。島で集めた廃材などに風景のシルエットを描き、民家の外壁に設置した作品は、もはや島の景観の一部だ。
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オルガン
男木島の路地に、パイプを配管。望遠鏡や潜望鏡が組み込まれたパイプをのぞくと、海の眺めが現れたり、ハーモニカや風、人の会話などが聞こえたりといった楽しい体験ができる。
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記憶のボトル
男木島の記憶をボトルに封入し、小さなあかりをともすインスタレーション。びんの中には、作家が島で見つけたものや島の人の生活の思い出が入っている。約1000本もの記憶に光がともされ蔵に展示される。

この蔵の中に入ると
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梁に絡みながら空間いっぱいに作品が展示されている
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写真や生活用品、フィギュアなどが入っている
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SEA VINE
海が見える窓から、室内に波が入ってくるかのような光景を表現するインスタレーション。磁器製のつるが室内にはり巡らされ、うねった形は波のようにも、風のようにも見える。

窓からの景色が素敵だった
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男木島の夕方。ここでタイムアップ。
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時間があれば学校で展示された作品を見たかった。
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日本観光_男木島_1日本観光_男木島_4


~続く~

あとがき
2013.05に運転免許合宿で香川県多度津に行った(詳しくはコチラ)。最寄りの多度津駅によくカラフルな列車が停まっていて、なんだろうなと思ってはいたが後になって瀬戸内国際芸術祭の作品の一つだと知った。乗れば良かった~

アラーキー列車
JR予讃線と土讃線を走る列車の車体をラッピングし、アラーキー列車として運行する。高松から今回新しく加わった西の島々に向かって、アラーキー列車で移動するのもおすすめだ。
日本観光_アラーキー列車

“というか香川県にこんなに早く戻ってくるとは・・・”   と思ふ今日この頃でございます

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| 日本 | 19:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

そうだ、富士山、行こう。

まえがき
今回の内容でございます。
  • 富士登山

世界一周を決することにした年に世界遺産に登録された富士山に一方的な運命を感じ、御来光を見に富士登山をすることにした。
(ちなみに前日には24時間テレビでイモト達が富士登山していた)

訪れた観光スポット(赤丸箇所)
静岡県観光マップ_2

富士登山には4つのルートがあって多くの人は関西側にある車で五合目まで行ける富士宮口ルートか関東側にある初心者向けの吉田ルートを選ぶかと。

今回は関西から青春18きっぷを使用するので、富士宮口ルート登ることにした。

富士宮ルート (距離:5km  登り5時間  下り3.5時間)
富士宮口ルート

富士登山をするのは今回で2回目。1回目は2005年8月末に登った。

1回目も富士宮口ルートを選んだ。当時はマイカー規制がなく5合目まで車で行けた。
(そういえば1回目の時は、東京からレンタカーで5合目まで行き、御来光を見て、下山後に富士山周辺を観光して、レンタカーで東京まで運転した。36時間寝ずに富士登山と運転。若いな~)

“日本人なら一度は”と軽い気持ちで行ったが、予想以上の御来光の素晴らしさに感動したのを覚えている。

御来光の直前
日本観光_富士登山_1

御来光
日本観光_富士登山_2

日本観光_富士登山_3

下に雲があって天国みたい。まさにこの世のものとは思えない景色。
日本観光_富士登山_5

絵になるねー
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ボクの気持ち悪い趣味の一つ
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太陽が上まで登ると富士五湖が見え始める
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頂上でしか買えない頂上到達の烙印が押された金剛杖を記念に買った。頂上到達する毎に杖の空きスペースに烙印を押していく。今回の富士登山でも持参した。

日本観光_富士登山_40日本観光_富士登山_41

頂上は風が強くて寒い。山小屋であたたかいコーヒーを飲みたかったが500円の価格に手が出せなかった。この時、“次ココに来た時は躊躇なく飲めるように仕事を頑張ろう”と心に誓った。

あれから8年。

青春18きっぷを使って富士宮口ルートの拠点となる富士宮駅に向かった。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 大阪駅 ⇒ 富士宮駅 
    所要時間 : 約7.5h


17:00
静岡駅に寄り道して、ようやく富士宮駅に到着。

「祝!!世界遺産」の文字がそこらじゅうに
日本観光_富士登山_9

富士登山のスケジュールは天気予報と富士登山後の予定を考慮して決めた。直前の天気予報では夜中の0~3時が「雨」で、それ以外の時間帯は「曇り」だった。雨の3時間は山小屋で凌ぐか、強行突破して雲を突っ切ようと思っていた。(←この考えが甘かった)

富士宮駅周辺は晴れていたが、富士山には雲がかかっていた。

駅からの富士山(登山前)
日本観光_富士登山_8


18:20

シャトルバスで富士宮駅からで5合目まで移動。

往復3,000円 。最終は18:20発19:10到着。
日本観光_富士登山_10

5合目に到着するとすっかり夜になっていた。肝心の天気はというと富士宮の街の夜景が見えるほど晴れていた。

出発まで土産物売り場で暇つぶしをした。

目を引いたのがコレ↓

記念メダル600円
日本観光_富士登山_11

4種類の中から好きなコインを選び、日付と名前を入れる。

世界遺産タイプよりも登録年の2013タイプにした。名前の刻印はブログ名の「CHUPA TRIP」。
日本観光_富士登山_42日本観光_富士登山_43

外に出ると小雨が降っていた。

辺りを見回していると天候以外に前回に登った時と大きく違うことがあった。前回も同じ時期(ピークを過ぎた8月末の平日)に来たが登山者は500人ぐらいはいた。今回は20名ほど。フル装備の登山家ガイドと団体客、ノリノリの外国人ぐらい。

明らかに人が少ない。

そう思っていると段々と雨が強くなっていった。

とはいえ、ここまできて何もせずに帰れるかと思い登山することにした。そもそも5合目から帰る手段がタクシー以外になかった。(5合目から富士宮駅までタクシー代1.2万円。5合目からのシャトルバスの始発は9:30。)

とりあえず雨脚が弱まることを祈った。


20:50
余裕を見て少し早めに出発することにした。

出発前に前回と同じようにQueenの「We Will Rock You」を聞いた。


ズッズッチャ、ズッズッチャ♪ 前奏だけで気分がアガる。今回はライブヴァージョン。
日本観光_富士登山_12


21:00 (富士宮口五合目)
富士宮口ルート_5合目


それでは出発
  

よーし登ってやるぞー

出発地点の5合目は標高2,400m。既に半袖ではいられない寒さ。
日本観光_富士登山_14


21:30 (六合目)
富士宮口ルート_6合目

まだ前回の懐かしさを楽しめるぐらい余裕がある。このあたりからフラットの砂利はなくなりゴツゴツした崖を登るような感じになる。

人が少ないせいか周りのどこを見ても真っ暗。フラッシュなし↓
日本観光_富士登山_13

次第にだんだんと風が強くなり、横殴りの雨になってきた。フラッシュあり↓
日本観光_富士登山_17


23:00 (新七合目)
富士宮口ルート_新7合目

雨風で靴がビチョビチョ。しかも安物のレインコートでは防ぎきれず、若干服も濡れた。

休憩するといっても山小屋は閉まっていて、数十センチの山小屋の屋根で防げるものはなくビチョビチョになりながら足だけを休めていた。

水分補給のため鞄から水を取り出そうとしたその時、

アッ!!

手袋が水たまりに落ちて中までビチョビチョになってしまった。

日本観光_富士登山_15

3秒考えて出した結論・・・


登るのやーめた

下山することにした。せっかくここまで来たこともあったが下山後の予定や無理をすることにメリットが無かったので富士登山を諦めた。1度登った経験が即決させた。というか雨風の登山は危険だ。正直なめていた。

せめてもの強がりで撮った一枚。タイトル「今日はいい天気だ」
日本観光_富士登山_16


24:00
1時間かけて出発地点の富士宮口5合目まで戻った。

戻ったはいいもののここからが大変だった。

まずは寒気。
登山で濡れた体が風で冷やされ体温と体力をどんどん奪っていく。

次に眠気。
朝から仮眠も取らず登山で体力を消耗した状態。ただ待つということがこの上なく眠くさせる。

次に休む場所。
12時頃に土産物店が閉まり、自動販売機が休止する。なんとか土産物店の軒先で雨を凌げたものの風はもろに受け、暖をとるどころではなかった。もちろん寝たら死んでしまう(かも)。

続々と下山者が現れる。

ここ5合目からタクシーで富士宮駅までは1.2万円。他の下山者と相乗りしてタクシー代を抑えようとするも、皆、富士宮駅と逆方向。

ボク以外はタクシーに乗って行った。

5合目から富士宮駅のシャトルバス往復チケットを購入していたので、始発の9:30まで5合目で頑張ることにした。

どう頑張るか考えていた時、雨がおさまるのを待っていた大学生カップルがいたので声を掛けた。

共通の話題も多く、談話に付き合ってくれたおかげで眠気を抑えることができた。

そして何より「寒い」「ヤバイ」を連呼しているボクにカイロをくれた。

3つもくれた。プリティーな豚さんカイロなんでイチゴの香りとかしちゃうし。マジ感謝です!!!
日本観光_富士登山_22


3:00
雨がおさまってきて大学生カップルは富士登山に向かった。

1人になったボクは、無駄に体を動かしたり自動販売機に抱きついたりして寒さを凌ぎ、独り言で眠気と戦った。

この2時間は辛かった~


5:00
日の出の時刻になった。

「今頃は頂上で御来光を見ていたんだろうな~」と思うよりも、「御来光とかいいから早く太陽が上がって気温を上げてくれ」と思っていた。

濃霧で目の前の富士山が見えない
日本観光_富士登山_18

やっとのことで開いた土産物店で買う気のない品々を何周も見回って暖をとった。

やっとのことで販売再開した自動販売機で買ったコーンポタージュ2本を瞬殺して暖をとった。


6:00
この頃には霧が晴れて富士山が現れた。

この晴れた空を見て“遅いねん!”とツッコんだ
日本観光_富士登山_19

土産物店内の食堂が開店し、食事をして体を休めた。

カップヌードル300円。800円のうどんには手が出せなかった。
日本観光_富士登山_20

登山で食べる予定だったカントリーマームとコーヒー味ピーナッツ。頂上で食べたかった。
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下山後に聞く予定だったQueenの「We are the Champions」。今回はチャンピオンどころか不戦敗だ。
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駆けて下山する時に聞く予定だったQueenの「Bicycle Race」も聞いた。
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9:30
富士宮駅行きのシャトルバスに乗るころには、また曇ってきた。山の天気と女の気持ちは何とやらです。

日本観光_富士登山_25


10:30
富士宮駅に到着し、このまま富士山を離れるのもなんだかなと思い、駅近くにある富士山を御神体とする「浅間(せんげん)大社の本宮」に行った。

浅間大社は麓の「本宮」と富士山山頂にある「奥宮」がある。

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桜門
日本観光_富士登山_36

慶長9年(1604)徳川家康が奉賽のために造営した
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湧玉池。この池の水は富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間を通り湧出するもので特別天然記念物に指定されている。
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ボクの気持ち悪くない趣味の一つ、御朱印。本当は山頂の奥宮でやりたかった。
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11:30
下山後の富士宮はアホみたいに晴れていた。すぐに半袖になったぐらい暑い。さっきまで防寒具を着て寒さで震えていたのに。

登山前と同じところで富士山を見ると、登山前より雲で覆われていた。

駅からの富士山(下山後) 富士山が全く見えない
日本観光_富士登山_37

一泊して再チャレンジも考えたが、どの道ダメなような気がして今回の富士登山を終了した。


ポイントマーク+縮小+文字
    富士登山のポイント(富士宮口ルートで御来光を見る場合)

      ・雨の富士登山は避けるべき。風が強ければなおさら。
          万全の装備でも雨風の富士登山は想像以上に厳しいです。
          根性ではどうにもなりませんでした。折角ここまでに来てと思う
          かもしれませんが途中で下山するくらいなら翌日にチャレンジ
          することを推奨します。

      ・AEON(イオン)で準備
          富士宮駅の近くにイオンがあります。そこでいろいろ調達しました。
          皮肉なことに登山中は雨が降っていたせいで水には困りませんでした。
          5合目の土産物店には何でもありますが何でも高いです。

    ※後はガイドブックを見てね。富士登山は究極の参拝どぇす。

   


予定ではこのまま大阪に戻ってから瀬戸内国際芸術祭2013に行く予定だったが、なんだかな~的な不完全燃焼の気分だったので富士山から直接、瀬戸内国際芸術祭2013の拠点とした香川県高松駅に向かった。

青春18きっぷを使用した場合
    経路 : 富士宮駅 ⇒ 高松駅 
    所要時間 : 約11h

    思い出 : 兵庫から岡山の道中、電車が鹿と激突して安全確認のため20分ほど
               電車が途中停車した。結果、高松駅には1時間遅れで到着した。
               田舎ハンパねー


乗り換えの時、駅弁よりもコレ↓に目がいった。

関西人のソウルフードの菓子パン「サンミー」。線描きチョコ・ビスケット生地・クリームの3つの味が楽しめる、三味から名付けられている。
日本観光_富士登山_38

学生の頃よく食べていた。懐かし~。てゆうか「関西ソウルフード」、「ミックスジュース」、「赤井英和」ってローカル色強すぎやろ!この詰め込み過ぎな感じ大阪っぽいな~。

あとがき
深夜に富士山5合目で談話した大学生カップルとの共通点の一つに“写真部”があり、「妄撮」から始まり、いつもまにかフェチ写真集の話に。

「びしょびじょ」 トコロかまわずびしょ濡れな写真集
びしょびじょ

「パイスラッシュ」 女性がタスキ掛けをしている写真集
パイスラッシュ

「はさみっこ」 文房具、家電、遊具、食べ物などなど、様々なものをオツパイに挟んだ写真集
はさみっこ


“この話をしている時は目が覚め、そして体が温またんだなぁ”   と思ふ今日この頃でございます

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青春18きっぷを使ってみた 2013夏

まえがき
今回の内容でございます。
  • 青春18きっぷ

「青春18きっぷ」を初めて使った。

青春18きっぷ(せいしゅんじゅうはちきっぷ)とは、JR線限定で11,500円で5日(人)分の乗り放題チケット。1日(人)当り約2,300円なので時間に自由がある場合はすごくお得。乗り放題とはいえいくつか制約があり、利用期間(3月1日~4月10日、7月20日~9月10日、12月10日~1月10日)や普通・快速列車のみなどがある。

前々から耳にはしたことはあったけど、内容はよく知らなかった。

8月末に、瀬戸内海の島々で実施される「瀬戸内国際芸術祭2013」と兵庫県姫路の旧友に会いに行く予定があり、安く行く方法を検索していたら青春18きっぷがヒットした。

青春18きっぷ、

名前からしててっきり学生限定のチケットと思っていた。

青春18きっぷは、年齢制限がありません。オッサンでも購入できます

(この話を友人にしたら“今頃何をゆーてんの?”と言われた)

瀬戸内国際芸術祭と姫路に行くだけでは5回分を使いきれなかったので、これも何かの縁ということで自身の世界一周を決意した2013年に世界遺産に登録された「富士山」も行き先に含めた。

そして昨日、大阪に戻ってきた。

青春18きっぷ。駅員に渡して日付印を押してもらう。下図は3日分を使ったことになる。
青春18きっぷ_1_1

予定では、大阪⇔富士山と大阪⇒瀬戸内国際芸術祭2013⇒姫路⇒大阪で5回分を使うはずだった。

予定は予定。

いろいろあって(詳細は別途ブログで)以下のルートで3回分を使った。

青春18きっぷルート_1

乗車時間10h、乗り換え回数5回も徐々に慣れていき、後半はほとんど苦を感じなかった。

電車の中では、海外旅行での移動中によくやっているPCやDVD、TV録画を見ていた。

ずっと乗っていると何県も越えていくので気分は桃鉄。

桃鉄_1

あっという間に6日間が過ぎ、帰路で残り2回分をどこで使うか考えていた。

ボクが購入した夏季の青春18きっぷの使用期限は9/10まで。

また、夏季の青春18きっぷの販売期間は8/31まで。

(明日が9/1だから、10日で2回分を使えばいいか)
(追加で青春18きっぷを購入すると10日で7回分だから使いきれないだろうな)

など考えていると、家の最寄り駅に到着した。

到着した日時、8/31 23:50

あと、10分で青春18きっぷを購入できなくなる。

(購入しても使いきれないかもしれないし、世界一周の準備をする必要もあるし・・・)

駅の改札で多くの人が横切る中、こんな葛藤をしていた。



世界一周で心掛けようとしていたこと、

“迷ったらやってみよう

後悔したくなかったので、販売期限5分前に青春18きっぷを追加で購入した。

青春18きっぷ_2_1

こうやってブログを更新している間も時は過ぎていく。

9/2~9/10の9日間で7日分を使う・・・・

・・・・オレは何処に向かっているんだ?

あとがき
電車の向かい合わせのボックス席で鉄道オタクと雑談した。

(鉄オ)こんな路線を各駅で乗っているのって地元住人か18キッパーのどちらかですよねー
(鉄オ)自由な鉄道の旅をしたい人は18キッパーになればいいんですよねー
(鉄オ)・・・18キッパー・・・


“「18キッパー」って聞くたびに耳がピクンとしていたなぁ”   と思ふ今日この頃でございます


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【渡航歴】中国②

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2012.04 中国旅行記

~続き~


上海/Shanghai
上海では電気バイクがよく走っていた。電気バイクのエンジン音は小さく、車の騒音に消されてしまいほとんど聞こえない。しかも歩道もスピード上げて走行する。夜になると突然現れるのでびっくりする。てか、ちゃんと車道を走ってくれよ。

観光名所
渡航歴_中国_上海まとめ
引用


外灘 (バンド)

中国の上海市の中心部で、同市街を流れる黄浦江(こうほこう)の西岸地区。ここは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、租界(そかい)が置かれたところで、当時のレンガ造りの洋風建築が残る、異国情緒あふれるエリアになっている。

外灘遊歩道。
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名前は「金融牛」。作者はアメリカの彫刻家、アルトゥーロ・ディ・モディカ氏。アメリカのウォール街にも同じ彫刻がある。
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外灘ビルを探訪した。
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夜の方が異国情緒が漂う。
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パノラマ
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遊覧船に乗って上海クルーズをした。
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パノラマ
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東方明珠塔。高さ468mのテレビ塔、アジアで1番、世界でも3番目に高い高層建築。
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外灘観光隧道。外灘と東方明珠塔のある浦東エリアを結ぶ地下トンネル。
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ガイドブックに注目の観光名所として取り上げられ、TVでも綺麗で楽しい電車として度々紹介されているが、実際見てみたら安っぽくて、単調で、文化祭のようなノリで、全く楽しくなかった。往復チケットを購入したが、帰りが退屈でしょうがなかった。オススメしない。
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豫園商城。豫園に行く道の途中にある上海城の城下町を再現したショッピングストリート。
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夜になると雰囲気がガラリと変わる。上海は夜に観光するのがいいかも。

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パノラマ
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南翔饅頭店。豫園商城にある上海小龍包の名店。
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箸でつまむとスープがタプタプと音を立てる。
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豫園
中国の上海市南東部にあり、明・清時代の庭園建築の特徴がある名園。四川省の役人だった潘允端が、両親のために18年の歳月をかけて造った私庭で、江南の有名な庭園の一つである。面積は約2万m2で、「豫悦老親(親戚たちと愉快に楽しく)」という言葉から名づけられた

入口を入ると、三穂堂の前に元国家首席の江沢民が訪れた際の書で「海上名園」と書かれた岩がある。
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三穂堂。「三稲」は中国語で豊作を意味する演技の良い言葉で、建物内部には穀物の彫刻も施されている。
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仰山堂と築山。張南陽という当時の造山の大家の作で、園内の建物が再建される中で、ここは西北部の一部が削られただけで創建当時の姿をほぼ完全に今に留めている。
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点春堂。清末に起こった反乱「太平天国の乱」に賛同して作られた秘密結社「小刀会」が設立された場所。
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昔ながらの住宅地をリノベーションした田子坊エリア。2000年代初頭よりアーティストのアトリエやデザイン会社が入り始め、2006年ごろに今のような観光スポットが完成した。
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1920~30年代に建てられたモダンな雰囲気の 「石庫門住宅」 を修復し、旧フランス租界の街並を再現した新天地エリア。
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新天地で上海観光WEBサイトで紹介されていたスタバの上海限定タンブラーを買った。
スタバ中国限定タンブラー_上海

“ここでしか買えない!!”と載っていたのでてっきり上海だけで限定版を商品展開してると思ってたら他の都市の限定モデルもあるみたい。

左から、長城モデル、香港モデル、成都モデル
スタバ中国限定タンブラー_北京長城スタバ中国限定タンブラー_香港スタバ中国限定タンブラー_成都

というか日本も含めて世界各国で地域限定タンブラーが展開されているみたい。(知らなかった)


上海静安寺
中国の上海の南京西路に面して建つ古刹(こさつ)。三国時代に呉の孫権によって建立され、唐代に「永泰禅寺」と改称されて、北宋時代に「静安寺」と名づけられた。本堂にあたる大雄宝殿は、1984年に再建された。境内には「赤鳥山門」や「天王殿」、「功徳殿」、「方丈室」があり、方丈室には真言宗の壇場が新築されている。境内のおもな文物は、明代の洪武大鐘、南北朝時期の石彫刻の仏像、雲漢昭回の石碑などである。

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仏塔に小銭を投げていた。
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魯迅公園
中国の上海市の北西部に広がる公園。当初は「虹口(ホンキュウ)公園」と呼ばれ、清時代の1896年に上海共同租界工部局が租界の外にあった農地を取得して造営した。イギリス人園芸家によって設計されたため、西洋式庭園であり、賭博場も設置されていた。1927年に魯迅(ろじん)(ルーシュン)が広州から上海へ移住したときの住居は虹口公園傍の大陸新村で、生前は公園を散策していた。そのため別のところに埋葬されていた魯迅の棺は、1956年、虹口公園に改葬された。さらに公園内に魯迅紀念館や魯迅記念亭が建設され、1988年には「魯迅公園」に改称された。

太極拳やってた。
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水で字の練習をしている人がたくさんいた。ここでやらんでもいいんちゃう?って思った。
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上海のレトロストリート多倫路文化名人街。

魯迅の小説の1シーンの銅像があちこちにある。
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道に沿ってカーブしている3階建てのアパート「永安里」。
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レトロ映画をテーマにしたカフェ「老電影」。
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上海には3日いたが、観光、買い物、食事などをやりつくして後半は退屈していた。
2日目の夜、どこも行くところがなく夜の上海の繁華街をぶらぶらしていた。

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通りには多くのキャッチがいて、何人もの上海人が声を掛けてくる。
その時事件は起きた。

海外トラブル ~File.08 アイヤー、ぼったくりアルヨ ~
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今思うと何を考えていたのか、刺激欲しさにアホなことをしてしまった。

退屈で何かないかと上海の夜の繁華街をぶらぶらしていた。

メインストリートではキャッチが声を掛けてくる。海外ではよくある光景だ。

いつも通りにシカトしていた。初めは。

久々の海外ということと、退屈しのぎにキャッチの話を聞いてみることにした。

「おにーさん、70元(約1,000円)でおねーちゃんと飲めるよ」

(ボッタくられても3倍ぐらいだろう、暇だし行こう)

キャッチのババアについて行った。

北斗の拳ばばあ

お店は高層ビルの30Fぐらいにあった。
渡航歴_中国_上海_90

ビルの入口。キャッチのババアは機嫌よく案内する。
渡航歴_中国_上海_88

店内には 店員が数名しかおらず客の姿が見えない。

個室がいくつかあったので、その中に客がいると思いながらも、この静けさに違和感を感じていた。
(後で気付いたが、この店はカラオケ店だった。名前だけ・・・)

ボクも個室に案内され、飲み物と軽食を頼んだ。

カラオケ個室

その後にずらずらと、おねーちゃんが個室に入ってきて、ママらしき人がどれか1人選べという。

中国一列

チャイナドレスの中国人もいたが、少女時代の衣装を着た娘が可愛かったので指名した。

渡航歴_中国_少女時代

メモ帳で漢字を書きながら、カタコトの中国語でコミュニケーションをとった。

1時間ほどして、会計をお願いした。

ママが個室に入ってきて、来店した時と別人のような無愛想な態度で伝票を渡してきた。

それと同時に横にいたおねーちゃんが個室から足早に出て行った。

伝票の金額を確認した。

ん?

んん??

100元が約1,600円。

1000元が約16,000円。

伝票の金額はというと、

0 が10個以上ある。伝票の合計金額の記入欄を大幅にはみ出して、ご丁寧に0をたくさん書いている。

計算せずともアホみたいな金額と分かった。

ボクはシャレだと思い、笑いながらハウマッチ?と聞いた。

どうやらシャレではないらしい。

魁男塾_2

なにが高いのかと伝票を見ると、飲み物や軽食、おねーちゃん指名料が各100元(この時点でキャッチが言っていた70元を越えている)、チャージ料に0がたくさん付いていた。

江頭_2

財布を出すのを渋っていると、個室に痩せたノッポの男が入ってきた。

北斗の拳ノッポ

あまりにもアホらしい金額なので、だんだん腹立ってきて、支払いせずに帰ろうと思い、遮るノッポの男を払いのけ個室を出ようとした。

江頭_1

個室のドアを少し開けると、漫画のような、体のゴツイ衛兵のような黒服にいちゃんとチンピラが数名いた。

魁男塾_1
魁男塾_1

もちろんボクを連れてきたキャッチのババアやおねーちゃん、ママはどこにも見当たらない。

この時、“上海マフィア” “ドラム缶にコンクリ詰め” “上海の海に捨てられる” が頭を過った。

(コレ、マジなやつだ)

金額だけに桁違いのぼったくりにあってしまった。

ノッポの男に引っ張られ、個室に戻された。

江頭_4

再び清算の話に戻る。

この時、初めてちゃんとノッポの男の目を見た。

目の焦点が合っていない。シャブ中!?

(コレ、マジでヤバイやつだ)

2階ぐらいだったら窓を割って逃げていたかもしれない。

でも、ここは地上30階。

とはいえ、こんなアホみたいな金額、ビルゲイツでもたまげる。

これが金を出させる手段かどうかは分からないが、ノッポの男が一言、

「いくらなら出せる?」

と聞いてきた。

財布には現金で580元(約9,200円)入っていた。

ノッポの男が財布を覗き込んで一言、

「いくらなら出せる?」

ここで頭をフル回転させた。

(半分だと財布ごと取られてかもしれない。かといって全部だともっと持っていると怪しまれるかもしれない。)

いくら出すのが正解なのか考えた結果、

80元はここからホテルに帰るのに使うと説明し、500元(約8,000円)を支払うことにした。

するとノッポの男は承諾し、金を渡せと言ってきた。

確実にここから逃げるには、ここで金を渡すのはマズイと思い、エレベーターに乗ってから渡すことにした。

ノッポの男はこれも承諾し、個室を出て一緒にエレベーターに向かった。

衛兵とチンピラがこっちをずっと見ている。

北斗の拳チンピラ

エレベーターまで遠く感じた。

この時に隠れて撮った店前の様子。
渡航歴_中国_上海_89
エレベーターに乗り、金をノッポの男に渡して、1Fのボタンを押し、閉ボタンを長押しした。

1Fに着いて、後から見られていないかを気にしながらビルが見えなくなるまで足早に歩いた。

今思えば500元(約8,000円)で済んでよかった。

こんな刺激はいらない。アホなことをした。

江頭_3




蘇州/Suzhou
中国の江蘇省南東部,上海の西約80kmにある市。省直轄市であり,近郊にある呉県の県政府所在地。人口105万(1994),うち都市人口69万。古い歴史をもち文化財,景勝の地に富む江南第一の観光都市。特に滄浪亭,獅子林,拙政園,留園等の園林は著名である。また虎丘,霊巌山,宝帯橋等の名勝,寒山寺,報恩寺,玄妙観等の寺廟も重要な観光地である。これらの文化遺跡やすぐれた工芸品の産出地として,日本においても古くからよく知られている。

観光名所
渡航歴_中国_蘇州まとめ
引用

上海から足を伸ばして、電車で1時間ぐらいのところにある東洋の水の都蘇州に行った。

上海駅
渡航歴_中国_上海_1渡航歴_中国_上海_2

蘇州駅
渡航歴_中国_上海_3渡航歴_中国_上海_4


留園
明の時代の嘉靖年間に造られた庭園。蘇州四大名園の一つで、清代の庭園様式を今に伝えている。4部で構成され、東部は建物が中心の重厚な建築、中部は山水、西部は山林、北部は田園の趣を表現している。庭園内の楼閣や回廊に掛けられた有名な書家の墨跡、「花窓」と呼ばれる透かし彫りのデザインがすばらしい。

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このねーちゃん、立ち入り禁止や世界遺産とか気にせずに中に入って椅子に座り、写真を取り合っていた。“さすがやったもん勝ち”の中国人と思った。
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拙政園
世界文化遺産に指定されている蘇州の古典園林。その中の拙政園は、中国4代名園のひとつでもあり、有名な小説「紅楼夢」の舞台・大観園のモデルともいわれています。もとは唐の詩人陸亀蒙の邸宅でしたが、元代に寺になり、明の時代になって官職を追放された王献臣が故郷の蘇州で寺を買い取り庭園にしたものです。拙政園という名は「閑居賦」の「愚かな者が政治をつかさどる」という意味の一節からとったという説があります。園内は東園、中園、西園の三つに大きく分けられます。敷地の半分以上が大小の美しい蓮池で占められており、特に中園の「遠香堂」からの蓮池の眺めは絶景と評されています。

“人口世界一だけあって中国は人が多いな~”と思っていたが、ここで異変に気付いた。後で聞いて分かったが日本のGWの時期、中国も黄金周という連休があり観光地は中国人でごった返すそうだ。

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この辺りから世界遺産よりも中国人の多さに興味を持ち始めた。

人多いな~
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行列できてるやん
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そこは順路ちゃいまっせ~
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登れるものは登ってしまうのね
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ここまでくると風情もクソもあらへんな~
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まるで、アスレチックや~
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とはいえ楽しみめました
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お茶して休憩
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獅子林
中国の江蘇(こうそ)省東南部、蘇州(そしゅう)(スーチョウ)の拙政園のすぐ南にある庭園。小さな庭園だが、中国庭園の傑作とされ、蘇州四大庭園の一つに数えられる。元の時代の1342年、高僧・天如禅師の弟子が禅師のために造営した庭園で、天如禅師はかつて浙江省の天目山の獅子崖で修行したことから「獅子林」と名づけられたといわれる。園内には、太湖岩と呼ばれる花崗岩(かこうがん)の奇石や太湖石が林立し、その太湖石を積み重ねてつくった築山に迷路のような洞窟が通っている。
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帰りの蘇州駅。チケット買うのも電車に乗るのもすっごい時間がかかった。

“今日はもう中国人見たくない”と思った。
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南京/Nanjing

上海から足を伸ばして、電車で2時間ぐらいのところにある中国四大古都の一つ南京行った。
かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。

観光名所
渡航歴_中国_南京観光名所
引用

当日は朝から雨だったので市内観光はせずに世界遺産の↓コレだけを観光することにした。

明孝陵

中国の江蘇(こうそ)省南京(ナンキン)の紫金山南側中腹にある、明の初代皇帝・朱元璋(しゅげんしょう)の稜墓。朱元璋のほかに、馬皇后、殉死した妾妃や官女など50数名が眠っている。参道には12対の石獣と4対の石人が並び、その先に直径400mの円形の墳墓がある。

入口を少し進むと城壁が現れた。
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大明孝陵神功聖徳碑。亀の柱。
渡航歴_中国_上海_64

進むと神道という長~い道がず~っと続く。脇にはいろんな動物の石像が建っている。

ラクダ
渡航歴_中国_上海_66


渡航歴_中国_上海_67

明考陵の山や草原に囲まれているので秋は紅葉で綺麗なんだろうなーって思ってた。

ほらね。梅林があるので行くのであれば春か秋ですかね。
渡航歴_中国_明孝陵
引用

渡航歴_中国_上海_68

奥に見えるのが武方門。ここから城までが長い。
渡航歴_中国_上海_69

渡航歴_中国_明孝陵2
引用

武方門
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あちこちに遺跡
渡航歴_中国_上海_78
渡航歴_中国_上海_71

方城
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城の上には明楼が建っている。
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城からの眺め。
渡航歴_中国_上海_75

方城の周りには城壁に沿って遊歩道があり、この下に朱元璋が眠っている。
渡航歴_中国_上海_76

これも結構長かったな~
渡航歴_中国_上海_77




北京、上海では時間に余裕があったので買い物をよくした。

上海では上海シノワズリ雑貨(18世紀ころヨーロッパで流行した中国趣味の美術様式)を見て周った。

ガイドブックでよく見るこのデザイン。
渡航歴_中国_上海シノワズリ雑貨

外灘近くのSuzhou Cobblers(スージョー・コブラーズ)というシルクスリッパ屋にあった。
渡航歴_中国_Suzhou Cobblers_スージョー・コブラーズ渡航歴_中国_上海_188

履かずともインテリアにどうかと考えたがさずがに野郎が買うものではないと思い止めた。(“インテリアになるか?”と今ではそう思う)

いろいろ店を巡って一番気に入ってたくさん買ったのはAnnabel Lee Shanghai(アナベルリーシャンハイ )の商品。
渡航歴_中国_上海シノワズリ雑貨_3
渡航歴_中国_上海シノワズリ雑貨_2渡航歴_中国_上海シノワズリ雑貨_4
引用

小物入れ、クッションカバー、ブックカバー、手帳などを買った。(“買ったいいが使ってないんですけど”と今ではそう思う)

北京では中国雑貨を見て周った。

ガイドブックでよくみる毛沢東のギミックウォッチ、一瞬心が揺らいだが買わなかった。
渡航歴_中国_毛沢東のギミックウォッチ

北京でもまた小物入れ、クッションカバーとワインボトルカバーなどを買った。(“小物入れに何入れるの?”と今ではそう思う)
渡航歴_中国_中国雑貨渡航歴_中国_中国雑貨2
渡航歴_中国_ワインカバー_1渡航歴_中国_上海シノワズリ雑貨_1

茶器セットと京劇の面が欲しかったが、欲しいヤツは高かったから諦めた。(“どうせ1回使って終わりでしょ?”と今ではそう思う)
渡航歴_中国_茶器セット渡航歴_中国_京劇の面
引用

雑貨って怖い。必要ないものだと後になってから気付く。それでも買ってしまうんだよなー。


世界三大料理の中華料理。(他はフランス料理とトルコ料理)
大衆食堂や屋台、時々高いレストランで食事した。

これ中国のファストフード。駅などでよく見かけた。注文して1分ぐらいでくる。
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揚げたやつや蟹みそが入ったやつなど小龍包ばっかり食べてた気がする。
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有名な中国人が来た四川料理店。ジェット・リーとフェイウォンしか分からなかった。
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人気メニューをオーダーしていた。何の肉か何の魚か分からないで食べていた。
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お茶を嗜んだ。中国人(特に女性)、めっちゃ食うけど太っている人少ない。お茶のお陰だそうです。
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北京で人気の老舗レストランに行った。
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ランチメニュー2人前(約800円)から。ライチ入りのエビチリが予想を裏切りおいしかった。
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上海では奮発して上海蟹専門店に行った。
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下が蟹味噌ラーメン、右上が上海蟹の紹興酒漬け。高いけど旨い。
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お粥を頼んだらめっちゃ甘かった。全然食べれなかったので違うお粥を頼んだ。漢字のメニューでも失敗した。
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北京のユースホステル近くのバーでのんびり。
渡航歴_中国_北京_78渡航歴_中国_北京_77

疲れたらベンチでビール。犬すげー見てくるの。
渡航歴_中国_北京_139


全体を通して、現時点の中国の印象はこんな感じです。
・ 人が多い
  (中国人が自己中で、遠慮しない国民性や雑にやっているように見えるほど素早く調理する中華料理。こんなに人が多いとそうでもしないとやってられないんだろうなと思った。)
・ 物価が安い
  (食事、宿、移動、雑貨など安い。チャイニーズ・バブルは表の顔で、裏の顔の貧困の差がリアルな中国社会だと思う。)
・ 空気汚染
  (上海ではそうでもなかったが、北京では目に見えるほど空気が濁っていた。あと、一般道路では砂ほこりが舞っていた。)



あとがき
↓こんな記事を見つけた。

少林サッカー、中国で学校ができる!強化へ本気
少林拳発祥の地として知られる中国・河南省の少林寺の周辺に、少林拳とサッカーを融合させて教えるサッカースクールを2017年までに建設する計画があることが10日、分かった。少林寺運営関係者が共同通信に明らかにした。事業費は20億元(約314億円)で、完成すれば小中学生を中心に約8000人の生徒を募集する計画だ。
 「少林サッカー」が、現実のものになるかもしれない。少林寺で人材育成を手掛ける「少林寺武僧団訓練基地」の関係者によると、サッカースクールは、同基地と河南省の民間企業が連携して建設する。事業費は20億元で、今年2月に基礎工事を始めたという。(後略)

“融合する必要ある?”   と思ふ今日この頃でございます

イエローカードやな
小林サッカー_4

両チーム、レッドカードやな
小林サッカー_5


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【渡航歴】中国①

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2012.04 中国旅行記

flag_flag_of_China_1.png中華人民共和国/China

2012年04月のお話。

GWを利用して、チャイナドレスの国、中国に行ってきた。

渡航歴_中国_チャイナドレス
渡航歴_中国_チャイナドレス_2渡航歴_中国_チャイナドレス_3渡航歴_中国_チャイナドレス_4

一昔前は、人民服を着たチャリンコ集団でした。今では、経済成長が著しく世界をリードする国です。
渡航歴_中国_昔の風景


世界地図(赤色箇所が訪問した国)
世界地図_中国

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_中国_自己評価


現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_中国_訪問予定都市



北京/Beijing
中国の首都北京。

観光名所
渡航歴_中国_北京まとめ
引用


天安門広場
南北880m、東西500m、総面積44万m2の世界最大規模の広場。長安街を含めると、100万人を収容できる。1919年5月4日には、日本の「対華21ヵ条要求」に不満を持つ学生らが抗議デモ(五四運動)を行い、1949年には毛沢東を中心として「中華人民共和国建国式典」が盛大に行われた。最近では、1989年6月4日に起きた、民主化を求める学生や労働者と政府とが衝突した「六四事件」がある。

奥は故宮。
渡航歴_中国_天安門広場_1
引用

天安門。ここから先は行けない。
渡航歴_中国_北京_108

天安門広場
渡航歴_中国_北京_110



景山公園

中国の首都北京、故宮博物院の北にある、高さ92mの景山を中心にした公園。明の時代に紫禁城が建設されたとき、元の時代に御苑があった場所に堀を掘った際の残土を積み上げ、5つの峰を持つ人工の山(景山)を築造した。風水の考え方から、紫禁城に邪気が入り込まないように、宮殿の真北に山をつくったといわれている。5つの峰には、清朝の乾隆帝時代に建てられた亭がある。その一つの中峰の頂上にある、万春亭から望む故宮の展望が素晴らしい。

山頂に建つ万春亭。ここから故宮を眺める。
渡航歴_中国_北京_81

目の前に故宮が広がる。皮肉にも大気汚染で霞んでいる感じが幻想的に見える。
渡航歴_中国_北京_82

パノラマ
渡航歴_中国_北京_82_2




故宮の眺めを満喫して、景山公園を出た。
その時事件は起きた。

海外トラブル ~File.07 嘘ついちゃだめアルヨ ~
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これから故宮を観光しようと思い景山公園を出た。

景山公園の正面には故宮の裏門の神武門がある。

神武門
渡航歴_中国_北京_84
神武門を撮っていると、横からオヤジが声を掛けてきた。

そのオヤジは輪車(人力車の自転車版)の運転手だった。
後の方に同業者の仲間が5,6人ぐらいが見えた。

「故宮の正門のところまで行くのですか?10元(約150円)でどうですか?」

(バスだと2,3元で行けるが、ここからバス停遠いし、そんなに高くないからいいか)

お互い地図を見合って料金の合意をし、しかも景山公園→故宮(前門)が定番コースで、人目も多かったので何の疑いもなく乗車した。

運転手は体格の良い40前半ぐらいのオヤジ。
故宮に沿って漕ぎ続ける。

渡航歴_中国_北京_85
次に右折するところでこれまで進んできた歩道ではなく、大通りを越えた裏路地に入って行った。

少し違和感はあったが、歩道は観光客が大勢いたし、近道で裏路地に入ったんだろうと思いその時は気にしなかった。

暫くすると、下町風の民家の前に止まり、何か話掛けてきた。

「中国の下町の観光案内はここまでです。料金は900元(約13,000円)です。」

えっ!?いつの間に??

もちろん払うつもりもなく、何の根拠のないがこのオヤジに負ける気がしなかったので強気でいた。

すると偶然かどうかわからないが、前を通りかかったオヤジが一言。

「900元を払え」

ボソッと呟いて通り過ぎた。

その時、“周りの民家から仲間が出てくるかもしれない”  “中国包丁”  “人肉饅頭” が頭を過った。

(ヤバイ、肉まんにされちゃう)

だんだん怖くなってきた。

救いだったのが昼間で明るく、大通りまでそんなに遠くなかった。

いざとなれば本気ダッシュをすればいいかと思い、ブチ切れたフリをして当初の運賃10元を地面に叩きつけて、拾っているうちに歩いて去ろうとした。

すると運転手のオヤジは追いかけて腕を掴んできたが、
日本語で怒鳴ったら引き返していった。

きっと過去に簡単に支払った観光客がいたので味をしめて繰り返してやっているのだろうが本気でやってないな。

などを思いながら、大通りに出て、故宮の前門に向かって歩いた。


今回は、油断というか想定外だった。観光名所のど真ん中で、運転手、町民、全てがグルで、真昼間にやるとは思わなかった。

今回のようなことは、値段設定が曖昧な海外旅行ではよくあり、その中でも単身の旅行者はカモにされやすい。

料金の合意をして、ルートも確認したので油断していた。

てゆうか、嘘ついちゃだめアルヨ
嘘はいけない




故宮
北京の旧市内のほぼ中央を占める紫禁城のことで,明・清時代の宮城だから故宮といわれる。もとはこれとともに宮苑や官庁を併せ含んだ区域を皇城と称したが,周囲の城壁は早くから取り払われている。1417年(永楽15)に明の成祖永楽帝が南京から都を移し,元の宮城跡に築いたもので,明末に大破壊をこうむったあと,清がほとんどその規模を受けついで復興し今日にいたった。地域は南北960m,東西760mで,高さ10mの厚い城壁に囲まれ,四面に各1門,四隅に角楼を設け,その外に幅50m余の堀をめぐらす。

渡航歴_中国_故宮マップ_1


正面入口の午門。
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太和殿。まぁ~人だらけ。
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太和殿の中には、
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映画「ラストエペラー」の即位シーンで使われた宝座がある。
渡航歴_中国_太和殿
引用

保和殿の宝座。保和殿では科挙の最終試験の「殿試」が行われた。
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東西を見ても端が見えない。
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乾清宮の宝座。乾清宮は皇帝の「寝宮」だった。
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交秦殿の宝座。天井の「藻井」が見事。
渡航歴_中国_北京_101

奉先殿。皇室が先祖を祀る祭殿。現在は清朝が収集した各種時計の展示館となっている。
渡航歴_中国_故宮_3

渡航歴_中国_故宮_2

渡航歴_中国_故宮_4
引用

故宮の裏門の神武門に辿り着き、900元詐欺のオヤジに会いたくなかったので、そのまま来た道を戻った。

石刻。石の枯山水みたいな感じ。
渡航歴_中国_北京_90_2

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正門の午門に到着。
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近くで見るとすごく高い。
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まぁ~広いですわ

パノラマ
渡航歴_中国_北京_107_2

渡航歴_中国_北京_107_3




頤和園
中国,北京の北西郊約10kmにある清朝の離宮。明代には好山園といい,清の1750年(乾隆15)以来大規模な改築がなされ,清漪園(せいいえん)と改称された。1860年(咸豊10),英仏連合軍により焼尽。88年(光緒14),西太后が再建して頤和園と改称。1900年,義和団事件で再び破損したが,3年後に修復された。面積約3.4km2で,昆明湖が大半を占め,北側に万寿山がある。山の東に宮殿に相当する仁寿殿,その北に寝殿の楽寿堂があり,山の中央斜面に沿って,仏香閣,排雲殿などの主要な建築群が集中して建つ。

渡航歴_中国_頤和園_2
引用

バスを乗り継いで来た。が、今では地下鉄で簡単に行ける。
持っていたガイドブックが2年前のものでその情報に従って観光していたが、たった2年だが地下鉄の路線が3本ほど増えていた。恐るべし中国経済の勢い。

渡航歴_中国_北京_125

裏門となる北宮門。
渡航歴_中国_北京_126

長橋からの後湖の眺め。店が立ち並ぶ。
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万寿山を登る。ほとんど登山。
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やっとのことで頤和園のシンボル仏香閣に到着。
渡航歴_中国_頤和園_1

仏香閣からの昆明湖の眺め。
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昆明湖側には長廊が続く。
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昆明湖に沿ってずっと続く。
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楽寿堂。ここで西太后が起居した。
渡航歴_中国_北京_136

渡航歴_中国_頤和園_3
引用

仁寿殿と麒麟銅像。ここで皇帝が政務を執る。
渡航歴_中国_北京_137

正門を出て、帰りも行きと同じようにバスに乗って帰った。
そのバスの窓から地下鉄の出入り口を見つけ、地下鉄の路線が3本ほど増えていることに気が付いた。



天壇
中国の皇帝が天をまつる儀礼を行う壇。漢代以来,都城の南郊に設けられるのを原則とし,圜丘(えんきゆう),南郊とも称した。北京に現存する天壇は,明・清両朝皇帝が祭天の儀を行ったところで,明の1420年(永楽18)に当時の南郊に天地合祀の大祀殿が創建され,1530年(嘉靖9),四郊分祀の制に改めて圜丘を新築,38年大享殿を新築した。さらに清の乾隆年間(1736‐95)に拡張・整備が行われ,1751年(乾隆16)に祈年殿と改められ,1889年(光緒15)に焼失はしたが旧状に従って再建されており,現状はほぼ乾隆当時の状況を伝えている

手前が圜丘壇、真ん中が皇穹宇、奥が祈年殿
渡航歴_中国_天壇_5
引用

外壁の外からでも見える。
渡航歴_中国_北京_62

天壇は天壇公園内にある。公園は花がたくさんあった。
渡航歴_中国_北京_63

祈年殿
渡航歴_中国_天壇_3
引用

内部に皇帝の玉座が安置されている。
渡航歴_中国_北京_66

渡航歴_中国_北京_64

建物を支える28本の柱にはそれぞれ意味があり、4本の柱(龍井柱)は四季を、周りの12の金柱は12ヵ月を、他の12の柱は時刻を表している。
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次のところまで遠い。
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皇穹宇
建物をぐるりと囲む塀は「回音壁」と呼ばれ、反響して180度対極にいる人にその声が伝わる造りになっている。試してみたが、人が多すぎてよく分からなかった。
渡航歴_中国_天壇_1
引用

祭祀の際に、皇帝の位牌が置かれた。
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圜丘壇
渡航歴_中国_天壇_2
引用

ここで天帝にその年に起こったできごとを報告した。
渡航歴_中国_北京_73

この石の上に立ち、ひと声ささやくと、その声が周囲に反射してこだまする造りになっている。試してみたが、人が多すぎてよく分からなかった。
渡航歴_中国_北京_74


鼓桜・鐘楼
中国の都市の中央部に設けられた楼閣で,中につるされた太鼓をうって標準時刻を知らせた。その付近に鐘楼もあるのが普通で,宋代の初め洛陽の宮城の前面東南隅に鼓楼,西南隅に鐘楼を設けたのが起源かといわれ,近世中国都市のシンボルのようになった。仏寺では古くから鼓楼と鐘楼とを併置したようであるが,後世ほとんどの神廟や道観なども境内にこの2建築をおく習慣となっている。

遠くからでも鐘楼が見える。
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分かっていたけどデカイ。
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この大鐘には伝説があり、永楽帝から鐘の鋳造を命じられた職人がうまく鐘を造ることができなかったため、死刑を命じられてしまった。それを見かねた職人の娘が真っ赤に溶けた溶鉱炉の銅の中に身を躍らせた。嘆き悲しむ職人はこの銅で大鐘を造りあげた。
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鐘楼から見た鼓桜。
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鼓桜もデカイ。
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この太鼓は時報として使われていた。現在はここで太鼓ショーが行われているそうです。
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八達嶺/万里の長城
東は渤海湾に臨む河北省山海関から西は甘粛省の嘉峪関まで、総延長約1万2000kmに及ぶ長大な城壁である。現在の中国の行政区でいえば、河北省、北京市、山西省、陝西省、内モンゴル自治区、寧夏回族自治区、甘粛省など16の省・市・自治区にまたがっている。地形の起伏を縫って続く長城の景観は世界的に有名。万里の長城は約2000年の間の歴代の王朝が整備してきた城壁で、明の時代にほぼ現在の形になった。一般に、長城建設は秦の始皇帝の事業であるとされているが、その歴史はさらにさかのぼり、秦による統一以前の春秋時代にも、趙などの北方の国が異民族の侵入に備えるため長城の建設に取り組んでいた。ただし、現存する長城の大部分は明の時代に築かれたものである。その壮大なスケールから、「月から見える唯一の人工の構造物」といわれてきた。

徳勝門の前に万里の長城行きのバスが集まる。
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入口。すでに遠くに見える。
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まぁ~人だらけ。
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とりあえず進む。
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思っていたより高い。
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思っていたより疲れる。
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これは結構な城壁だわ。
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こんなんがず~~~っと続き、キリが無いので2時間ぐらいで戻った。
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パノラマ
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個人での海外旅行では、だいたバックパッカーが集まるような安宿に泊まる。ドミトリー(相部屋)が最もコストを抑えられるが、海外旅行中はほとんど寝ないので(寝てる間に外で何か面白いことが起こっていると思っている)、気遣いしたくないのでいつもシングルに泊っている。

今回の中国旅行でも同様にシングルに泊っていたが、ここ北京では違った。

中国っぽい街並みにレストランや雑貨店などが建ち並ぶ南羅鼓巷(ナンルォグーシャン)というところに行った。

チャリンコがさらに雰囲気をだす。
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ひときわ目を引く外観。覗いてみると、世界各国に点在する国際ユースホステルだった。
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1階は花に囲まれたカフェで、2階が宿だった。料金は2,000円弱ぐらいだったと思う。
wifiもあり、なにより綺麗で清潔。朝は1階のカフェでコーヒーを飲める。ココ、オススメ。

1階のカフェ。
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共有スペースと寝室
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ユースホステルの近くに什刹海という湖畔エリアがある。

朝に散歩した。
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湖畔を三輪車で周遊するのが定番らしく、よく運転手に声を掛けられた。故宮の時のこともあるのでシカトした。
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天安門広場近くの正陽門を抜けると、レトロな雰囲気が漂う通りにでる。
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↓ココでランチした。

都一処。清の乾隆3年(1738年)創業の焼売の老舗。2階建で行列ができるほど人気の店ようだ。
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乾隆帝がお忍びで訪れるほど、飽きがこない古風な味の焼売が名物。焼売以外に乾隆帝が好んだ白菜のゴマソース和え「乾隆白菜」が人気、とガイドブックに大き目に載っていた。

見た目100点、味10点。中国に来て一番不味かったかも。ビールだけ飲み干し、ほとんど残した。相席した中国人夫婦に「いる?」って聞いたら首を横に振って無言で断られた。
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西単西四という、デパートやショッピングモールが建ち並ぶエリアに行った。東京でいう新宿みたいなところ。
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目的は満漢全席。ガイドブックにランチだと1名から1万円ぐらいで食べれてると載っていたので一生に一度はと思い食べに来た。
渡航歴_中国_満漢全席

お店の名前は、美味珍御膳。満漢全席の他にこの店でしか味わえない「天下第一湯」と呼ばれる「佛跳墻」というスープも魅力的だった。
渡航歴_中国_満漢全席_2

お店に入った。
分かってたんだけど、言ってみるもんだ的なラッキーを狙ったんだけど、ダメだった。
満漢全席は予約が要ります。



王府井
という小綺麗な観光客向けのショップや露店が立ち並ぶエリアに行った。東京でいうと銀座みたいなところ。

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衣類、雑貨、宝石、家電、観光ギフト、中国らしい陳列のデパート。本物でも偽物に見える。
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露店の通りに入り、雑貨や屋台を楽しんだ。
渡航歴_中国_北京_26渡航歴_中国_北京_28
渡航歴_中国_北京_34渡航歴_中国_北京_140_3
渡航歴_中国_北京_31渡航歴_中国_北京_36


~続く~

あとがき
いつ敵に襲われても対処できるように立って寝るラーメンマンに子供の頃憧れた。
渡航歴_中国_ラーメンマン

“ラーメンマン、こんなアゴでてた?”   と思ふ今日この頃でございます

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【渡航歴】ロシア③

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2010.07 ロシア旅行記

~続き~

サンクトペテルブルク/Санкт-Петербург
ロシア第2の都市で、人口457万人。旧名レニングラード。ピョートル大帝が建設し、1712年からロシア革命の翌1918年までは首都。美術館などが有名だが、造船、軍需産業、機械製作などが盛んで、有数の工業都市でもある。

観光名所
渡航歴_ロシア_サンクトまとめ
引用

遅れに遅れてやっとのことで日本から到着したロシア初めての都市サンクトペテルブルク。
4時間だけ寝て、ホテルの前に流れるネヴァ川に沿って朝の散歩した。

朝日を浴びるエルミタージュ美術館
渡航歴_ロシア_サンクト_12_1

渡航歴_ロシア_サンクト_8渡航歴_ロシア_サンクト_12_4
渡航歴_ロシア_サンクト_12_3渡航歴_ロシア_サンクト_12_2

ペトロパヴロフスク要塞
レニングラード州の都市サンクトペテルブルグにある星型の城壁に囲まれた要塞。18世紀初頭、ピョートル1世が北方戦争でスウェーデンから奪った土地を防衛するために建造。実際には要塞として使われず、政治犯の収容所などに利用され、バクーニン、レーニン、ドストエフスキーらが収容されたことがある。中央のペトロパブロフスク聖堂にはピョートル1世以降の歴代皇帝および皇族の墓所がある。1914年から1917年にかけて、ペトログラード要塞と呼ばれた。
渡航歴_ロシア_ペトロパヴロフスク要塞
引用

ペトロパヴロフスク聖堂
渡航歴_ロシア_サンクト_6

渡航歴_ロシア_ペトロパヴロフスク聖堂

ピョートル1世からニコライ2世までの歴代皇帝および皇后らの多くが埋葬されている。
渡航歴_ロシア_ペトロパヴロフスク聖堂_2

ピョートル1世の銅像。顔が小さく、腕と足が細い。ハンプティダンプティみたい。
渡航歴_ロシア_サンクト_4渡航歴_ロシア_サンクト_5

不思議の国のアリスのハンプティダンプティ
渡航歴_ロシア_ペトロパヴロフスク要塞_2

ロストラの燈台柱。緑のナメクジみたいなやつは船。
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巡洋艦オーロラ。
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散歩を終え、ホテルで飯を食って、中心地のネフスキー大通りに行った。

ネフスキー大通りに建ち並ぶ歴史的な建造物は、各々が当時最新流行の建築スタイルを競って建てらた。
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シンガー社。この1階の本屋でポストカードを買った。
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エルミタージュ美術館
18世紀に建てられたバロック様式の豪華な大理石宮殿(冬宮)と,増設された三つの離宮と劇場から成るかつての王宮を,1917年の革命後国有化。400余室を展示室,他を付属研究所等に使用している。収蔵品の歴史は,1764年エカチェリナ2世がベルリンの画商ゴツコウスキーから225点の絵画を購入したのに始まる。女帝はこれらを隣接の離宮〈エルミタージュ(フランス語で隠れ家の意)〉に収容した。
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引用

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午前中から凄い行列。朝一に並んでよかった。
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エルミタージュ美術館は美術館とはいうが、絵画や彫刻の展示だけでなく、ヴェルサイユ宮殿のような(行ったことないけど)宮殿装飾も楽しむことができる。
(今回は、宮殿装飾のみを紹介したいと思います。ちょっとした展示作品はココ

大使の階段。ボクが行った時は補修中で布で被されて見れなかった。
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引用

ピョートル大帝(小玉座)の間
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紋章の間
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1812年祖国戦争の画廊
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聖ゲオルギー(大玉座)の間
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バヴィリオンの間
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ダ・ヴィンチの間
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ラファエロの回廊
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館内で結婚式をしていた。ココでやったら間違いないでしょう。
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ロシア美術館
ロシアの美術館中、最大のコレクションを誇る。また、ロシア美術館本館に使用されているミハイロフスキー宮殿は、19世紀初頭におけるロシア新古典主義建築の傑作である。

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白の間
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国家評議会会議。この作品だけの部屋が設けられていた。
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聖イサアク大聖堂(イサク聖堂)
。ピョートル1世が建てた教会に起源し、再建が繰り返された後、現在の聖堂は19世紀半ば、アレクサンドル1世の時代にフランスの建築家オーギュスト=ド=モンフェランの設計により完成。ロシアのビザンチン建築を基本とする新古典主義様式の重厚な外観をもつ。高さ101メートルの世界最大級の教会建築であり、帝政ロシアのシンボルとされる。
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血の上の救世主教会
名称はアレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられたことに由来する。19世紀末から20世紀初頭にかけて建造。中世ロシアの伝統的な建築様式を踏襲。

モスクワのワシリー寺院とは別物。
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カザン聖堂
19世紀初め、ロシア正教で最も有名なイコンの一つ「カザンの聖母」を安置するため、パーベル1世により建造。バチカンのサンピエトロ大聖堂を模してカトリック風に造られた。同時期にロシア軍がナポレオン1世率いるフランス軍を破ったため、勝利を記念する品々を展示している。またロシア軍総司令官ミハイル=クトゥーゾフの墓所がある。
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カザン聖堂を見ながらビール。つまみは全く覚えていないがロシア料理だったと思う。
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ピョートル大帝の夏の宮殿(ペテルゴフ)
18世紀にピョートル1世が夏の離宮を建造。その後、エリザベータ女帝がイタリア人建築家バルトロメオ=ラストレッリに改築を命じ、現在見られる3階建てのバロック様式の宮殿になった。フィンランド湾に面する北側には、宮殿前の階段状のテラスを利用した大滝と「下の公園」があり、南側には多数の噴水群があるフランス式の「上の庭園」が広がる。

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引用

背の丈を越える並木道。宮殿あるある。
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20mも水を噴き上げるサムソン像
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ここにも小宇宙(コスモ)が

内観
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引用


上記のペテルゴフと下記のツァールスコエ・セローの両方に行きたかったが、時間の都合でどちらか一方しか行けず、上記のペテルゴフを選んだ。「豪華さ」を基準にすると量のペテルゴフと質のツァールスコエ・セローってとこでしょうか。
(どちらも現地ツアーで行く方が時間も料金も効率的かと。但し、1日に両方は無理。)


エカテリーナ宮殿(ツァールスコエ・セロー)
エカテリーナ2世が夏を過ごしたことから「夏の宮殿」とも呼ばれる、バロック調の華麗な宮殿である。全長は300m以上あり、建物内部には55の部屋がある。内外装には純度の高い金が多く使われ、特に有名なのはエカテリーナ2世がお気に入りだったと伝えられる「琥珀の間」である。

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引用

大広間
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琥珀の間
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引用



キジ島/KizhiPogost

キジ島
カレリア共和国のオネガ湖に浮かぶ島。ペトロザボーツクの北東約60キロメートルに位置する。18世紀建造のプレオブラジェンスカヤ教会やポクロフスカヤ教会をはじめとする木造の教会建築群があり

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引用

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引用

サンクトペテルブルクから寝台列車でキジ島観光の拠点のペトロザボールクに向かった。
朝、眼が覚めると相方のロシア人が缶ビールを飲んでいた。噂のモーニング・ビール。
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このフェリーに乗ってキジ島に向かう。
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何でもそうだが1発目は興奮する。このあとアホみたいに観れるのに↓こんな写真をいつも撮る。
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キジ島観光はガイド付きで島を周る。ロシア語と英語の2チームに分かれた。
50人ぐらいいて、英語チームはボク1人。ガイドとマンツーマンで観光した。
ちなみにガイドは中学生ぐらいのロシア人のおじょーちゃん。

初めは整備されている道を進む。
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砂利道になると遠くにあのシルエットが。
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草原に浮かぶプレオブラジェーンスカヤ教会。
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左)ポクロフスカヤ教会、中)鐘桜、右)プレオブラジェーンスカヤ教会
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アルハンゲル・ミハイル礼拝所
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キジ島には教会や民家などが解放されていて見学できる。
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キジ島の木造教会は、釘を一本も使わず、木片を組み合わせて造られている。

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アジア人が珍しいのか、小さいおじょーちゃんがずっと見ていた。
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ガイドしてくれたおじょーちゃんにお礼として扇子をあげた。すごい喜んでくれたのを覚えている。プレゼントの“あげがい”のある人って素敵ですよね。
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帰りのフェリーから撮った一枚。なんでもそうだがアホみたいにたくさん撮っているのに最後と思うとつい撮ってしまう。
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今度はモスクワ行きの寝台列車に乗った。ロシア人に習ってモーニング・ビールをやってみた。
ビールはキンキンに冷やして飲むものだと再確認できた。
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ノヴゴロド/Но́вгород
9世紀に生まれたノヴゴロド公国の都で、ロシア最古の都市とされている。13世紀以降はヨーロッパ各都市との交易で発展した。ノヴゴロドの市街とその周辺には、かつてのクレムリン(城塞)の塔や、11世紀の聖ソフィア聖堂、14世紀のスパソ・プレオブラジェーニエ聖堂(救済教会)など中世につくられた建物が数多く残されている。

この旅初日のアエロフロート・ロシア航空の粗相がなければ来ていた街。
またいつか来れたらと思う。

クレムリンの城壁
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引用

ロシア1000年記念碑
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引用



ボクが食べたロシア料理にはディル(ロシアではウクロープ)という香草がよく添えられていた。
ボク的にはこれがドンピシャで、香草の中でも上位クラス。
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サンクトペテルブルクで一番有名なレストラン文学喫茶(リテラトゥールノエ・カフェ)に行った。
1835創業の老舗レストランでロシアの文豪も通ったといわれ、プーシキンも運命の決戦の前に寄ったと言われている。

ヴァイオリンとか引いちゃってる。
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スタッフのおねーちゃんとプーシキンのマネキン
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ロシア名物のニシンの塩漬け。
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ビーフストロガノフ。ディルとの相性バツグン。
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モスクワでは「ムームー」というセルフ式のロシア料理店。ガイドブックを見ながら指をさしてオーダーした。

この牛さんが目印。
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味はどれもおいしかった。こういう店は手っ取り早く名物を食べれるから好んでよく行く。
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左上)ビーツというピンク色の株みたいな野菜のスープ。
左下)確かキエフ風カツレツかなんか
右上)確かボルシチかなんか
中下)モルス。赤スグリ、ブルーベリー、ラズベリーのジュース。
右下)シベリア風餃子ペリメニを揚げたやつ


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ロシアの地下鉄はおもしろい。

まずは、なんといっても深い(世界一)。エスカレーターで2,3分はかかる。
もともとが有事の際に、核攻撃に絶えるように設計されたシェルターとしても機能するように建設されたためだからとか。

サンクトペテルブルクのどっかの駅。一見、駅には見えない。
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思った以上に長い。最初は楽しいが、だんだん腹立ってくる。
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次に、装飾デザイン。美術館みたい。
ただ、薄暗く、冷戦時代の銅像などがあり戦争を匂わせる部分もあったりする。

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最後に、習慣?システム?
サンクトペテルブルクの地下鉄だけだったが、駅到着前に車内の電気が2秒ぐらい消えて真っ暗になったり、扉閉まってないのに走りだしたり、何かにつかまっていないと吹っ飛ぶぐらいの急発進、急停止したりした。5,6回乗って全部こうだった。
少し前までは写真撮影禁止だったらしく、何か裏がありそうな。

このまま走りだした。
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駅の到着前に2秒ほど電気が消える。各駅で。何のため?
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こっちはモスクワの地下鉄。ごく普通。
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全体を通して、現時点のロシアの印象はこんな感じです。
・ 芸術大国 (エルミタージュ美術館、ロシア美術館、トレチャコフ美術館など規模、展示品数、装飾、どれもハンパない)
・ 建造物
(透明感のある色彩豊かな教会、無骨なスターリン様式のビル、特徴的な地下鉄など)
・ 綺麗なおねーちゃん (制服、衣装を着ていればより良い)
・ 好きな国ランキング3位


あとがき
ロシア旅行の帰路の途中、電車の広告に目がいった。
渡航歴_ロシア_その他_5渡航歴_ロシア_その他_6

内容は↓コレ
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弊社が2000年8月から製造・販売いたしました缶入りカップヌードル「TimeCan (タイムカン)」の一部において缶の巻き締め不良が原因で缶内に空気が入り、品質に影響する可能性が生じたため、2004年3月より新聞、雑誌、弊社ホームページやTVCMで告知し、全品自主回収を進めて参りました。(後略)

学生時代に購入したタイム缶。返金金額は購入金額300円と500円の図書カード。

それよりも中身が気になったので開けてみた。
渡航歴_ロシア_カップヌードルタイム缶_1渡航歴_ロシア_カップヌードルタイム缶_2

記念カードと普通のカップヌードルが入っていた。
てか、なんか臭ーし。

余裕で中身を捨てて、缶を灰皿にしました。

“あれから13年か~。宇多田ヒカル絶頂期だったよな~。13年分成長したけど、13年分寿命が縮んだんだな~。(←これって言い換えると人は日々一歩ずつ死に近づいているってことよね
)”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
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≫ EDIT

【渡航歴】ロシア②

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2010.07 ロシア旅行記

~続き~

モスクワ/Москва
マトリョーシカとコサックダンスの国ロシアの首都モスクワ。

この年のロシアの7月は例年にない猛暑だった。
(あまりの暑さで自然発火によりロシアの森が燃えたとニュースでやっていた)

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クレムリン
帝政時代にはロシア皇帝の居城とされ、現在はロシア連邦政府の諸機関が置かれている。また、ソ連解体前はソ連政府のことをさした。ウスペンスキー大聖堂、ブラゴベシチェンスキー大聖堂、アルハンゲリスキー大聖堂、クレムリン大宮殿、グラノビータヤ宮殿など、さまざまな時代に建造された大聖堂や宮殿がある。
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引用

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ウスペンスキー大聖堂
国教大聖堂として歴代のロシア皇帝の戴冠式が行われた。柱には聖人と殉教者たちが描かれている。
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武器庫ダイヤモンド庫
ロシアの国立博物館で,装飾品の収蔵で知られる。16世紀にモスクワのクレムリン内に創設された武器の製造場兼収蔵庫を前身としている。17世紀にはイコンのアトリエとしても用いられた。18世紀初頭ロシアの首都がペテルブルグに移ってからは,帝室所有の貴重品を収める宝物殿となり,1813年に博物館として発足した。現在ここには武器,防具類のほか,キエフ・ロシア時代の王冠をはじめ,代々のツァーリの玉座や衣服や馬車,金・銀製の食器,金糸と真珠をちりばめた高位聖職者のための僧衣などが数多く収められている。

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引用

左)18世紀の宮廷馬車、右)モノマフの帽子
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鐘の皇帝大砲の皇帝
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ヴァスクレセンスキー門
赤の広場の北側の門。国立歴史博物館とカザンの聖母聖堂の間に位置する。17世紀に建造。旧ソ連時代の1931年、パレードの邪魔になるという理由でスターリンにより破壊されたが、1993年に元の姿に再建。
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門の前には「ロシア全道路の起点」がある。ここで願い事をしながらコインを投げる。
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赤の広場
世界を揺るがせた歴史的な出来事が何度となく発生し、広場の東に残る礎石(そせき)「ロブノエメスタ」には、義賊ステンカ・ラージンが17世紀末に処刑されたのをはじめ、何人もの反権力指導者が断罪された。1812年には皇帝ナポレオン率いるフランス軍が侵攻したが、あまりの寒さのために、最終的に引き返すことになった場所である。ロシア革命当時には、革命軍(赤軍)と反革命勢力(白軍)の戦闘が繰り広げられるなど、血なまぐさい歴史が繰り返された。

「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々ロシア語では「美しい」という意味もあり、広場の名前は本来「美しい広場」というものであった。広場は北西から南東に長く、南西側にはガガーリンやスターリン、片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸、城壁に接しているレーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、北東側にはグム百貨店、北西端には国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門、南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリイ大聖堂と処刑場・布告台だったロブノエ・メストがある。

旧ソ連の国旗
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画面の下側がグム百貨店、真ん中がレーニン廟、上側がクレムリン、左側が聖ワシリィ大聖堂、右側が国立歴史博物館
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ヴァスクレセンスキー門をくぐると赤の広場に入る。
何度来ても飽きなかった。

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ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)
赤の広場にあるロシア正教会の大聖堂。正式名称はポクロフスキー大聖堂。16世紀半ば、初代ロシア皇帝イワン4世がカザンハン国に対する戦勝を記念して建造。中央の主聖堂のまわりを八つの小聖堂が囲む。17世紀から19世紀にかけて、現在見られる計九つの玉ねぎ型のドームが造られ、彩色が施された。

この地を支配していたモンゴル軍との戦勝を記念して、イワン雷帝によって1560年に建てられた。イワン雷帝に使えていたワシリー修道士にちなみ「ワシリー寺院」と呼ばれている。そのあまりの美しさに驚いたイワン雷帝が、二度とこのような美しい建物ができないように、設計者の眼をくり抜いたという話が伝わっている。スターリン同様、独裁者は何をしても罪に問われないのである。なお雷帝と呼ばれたのは、その声が雷のように大きかったためとか。

前に建つ像は、モスクワをポーランド軍から解放した英雄、ミーニン(商人)とポジャルスキー(スーズダリ大公)
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内壁に描かれたフレスコ画や絵画
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イコノスタス(寺院の内部を一般信者が礼拝する場所と至聖所とを隔てるイコンの壁)
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聖ワシリー寺院からの赤の広場の眺め
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映画「アメリ」を真似て、各国の観光名所で相方をパシャり
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ボクの相方はアヒルのガーコと絵描き歌コックさん(5名まで隊員募集中)
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ファミコンやゲームボーイでよくやっていたテトリスの背景にこのワシリー寺院が使用されていたので、これを見た時テトリスを思い出した。ちなみにテトリスはロシア生まれ。
(オヤジの戯言:最近のガキは、ちょっと触れるだけでバグるファミコンや白黒画面のゲームボーイとか知らねえんだろうなー)


ロブノエ‐メスト(元処刑場)
聖ワシリー大聖堂の前に位置する。16世紀に建造。かつてロシア皇帝が布令を発する場所として、また重罪人の処刑の場として用いられた。17世紀の農民反乱の指導者ステンカ=ラージンがここで処刑されたことで知られる
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レーニン廟
赤の広場にある革命家ウラジミル=レーニンの霊廟。レーニンが死去した1924年に木造の遺体安置所が設置され、1930年に現在見られる赤い花崗岩(かこうがん)を用いた石造の廟に造られた。旧ソ連時代には、赤の広場で毎年催されたメーデーと革命記念日のパレードの際、書記長をはじめとする共産党指導者や政府首脳が廟の上に立って観覧し、演説を行ったことで知られる。
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国立歴史博物館
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様々な展示物の中でも、白赤の広場での軍隊の行進のフィルム映像が印象的。すぐそこでやってたと思うとドキドキする。
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グム百貨店
外資系ショップやレストランなどが入っている
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夜になるとライトアップする
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コローメンスコエの昇天教会
首都モスクワ中心部の南東、モスクワ川右岸の高台にあるコローメンスコエは、かつてモスクワが首都だった時代のモスクワ大公国のイワン4世(雷帝)からピョートル1世(大帝)までの歴代の大公・皇帝の別荘地となってきたところである。1925年、ここに野外文化財博物館が設置され、ロシア各地の歴史的建築物が移築、保護された。その中のキリスト昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)が、世界遺産に登録されている。この教会は、モスクワ大公国のヴァシーリー3世が、のちにイワン4世となる息子の誕生を祝って1532年に建てたもので、多角錐状の木造屋根を持っている。ロシア正教会の聖堂建築は、玉ねぎの形をした屋根(ルコヴィッツァ)を特徴としていることで知られるが、これは、その玉ねぎ形の屋根のない、ロシアで古くからやぐらや塔などの木造建築で採用されてきたものである。この教会は、コローメンスコエの歴史的建築物の中でも、最も古い建物である。

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ヴォズネセニエ教会。ロケットのようなフォルムが特徴。渡航歴_ロシア_モスクワ_18_1

前門(宮殿門)
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ノヴォデヴィチ女子修道院群
モスクワにある正教会の修道院の中でも、最も有名な女子修道院の一つである。この修道院の建物は、リトアニアからのロシア領土奪回を記念して、当時のモスクワ大公国のヴァシーリー3世(1479~1533年)の命により建設が始まった。現在残っている修道院の建築物群は15の建物からなる。6本の柱と3つのドーム屋根を持つスモレンスキー聖堂は、1524年から1525年にかけて建設されたもので、モスクワ・バロック様式の傑作とされ、ロシア建築特有の中央の切妻屋根は、雷帝と呼ばれたイワン4世(1530~1584年)の治世に建設されたものである。この聖堂の中には、16世紀のテンペラ画を主体にした壁画がある。
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外壁の傍に湖がある
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この湖でチャイコフスキーがバレエ曲「白鳥の湖」の構想を練った。この時は白鳥ではなくて鴨がいた。
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トレチャコフ美術館(本館)
トレチャコフ美術館は、歴史的には1851年(英語版では1856年)にモスクワの商人で工場主であったパーヴェル・ミハイロヴィッチ・トレチャコフ(1832年-1898年)とセルゲイ・ミハイロヴィッチ・トレチャコフ Sergei Mikhailovich Tretyakovの兄弟が自邸に開いた美術ギャラリーから始まった。トレチャコフ兄弟により様々なロシアの芸術家たちの作品が収集され、現在ではロシア最大級の美術館のひとつにまで成長した。

ロシアのイコンの傑作、左)至聖三者、右)ウラジミールの生神女
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座るデーモン
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1861年2月19日の読書 
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お目当ては↓コレ

見知らぬ女
ロシアの画家イワン・クラムスコイの作品。雪景色を背負った若い女性は、誇らしげであり高慢そうにみえる。目鼻立ちは整っているが、絶世の美女というわけではない。その人となりは彼女の印象的なくちびる、物憂げな眼、濃いまつげといった表現によって露わになっている。まとっているのは流行りの黒い毛皮のコートと帽子、薄い革手袋であり、ペテルブルクのアニチコフ橋に馬車をとめている 。彼女がいったい何者であるのかは美術史家たちも明らかにすることができないままだ。
渡航歴_ロシア_トレチャコフ美術館_5

土産にポスターを購入した。ドMのボクの部屋にピッタリ。


ボリショイ劇場
ロシアを代表するバレエ、オペラ劇場(歌劇場)である。「ボリショイ」とはロシア語で「大きい」を意味し、単純には「大劇場」。ロシア国内のいくつかの都市には複数の劇場が存在し、大きなものをボリショイ劇場と呼び、小さいものをマールイ劇場と呼ぶ慣習がある。ロシア国外では、一般に「ボリショイ劇場」と言った場合はモスクワのボリショイ劇場を指す。

外観のみ。スケジュールが合えばバレエ・オペラを観たかった。
渡航歴_ロシア_モスクワ_60_1

渡航歴_ロシア_ボリショイ劇場_6

渡航歴_ロシア_ボリショイ劇場_7

渡航歴_ロシア_ボリショイ劇場_1渡航歴_ロシア_ボリショイ劇場_3
引用


モスクワ大学
18世紀のロシアの学者ロモノーソフがロシア人子弟のための高等教育機関の創設の必要を元老院に建言し,これをうけたエリザベータ・ペトロブナ女帝の勅令によって1755年に開設された。

渡航歴_ロシア_モスクワ大学
引用

中に入ってちゃっかり講義を受けてやろうと思ったが、入口でIDチェックしていたので断念した。

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渡航歴_ロシア_モスクワ_32渡航歴_ロシア_モスクワ_33

渡航歴_ロシア_スターリン様式_4

このモスクワ大学を含む、7つのスターリン様式のモスクワ建築があり、“七姉妹”“スターリンのウエディングケーキ”などと呼ばれている。

スターリン様式
ヨシフ・スターリン政権の時代のソビエト連邦で多く建てられた、建築物の様式の1つである。社会主義リアリズムの表現の1つであり、社会主義の発展と革命の達成を、摩天楼で表現し、労働者を鼓舞することを狙ったものとされる。スターリンは、ニューヨークの摩天楼に対抗し、モスクワに何十棟の超高層ビルを建設し、モスクワの風景をニューヨークのマンハッタンのようにするつもりだった。

芸術家アパート
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ウクライナホテル
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渡航歴_ロシア_スターリン様式_1
渡航歴_ロシア_スターリン様式_3
引用

モスクワの建造物は1950年代に建てられたものが多くレトロな街並みになっている。
なんか無骨で男らしく感じる。

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黄金の環と呼ばれるモスクワ近郊に環状に連なる古都群に行った。

黄金の環
モスクワの北東近郊にある古都の総称。ウラジーミル、スーズダリ、セルギエフポサード、ヤロスラブリをはじめ、世界遺産に登録された歴史地区や建造物群を有する都市も多い。モスクワ以上に長い歴史を持つ町、モスクワと覇権を争った町、大きな歴史事件の舞台となった町などがある。

セルギエフ・ポサード/Се́ргиев Поса́д
1340年代にセルギー・ラドネシスキーにより創建された後のトロイツェ・セルギー大修道院の周辺にできた村を起源とする。古くからミニアチュールと木製玩具の製作が盛んで,タタール,ポーランド,リトアニアから攻撃された経験をもつ。

渡航歴_ロシア_トロイツェ・セルギエフ大修道院_1
渡航歴_ロシア_トロイツェ・セルギエフ大修道院_4
引用

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トロイツェ・セルギエフ大修道院
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モスクワへ帰る電車の中、前に座っていたカップルが音をたててディープキスをずっとしていた。
“音はたてないでね”と心の中で思っていた。
渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_20


ウラジーミル/Владимир
市の歴史は,ウラジーミル・モノマフが1108年,この地に要塞を築いたのに始まる。57年アンドレイ・ボゴリュプスキーがここをウラジーミル・スーズダリ公国(〈ウラジーミル大公国〉の項参照)の首都とするに至って特に発展し,すでに衰退しつつあった当時のロシア(キエフ・ロシア)の首都キエフと対照的に,大きな政治的意味を獲得してゆく。

昨日に続いてディープキスをしているカップルを探したがいなかった。
あのカップルが特別みたい。ちょっと残念だ。
渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_1

ウスペンスキー大聖堂
渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_2

黄金の門
渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_2_1

ホテルの受付のねーちゃんが民族衣装を着ていて人形みたいだった。やっぱ制服いいね~。
(オヤジの戯言:こういう感情が若者でいう“萌え”というやつなのだろうか)
渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_3


スーズダリ/Су́здаль
12世紀前半,ユーリー・ドルゴルーキー公の治世にロストフ・スーズダリ公国の首都となる。一時ウラジーミル・スーズダリ公国に含まれるが,13世紀には独立したスーズダリ公国の,14世紀前半にはスーズダリ・ニジェゴロド公国の首都となった。(〈ウラジーミル大公国〉の項参照)14世紀末モスクワ大公国の支配下に入って以来政治的意味を失ったが,宗教的意味は保持し続け,主教座,16世紀から19世紀までは大主教座がおかれていた。

今回行った黄金の環の町の中でも、スズダリは最も田舎でのどかだった。
風が気持ちよかった。

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ラジヂェストヴェンスキー聖堂
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トルゴヴァヤ広場。町の中心地。
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田舎の小さな教会も生活感があっておもしろい
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スパソ・プレオブラジェーンスキー聖堂
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渡航歴_ロシア_スパソ・プレオブラジェーンスキー聖堂

リザパラジェーンスキー修道院
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ここで休憩してた
渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_13_1

のんびり歩く
渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_13_2

木造建築博物館に行った。
渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_10_1

渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_10_2

プレオブランジェスカヤ聖堂
渡航歴_ロシア_スズダリ木造建築博物館

ぼっとん便所だった。見ちゃいけないと思ってたのに下を見てしまった。
渡航歴_ロシア_モスクワ近郊_10

そんな落ちた気分を和らげてくれる風が吹く田舎町、スーズダリ。


~続く~

あとがき
ロシアンマフィアがヤバイってどれくらい?と思い、興味本位で世界のマフィアランキングを調べてみた。

Top 10 Biggest Mafias Around the world

10. Jamaican-British Yardies / ジャマイカ系イギリス人のヤーディ
9. The Albanian Mafia / アルバニアのマフィア
8. The Serbian mafia / セルビアのマフィア
7. Israeli Mafia / イスラエルのマフィア
6. Mexican Mafia / メキシコのマフィア
5. Japanese Yakuza / 日本のヤクザ
4. Chinese Triads / 香港の三合会
3. Colombian Drug Cartels / コロンビアの麻薬カルテル
2. Sicilian and American Cosa Nostra / シチリアのコーサ・ノストラ
1. Russian Mafia / ロシアのマフィア

ロシアは1位か・・・

“日本5位ですや~ん”   と思ふ今日この頃でございます


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【渡航歴】ロシア①

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2010.07 ロシア旅行記

flag_flag_of_Russian_1.pngロシア/Russia

2010年07月のお話。

5年担当したプロジェクトを離れることになり、自分へのご褒美と次のプロジェクに参画すると当分休めないことが分かっていたので、行きたい国の中で行きにくいに行こうと思い、ロシアを選んだ。

ロシアに入国するにはビザもそうだが、ビザを取得するためにバウチャー(ロシア連邦外務省公認の旅行代理店が発行するホテルや交通機関の予約と、その支払証明書のこと)が必要になり、事前に旅スケジュールや宿泊場所を決めておく必要がああった。(これは旅行代理店に手配する場合であって、個人で行く場合は空バウチャーを使用することもできます。当時は準備時間とロシア観光情報があまりなかったので旅行代理店を利用しました。)

このロシア旅行が海外旅行で初めて行きあたりばったりのノリ
な旅ではなく、出国前にきっちりと旅行スケジュールを固めた旅、になるはずだった・・・

世界地図(赤色箇所が訪問した国)
世界地図_ロシア

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ロシア_自己評価 

自分の中では十分にロシアを満喫したので世界一周では訪れない予定です。
とはいえはあれから月日は経っていますし、ロシアを全て観光した訳ではないので、もし
オススメがあれば教えてくださ~い



海外旅行では様々なトラブルが起きる。
これまでに海外で詐欺や盗難などは経験があったが、ロストバゲージ(荷物紛失)や飛行機の乗り遅れなどの空港トラブルは経験がなかった。

前述のように、今回の旅行はホテル、移動手段、観光手配などのスケジュールを決めていた。もし、日程がずれるとスケジュール変更や調整が必要になる。

その一番恐れていたことが、よりによってこのロシア旅で起こってしまった。

トラブルが多かったり、サービスの質が悪かったりなどでアエロフロート・ロシア航空やアリタリア・イタリア航空はあまり良い評判を聞いていなかった。

今回利用する航空会社はアエロフロート・ロシア航空だった。

海外トラブル ~File.05 私をロシアに連れてって ~
---------------------------------------------------------------
初めて出国前にスケジュールを決めたロシア旅。
後は現地で観光を楽しむだけ。

10:00
出発当日、いつものように最寄り駅の成田空港行き高速バスに乗り、予定通りに出発2時間前に空港に到着した。
チェックインして搭乗ロビーでゲートが開くのを待っていた。

11:30
出発時刻の30分前になった。
いつもなら搭乗手続きが開始するのだが、何やらアエロフロート・ロシア航空の職員が慌ただしくしている。

様子がおかしいと思っているとアナウンスが聞こえてきた。

“12:00発 モスクワ経由ローマ行きの飛行機のエンジンに故障が見つかり現在、修理・点検をしております。”

“14:00までに回復の見込みがない場合、フライトキャンセルさせて頂きます。”

神無月_1 

イライラを抑えつつ、スケジュールに影響がないかを考えた。


↓12:00になっても搭乗手続きが始まらないモスクワ経由ローマ行きの便
渡航歴_ロシア_成田_1 

14:00
アナウンスが聞こえた。

“エンジン故障の修理の見込みがないため、当便はフライトキャンセルさせて頂きます。”

“明日12:00の便での出発となりますので、チケット変更が必要となります。”
(アエロフロート・ロシア航空のモスクワ行きは1便/日しかなく、次のフライトとなると翌日になってしまう)

“只今、周辺ホテルの手配をしておりますので確保できるまで、これからお渡しするお食事券2,000円をご利用して頂きロビー内でお待ち下さい”

いろいろ聞きたいことがあったが航空職員はアナウンス後すぐにどこかへ行ってしまった。
ヒラリークリントン_1

仕方が無いとはいえ、一方的なガイド、貴重な観光時間が減ることなどが重なりイライラはピークに達していた。

ここで一番気がかりなのがロシアでのスケジュール変更・調整。
旅行代理店に連絡して、状況報告し今後の対応を相談した。

結果は、「サンクトペテルブルグのホテル1泊」と「ノヴゴロド観光」を諦めることになった。

お金のことを考えると成田空港周辺ホテル1泊とお食事券2,000円だと全然割に合わない。
(そのあたりを旅行代理店も航空会社に問い合わせしても、特に返金などはできないとの回答)

パスポートと荷物も預けていて身動き取れなかったので、ホテルが確保されるまでロビーで待機した。

渡航歴_ロシア_成田_2_2 

↓どこの店も同じ目に合った乗客で溢れていたのでお食事券2,000円で買ったマクドナルドをロビーで食べた。
お食事券で買える物が限られていてしかたがなくマクドナルドにした。これもイライラのポイント。

渡航歴_ロシア_成田_3渡航歴_ロシア_成田_4 

17:00
アナウンスが聞こえた。

“ホテルのご用意ができましたので係りの者に従い、チケットの手続き後、パスポートと荷物を受け取ってホテル行きシャトルバスの乗り場でお待ち下さい。”

結局、ちゃんとした謝罪と説明、質疑応答はなく、アナウンスで一方的にガイドしただけだった。
こんなことをいうのはなんですが、乗客は“犬”です。指示されたことに従い行動するだけです。
二度とアエロフロート・ロシア航空なんか使うかよ

↓ホテルの部屋から見えた飛行機を見て、“今頃は・・・”と思っていた
渡航歴_ロシア_成田_6 

翌10:00
ホテルをチェックアウトし、昨日と同じように成田空港でチャックインして搭乗ロビーで待機していた。

これで終わりではなかった・・・

~続く~



海外トラブル ~File.06 私をロシアに連れてって、て聞こえてます? ~
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せっかくの海外旅行、昨日の出来事は忘れて楽しく行こう、と気持ちを切り替えて搭乗手続きが開始するのをロビーで待機していた。

11:30
昨日と同じようにアエロフロート・ロシア航空の職員が慌ただしくしている。
暫くするとアナウンスが聞こえてきた。

“機内トラブルのため12:00からの搭乗手続きを変更させて頂きます。搭乗手続きの準備ができ次第ご案内いたします。”

さかなクン
呆れた気持ちでとりあえず待機した。

13:30
2時間遅れで搭乗手続きが開始し、14:00に成田空港を出発した。

ここで1点、問題が残っていた。

ボクの手配した航空券のルートは、
予定では、12:00 成田→16:00モスクワ( 乗り換え時間:1h)→19:00 サンクトペテルブルグ だった。

乗り換え時間が1時間しかないのに、出発が2時間遅れてるやん?アウトやん?

事前に航空職員に聞くと、“モスクワ到着後に空港内のチェックインカウンターで確認してください”とのこと。

ヒラリークリントン_3 

18:00
モスクワに到着。
到着してすぐ入国審査。時間無いのにすっげー並んでる。
日本人の団体に事情を説明して、前に割り込みをさせてもらった。
(その時はほとんどがローマ行きでロシア入国はボクぐらいしかいなかったこともあって親切にしてもらった)

やっとのことで入国審査が通過し、荷物を受け取って国内線のチェックインカウンターに到着した。

19:00
予想はしていたが成田→モスクワ便が遅れていたことは伝わっておらず、一から説明した。
するとモスクワ→サンクトペテルブルグ便のチケットの手配はしてもらったが、満席だったようで3便遅れての出発となった。

だめだこりゃ 

22:00
なにをするわけでもなく無駄に時間を過ごし、やっとのことでモスクワを出発した。

24:00
予定より1日と5時間遅れてサンクトペテルブルグに到着した。

予定では19時に着いて、空港→市内はシャトルバスで、市内→ホテルは地下鉄で行くはずだった。
でも、今は24時。市内行のシャトルバスはあったものの、地下鉄は閉まっていた。
仕方がなくタクシーでホテルに行くことにした。

ガイドブックには、“ロシアは治安が悪いので夜中は出歩かないように”と。
(日本の治安が良すぎたり、ガイドブックの保障逃れなどと分かってはいるがやっぱり気になる)

それに出国前に、サンクトペテルブルグにはロシアンマフィアが多く潜伏していると耳にしていた。

それもあってサンクトペテルブルグの街並みや人々が怖く見えた。

24時のサンクトペテルブルグ空港。空港前でも薄暗い。
渡航歴_ロシア_サンクト_1 

空港から市内へバスで移動した。
途中、停車しバスの乗車人数が減っていき、終点ではボクを含めて10人もいなかった。
他の人もボクと同じ状況だろうと思う、真似てタクシーを拾おうと思っていたが、皆、車の迎えがあったり、徒歩でどこかに行ったりと、すぐにボク1人になった。

ここはどこ?

待っていても仕方がないので、大通りでタクシーが来るのを待った。
10分ほどしてタクシーに乗り込んだ。

タクシーの運転手はボブチャンチン似のスキンヘッドのいかついオヤジ。

イゴール・ボブチャンチン。元K-1選手。
渡航歴_ロシア_ボブチャンチン

ホテルに向かうタクシーの中。(ブレまくっている)
渡航歴_ロシア_サンクト_2 

サンクトペテルブルグの中心地らしきところでも小さな街灯だけで、道を歩く人の顔が見えないくらい暗い。

地理感がないので、今どこに向かっているかもわからない。

10分ほど進むと今度は街灯もない暗い裏路地を走りだした。

“ロシアンマフィア”“裏路地”“観光客” が頭を過った。

昔のインド旅行(海外トラブル ~File.01 最後の最後に追加料金 ~)のことを思い出した。

あの時は、旅の最終日を理由にひたすら金が無い、で押し通した。

でも、今回はホテルに向かっている以上、金が無いだけでは言い通せない。

どうやって逃げ切るか?
マフィアだけに拉致られて金品を全て盗られたあげくボコボコか?
ボブチャンチンのロシアンフックは嫌だな~

とか考えているとタクシーが止まった。

え?真っ暗だけど廃墟ビル?ここでシバかれるの?と一瞬思ったが、運転手がビルに指をさして“ホテル”と一言。

↓真夜中だから部屋の電気が消えている、サムスンの広告があるなど今見るとなんともない光景に見えるが、当時は気味悪く、不安に思った。
渡航歴_ロシア_サンクト_3 

26:00
やっとのことでホテルにチェックインができた。
この1時間後に就寝し、観光時間を取り返そうと思い4時間後にはサンクトペテルブルグ観光を始めていた。


ロシア観光初日から本当に疲れた。
苛立ち、想定外、不安なことばっかりだった。
よりによって初めてスケジュールを決めたロシア旅で・・・

そこもこれも1度ならず2度も粗相をしたアエロフロート・ロシア航空のせいだ。

二度とアエロフロート・ロシア航空なんか使うかよ
PS.
アエロフロート・ロシア航空のCA制服がレトロな感じで好き。
ロシア人のカワイイCAさん、もっと好き。

渡航歴_ロシア_CA制服渡航歴_ロシア_CA制服_2渡航歴_ロシア_CA制服_3 
またアエロフロート・ロシア航空を利用しよ



~続く~

あとがき
“せ せせ 制服が す す 好きなんだなぁ”   と思ふ今日この頃でございます


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【渡航歴】韓国

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2009.12 韓国旅行記


flag_flag_of_SouthKorea_1.png韓国/Korea

2009年12月のお話。

12月末に予定していた仕事がリスケし、急に暇になり前倒しで年末休暇を取得した。
準備期間も含めて旅行スケジュールが1週間もなかったので、勢いだけで行き先を韓国に決めた。

当時は、ウォン安や韓流ブームもあって韓国は人気があり、便数も多く、手ぶらでもいいくらい気軽に行ける国だった。
そんなことで思い立った日に航空券を手配して、2日後には韓国にいた。

世界地図(赤色箇所が訪問した国)
世界地図_韓国

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_韓国_自己評価 

自分の中では十分に韓国を満喫したので世界一周では訪れない予定です。
とはいえはあれから月日は経っていますし、韓国を全て観光した訳ではないので、もし

オススメがあれば教えてくださ~い


ソウル/Seoul
キムチと美容の国韓国の首都ソウル。

12月の韓国は雪が積っていた。
渡航歴_韓国_3_2 渡航歴_韓国_3_3

街並みはほとんど日本と変らず、日本で馴染みの光景が多く、物珍しさはなかった。
とりあえず朝から世界遺産を巡った。

寒いせいか観光客どころか現地の人もほとんど見なかった。

昌徳宮(チャンドックン)

正宮である景福宮に対する離宮として建設された、敷地面積が58万m2の建造物である。1592年の文禄の役(壬辰倭乱、豊臣秀吉の第一次朝鮮出兵)で焼失後、正門である敦化門や、正殿で王が日常の政務を行っていた仁政殿、王妃の寝室として利用されていた大造殿などの木造建造物は1614年に再建され、韓国の宮殿の中では最も往時の姿を今に残す遺構となっている。
渡航歴_韓国_1

宗廟(チョンミョ)
李氏朝鮮の祖先(歴代の王)の霊廟。歴代の王を祀る正殿、神位が増えたために別廟として建設した永寧殿、83人の功臣を祀る功臣堂のほか、斉室、典祀庁、楽工庁があり、現在も、毎年5月に王族の李氏の子孫である全州李氏一族によって祭祀が営まれている。
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渡航歴_韓国_2_2渡航歴_韓国_2_3


世界遺産の上記2件よりも↓コレの方が見ごたえがあった。

景福宮(キョンボックン)
李氏朝鮮王朝の正宮。ケソン(開成)から漢陽(現在のソウル)に遷都(せんと)した朝鮮王朝の始祖・太祖李成桂により1395年に築かれた。ソウル市内の5つの王宮の中で最も規模が大きく、壮麗。
渡航歴_韓国_景福宮
引用

渡航歴_韓国_27
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守門将交代儀式をやっていた。風が冷た過ぎて観るのを途中で断念した。
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見ごたえ十分なんだけど何せ寒い
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徳寿宮(トクスグン)
朝鮮王朝の宮殿。もともとは朝鮮王朝第9代国王のソジョン(成宗)の兄、ウォルサンテグン(月山大君)の邸宅だったが、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の後、漢陽(現在のソウル)に帰還した第14代国王のソンジョ(宣祖)が臨時の王宮としたほか、第15代国王の光海君や第26代国王・大韓帝国初代皇帝の高宗の住まいとなった宮殿である。
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北村韓屋村
韓国の伝統的家屋である韓屋(ハノク)の密集する地区。
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水原(スォン)

華城(ファソン)
李氏朝鮮時代の城塞遺跡である。全長5kmを超える城壁の東西南北の四方に4つの楼門(東の蒼龍門、西の華西門、南の八達門、北の長安門)を設け、長安門の東には、石橋の下に7つの水門がある水上楼閣華虹門を建設した。

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こんな寒い中何してんねんやろ?って思ってた
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大邱(テグ)

八萬大蔵経の納められた伽倻山海印寺(カヤサンヘインサ)
伽倻山海印寺は、韓国南部の慶尚南道にある古刹。この寺院は統一新羅時代の802年に創建された。海印寺には、毘盧遮那仏を本尊として祀る大寂光殿(本堂)や1488年に建てられた蔵経板殿(大蔵経経板閣)がある。蔵経板殿には、仏教経典の集大成である8万1258枚の「大蔵経」の版木(木版印刷用の刻板)が完全な形で保存されている。

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慶州(キョンジュ)

午前中はバスに乗って世界遺産を見に行った。

石窟庵(ソックラム)と仏国寺(プルグクサ)

かつて新羅(4世紀半ばから935年)の都があった慶尚北道のキョンジュ(慶州)市東南の郊外にある仏教史跡で、8世紀頃新羅35代の景徳王の時代に建設された新羅美術の最高峰の遺構である。最盛期の8世紀には約60棟の木造建築物(伽藍)があったといわれるが、1592年の文禄の役(壬辰倭乱、豊臣秀吉の第一次朝鮮出兵)で、ほとんどが焼失してしまい、現在残っている木造の建築物は、17世紀以降に再建されたものである。プルグクサの境内には、釈迦塔や多宝塔などの当時の石塔が残されている。

石窟庵内の阿閦如来座像
渡航歴_韓国_石窟庵
引用

仏国寺
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渡航歴_韓国_仏国寺
引用

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韓国にも朱印があるとは思わなかった。
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午後はレンタルサイクルで慶州歴史地域を巡った。

オバチャリ最強
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寒い中、ガイドブックと案内表示を見ながらこぎ続ける。
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古墳や遺跡があちこちにある
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雁鴨池。若干、池が凍っていた。
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国立慶州博物館。ここオススメ。
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慶州中心地のホテルはラブホテルのようなところが多い。ガイドブックにも載っている。

ラブホやん
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暖かいところを求めしょっちゅうお店に入っていたこともり、この旅ではよく食べた。
メイン料理に付いてくる無料の小皿サービスが得した気分になる。


プデチゲ

韓国での初飯。銀の平たい橋は慣れなかった。I明洞(ミョンドン)で食べたIKKOオススメの店。
渡航歴_韓国_3

カルビ定食。韓国は焼き肉が有名。右上のカルビとテールスープ以外の6,7の小皿は無料。
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市場の屋台で食べ歩き。左は真っ赤な鍋のカニ、右は韓国おでん。
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5種の味付け豚肉のサムギョプサル。キムチを鉄板で焼くのが新鮮だった。  
渡航歴_韓国_4渡航歴_韓国_4_1

左はお粥、右は牛骨鍋。キムチと青唐辛子はよく付いてくる。試しに青唐辛子をかじったら飯どころじゃなくなった。
渡航歴_韓国_11渡航歴_韓国_10_3

韓定食。郷土料理などが30皿以上出てくるコース料理みたいなもの。ボクの時は進料理みないなものが次々に出てきた。
↓コレで半分ぐらい
渡航歴_韓国_18
さすがに完食できなかった。
渡航歴_韓国_18_15 

地元の人で賑わう大衆食堂で食べた海鮮混ぜご飯。お店で一番辛くなさそうなやつを選んだ。
渡航歴_韓国_19
これまでと比にならないぐらい辛かった。トイレの時ヒリヒリした。韓国人何食うてんねん。
渡航歴_韓国_19_2

プルコギとダンキンドーナツ
渡航歴_韓国_30_2渡航歴_韓国_28_7

腹いっぱいで苦しくなったら韓国サウナのオンドル(温水式床暖房)で横になった。
渡航歴_韓国_5


全体を通して、現時点の韓国の印象はこんな感じです。
・ 観光は春か秋 (12月の韓国は日本より寒い気がする)
・ 韓国グルメは肉か草か赤い物

あとがき
韓国人は美意識が高い。そんな国民性もあり、韓国では整形が日常的に行われている。親が子供の入学祝いや卒業祝いに整形手術をプレゼントするぐらいだ。そんな整形のイメージがあった韓国旅行では、道行く人が美人だと“この人は整形なんだろうな”とか思っていた。ちょっと怖いと思った。

“上京して間もないとき、道行く東京のセクシー女性の10人に1人はAV女優と思っていたなぁ”   と思ふ今日この頃でございます

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【渡航歴】ペルー・ボリビア③

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2009.09 ペルー・ボリビア旅行記


~続き~
国旗_ボリビアボリビア/Bolivia

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ボリビア_自己評価

現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_ボリビア_訪問予定都市 

ラパス/LaPaz
世界一高い標高(3,650m)にあるボリビアの首都ラパス。

バスからのラパスの街の眺め。
ラパスの街はすり鉢状になっている。坂が多く、すぐに息切れする。
渡航歴_ボリビア_1 

ラパスのバスターミナル
ここから乗ったウユニ行きのバスは舗装されていない山道をスピードを出して走行するので、よく体が宙に浮く。
渡航歴_ボリビア_4_7 渡航歴_ボリビア_4_8

民芸品や楽器などの露店が並ぶサガルナガ通りリナレス通り。ラパスは雑貨天国。
渡航歴_ボリビア_4
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渡航歴_ボリビア_2_2 渡航歴_ボリビア_1_3

リャマのミイラとか売っている。コレめっちゃ臭いけど誰が買うの?
渡航歴_ボリビア_3 

コロニアルな雰囲気が漂う旧市街ハエン通り
渡航歴_ボリビア_4_6 渡航歴_ボリビア_4_5

ボリビア名物サルテーニャ。肉と野菜のパイ包み。 
渡航歴_ボリビア_4_3  


ウユニ/Uyuni
ボリビアに来た目的はウユニ塩湖。
ウユニ塩湖といえば、雨季(2月頃)に塩湖に溜まった水が空を映して、まるで空に浮いているかのような幻想的な光景を思い浮かべる。

今回、ボクは行ったのは乾季(2月)。カラッカラの大地でした。それはそれで楽しめましたが、やっぱりあの幻想的な光景は見たいですね。
渡航歴_ボリビア_ウユニ塩湖引用
引用

ウユニの街。高所にある街だけあって朝はめっちゃ寒い。
渡航歴_ボリビア_5

旅行代理店で1泊2日のツアー(宿付き)を申し込んだ。

4駆に乗り込み、寄り道をしながらウユニ塩湖に向かう。

列車の墓。廃棄された鉱山列車。
渡航歴_ボリビア_6

塩田の隣にある土産店。塩でできたサイコロを振ったらソッコー欠けた。
渡航歴_ボリビア_7_1 

10分ほど車で移動すると、段々と白い大地が見え始めた。
渡航歴_ボリビア_9

ウユニ塩湖に到着。一面、真っ白。
渡航歴_ボリビア_17_6 



日差しが強い。地面からの照り返しもあって直ぐに日焼けする。
渡航歴_ボリビア_10_2 

遠近感がなくなる
渡航歴_ボリビア_10 




塩のホテルプラヤ・ブランカ。宿泊者でなくても見学できます。
渡航歴_ボリビア_13_1 
渡航歴_ボリビア_11 渡航歴_ボリビア_12
渡航歴_ボリビア_13_2 渡航歴_ボリビア_11_1

イスラ・デ・ペスカ(魚の島)。
渡航歴_ボリビア_14

こっからの眺めが絶景。塩湖上の黒い横線は国道。
渡航歴_ボリビア_15



ボクが泊った宿のすぐ裏に山があり、朝日を見ようと山を登った。

スタート地点で既に標高3,700m。しかも深夜なのでチョー寒い。
息切れも激しく、体が震えるほど寒かったので1/3ほど登って朝日が出るのを待ち続けた。

真っ暗でライトがないと何も見えないのに現地の人は手ぶらで登る
渡航歴_ボリビア_17_1

おっ!空が白み始めた
渡航歴_ボリビア_17_2

目の前がだんだんとピンクから薄紫に変わっていく。塩湖ならではの景色。
渡航歴_ボリビア_17_3

雨季の朝日もやばそうだ
渡航歴_ボリビア_ウユニ塩湖引用_2
引用

登りの時は暗くて分からなかったが、山の麓にアルパカとリャマがめっちゃいた。
めっちゃこっちを見ていた、アルパカとリャマは草食動物だよね?と思った。
渡航歴_ボリビア_16 


全体を通して、現時点のボリビアの印象はこんな感じです。
・ 標高が高い(首都ラパス36,50m、ウユニ塩湖3,700m)
・ ウユニ塩湖


あとがき
ウユニ塩湖では辺り一面真っ白の世界なので遠近感がなくなる。
それを利用してトリックアートみたいなことをして遊んだりする。
ツアーで一緒だったコロンビア人の老夫婦に絵コンテで説明し、トリックアート撮影に協力してもらった。
ボクのアイデアなのか老夫婦のカメラの腕前なのか、全然面白くない写真になっていた。

“次こそは!!”   と思ふ今日この頃でございます

↓コレ面白い。大人数だったり、雨季の方がいいですね。
渡航歴_ボリビア_ウユニ塩湖引用_3
渡航歴_ボリビア_ウユニ塩湖引用_4 


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【渡航歴】ペルー・ボリビア②

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2009.09 ペルー・ボリビア旅行記

~続き~

アグアスカリエンテス/Aguascalientes
マチュピチュの麓にある村。

温泉街のような雰囲気
渡航歴_ペルー_4_4 渡航歴_ペルー_4_2 渡航歴_ペルー_4_3 

一応、温泉がある。チョーぬるい。

渡航歴_ペルー_4_1 

アルパカ・ア・ラ・プランチャ。アルパカのステーキ。味は普通。
渡航歴_ペルー_3 

マチュ・ピチュ
多くの言語で「Machu Picchu」と呼ばれるこの遺跡名は、「老いた峰(Old Peak)」を意味するケチュア語「machu pikchu」を地名化したものの転写である。山裾からは遺跡の存在は確認できないことから、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと雅称される。一方、遺跡の背後に見える尖った山はワイナ・ピチュ (若い峰)で、標高2720m。山頂には神官の住居跡とみられる遺跡があり、山腹にはマチュ・ピチュの太陽の神殿に対する月の神殿が存在する。

マチュ・ピチュの入口。朝一にも関わらず行列。
渡航歴_ペルー_5_1 

入口を通過し、1分ほどで“あの姿“が現れた。
渡航歴_ペルー_21 



朝が早かったこともあり、ワイナ・ピチュに朝日が射している

渡航歴_ペルー_5_2

朝一に来た理由、それはワイナ・ピチュに登るため。
ワイナ・ピチュは1日400名限定で登ることができます。

早い者勝ちなので、マチュ・ピチュ観光は後回しにし真っ先にワイナ・ピチュの入山口に向かった。

皆同じことを考えているようで入山口でも行列が。
(ボクの場合、4時半頃に麓のバス乗り場の行列並んで、100番目ぐらいに入山できました)
渡航歴_ペルー_5_9

入口で入山者名と入山時刻を記入する。怪我したり、閉山時刻を過ぎても帰ってこない人もいるそうです。
渡航歴_ペルー_9
このときは気付かなかったが、既にヤツがいた

ワイナ・ピチュの山頂に行くには、一度マチュ・ピチュを降ってからワイナ・ピチュの麓まで行き、そこからワイナ・ピチュを登ることになる。

マチュ・ピチュを降る。岩肌むき出しでロープがないところもあったりする。
渡航歴_ペルー_5_17

ここからワイナ・ピチュを登り始める
渡航歴_ペルー_5_11

上に行くほど急勾配になっていく
渡航歴_ペルー_5_12

この辺りまで来るとほとんど崖
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頂上付近にくると石造建造物が現れた
渡航歴_ペルー_5_15

行きのバスで通ったクネクネ道が見える
渡航歴_ペルー_11
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ここでやる尻相撲は命懸け
渡航歴_ペルー_5_16




マチュ・ピチュの太陽の神殿に対して、ワイナ・ピチュには月の神殿というちょっとした遺跡がある。
(ガイドブックには“月の神殿まで来る人はほとんどいない”と書いています)

月の神殿はに行くには、マチュ・ピチュに戻る道をさらに降り、しかもただ降るだけでなくワイナ・ピチュを周りながら行く。(ワイナ・ピチュの頂上に行くよりもしんどく感じました)

そんな月の神殿ですが、洞窟に小さい祭壇があるだけで、正直、しんどい思いしてくる価値はないと思う。

ただ、当時は“せっかくここまで来たのだから”と軽い気持ちで行くことにした。
(この時、あんな経験をするとは思いませんでした・・・)


ワイナ・ピチュを降り続けると、マチュ・ピチュに戻る道と月の神殿に行く道に分けれていたので、更に降って月の神殿に向かった。この時、皆、マチュ・ピチュに戻る道を進んでいた。
こんな道をずっと一人で歩いていた
渡航歴_ペルー_5_20

途中で撮ったワイナ・ピチュ。岩肌むき出しのワイナ・ピチュ(正面)と異なり、ワイナ・ピチュ(側面)は緑で覆われている。
渡航歴_ペルー_5_21


かなーーーり降りて、ようやく月の神殿に到着した。

渡航歴_ペルー_13

!?

さっきまで一人だったのに??

いつのまに??

ヤツは黙々と月の神殿を見る
渡航歴_ペルー_5_19

そういえば思い返すとヤツはいつも傍にいた。

ここで初めて声をかけてみた。
何を会話したか覚えていないが、ヤツがボクと同じシャイボーイだったことはは覚えている。

ヤツ
渡航歴_ペルー_5_10

ふと、辺りを見回したら、いつの間にかヤツの姿がなかった。

ヤツは月の神殿の精霊かなにかだと思う(真剣に話しています)

ワイナ・ピチュに登れたのも、月の神殿に来たのも、きっとヤツのお陰に違いない。ペルーに来たことさえもそう思えさせる。

ってお前、サンダルやんけ!ハンパねーな!!
やっぱり精霊だ

なにか神秘的な感じを抱き、月の神殿をあとにしてワイナ・ピチュを登り始めた。

海外トラブル ~File.04 DEAD or SHONBEN ~
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ワイナ・ピチュに登るため事前に1.5ℓの水を持ってきていた。
残り半分あたりから大切に少しずつ飲んだのにあと僅かになっていた。

月の神殿で↓コレくらい
渡航歴_ペルー_14
水のお残量を気にしつつ、ひたすらワイナ・ピチュを登った。

ここから記憶があまりない。どれくらい時間がたったのかも、どんだけ登ったのも。

気付いたら月の神殿に向かう直前のマチュ・ピチュに戻る道に着いていた。

この時点で水は空っぽ。

あとは来た道を戻るだけ。

“あと30分ほど登ればゴールだから頑張れ!”と自分で自分を励まして足を動かした。

5分ほどして喉がカラカラになった。

15分ほどして喉がカラカラカラカラになった。

人と全く会わない。

25分ほどして喉がカラカラカラカラカラカラになった。

残りはあと5分ぐらいだと思いラストスパートで残りの力を出し切って登った。

・・・まだ着かない。

限界と思い、座って人が来るのを待って水を貰うことにした。

5分経過、人の気配がしない。

10分経過、風の音しかしない。

座っていても体力は低下し、喉は乾いていく。

限界はとっくに過ぎている。

あれが頭を過った。

渡航歴_ベルギー_ブリュッセル_5 

よく砂漠で遭難した時に最終手段として自らの小便を飲むと聞く。

食糧飽和国の日本で生まれ育ったボクにとって自分の小便を飲むかどうかを選択する機会が来るとは思っていなかった。

“どんな状況になっても絶対小便なんかの飲まへんて、だって人間の排泄物やん”


そんな思いは一切なく、本当に小便を飲もうと思った。

“小便はこのカラのペットボトルに入れてから・・・”
“少し出してからの方がいいかな・・・”
“不味いんだろうな・・・”
などを考えていた。

その時、2人のペルー人女性がマチュ・ピチュ側の方から見えた。
目が合ったと同時に彼女の手に持ったコーラを指差し、

“コーク プリーズ” と擦れた声で話しかけた。

すると、快くOKと言ってペットボトルを差し出してくれた。

小便を入れる予定だったペットボトルにコーラーを注いだ。
彼女達のペットボトルも1/3ほどしかなく、一口分だけ注いで返すと、もっといいよと言わんばかりにペットボトルを傾けてくれた。

感謝の気持ちを込めて言った。

“せんきゅー べりーまっち”

注ぎ終わると彼女達はそのままワイナ・ピチュの方へ行った。

大げさでも、ネタでもなく、マジで、マジで、マジで、小便を飲むところだった。

ある意味貴重な体験ができたが、
二度と経験しないように気を付けようと心に誓った。


そして20分ほど登って入口が見えた。

入口が見えた時は泣きそうになった
渡航歴_ペルー_15 

すぐに入口で売っている水を購入し(麓の値段の5倍ぐらい)、ビールのCMのように飲んだ。
渡航歴_ペルー_16 



1時間ほど広場で休憩し、マチュ・ピチュ観光を再開した。
渡航歴_ペルー_5_22

市街地への入口。高度な石積み技術。
渡航歴_ペルー_5_5渡航歴_ペルー_5_26

インティワタナ。日時計。
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断崖絶壁に連なる石造建造物と段々畑
渡航歴_ペルー_5_3 渡航歴_ペルー_5_4

この地を見つけたハイラム・ビンガムはインディージョーンズのモデルとなった。
ここを作った古代インカ人も凄いが、見つけたハイラム・ビンガムも凄い。
全体を通して、現時点のペルーの印象はこんな感じです。
・ マチュ・ピチュとワイナ・ピチュ(月の神殿は除く)
・ インカ文明とスペイン植民地時代の街並み(色でいうと茶と黄と白)
・ アルパカ(食べたいぐらいカワイイ)
・ 好きな国ランキング3位

~続く~

あとがき
ペルーにはインカコーラーという甘いコーラーがある。

ペルー_インカコーラー 

「小便味のインカコーラー」と「インカコーラー味の小便」のどちらかを飲まなければいけないとしたら、という状況が来た時、以前の「ウンコ味のカレー」派のボクだったらは前者を選択していただろう。
でも、今回のワイナ・ピチュの件があってから、「インカコーラー味の小便」でも躊躇なく飲めると思う。

“オレは一体何を言っているんだろう?”   と思ふ今日この頃でございます

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【渡航歴】ペルー・ボリビア①

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2009.09 ペルー・ボリビア旅行記

2009年09月のお話。

海外旅行を趣味にしてからずっと行きたかったペルーのマチュピチュを見に行った。

今回は連休と有給を使えることが確約できたので、日本でスケジュールを立てた。
ペルーの行きたいところをピックアップしたらスケジュールの日数が余り、隣のボリビアに行けそうだったのでペルーを観光しつつ行けそうだったらボリビアに行くことにした。

世界地図(赤色箇所が訪問した国)
世界地図_ペルー-ボリビア



ペルー_国旗ペルー/Peru

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ペルー_自己評価


自分の中では十分にペルーを満喫したので世界一周では訪れない予定です。
とはいえはあれから月日は経っていますし、ペルーを全て観光した訳ではないので、もし

オススメがあれば教えてくださ~い


リマ/Lima
インカ文明やアンデス山脈の国ペルーの首都リマ。

リマはペルーの首都で、ペルーの人口の約3分の1が生活する、政治・経済の中心地です。世界遺産に登録されたリマ歴史地区の主な観光地の歴史的建造物は旧市街に集中しています。1549年に建立されたサント・ドミンゴ教会・修道院は、過去の地震にも耐え、外側は建設当時とほとんど変わらないとされる立派な建物。征服者フランシスコ・ピサロが建てたカテドラルや17世紀前半の美しいセビリアンタイルが貼られたサン・フランシスコ教会・修道院、ペルー軍の守り神、聖女メルセーが祀られたラ・メルセー教会も見どころのひとつです。

スペイン植民地時代を色濃く残すリマ旧市街の中心アルマス広場
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大統領府
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カテドラル
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木製のバルコニー。見た目以上に3Dなんです。
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チビッ子とオバちゃん、こっち見ないで



旧市街のメインストリートのラ・ウニオン通り。朝なので店が閉まっている。
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ラ・ウニオン通りをぶらぶらしていると、“やから”が現れた。
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最初は面白がって相手にしていたが、だんだんと面倒臭くなって相手をやめた。
それでも付いて来るのでガードマンが常駐しているマクドナルドに逃げ込んだ。
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サント・ドミンゴ教会・修道院。過去の地震にも耐え外側は建設時の16世紀からほとんど変わっていない。
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渡航歴_ペルー_58_6渡航歴_ペルー_58_4 渡航歴_ペルー_58_5渡航歴_ペルー_58_9  

中庭とそれを囲む回廊も素晴らしい。 
渡航歴_ペルー_58 
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サン・フランシスコ教会・修道院
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渡航歴_ペルー_60 
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メインの教会の他に、カタコンベ(地下墓地)、修道院などがある。

修道院内の書物庫
渡航歴_ペルー_サンフランシスコ教会_1 
引用

カタコンベ(地下墓地)
渡航歴_ペルー_サンフランシスコ教会_2 
引用


宗教裁判所博物館
インカ帝国を征服したスペイン人はキリスト教の宣教師集団でもあった。異端者への厳しい迫害が展示されている。
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渡航歴_ペルー_61_3渡航歴_ペルー_61 
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道に20ペルー・ヌエボ・ソル(PEN)≒ 700円 が置いてあった。
渡航歴_ペルー_67_2 

そのままだと心配なので、とりあえずポケットに入れておくことにした。

歩いていると屋台があった。

不思議なことにポケットに20PENが入っていたのでそれで支払った。

豆乳コロッケパンと豆乳みたいなやつ。2つで1PEN。
渡航歴_ペルー_55 渡航歴_ペルー_56 

旧市街をぶらぶらする。

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リマ旧市街を一通り観光したので別エリアへタクシーで向かった。
不思議なことにポケットに19PENが入っていたのでタクシーの運転手に渡した。

ミラフローレス地区の恋人達の公園
渡航歴_ペルー_64 

バチが当たったのかな?海が鬼のように荒れているんですけど・・・
渡航歴_ペルー_64_2 


ペルー国立博物館
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チャビン、パラカス、ナスカ、モチェなどのプレ・インカとインカ時代をあますとこなく展示されている。
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風格あるけど10歳ぐらいの女の子。
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旅の最後はアルマス広場のカテドラルの前で、旅でお世話になったTシャツ
(pumaを文字ったperuのロゴが入り、マークはピューマではなくアルパカ)
を綺麗にたたみ、旅を締めた。

渡航歴_ペルー_67_10 

“カテドラル綺麗だな~”って旅の余韻に浸りながら、
渡航歴_ペルー_67

捨てた。
渡航歴_ペルー_67_11 



ナスカ/Nazca
言わずと知れた地上絵があるナスカ。

ナスカの地上絵
古代ナスカ地方に居住していた人々が一体どんな目的でこのような巨大な絵を描いたのか、詳しいことは分かっていない。

ペルーでは、リマからクスコへの国内線以外は全てバスで移動した。
ペルーのバスは日本より乗り心地がよく料金が安い。他の国と比べてもコスパは高いと思う。

ナスカ行きでは2階の一番前だったので最高だった。ちょっとした食事やアメニティが付いていたと思う。
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早朝にナスカに到着したにも関わらず、バスターミナルには大勢の客引きがいた。
セスナでナスカの地上絵を見るためガイドブックに載っていた旅行代理店に向かった。
そこで予約した搭乗券は5千円ぐらいだったが客引きの提示してきた金額は3,4万円。
ご丁寧にパンフレットまで作成していた。
(近年、セスナ操縦士の過労が原因で墜落事故が多発し、便数を減らして対応したがその分料金が上がった(1万円以上)と聞きました)

ナスカのいたるところに地上絵をモチーフにしたデザインがみられる
渡航歴_ペルー_49 

旅行代理店で手続きを済ませ、飛行場まで送迎してもらう。

セスナが墜落したらこの写真が最後になるんだろうな、と思って撮った1枚
渡航歴_ペルー_50 

いよいよセスナに搭乗する
渡航歴_ペルー_51 

搭乗人数は6名。操縦士にイタズラできるぐらい機内は狭い。
 渡航歴_ペルー_51_2 

操縦士からコースと地上絵のビューポイントの説明を受け、いよいよセスナが離陸する。

渡航歴_ペルー_ナスカの地上絵マップ 

聞いていた。聞いていたけど、2発もなんて聞いていないよ。

離陸して10分、搭乗者6名の内、日本人女子高生と欧米系オバちゃんの2名がリバースした。

ピッコロ大魔王_卵 

飛行時間は40分ほどあったので彼女達からすると、残り時間は地獄でしかなかったと思う。

気の毒と思ったが、それよりもリバースしたブツが入った袋をしっかり握りしめていてね、と強く願った。

ってか地上絵、薄くね?

ハチドリ
渡航歴_ペルー_53 




またコイツに会えた時は嬉しかった
渡航歴_ペルー_51_3 



アレキパ/Arequipa
ペルー第2の都市アレキパ。
植民地時代の1540年8月15日にスペインの総督、ドン・マヌエル・ガルシ・カルバハル (Don Manuel Garcí Carbajal) によって開かれた。街の名前は、かつてここに野営したインカ帝国の王、Mayta Cápac がこの地に住むことを願い出た兵士に対して言った「ここに住んでよい (Yes, stay here)」という言葉を意味するケチュア語、”Ari-Quepay” に由来するとされている。19世紀には羊毛やアルパカのイギリスへの輸出拠点として栄え、ペルーの経済発展に大きく貢献した。現在でも、国内の商業及び産業の主要拠点のひとつとして広く知られている。街にある建物の多くが街の周辺から産出される白い色をした"sillar"と呼ばれる火山岩で造られており、このためアレキパは「白い街 (la Ciudad Blanca)」という別名で呼ばれる。特にカテドラル周辺はそのような白い建物が多くとても美しい街並みが続く。また、近郊にはのどかな田園風景が広がっている。

アレキパの街並み
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アルマス広場
町の中心にある広場。"sillar"と呼ばれる白色の火山岩で造られたカテドラルと回廊のような形の美しい建物に周囲を囲まれている。付近にはサンタ・カタリナ修道院などの主要な観光スポットや商店、レストランなどが集中しており、地元の人や観光客でいつも賑わっている。夜は広場とその周辺がライトアップされる

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カテドラル
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サンタ・カタリナ修道院
400年以上の歴史を持つ修道院。現在修道士は居住しておらず、全体が博物館になっている。高い塀に囲まれた敷地に一歩踏み入れると、外の俗世間とは違った静寂な空間が広がっている。修道士の居室や講堂、祭壇などが当時のまま残されており、修道士たちが世間との関わりを絶ってどのような生活を送っていたのかを垣間見ることができる。

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観光ツアーバスに乗りアレキパ近郊を巡った。
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ヤナウアラ展望台
ローマの水道橋のような形をしたアーチを抜けたところが展望台になっており、そこからミスティ山などの眺めを楽しむことができる。展望台に隣接してヤナウアラ広場があり、その周辺は花が植えられ、きれいに整備された公園になっている。
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カルメン・アルト展望台
天気がよければ、アレキパを代表する三山、チャチャニ、ミスティ、ピチュピチュの雄大な眺めを楽しむことができる。また、付近には川が流れており、のどかな風景が広がっている。展望台には休憩所があり、休憩所の敷地内ではリャマや食用のモルモットが飼育されている。
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マンシオン・デル・ファウンダドール
16世紀にアレキパの創始者ドン・マヌエル・ガルシ・カルバハル (Don Manuel Garcí Carbajal) の公邸として建てられた後、何人かの所有者を経て1875年に現在のような様式に改築された建造物。邸内にチャペルやパティオがあり、当時の生活用具や武器などが展示されている。
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モフモフのプリティーなアルパカちゃん
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ツアーの最後にギフトショップに寄った。
ギフトショップに行く道の途中に動物園のようにアルパカやリャマを見れる家畜所があった。

前を歩いていたペルーのギャルがアルパカやリャマを見てはしゃいでいた。
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はしゃぎ声に刺激を受けたのか、ちょうど、本当にちょうどの高さでギャルとリャマの顔が重なった瞬間、リャマが唾液をギャルの顔をめがけて発射した。

“きゃー”

ギャルの悲鳴が響き渡る。

その後ギャル達ははしゃぎ続ける。恐るべしギャル。

その光景を見ていた後方の観光客は中腰でリャマの前を通過していく。

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ちょうどの高さなんだよね
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ギフトショップにはヤツ等の体毛でできた服などが売られていた。
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どうでもいいけど、ホテルに戻ってTVを付けると、「ビバリーヒルズ青春白書」が放映されていた。
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アレキパはグルメの街。
そこでいろいろ食べてみた。
アルマス広場前のお店でランチした。
ロコト・レジェーノ(ロコトという大きな唐辛子に牛ひき肉などを詰めた激辛料理)
食事の開始前と終了後。
渡航歴_ペルー_41_2 渡航歴_ペルー_41 
この店、すっーーーげぇまずかった!!
生臭く、獣臭く、まるでゴミ箱やー
気分を変え、ディナーはフォルクローレの音楽を聴きながら郷土料理を食べた。

フォルクローレ
渡航歴_ペルー_フォルクローレ 
引用

アレキパの郷土料理チュペ・デ・カマロネス(川エビのスープ)
渡航歴_ペルー_48 

花より団子


うまいっ!!
けど、この数時間に乗る夜行バスで下痢と戦うことになる。


クスコ/Cusco
日本からリマに到着し、国内線に乗り換えてクスコに向かった。

クスコは11〜12世紀頃に建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えました。ケチュア語で「ヘソ」を意味するこの都市には、あらゆる地方から人々が集まり、まさに世界の中心地とされていました。しかし、16世紀になるとスペイン人の征服がクスコにも及び、インカ帝国は一瞬にして崩壊します。太陽の象徴である黄金で彩られた神殿や宮殿が破壊され、金銀を手当たりしだい略奪され、インカが築いた精巧な礎石の上にスペイン風の教会が建設されました。インカ時代の美しく精巧な石組みと、スペインのコロニアルな建築物が融合したクスコは世界文化遺産に登録されています。

クスコへは日本からリマに到着後に国内線で来た。
標高0mのリマから標高3,300mのクスコに一気来たので、クスコ観光の初めは息切れが激しかった。
クスコの街並み。雲が近い。
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カミソリの刃1枚も通さないという石造建築。
渡航歴_ペルー_2_7 渡航歴_ペルー_2 

12角の石。本当に隙間なく積み上げられている。
渡航歴_ペルー_2_18 

アルマス広場
渡航歴_ペルー_1 

カテドラル
渡航歴_ペルー_2_2 
渡航歴_ペルー_2_19 


サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ/太陽の神殿)

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渡航歴_ペルー_2_14 渡航歴_ペルー_2_15 

クスコの北側の丘にキリスト像がライトアップされていたので登ってみた。
渡航歴_ペルー_2_23渡航歴_ペルー_2_21 渡航歴_ペルー_2_22   

次の日に備え、夜のクスコをぶらぶらしてホテルに帰った。
渡航歴_ペルー_2_25 
渡航歴_ペルー_2_26 


~翌朝~

この日はマチュピチュの麓にあるアグアスカリエンテスという街への移動日。

移動方法は、クスコの街からポロイ駅までタクシーで、ポロイ駅からマチュピチュ駅まで鉄道を使用した。
(マチュピチュへの鉄道は早朝のダイヤのためタクシーを使用した)

このタクシーでポロイ駅まで行った。
渡航歴_ペルー_2_27 

クスコのタクシーからの車窓から


この鉄道(ペルー・レイル)でマチュピチュ駅まで行った。
渡航歴_ペルー_22
~続く~

あとがき
アルパカ_3 

“次回のブログ記事でコイツを食べちゃうんだよな”   と思ふ今日この頃でございます


最後まで読んでくれて
よかったら   してほしいです やる気でます
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【渡航歴】ギリシャ・トルコ・ブルガリア②

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2009.04 ギリシャ、トルコ、ブルガリア旅行記

~続き~

flag_flag_of_Turkey_1.pngトルコ/Turkey

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_トルコ_自己評価 

現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_トルコ_訪問予定都市 

イスタンブル/Istanbul
トルコ最大の都市イスタンブール。トルコの首都はアンカラ。

観光名所
渡航歴_トルコ_イスタンブール観光まとめ
引用

ギリシャのテッサロニキから寝台列車でイスタンブールに向かった。
寝台部屋は2人1部屋。

相方は↓こんなヤツ
渡航歴_トルコ_寝台列車の相方 

話すと良いヤツなんだが、イビキが凄かった。
疲れていたので熟睡できたが、ヤツのイビキで目が覚めた。
口に何か入れてやろうかと思った。

この景色を見るとヤツのイビキを思い出す
渡航歴_トルコ_1 

1時間遅れてイスタンブールに到着。

イスタンブールは、アヤソフィアやスルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)、トプカプ宮殿などがあるエキゾチックな旧市街とガラタ塔や軍事博物館などがあるヨーロピアンな新市街が金角湾に架かるガラタ橋を隔てて分かれている。

新市街のガラタ塔からの眺め。手前が新市街、奥が旧市街、真ん中の橋がガラタ橋。
渡航歴_トルコ_旧市街と新市街 

金角湾からのアヤソフィアの眺め
渡航歴_トルコ_アヤソフィア
引用

エキゾチックな旧市街をぶらぶら。
(どうでもいいが郷ひろみの「2億4千万の瞳」の歌詞にある“エキゾチック・ジャパン”のエキゾチックって何なん?)

アヤソフィアとスルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)は向かい合っている。

奥がアヤソフィア、手前がスルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)
渡航歴_トルコ_イスタンブル上空 
引用

アヤソフィア
コンスタンチノープル総主教会として360年に建てられたのが最初。オスマントルコ帝国時代にはモスクに改修されていた経緯から、内部はキリスト教とイスラム教の文化が混在しています。モザイク画の美しさが見どころ。
 
渡航歴_トルコ_7

渡航歴_トルコ_52 
 
内観はキリスト教とイスラム教の文化が混在
渡航歴_トルコ_12

アラビア文字の円盤が印象的
渡航歴_トルコ_12_2 

アヤソフィアは別名「光の聖堂」と呼ばれている。巨大な丸天井にある40個の窓と至る所にある無数の窓から光が差し込んでいる。
渡航歴_トルコ_アヤソフィア_3 

後陣の半円ドームに描かれているのは聖母子のモザイク。幼いイエスを膝に抱く聖母マリアが描かれてる。
渡航歴_トルコ_アヤソフィア_4   
 
2階からの眺め
渡航歴_トルコ_13 

モザイク画「デイシス(請願)」。左はマリア、中央がキリスト、右がヨハネ。
渡航歴_トルコ_14_2   

右は皇后ゾエ、中央は福音書を持ったキリスト、左はビザンティン皇帝のコンスタンティヌス9世で、持っているのは献金袋。
渡航歴_トルコ_14_3 





スルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)
1616年に建てられ、世界で唯一優美な6本のミナレット(礼拝の定刻を呼び掛ける尖塔)と直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。

渡航歴_トルコ_6

渡航歴_トルコ_51 
渡航歴_トルコ_ブルーモスク_1

渡航歴_トルコ_ブルーモスク_2 






トプカプ宮殿
370年もの間、オスマントルコ帝国の最盛期を経験した宮殿。当時世界を制覇していた帝国の豪華絢爛な財宝が見られる宝物館、妻や女官たちが住んでいた女性居住区、ハレムなどがある。

トプカプ宮殿は、敷地面積700万㎡の中に4つの庭園エリアに分かれている。
 
入口の帝王の門。傭兵が警備している。
渡航歴_トルコ_41 

帝王の門をくぐって、中庭を抜ける。
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挨拶の門(バービュッセラーム)をくぐって、宮殿内部に入る。
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テイワンの塔。ここからハレムに入る(別料金)
渡航歴_トルコ_47_3 


ハレム
ハレムとは、イスラム社会における女性の居室のことで、この名称がトルコ語からイスラム世界の外側の諸外国語に広まったものとされています。ハレムの原義は「禁じられた場所」という意味で、男性は、その女性の夫・子や親族以外、立ち入り禁止でした。トプカプ宮殿のハレムには美人として有名なカフカス出身の女性を中心とする多くの女奴隷が集められ、その数は最盛期には1000人を越えたと言われています。宮殿に上がる前に歌舞音曲、礼儀作法、料理、裁縫、アラビア語の読み書きなどの教養を身に着けた後、カリエ(侍女)として皇帝に仕えたわけです。運よく皇帝の寵愛を受けることが出来たカリエたちは側室として私室とハセキ(寵姫)、カドォン(夫人)などの尊称が与えられ、さらに後継者となりうる男子を産めばハセキ・スルタンと呼ばれましたが、建前上、身分は奴隷のままであったと言われています。

渡航歴_トルコ_47_7 

渡航歴_トルコ_トプカプ宮殿_5 

寵姫たちの住まい
渡航歴_トルコ_47_14 

当時の様子を再現
渡航歴_トルコ_トプカプ宮殿_2  

ハレムで働く黒人は男。ハレムの女とできても肌の色で判別できるから。
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渡航歴_トルコ_44 

渡航歴_トルコ_45 
 
宝物館
↓この2つが見所。
渡航歴_トルコ_宝物館の宝 
左が「トプカプの短剣」。この短剣は、金やエメラルドによって装飾された長さ35センチメートルの短剣で、柄の頭には巻き時計が埋め込まれて、柄には大きな3つのエメラルドがはめ込まれている。
右が「スプーン職人のダイヤモンド」。86カラットもある大きなダイヤモンドの周囲を49個ものダイヤモンドで取り巻いたもの。スプーン職人が拾ったこのダイヤの原石を、あまりの大きさにダイヤモンドとは判らずに市場で3本のスプーンと交換したことからこの名前が付いた。

引用


グランドバザールで買い物をした。

渡航歴_トルコ_50 

渡航歴_トルコ_4 

グランドバザールでナザール・ボンジュウを買った。
 
ナザール・ボンジュウとは、トルコでは、他人の羨望・嫉妬のまなざしはその人に悪影響を与える、と考えられています。これはヒッタイト時代から残る信仰で、こうした羨望のまなざしから守ってくれるのが、目玉の形をしたガラス玉、ナザールボンジュウ。トルコの家や店には巨大なナザールボンジュウが壁に掛けられている。何か嫉妬の視線から守ってくれた時、そのナザールボンジュウは割れるのだそう。
渡航歴_トルコ_ナザールボンジュ 

モザイク・ランプが欲しかった
渡航歴_トルコ_モザイクランプ 


グランドバザールにいる店員は日本人を見かけると、“バザールでゴザール”や日本の芸人のギャグを言ってこちらの気を引かせようとする。
そんなヤツはシカト。
日本人を舐めてもらっては困る。

“乳首落ちましたよ”

足を止めてしまった。
話を聞いていると良いヤツそうなので買う気はなかったが連れていかれたトルコ絨毯の店に入った。

トルコ人はなにかと、もて成したがる。
店に入るとソファーに座らせて、飲み物(ボクの時はホットアップルティーばっかりだった)を出す。
初めは飲み物に睡眠薬が入っていないか怪しみ、相手が飲んでから自分も飲むようにしていた。

そういうことを何度か繰り返しているうちに会話や飲み物でリラックスさせて物を買わせようとするだけだと分かった。

今回入ったトルコ絨毯の店も同様。
すぐにホットアップルティーが出てきた。
日本にも輸出しているトルコ絨毯の店らしく、ヤツは日本に在住していたこともあり日本語がペラペラ。
「てんや」(天ぷらのチェーン店)と「PSP」について熱く語ってくれた。

ヤツ
渡航歴_トルコ_5_2 

ブルガリアのソフィア行きの寝台列車の出発まで時間があったので、オススメのベリーダンスがあるか聞いたら、3軒ほど一緒に周ってくれて交渉もしてくれた。
残念なことに21時開始の演目しか空きがなく、寝台列車に遅れてしまうためベリーダンスの観賞はあきらめた。

本場のベリーダンスを見たかったな~
渡航歴_トルコ_ベリーダンス
引用



カッパドキア/Cappadocia
イスタンブールから夜行バスで奇岩と岩窟で有名なカッパドキアのギョレメに行った。

朝6時ぐらいにカッパドキア地帯に入り、バスから遠くに気球が飛んでいるのが見え、次第に奇岩が現れた。

このアホほど奇岩群を見ることになるが、初めて見たこの時は“ついに来た”と興奮した
渡航歴_トルコ_17  

ホテルに到着して早々現地ツアーに参加してカッパドキアを観光した。

カッパドキアはアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。
紀元前2,000年前後のヒッタイトの時代には、すでに交易の要衝としてカッパドキアが成立していた。キリスト教との関係は深く、聖書にはパウロがこの地を訪れたという記録もあり、キリスト教の有力な教父が現れてこの地にキリスト教を広めている。4世紀前後から、ローマ帝国によって迫害を受けたキリスト教徒がこの地に集まりだした。やがてローマ帝国はキリスト教を国教化するが、つづいてイスラム勢力がこの地を治めると、キリスト教徒はふたたびこの地に集まるようになる。


渡航歴_トルコ_18 
渡航歴_トルコ_18_2 

一見普通の山にみえるが、
渡航歴_トルコ_19 

あちこちに穴があり、
渡航歴_トルコ_21

通路や広間や、
渡航歴_トルコ_20 渡航歴_トルコ_22 

教会などがありキリスト教徒の住居となっていた。
渡航歴_トルコ_36_2 (2)渡航歴_トルコ_36_3


ウフララ渓谷
ウフララは「菩提樹」の意。渓谷をトレッキングする。
渡航歴_トルコ_23 

初めはトレッキングより早く奇岩群を見たいと思っていたが、だんだんと楽しくなってくる
渡航歴_トルコ_24 

カイマルクの地下都市
内部には教会、学校、ワイナリー、食料貯蔵庫などが作られ、約2万人が暮らしたと考えられている。 各階層は階段や傾斜した通路でつながれている。 カイマクルと隣のデリンクユの地底都市の間には地下通路が確認されている。 ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み、何世紀もかかって掘り進められて拡張されてきたが、作られた年代は謎に包まれている。

渡航歴_トルコ_25 

渡航歴_トルコ_カイマルク地下都市 
引用

ギョレメ野外博物館
世界遺産に登録されたギョレメ国立公園内に位置する。イスラム教徒による迫害を逃れて、キリスト教徒が造った岩窟教会や修道院がある。そのうち30あまりの教会が集まるギョレメの谷を野外博物館として公開。聖バジル教会、林檎の教会、聖バルバラ教会、蛇の教会、暗闇の教会など、鮮やかなフレスコ画で装飾された教会が残っている。

渡航歴_トルコ_36_2 

穴の中の空間にはフレスコ画が描かれている
渡航歴_トルコ_36 

カッパドキアの奇岩群の中を原チャで疾走した。

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車も少なかったのでフルスロットル。気持ちよかった~
渡航歴_トルコ_39_3 

キノコ奇岩で有名なパシャバー地区
6,000万年前の火山によってできた柔らかい凝灰岩の層の上に、固い地層が堆積した。それから万単位の年月を経て風雨によって下の層が削られて、固い岩が帽子のように乗っかることになる。

渡航歴_トルコ_39 


渡航歴_トルコ_39_2 

渡航歴_トルコ_39_4 

ギョレメの街並み。
渡航歴_トルコ_35 

ギョレメの地名は「見てはならぬ」の意。キリスト教徒にとっては「見られてはならぬ」ということ。
渡航歴_トルコ_35_2  

ギョレメの夕日
渡航歴_トルコ_27 

この夕日がすごいよかった。動画だとあんまりだな。



ギョレメの夜
渡航歴_トルコ_29 


カッパドキアには気球で奇岩群の遊覧するアクティビティがある。
料金は約2万円だった。そこまでの思い入れがなかったので2万円が高く思えた。

ボクは早朝に飛んでいく気球を近くの丘から見ていた。
渡航歴_トルコ_33  

気球からの眺めはこんな感じみたい。

渡航歴_トルコ_カッパドキア気球_1 
渡航歴_トルコ_カッパドキア気球_4 
渡航歴_トルコ_カッパドキア気球_2 
渡航歴_トルコ_カッパドキア気球_3 

めちゃ楽しそうやん

でも2万か~、今でも迷う値段だな~


世界三大料理の一つ、トルコ料理。(他2つは中華料理とフランス料理)
(といってもボクは屋台や庶民的なレストランにしか行っていませんが)

イスタンブール名物サバサンド。パンとサバ、合うんだな~。
渡航歴_トルコ_8

テスティ・ケバブ。羊肉と野菜を壺に入れて調理し、食べる前に壺を割って取り出す。調理時間約6時間。味は普通。
渡航歴_トルコ_30 

トルコピザやなんとかケバブなどいろいろ食べたが、一番うまかったのはサバサンドだったりする。
渡航歴_トルコ_40

トルコアイス。アイスの乗ったコーンをひっくり返したくなるんですよね~
渡航歴_トルコ_37

干しブドウから作られる蒸留酒ラク。水を入れると白濁する。アルコール度数50%。
渡航歴_トルコ_48_2 渡航歴_トルコ_48_3 

トルコのパンがめっちゃおいしかった。
何も調理していない安っぽいパンでも。
パンがおいしい国ランキング1位じゃね?

かぶりつきたくなるおいしさ
渡航歴_トルコ_48 


全体を通して、現時点のトルコの印象はこんな感じです。
・ エキゾチックな雰囲気(イスタンブール)
・ 奇岩群を疾走
(カッパドキア)
・ パンうまい




カッパドキアの観光を終えた時点で、この旅の目的であるギリシャのアテネにあるパルテノン神殿、トルコのイスタンブールの歴史地区カッパドキアの奇岩群を全て観光した。

残りのスケジュールはどうしようかということで、このままトルコを観光してもよかったが、日本からはるばる来たし、便数も多いでしょという根拠のない自信で前々から行きたかったクロアチアのドゥブロヴニク(魔女の宅急便のモデルといわれている)に行こうと思った。

ドゥブロヴィニクの街並み
渡航歴_トルコ_ドゥブロヴニク 
引用

カッパドキアは観光地であるが田舎だったので、とりあえずイスタンブールに戻りトルコ航空のオフィスに向かった。
カワイイねーちゃんに尋ねたところ、“イスタンブールからドゥブロヴニクへの便は早くて2日後しか空いていません”とのこと。
残り日数が4日ほどあったので行ってもよかったが、なにせ待つことがキライな性分なので第2候補のブルガリアに行くことにした。


flag_flag_of_Bulgaria_1.pngブルガリア/Bulgaria

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ブルガリア_自己評価 

現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_ブルガリア_訪問予定都市


ソフィア/Sofia

ヨーグルトとバラの国ブルガリアの首都ソフィアにノリで行った。

イスタンブールから寝台列車でソフィアに向かった。
今回も2人1部屋だったが相方がいなかったので広々過ごせたが、景気が殺風景なのと3時間遅れの到着も重なって暇過ぎて楽しめなかった。

ヤツのイビキが懐かしい
渡航歴_ブルガリア_2 

ブルガリアの駅の様子
渡航歴_ブルガリア_2_1 

時折こんな村が車窓から見える
渡航歴_ブルガリア_2_2 

やっとのことでソフィアに到着したもののガイドブックがないので、駅で地図を確認してなんとなく中心地に向かった。

この日は日曜日の昼過ぎ。
なのに人がほとんどいない。

あれ?下りる駅間違えた?って思わせるぐらい首都らしくない。

日本と違い海外のお店は日曜に休むと聞いたことがあるが・・・

街に活気がない
渡航歴_ブルガリア_7

たまに通りかかる人に道を聞く
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市場もガラガラ
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なんだかんだで中心地に到着

聖ゲオルギ聖堂
聖ゲオルギ聖堂はローマ時代後期の紀元4世紀のキリスト教聖堂であり、シェラトン・ソフィア・ホテルの建物に囲まれて建っている。聖堂は赤いレンガで作られ、ソフィアで現存する最古の建物とされている。聖堂のドーム中央にある中世のフレスコ画は12世紀-14世紀のものである。
渡航歴_ブルガリア_11 
渡航歴_ブルガリア_10渡航歴_ブルガリア_9 


奇蹟者聖ニコライ聖堂(ロシア教会)
ソフィアのロシア教会として知られるロシア正教会の奇蹟者聖ニコライ教会は、1914年にロシア皇帝で後に聖人に列せられたニコライ2世に捧げられたものである。建設には建築家のアレクサンドル・スミルノフが携わった。スミルノフはアレクサンドル・ネフスキー大聖堂の建設にも携わった人物である。

渡航歴_ブルガリア_4 

渡航歴_ブルガリア_教会_1 
引用

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂
黄金色のドームを持ったアレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、20世紀初期に立てられたものであり、 露土戦争によってブルガリアを解放した20万人のロシア帝国の兵士を称えて建設された。バルカン半島で最大の正教会の聖堂であり、世界でも第2の規模を持つ。黄金色のドームを持つ大聖堂は高さ45メートル、鐘楼は高さ50.52メートルに上る。

渡航歴_ブルガリア_5 

ソフィアの街もそうだが、この大聖堂も人が1,2人しかいなかった。
逆にそれがよかった。

薄暗い巨大空間に重厚な雰囲気がイイ感じだった。
この大聖堂のおかげでソフィアに来てよかったと思った。

イイ感じだったが監視員とマンツーマンだったので隠し撮りどころかカメラも持てなかった。

渡航歴_ブルガリア_教会_4 
引用

渡航歴_ブルガリア_教会_2 
渡航歴_ブルガリア_教会_3 
引用

ソフィアは半日しかいなかった。
両替は5千円したが観光地の入場料やお土産代を払ってもだいぶ残った。(たぶん3千円ぐらい)

とりあえず飯ということでブルガリア料理っぽいメニュー看板の店に入った。
ブルガリア料理のチェーン店らしく値段が安かった。
ここだ!と思いブルガリア料理を頼みまくった。

渡航歴_ブルガリア_8

(左トレイ)
 左上:カヴァルマ。肉と野菜類をトマト味で煮込んだ土鍋料理であり、上に卵やチーズが載せられている。
 右上:ムサカ。タマネギとジャガイモ、トマト、ひき肉などを炒めてから耐熱容器に入れ、乳またはヨーグルトを入れたカスタードをのせて焼いたもの。
(右トレイ)
  左上の黒い器:タラトール。ヨーグルト、キュウリ、ニンニク、クルミなどを原材料とする冷たいスープ。
  右下のコップ:シュートラシュ。牛乳と米のプディング。
※他の料理も調べたが名前どころかブルガリア料理かさえわからない

どれも不味くはなかったが、量が多かった。(2/3は食った)

暇なのかアホみたいに食べるボクが珍しいのか店員のねーちゃんがずっと見ていて食べにくかった
渡航歴_ブルガリア_14 


全体を通して、現時点のブルガリアの印象はこんな感じです。
・ ヨーグルトは甘くない
・ 日曜日のソフィアは人がいない


あとがきいつからだろうか牛乳を飲むと必ずお腹をこわす。
でもヨーグルトは大丈夫。
不思議だ?
“バームクーヘンを牛乳で流し込んでいたころに戻りたい”   と思ふ今日この頃でございます


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【渡航歴】ギリシャ・トルコ・ブルガリア①

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2009.04 ギリシャ、トルコ、ブルガリア旅行記

2009年04月のお話。

仕事を頑張っていたらiいつのまにか前回のヨーロッパ周遊旅行から4年が経っていた。

職場の先輩からの勧めで行き先はギリシャとトルコに決めた。

ギリシャではアテネのパルテノン神殿を、トルコではイスタンブールの歴史地区、カッパドキアで岩石遺跡群を見れればいいと思い、細かいルートやスケジューは現地で考えた。

ブルガリアはノリで行った。

世界地図(赤色箇所が訪問した国)
世界地図_ギリシャ-トルコ-ブルガリア



flag_flag_of_Greece_1.pngギリシャ/Greece

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ギリシャ_自己評価 

現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_ギリシャ_訪問予定都市  
アテネ/Athens
ギリシャ神話と聖闘士星矢の国ギリシャの首都アテネ。

ギリシア共和国の首都。人口は1991年現在,アテネ市78万4000,近郊を含む大アテネ310万を数える。古代ギリシア語ではアテナイAthēnai。その都市としての起源は古代にさかのぼり,今日なお往時の遺跡を豊富に残している。古代においては,前8世紀以降,この町を中心に,中部ギリシアの南東端に突き出た半島状のアッティカ地方全体を領域として,都市国家すなわちポリスが形成され,前2世紀,ローマの支配に服するまで独立の国家としての存立を保った。

観光名所
渡航歴_アテネまとめ
引用

当時、アテネの経済情勢は不安定(失業率約20%)で治安は良くないと聞いていた。

アテネの街に到着したのが真夜中だった。
宿を探すのが面倒だったのと初日で元気だったのでどこか朝まで時間を潰せるところはないかとガイドブックを見たら、パルテノン神殿が見える丘があるということでリカベストの丘に向かった。

深夜2時のアテネの広場。誰もいない。
渡航歴_ギリシャ_1_1 

真夜中のアテネの裏路地。ここを通る時はビビった。
渡航歴_ギリシャ_1_2 

治安が良くないという言葉が頭に過りながら、誰もいないアテネの街を歩いていた。

すると車の騒音に紛れて遠くからカツカツと定期的に音が聞こえてくる。
信号か住宅からの生活の音と思い、気にしなかった。

数分経っても音が消えない。
しかも近づいてくる。

えっ?何これ?何処から?何の音?

だんだん怖くなってきた。
周りは街灯だけで薄暗くハッキリ見えない。

すると前から聞こえていた音が横から聞こえるようになった。
そこで顔を横に向けると、↓コレが現れた。



衛兵の見回りだった。

動画だと周りは明るくてなんでもない光景に見えるが、このときは周りが薄暗く感じ、見えたらあかんもんが見えたと思った。

頼むから普通に歩いてくれよ!!


荷物を担いで階段を上り、リカベストの丘の頂上に到着した。

アテネの夜景はそんなに綺麗ではなかった。山の上の光がパルテノン神殿と思ってずっと見ていたが、明るくなって全然違うことに気付いた。

渡航歴_ギリシャ_1_4_2  

日が出始めた
渡航歴_ギリシャ_1_5

朝日
渡航歴_ギリシャ_1_3 

やっとアテネの街が見えた
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横の教会がこんなに白いと思わなかった
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あれはもしや
渡航歴_ギリシャ_1_7 

パルテノン神殿~
渡航歴_ギリシャ_1 

明るくなったのでアテネの街に下りた。

明りの有無だけで安心感が全然違う。
渡航歴_ギリシャ_1_8 渡航歴_ギリシャ_1_9 

ホテルにチェックインし、朝に見たパルテノン神殿のあるアクロポリスの丘をを目指した。

アクロポリスの丘の麓にある駅前広場
渡航歴_ギリシャ_10_2

ギリシャらしい遺跡があちこちに
渡航歴_ギリシャ_2 

古代アゴラを観光しながらパルテノン神殿を目指す
渡航歴_ギリシャ_11_2 

だいぶ近づいた
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やっと到着。この門をくぐると
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ででーんとパルテノン神殿が現れる 
渡航歴_ギリシャ_6

パルテノン寝殿は、古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿。

渡航歴_ギリシャ_5 

渡航歴_ギリシャ_7_3 

子供の頃に見ていた聖闘士星矢が目の前に。

小宇宙(コスモ)を感じた。

渡航歴_ギリシャ_8 

アクロポリスには、ムネシクレスにより作られた神域入り口の門プロピレア、その南にあるアテナニケ(勝利のアテナ)神殿、エレクティオン神殿、ゼウス神殿など、さまざまな遺構がある。

渡航歴_ギリシャ_7_2 

渡航歴_ギリシャ_7 

オデオン円形劇場遺跡。今でも現役。
渡航歴_ギリシャ_3

アクロポリスの丘からの眺め。
渡航歴_ギリシャ_9 

長いことぼーっとしていた
渡航歴_ギリシャ_12

旅の最終日は朝一にパルテノン神殿を見て旅を締めた
渡航歴_ギリシャ_7_4 


次に博物館に行った。

アテネ国立考古学博物館
ギリシア中の様々な古代遺跡から集められた最重要な遺物の数々を収蔵している。
渡航歴_ギリシャ_10_3 

ギリシャ彫刻が目を引く
渡航歴_ギリシャ_10_7

渡航歴_ギリシャ_10_8 

渡航歴_ギリシャ_10_4

渡航歴_ギリシャ_10_5 

渡航歴_ギリシャ_10_6

小宇宙(コスモ)を感じた。


テッサロニキ/Θεσσαλονίκη
トルコに行く途中に寄ったギリシャ第2の都市テッサロニキ。

ギリシア第2の大都市で,人口37万8000(1991)。同名県の県都,北ギリシア大臣の駐在地であり,また工業が盛んで,毎年開かれる国際見本市でも知られている。古代での呼称はギリシア語でテッサロニケThessalonikē,ラテン語でテッサロニカThessalonica。前316年,当時マケドニアを支配していたカッサンドロスKassandrosが,マケドニア東部,テルメ湾の奥のテルメThermēを中心に,周辺の町々を統合して建設し,妻の名をとって名づけたのが始まりで,海陸交通の要地として発展した。

テッサロニキは海に面した港街
渡航歴_ギリシャ_テッサロニキ上空 
引用

遊歩道。リゾートホテルが建ち並ぶ。
渡航歴_ギリシャ_13 

ホワイトタワー
渡航歴_ギリシャ_13_2 

ガレリウスの凱旋門
渡航歴_ギリシャ_14 

ガレリウスの凱旋門の隣にロトンダがある
渡航歴_ギリシャ_14_2 

アギオス・ディミトリオス聖堂
テッサロニキの守護聖人致命者聖ディミトリオスを記憶する聖堂
渡航歴_ギリシャ_アギオス ディミトリオス教会_2 

渡航歴_ギリシャ_アギオス ディミトリオス教会 
引用

いつものように丘の上に城らしきものが見えたので登った。
渡航歴_ギリシャ_15_2 

渡航歴_ギリシャ_15_3 

渡航歴_ギリシャ_15 

城壁は丘から街へと延びる
渡航歴_ギリシャ_16 



サントリーニ島/Santorini
サントリーニ島は、エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャ領の火山島。カルデラ湾を望む断崖の上に白壁の家々が密集する景観でも知られており、エーゲ海の著名な観光地の一つである。

結婚式や新婚旅行で有名なとこ。

サントリーに島はクロアチアのドゥブロヴニクに行けなかった代わりに訪れた。(後述)


アテネから早朝にフェリーで出発。
渡航歴_ギリシャ_17 

途中、エーゲ海の島々に寄ったりして6時間ぐらいフェリーに乗っていた
渡航歴_ギリシャ_18 

このときの暇つぶしといえばガイドブックを読むかipodで曲を聴くかだった。

ipodは既にバッテリー切れ。ガイドブックは隅々まで読んだ。

仮眠をとるにも前夜ぐっすり寝たので全く眠くない。

乗船客を観察したり、フェリー内をぶらぶらしたり、すね毛を抜いたり、ありとあらゆる暇つぶしをした結果、何もすることがなくなり青い空を3時間ほどずっと見ていた。

これまで生きてきた中で最も暇な時間だった。

渡航歴_ギリシャ_18_2 

世界一周では暇つぶしグッズを持っていこう。
何を持っていこうかな?

そんなこんなでサントリーニ島に到着。崖の白いところは白壁の街。
渡航歴_ギリシャ_19 

フェリーに着いて客引きと交渉をして車でホテルに向かった。

ちなみにフェリー乗り場から中心街までロバに乗ることができる(ロバタクシー)。
何時間かかるんやろか。
渡航歴_ギリシャ_19_2 

ホテルに荷物を置いてサントリーニ島の中心フィラを散策。

メインストリート
渡航歴_ギリシャ_19_3 

渡航歴_ギリシャ_19_4 

ナチュラルコットンのショップ。店員のおねーちゃんを撮ろうとしたんだけど・・・渡航歴_ギリシャ_19_5 

渡航歴_ギリシャ_32

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渡航歴_ギリシャ_32_2 

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日が暮れてきたので、バスに乗ってサントリーニ島の夕日スポットのイアに行った。

渡航歴_ギリシャ_21 

渡航歴_ギリシャ_22 

渡航歴_ギリシャ_25 

よく旅行パンフレットやガイドブックとかに載っているサントリーニ島の夜景を観ようと散策しいたが、予想と違ってガッカリした。きっとハイシーズン(7,8月)でなかったので宿泊客が少なかったからだと思う。

渡航歴_ギリシャ_35_4 

渡航歴_ギリシャ_35_3 

↓イメージしていたサントリーニ島の夜景
渡航歴_ギリシャ_サントリーニ島夜景 
引用

サントリーニ島にはビーチや遺跡などもある。

赤土のレッドビーチ。何をする訳でもなくビーチをぶらぶらした。
渡航歴_ギリシャ_35_3 (2)  

渡航歴_ギリシャ_29 

 
ギリシャに来てからよく見かけていた数珠のようなものをジャラジャラ、カチカチさせて指で回している男性をよく見かけていた。(日本のペンまわしみたいな感じ)
気になっていたのでサントリーニ島で買った。

名前はコンボロイといい、主にリラクゼーションやストレス解消の手段として使われているギリシャの玩具。
 コンボロイ
渡航歴_ギリシャ_コンボロイ_1  渡航歴_ギリシャ_コンボロイ_2 渡航歴_ギリシャ_コンボロイ_3 
引用

買った土産物店のオヤジに遊び方を教えてもらい、クレタ島に向かうフェリー内で遊んだ。

コンボロイの師匠。
渡航歴_ギリシャ_35_2

コンボロイ、めちゃむずい。
暇つぶしは10分ともたなかった。


クレタ島/Crete
エーゲ海に浮かぶギリシャ最大の島クレタ島。

クレタ島は島とは思えないくらい広く、都会的なリゾート地
渡航歴_ギリシャ_クレタ島全体 
引用

サントリーニ島とクレタ島に決める前は、エーゲ海のトルコ側にあるロドス島に行きたかったが残り日数が足りず、妥協してサントリーニ島とクレタ島に行った。

その中でもクレタ島はついでのついでに来たところ。

そんなクレタ島で最も興味を引いたのがミノア文明(クレタ文明)の代表的な遺跡クノッソス宮殿

クノッソス宮殿は、ミノタウロス伝説でも知られている。実際、この入り組んだ構造をもつ宮殿の壁という壁にはラブリュスと呼ばれる双頭斧が彫刻されており、まさしくラビリンスの語源に相応しいと言える。

渡航歴_ギリシャ_43_5 

北入口の要塞
渡航歴_ギリシャ_41 

渡航歴_ギリシャ_43_2 

王座の間
渡航歴_ギリシャ_43 

行列の回廊
渡航歴_ギリシャ_43_4 

フレスコ画展示室
渡航歴_ギリシャ_43_3 

1,2時間ほどバスに乗ってクレタ島の中心都市のイラクリオンに行った。

イラクリオンは、東ローマ帝国、ジェノヴァなどの支配を経て、13世紀初頭に第4回十字軍で勢力を伸張させていたヴェネツィアの支配下におかれた。

ヴェネツィア要塞
渡航歴_ギリシャ_45_1 

渡航歴_ギリシャ_45_3 

渡航歴_ギリシャ_45 

渡航歴_ギリシャ_45_4 


クレタ島で食べたケバブと切った野菜にオリーブオイルをかけてフェタチーズをのっけたグリース(Greece)サラダ
渡航歴_ギリシャ_36 
コレ一人前


全体を通して、現時点のギリシャの印象はこんな感じです。
・ ギリシャ神話 
・ エーゲ海と白い街
・ 小宇宙(コスモ)


~続く~

あとがき
ギリシャ神話は奥が深い。
ワンピースの○○の実ような個性的な特徴のある神々の、血縁関係を越えた昼ドラのようなドロドロなエピソードが数えきれないほどある。
渡航歴_ギリシャ_ギリシャ神話系図 
ん!?
あれ?

“ゼウスはビックダディーだな~”   と思ふ今日この頃でございます


最後まで読んでくれて
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| 渡航歴_2001~2013 | 23:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【渡航歴】西欧・中欧(オーストリア・ハンガリー)

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2005.04 西欧・中欧旅行記(オーストリア、ハンガリー)

~続く~

flag_flag_of_Austria_1.pngオーストリア/Austria

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_オーストリア_自己評価 
現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_オーストリア_訪問予定都市 

オーストリアにはガイドブックなしでノリで行った。

ウィーン/Vienna
クラシック音楽の国オーストリアの首都ウィーン。

ウィーンはかつてヨーロッパの数カ国を支配したハプスブルク家のオーストリア帝国の首都であった。このハプスブルク家がどこを観光しても登場してくる。

市内に行く前に↓ココに行った。

シェーンブルン宮殿と庭園群
女帝マリア・テレジアが改築させたハプスブルク家の夏の宮殿。モーツァルトが御前演奏した部屋など、1441室のうち最も重要な約40室が一般公開されている。実質的な神聖ローマ皇帝といわれたマリア・テレジア(実際には皇帝ではない)の娘マリー・アントワネットがこの離宮に滞在しているときに、6歳の神童モーツァルトが招待されて訪れている。

少女時代のマリア・テレジアとマリア・テレジア。金使い荒そー。
渡航歴_オーストリア_マリアテレジア_1 渡航歴_オーストリア_マリアテレジア_2 

入口
渡航歴_オーストリア_ウィーン_1 

庭園。丘のところまで歩く。
渡航歴_オーストリア_ウィーン_2 

丘からの眺め。行きはあっという間だったが、帰りが長かった。
渡航歴_オーストリア_ウィーン_7

いよいよ宮殿内へ
渡航歴_オーストリア_ウィーン_6

マリーアントワネット・ルームという名のダイニングルーム
渡航歴_オーストリア_ウィーン_3 

大広間。ここで宴会や裁判が行われた。
渡航歴_オーストリア_ウィーン_4 

豪華なシャンデリア
渡航歴_オーストリア_ウィーン_5 

ウィーン市内に移動。
一番目立っていた↓ココに行った。

シュテファン寺院
107メートルの高さを持ち、教会の塔としてはウルム大聖堂(161メートル)、ケルン大聖堂(157メートル)についで世界で3番目の高さがある。
渡航歴_オーストリア_ウィーン_8 

渡航歴_オーストリア_ウィーン_11

塔からの眺め。屋根のモザイクデザインが美しい
渡航歴_オーストリア_ウィーン_16

シュテファン寺院の内観
渡航歴_オーストリア_ウィーン_9 

渡航歴_オーストリア_ウィーン_10 


650年以上もの歴史を重ねたハプスブルク家の盛衰を見つめてきたウィーン王宮に行った。

王宮内のメインの見どころは、シシィ博物館皇帝の部屋宮廷銀器コレクション
シシィ博物館・皇帝の部屋・宮廷銀器コレクションは共通チケットで見学できますが、王宮宝物館王宮家具博物館は独立しているので、見学する場合はそれぞれチケットが必要になります。

王宮内は撮影禁止(宮廷銀器コレクションのみOK)であったのと、豪華酔いであまり写真を撮っていない。次に行くザルツブルクの自然に癒されることになる。

シシィ博物館
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇妃エリザベート(愛称シシィ)の半生について展示された博物館。

エリザベートの肖像画と婚礼前夜のドレス
渡航歴_オーストリア_エリーザベト_1 渡航歴_オーストリア_エリーザベト_2 渡航歴_オーストリア_エリーザベト_3 
引用

多くの旅をしていたエリザベート用の特別仕様の列車のレプリカ
渡航歴_オーストリア_エリーザベト_4 
引用

息子ルドルフの死去後に着用するようになった黒いドレス
渡航歴_オーストリア_エリーザベト_5 渡航歴_オーストリア_エリーザベト_6 
引用


皇帝の部屋
王宮にある2500以上の部屋のうち、フランツ・ヨーゼフ1世の執務室や居室、エリザベートの化粧室兼体操室など、約20部屋が公開されている。

貴族の格好をした監視員から見えないようにこっそり撮った一枚。
渡航歴_オーストリア_ウィーン_14

調子にのってもう一枚撮ろうとした時、耳元で監視員が囁いた。
“ドント テイク ア ピクチャー プリ~~ズ
男の監視員だっただけに2つの意味でドキドキが止まらなかった。

忘れもしない、↓ココで囁かれた。

皇帝一家のディナールーム
渡航歴_オーストリア_エリーザベト_8
引用 

大サロンと居間を兼ねたエリザベートの寝室
渡航歴_オーストリア_エリーザベト_7渡航歴_オーストリア_エリーザベト_11
引用

つり輪などの体操器具がある化粧室兼体操室
渡航歴_オーストリア_エリーザベト_9 渡航歴_オーストリア_エリーザベト_10 
引用 


宮廷銀器コレクション
撮ってたらキリないと思ったのでコレしか撮らなかった。撮ればよかった。

金ピカのキャンドル立て
渡航歴_オーストリア_ウィーン_13 

王宮の入口
1階が宮廷銀器コレクション、2階がシシィ博物館と皇帝の部屋
渡航歴_オーストリア_宮廷銀器コレクション_1 
引用

1,2枚割っても動じない心を持たないとこんな食器で飯食われへんわ
渡航歴_オーストリア_宮廷銀器コレクション_2渡航歴_オーストリア_宮廷銀器コレクション_3 
渡航歴_オーストリア_宮廷銀器コレクション_4渡航歴_オーストリア_宮廷銀器コレクション_5 
引用

続けて王宮宝物館に行った。

内観
渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_4渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_10 
引用

ルドルフ2世(1552-1612)の帝冠、宝珠、王シャクとオーストリア皇帝のマント(1830年製)
渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_1渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_2 
引用

2,680カラットのエメラルドと492カラットのアクアマリン
渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_3渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_7 
引用

神聖ローマ帝国の帝位を象徴する帝冠と皇帝の十字架
渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_5渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_8 
引用

ナポレオンの息子のローマ王ナポレオン2世が生まれたときに使っていたゆりかごと金羊毛騎士団のミサ用の祭服
渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_6渡航歴_オーストリア_王宮宝物館_9 
引用

ここで、華なもんはもう嫌や!!と心の中で叫び王宮家具博物館には行きませんでした。
もう嫌 

↓ちなみにこんな感じみたいです。

王宮家具博物館
宮廷で使用さてれていた家具が収められている博物館

ドレスと着た等身大のシシィ人形と皇帝フランツ・ヨーゼフの玉座
渡航歴_オーストリア_王宮家具博物館_1渡航歴_オーストリア_王宮家具博物館_2 
引用

ウィーンの街をぶらぶらして、
渡航歴_オーストリア_ウィーン_12

本場のウィンナーコーヒーを楽しんだ
ウィーンナーコーヒー_4ウィーンナーコーヒー 
ウィーンナーコーヒー_2ウィーンナーコーヒー_3 


ウィーン市立公園
でのんびり散歩。

公園内には音楽に関わりのある著名人の石像がたくさんある。

モーツアルト像
渡航歴_オーストリア_ウィーン_15 

ヨハン・シュトラウス2世像
渡航歴_オーストリア_ウィーン_18 



ザルツブルク/Zarzburg
岩塩で栄えた都市ザルツブルク。
ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意。

遠くにメンヒスベルクの丘に立つホーエンザルツブルク城塞が見える
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_1 

ミラベル宮殿と庭園
この一帯を独裁的に支配していたザルツブルク大司教のヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウ(在位1587~1612年)が、1606年に、愛人のザーロメ・アルトと彼女との間にもうけた子供たちのために建てた館である。ライテナウは愛人の名前をとって「アルトナウ宮殿」と名づけたが、後任の大司教シティカスが「美を見よ」、あるいは「美しい眺め」という意味のラテン語にちなんだ「ミラベル宮殿」に改名した。宮殿は、現在、ザルツブルク市の市庁舎となっている。

渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_16 

渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_17 

渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_15 

橋を渡って向こう岸に。
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_18 

ザルツブルク大聖堂
1万人を収容できる大聖堂で、ヨーロッパ最大のパイプオルガンがある。

渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_19 

渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_20 

渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_21 

だいぶ城塞に近づいた。
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_13

坂をひたすら登る。
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_3 

もう少しで頂上。
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_4 

ホーエンザルツブルク城塞の頂上にはちょっとした村みたいなものがあり現在は教会や博物館になっている
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_5 

内部は塩を連想させるような白い壁
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_6 

オーディオガイドで城塞の歴史や建設方法が案内される
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_22 

渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_23 

黄金の小部屋。大司教の居間として使用されていた。
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_24 

第一次世界大戦中にロシアと戦ったライナー大公連隊
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_25 

城塞からの眺め
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_9

渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_26 
映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地ような景色。観たことないけど。
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_12 

城塞を下りて街をぶらぶら。

ゲトライデ通り
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_2 

店の看板がオシャレ 
渡航歴_オーストリア_ザルツブルグ_14

モーツァルトの生家
渡航歴_オーストリア_モーツァルトの生家



全体を通して、現時点のモロッコの印象はこんな感じです。
・ 豪華山盛り
・ クラシック音楽
・ 塩




flag_flag_of_Hungary_1.pngハンガリー/Hungary

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ハンガリー_自己評価 
現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_ハンガリー_訪問予定都市 

ハンガリーにはガイドブックなしでノリで行った。

ブダペスト/Budapest
温泉の国ハンガリーの首都ブダペスト。

ドナウ川の北側からのブダ地区ペスト地区を結ぶ架け橋セーチェニー鎖橋
手前がブダ地区。
渡航歴_ハンガリー_11 

夜景が綺麗。ボクは観ていないが。
渡航歴_ハンガリー夜景 
引用

夜行バスで到着して、いつものように街のランドマークを目指して歩いた。

 イシュトバーン大聖堂
渡航歴_ハンガリー_4

ギリシャ十字式の平面構成をもつ新古典様式で建造されている
渡航歴_ハンガリー_2 

大聖堂前の広場
渡航歴_ハンガリー_3 

ペスト地区からブダ地区に移動。

セーチェニー鎖橋
渡航歴_ハンガリー_5 

橋を渡ると王宮の丘のブダ王宮が見えてきた。
渡航歴_ハンガリー_6 

ブダ王宮は、1241年に建造されて以来、破壊と再建の歴史を繰り返してきたブダ王宮。17世紀に入り、オスマン帝国軍の攻撃で王宮は跡形もなく破壊され、その後ハプスブルク家の下でバロック様式で再建されたものの、19世紀に大火災でほぼ焼失。再び建て直したのも束の間、今度は第一次世界大戦、第二次世界大戦と立てつづけに大戦が起こり、またもや甚大な被害を受け、大規模な修復が必要な事態に。

王宮に向かって歩く
渡航歴_ハンガリー_12 

ずっと歩く
渡航歴_ハンガリー_13 

寄り道
渡航歴_ハンガリー_14 

もう少し
渡航歴_ハンガリー_15 

ようやく入口
渡航歴_ハンガリー_16 

中に入りチケットを購入しようとしたら警備員に引きとめられた。
周りに観光客がいなかったの“Close?”と聞いたら、“Yes”と言われた。
残念と思い、その場を後にした。

さっきWEB検索したら、そもそも王宮に一般人は入れないっぽい。
警備員にはただの不審者に見えたのだろう。
ガイドブックなし観光のあるある。
(ハンガリー国立美術館、プダペスト歴史博物館、軍事歴史博物館は別のところから入る?)

マーチャーシュ聖堂と三位一体の像
渡航歴_ハンガリー_7 

渡航歴_ハンガリー_マーチャーシュ聖堂_2

渡航歴_ハンガリー_マーチャーシュ聖堂 
引用

漁夫の砦
名称の由来は、かつて同地をドナウ川の漁師組合が守っていたから、または、魚市場があったからともいわれる。
渡航歴_ハンガリー_8 

ブタペストは温泉が有名。
入りたかったけど水着がなかったので諦めた。
渡航歴_ブダペスト温泉_1 
渡航歴_ブダペスト温泉_2 
引用

ブタペストは着いたその日の夜に離れた。
バスの出発時刻までレストランでまったり。

ハンガリー名物料理グヤーシュ。牛肉、オニオン、パプリカなどが入ったシチューみたいなもの。
渡航歴_ハンガリー_10 

ブダペストの観光名所。こんなポストカードを買ったような。
渡航歴_ブダペストまとめ_1 
引用

全体を通して、現時点のハンガリーの印象はこんな感じです。
・ 鎖橋
・ 温泉 
(入ってないけど)
あとがき
この【渡航歴】シリーズの一番の山のヨーロッパ周遊した西欧・中欧旅行記がようやく今回で終わる。
元になる写真データが行方不明だったり解除できないパスワードがかかっていたりとかで、虫食い状態の記憶で旅行記を書くのが大変だった。

そんな状況でサポートをしてくれたのが各地で買った土産達。
その土地の名産品の他に観光名所のダイジェストとしてポストカードは必ず買うようにしている。

↓スイスで買ったマッターホルンの石とドイツで買ったベルリンの壁の石が入ったポストカード
ポストカード 
本物の石かどうかは疑っちゃいけないぜ

この旅ではご丁寧にルートに合わせてポストカードをファイリングしていた。
これが助かった。

思い出をどう残すかは人それぞれ。

写真を撮ることだけが思い出作りではない。

そんなことを考え、前々からやってみようと思っていた旅先で絵を描くためのポストカードサイズのスケッチブックと色鉛筆を買った。

持ち物_カメラ 

絵を描くときは被写体をじっくり見て特徴を捉える。
より記憶に残る手段だと思う。

スケッチブックは50枚。
何を描くのだろうか。

あとはタンクトップとおにぎりがあれば完璧。

芦屋雁之助 

“山下清じゃねーよ(by春菜)”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
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≫ EDIT

【渡航歴】西欧・中欧(デンマーク・ポーランド・チェコ)

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2005.04 西欧・中欧旅行記(デンマーク、ポーランド、チェコ)

~続き~

flag_flag_of_Denmark_1.pngデンマーク/Denmark

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_デンマーク_自己評価 
現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_デンマーク_訪問予定都市 

デンマークにはガイドブックなしでノリで行った。

コペンハーゲン/Copenhagen
LOGOとバイキングの国デンマークの首都コペンハーゲン。

この旅で唯一の北欧の国。
とりあえず北へ向かったがここコペンハーゲンでの寒さに断念して西欧・中欧に戻った。

デンマークはいくつもの島から成る国でドイツからバスで行く際にいくつもの橋を渡った。
(景色は広大な瀬戸内海みたいな感じ)

コペンハーゲンに到着。
まずは情報集めということで観光案内所を探して、街をぶらぶら。

するとワーキャーする声の方に近付くと、
渡航歴_デンマーク_1

遊園地のチボリ公園。入場料1,500円と別途乗り物代。
岡山県の倉敷チボリ公園はここをモデルにしている。
渡航歴_デンマーク_2

興味がなかったのでパス。

街をぶらぶらしていると北欧らしい街並みが現れた。

アンデルセンが愛した港ニューハウン。色鉛筆のような建物達。
渡航歴_デンマーク_6

コペンハーゲン市庁舎。コペンハーゲンで最も高い105.6mの塔をもつ。
渡航歴_デンマーク_3 

Borsen 旧証券取引所
渡航歴_デンマーク_5 

ショッピングストリートのストロイエ。世界初の歩行者天国だそうです。
渡航歴_デンマーク_10 

世界三大がっかり観光名所の人魚姫の像
(他2つはシンガポールのマーライオン、ブリュッセルの小便小僧)

近くでみるとなんとも思わないけど、
渡航歴_デンマーク_8 

遠くからで見ると周りの風景から浮いている。なんでここに建てたんやろ?
渡航歴_デンマーク_人魚姫の像 
引用

何も準備していなかったので到着したその日にコペンハーゲンを離れた。
22時ごろ出発時刻になってもバスが来ず2時間ほど待ってやっと来た。
5月初旬、この2時間が死ぬほど寒くて本当に死ぬかと思った。

全体を通して、現時点のデンマークの印象はこんな感じです。
・ 人魚姫の像


flag_flag_of_Poland_1.pngポーランド/Polska

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ポーランド_自己評価 
現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_ポーランド_訪問予定都市 

ポーランドにはガイドブックなしでノリで行った。

ワルシャワ/Warsaw
第2次世界大戦の傷跡が残るイメージのあるポーランドの首都ワルシャワ。

到着して観光案内所を探したがどこにもなく、とりあえず街をぶらぶらしていたらワルシャワの団地で迷ってしまった。
子供に交じって公園で休憩した。

何もわからず大きい通りと建物、人の流れを探して歩いた。

ワルシャワの街並み。殺風景で第2次世界大戦が頭を過る。
渡航歴_ポーランド_4 

教会前にはたくさんの蝋燭が。
渡航歴_ポーランド_3 

だんだんと都会らしい建造物が増えてきた。
渡航歴_ポーランド_2 

そして開けたところに出た。

ワルシャワ歴史地区王宮広場
これまでとうって変わって色鮮やかな建物が現れた。
渡航歴_ポーランド_6 

ワルシャワの旧市街は、世界中に数多ある世界遺産の中でも極めて例外的な存在です。それは、街自体が持つ歴史的価値ではなく、第二次世界大戦中灰燼に帰した街並を「レンガのひび割れ一つに至るまで」忠実に蘇らせたワルシャワ市民の「不屈の熱意」が評価されて登録が決まったという唯一の史跡群だからです。

渡航歴_ポーランド_5
 

渡航歴_ポーランド_7 

渡航歴_ポーランド_9 

城壁
渡航歴_ポーランド_10 

城壁からの眺め
渡航歴_ポーランド_8 

全体を通して、現時点のポーランドの印象はこんな感じです。
・ 第2次世界大戦 (の傷跡を想像させる歴史と街並み)



flag_flag_of_CzechRepublic_1.pngチェコ/Czech Republic

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_チェコ_自己評価 
現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_チェコ_訪問予定都市 

チェコにはガイドブックなしでノリで行った。

プラハ/Prague
ビール(消費量世界一)とアルフォンス・ミュシャ、ネドベドの国チェコの首都プラハ。

この旅で知り合った人皆が行った方がいいと言われたプラハ。
数分で来てよかったと思ったプラハ。

プラハの街並み。中心部をヴルタヴァ川(ドイツ語名モルダウ)が流れる。(画像小さっ)
渡航歴_チェコ_パノラマ 
引用

プラハ歴史地区
造形と色彩に富んでいて全体的にバランスが整っている街並みだと思う。上位に好きな街。
渡航歴_チェコ_4 

渡航歴_チェコ_1

火薬塔の下
旧市街の入り口として建てられた門で、火薬置き場として塔を使っていた。
渡航歴_チェコ_3 

プラハ市民会館(スメタナ・ホール)
地階・1階にパブがある
渡航歴_チェコ_2

旧市街広場
渡航歴_チェコ_7

渡航歴_チェコ_24

天文時計
「使徒の行進」と呼ばれるキリストの使徒などが時間ごとに動く人形が仕掛けてある。
渡航歴_チェコ_6

 ティーン教会
渡航歴_チェコ_5 

この道をに抜けると、
渡航歴_チェコ_8 

カレル橋
プラハを流れるヴルタヴァ川に架かる橋
渡航歴_チェコ_9 

橋には大道芸人がいる
渡航歴_チェコ_21 

カレル橋を渡るとプラハ城がそびえ立つ。

プラハ城の門。
渡航歴_チェコ_10 

プラハ城内にある聖ヴィート大聖堂
渡航歴_チェコ_19

聖ヴィート大聖堂の内観
渡航歴_チェコ_14

ステンドグラスが綺麗
渡航歴_チェコ_12 

ちょうど日光が入ってきたら、
渡航歴_チェコ_13 

 めっちゃ綺麗になった
渡航歴_チェコ_17 

聖ヴィート大聖堂の内にはアルフォンス・ミュシャが手掛けたステンドグラスがある
渡航歴_チェコ_ミュシャのステンドグラス
引用

ステンドグラスの写真はたくさんあるのにミュシャのステンドグラスの写真がない・・・無念

プラハ城からの眺め
渡航歴_チェコ_20 

プラハ城の帰りに露天でミュシャのポスターとポトカードを買った。(詳しくはコチラ

マリオネットはチェコ名物。マリオネット演劇もやっている。
渡航歴_チェコ_23 

チェコ名物ビール。水のように飲める感じ。
渡航歴_チェコ_ビール  

プラハの観光名所。こんなポストカード買った記憶が。
渡航歴_チェコ_観光名所 
引用

全体を通して、現時点のモロッコの印象はこんな感じです。
・ プラハ歴史地区
・ ミュシャ
・ ルービー

~続く~

あとがき中学生の時、“「人魚」と「魚人」付き合うならどっち?”という内容の議論をした。

人魚と魚人 

結果は、「魚人」に落ち着いた。

大人になった現在、今一度考えてみた。

魚人 

“魚人気持ち悪っ!!”   と思ふ今日この頃でございます

彼はどっちを選ぶんだろう?
さかなくん 


最後まで読んでくれて
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| 渡航歴_2001~2013 | 06:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【渡航歴】西欧・中欧(オランダ・ベルギー・スイス)

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2005.04 西欧・中欧旅行記(オランダ、ベルギー、スイス)

~続き~

flag_flag_of_Netherlands_1.pngオランダ/Nederland

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_オランダ_自己評価 

現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_オランダ_訪問予定都市 


アムステルダム/Amsterdam
風車とチューリップの国オランダの首都アムステルダム。

この旅では日本とアムステルダム間の航空券を手配していたことと隣国への交通の便がよかったのでアムステルダムには5日間いた。

旅で体力がなくなってグッタリしていた時、旅に飽きてきた時、めちゃくちゃ日本に帰りたいと思った時(旅を開始して2週間)に滞在していたところがアムステルダムで、5日間滞在したがまともに観光したのは2日間ほどだった。

オランダ1発目の観光は、オランダのビール醸造会社ハイネケンの体験型ミュージアムハイネケン・エクスペリエンスに行ってきた。

館内はハイネケンの歴史やデザインの展示があり、2,3杯ビールを飲むことができます。
土産にビールジョッキとビールグラスを購入しました。
(これがビールジョッキ買い集めの開始となる)

ハイネケン・エクスペリエンスの内観
渡航歴_オランダ_アムス_1

アムステルダムから1時間ほどのリッセ(Lisse)にあるキューケンホフ(Keukenhof)公園に行った。

キューケンホフは公園というよりも巨大な庭園、植物園のような感じ。
32ヘクタールの敷地内には約700万の花と15kmの遊歩道などがある。

キューケンホフ公園で最も有名なチューリップを見るには4月半ばが見どころとなっていて、ボクが訪れたのは4月後半で業者が花の摘んでいるところだったので(球根を育てるため)、満開のチューリップは観れなかった。

バスに乗っていると、突然現れた
渡航歴_オランダ_アムス_3

一生分のチューリップを見た気がします。チューリップだけで100種類ぐらいあります。
渡航歴_オランダ_アムス_5 
公園内には生花以外にもデザイン造花や植物でできた芸術作品がいたるところにあった
渡航歴_オランダ_アムス_4

満開のチューリップ畑
渡航歴_オランダ_キューケンホフ公園
引用

他にアムステルダムの街や運河をぶらぶらした。
計量所前ではマーケットが開かれていた
渡航歴_オランダ_アムス_2

海抜よい低い土地が多いアムステルダムでは地盤が緩み建物が倒れることがあるそうです。この前をみんな平然と通っていたけど怖くないの?
渡航歴_オランダ_アムス_10
 
コロッケの起源のクロケットが有名。ケッチャプやソースで食べたことあるがマヨネーズは初めてだった。
渡航歴_オランダ_アムス_7 

旅で体力がなくなりグッタリしていた時は国立博物館前の広場でゴロゴロしていた
渡航歴_オランダ_アムス_9

日本に帰りたいと思った時にこの景色を見て癒された
渡航歴_オランダ_アムス_8 

オランダは性や麻薬のハードルが低い。

飾り窓地区
道路に面したドアはほぼ全面ガラス張りで、室内はピンク、紫、ブラックライト等で照明、軒に赤いランプを灯しているのが特徴の売春街
渡航歴_オランダ_アムス_11 

“タンク”とニックネームを付けたくなるような黒人のデブのオバちゃんとかもいる
渡航歴_オランダ_飾り窓 

オランダでは大麻は合法
渡航歴_オランダ_アムス_12 

オランダでのコーヒーショップはソフトドラックを楽しむところ
渡航歴_オランダ_コーヒーショップ 

アムステルダムの夜の運河は街灯の明かりだけで雰囲気がいい
渡航歴_オランダ_アムス_13 

木製のマヘレの跳ね橋
渡航歴_オランダ_アムス_14 

※ここからの画像は引用です。いっぱい写真を撮ったのに・・・

この旅の最終日、ホテルのチェックアウト後にフライトまで時間があったが行きたいところもなかったので目的なくアムステルダムの街をぶらぶらしているとアムステルダム中央駅前の大通りにsexミュージアムというものを見つけた。

sexミュージアムの外観
渡航歴_オランダ_sexミュージアム 
引用

残りの時間、残りの金、残りのデジカメのメモリーをここで使ってヨーロッパ周遊の旅に終止符を打った。

全体を通して、現時点のオランダの印象はこんな感じです。
・ 風車とチューリップ
・ 性と麻薬のハードルが低い
・ 便器が高い
(オランダ人の平均身長は世界2位)



flag_flag_of_Belgium_1.pngベルギー/Belgium

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ベルギー_自己評価 
現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
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渡航歴_ベルギー_訪問予定都市 


ブリュッセル/Brussels
チョコレートとワッフルの国ベルギーの首都ブリュッセル。

ブリュッセルの中心にあるグラン・プラス
最も美しい広場の一つと言われ、市庁舎や王の家、ギルドハウスに360度囲まれている。
渡航歴_ベルギー_ブリュッセル_3

グランプラス内のフラワーカーペット(2年に1度8月下旬)
渡航歴_オランダ_グランプラス 
引用

グラン・プラス内をウロウロしてたら男に声を掛けられ振り向くと、チョコレートマンだった。ゴディバの試食をもらった。
渡航歴_ベルギー_ブリュッセル_4

世界三大がっかり観光名所の小便小僧
(他2つはシンガポールのマーライオン、コペンハーゲンの人魚姫の像)
渡航歴_ベルギー_ブリュッセル_5

小便小僧は着替えたりする。

消防士の衣装。かわいい
渡航歴_オランダ_小便小僧_3 
引用

肉屋のギルドの衣装
渡航歴_オランダ_小便小僧_1 
引用

通常は1mほどしか飛ばない水だが、着替え終わると観光客へのサービスか、係りのおっさんのいたずらなのか、一気に蛇口を全開にして15mは飛ばすそうです。
↓コレなんかおもろい
渡航歴_オランダ_小便小僧_2  
引用

知らずに写真を撮る観光客は服もカメラもびしょびしょになるとか。

小便少女もいる。これは悪ふざけだな。
渡航歴_ベルギー_ブリュッセル_6

トッピングしたワッフルや量り売りしたチョコレートを食べ歩きした。
渡航歴_ベルギー_ブリュッセル_1 

渡航歴_ベルギー_ブリュッセル_2 


アントワープ/Antwerp
フランダースの犬のネロとパトラッシュが亡くなる直前に見た絵画があるとガイドブックに載っていたのでアントワープに行ってみた。

(地名の由来)
アンティゴーンを倒したブラボーは巨人の首と右手とを切り取り右手をシュケルデ川へと投げ捨てました。
それ以来、この町はhant(手)+ werpen(投げ捨てる)=(h)antwerpen と呼ばれる様になりました。

アントワープ市庁舎前のブラボーの像
渡航歴_ベルギー_アントワープ_5

渡航歴_ベルギー_アントワープ_2 
ノートルダム大聖堂
ここでネロとパトラッシュが亡くなった。
渡航歴_ベルギー_アントワープ_4
渡航歴_ベルギー_アントワープ_2 

ネロが見たルーベンスの「キリスト降架」の聖壇画
渡航歴_ベルギー_アントワープ_1 

全体を通して、現時点のベルギーの印象はこんな感じです。
・ チョコとワッフル
・ グランプラス
・ フランダースの犬



flag_flag_of_Switzerland_1.pngスイス/Switzerland

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_スイス_自己評価 

自分の中では十分にスイスを満喫したので世界一周では訪れない予定です。
とはいえはあれから月日は経っていますし、スイスを全て観光した訳ではないので、もし
オススメがあれば教えてくださ~い


手元にあるスイスの写真がこの3枚だけ
渡航歴_スイス_1渡航歴_スイス_3渡航歴_スイス_2 
帰国後にお気に入り写真をプリントアウトしファイリングしていたものをデジタル加工した。

※ここからの画像は引用です。いっぱい写真を撮ったのに・・・


ベルン/Bern
アルプス山脈に囲まれ永世中立国のスイスの首都ベルン。

ベルンの街並み。今回訪れたスイスの都市で唯一の歴史都市。
渡航歴_スイス_引用ベルン_1 
引用

丘の上のバラ公園から見た旧市街。バラよりこっちがいい。
渡航歴_スイス_引用ベルン_3 
引用

旧市街をぶらぶら
渡航歴_スイス_引用ベルン_4 
引用

奥の時計塔がベルンのランドマーク。手前のクマの石像みたいなのが10体ぐらい街のあちこちにある。
渡航歴_スイス_引用ベルン_5  
引用


チューリッヒ/Zurich
金融の都市チューリッヒ。
スイス一発目の都市で、ドイツからの入国ついでに寄った。
10万円ぐらいを両替をしたが足りなかったと思う。

これまでの訪れた都市と比べて空気が全然違い驚いたのを覚えている。
同じぐらい驚いたのが物価。イギリスより高かったと思う。

市電やバスの初乗りが400円。
レストランのちょっとしたサンドイッチが3,000円。
スイスでの食事はチーズフォンデュを外食しただけであとはスーパーで安いものを買って食べていた。

チューリッヒの街並み。チューリッヒ湖に面している。
渡航歴_スイス_引用チューリッヒ_1 
引用


ジュネーブ/Geneva
多くの国際機関が所在する世界都市ジュネーブ。
スイス最後の都市で、フランスに入国する前に寄った。

フランス行きの電車の切符が予想以上に高くて直前で両替した覚えがある。

ジュネーブの街並み。レマン湖に面している。
渡航歴_スイス_引用ジュネーブ_1 
引用

名物の巨大噴水
渡航歴_スイス_引用ジュネーブ_2 
引用


インターラーケン/Interlaken
ドイツ語で湖(lake)の間の意をもつ都市インターラーケン。
名前の通りトゥーン湖とブリエンツ湖の間に位置する。

インターラーケンはユングフラウヨッホへの拠点として滞在した。

ヨーロッパ最高地に位置するユングフラウヨッホ駅(3,454m)
渡航歴_スイス_1 

インターラーケンから登山鉄道で中継駅を乗り継ぐ。
(登山鉄道の運賃が往復2万円ぐらい)

麓はハイジの世界。山羊は鈴の音がより引き立たせる。
渡航歴_スイス_1

1時間も登ると雪景色になる。

アイガー北壁付近を走るユングフラウ鉄道
渡航歴_スイス_引用インターラーケン_1 
引用

最終駅のユングフラウヨッホ駅は山の中。冷蔵庫の中のおような寒さ。
渡航歴_スイス_2
引用

駅から階段とエレベータで登っていくと、スフィンクス展望台(3,573m)に到着。
渡航歴_スイス_引用インターラーケン_2
引用

展望台からのヨーロッパ最長のアレッチ氷河
渡航歴_スイス_2

展望台を出ると今後は日差しが強くTシャツでちょうどいいぐらい暑かった。
ここまできてすぐに帰るのはもったいないと思い、Tシャツとスニーカー姿で登山者やスキーヤーについて行きトレッキングをした。

30分ほど歩くと高地のせいか息が苦しくなってきて山小屋で休憩して展望台に戻った。
帰りにコーヒーを飲もうと売店に行くと400円、麓のスーパーまで我慢した。
ツェルマット/Zermatt
もちろんお目当てはマッターホルン。

ツェルマットは観光客向けのコテージ風ホテルや登山グッズショップなど観光地らしい街並み
渡航歴_スイス_ツェルマット街並み  
引用

ゴルナーグラート・モンテローザ登山鉄道でヨーロッパで2番目に高いゴルナーグラート駅(1番目はユングフラウヨッホ駅)に向う
渡航歴_スイス_ツェルマット地図 

急勾配を登る
渡航歴_スイス_ツェルマット_登山鉄道_3 
引用

終点ゴルナーグラート駅に到着
渡航歴_スイス_ツェルマット_登山鉄道_4 
引用

駅から少し歩くとゴルナーグラート展望台がある
渡航歴_スイス_ツェルマット_展望台_1 
引用

ゴルナー氷河とアルプスの山々
左がヨーロッパ第2の標高を誇るモンテローザ(4634m)、真ん中のでこぼこした山がリスカム(4527m)
渡航歴_スイス_ツェルマット_登山鉄道_2 
引用

観光客用にセントバーナード犬が待機している
渡航歴_スイス_3


全体を通して、現時点のスイスの印象はこんな感じです。
・ アルプスの山々と氷河
・ 空気が澄んでいる
・ 街が清潔
・ 物価が高い
(特に交通費)


~続く~

あとがき
フランダースの犬のネロのルーベンスの「キリスト降架」の聖壇画のように、自分の死ぬまでに見たいものは何かと考えてみた。

裸体の神輿
裸神輿
これの女性のやつね

嘘です。世界の絶景です。

“ちゃんと考えないとパトラッシュにシバかれちゃう”   と思ふ今日この頃でございます

最後まで読んでくれて
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| 渡航歴_2001~2013 | 15:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

【渡航歴】西欧・中欧(イタリア)

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2005.04 西欧・中欧旅行記(イタリア)

~続き~

flag_flag_of_Italy_1.pngイタリア/Italy

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_イタリア_自己評価 

現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い

※行きたいところが多すぎて2つに分けてポイントしています。

渡航歴_イタリア_訪問予定都市_1 

渡航歴_イタリア_訪問予定都市_2 



※現地で撮影した写真が見れない状態になっているものが多く、WEB上の画像を引用して記事を更新しています。特にローマ、ヴァティカン市国、ピサ、ナポリ、カプリ島。へこむわ~

ローマ/Rome
イタリアの首都ローマ
観光スポット盛りだくさんのローマには4日間いた。

初日は夕方にローマに到着し、ホテルに荷物を置いてぶらぶら観光した。

ヴェネツィア宮殿
渡航歴_イタリア_ローマ_1  

古代ローマ時代の遺跡フォロ・ロマーノ
渡航歴_イタリア_ローマ_2 

ぶらぶらしていると人だかりがあり、覗いてみると“STAR WARS”の文字が。
あまりの人の多さになにか起こると予感し、しばらく待っていた。
渡航歴_イタリア_ローマ_3 

すると、若いころのダース・ベイダーを演じたヘイデン・クリステンセンが現れた。



映画「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」のPRでローマに来ていたみたい。
ナタリーポートマンはいなかった。残念。

ぶらぶらを再開し、辿り着いたのがトレヴィの泉

ポーリ宮殿の壁と一体となったデザイン
渡航歴_イタリア_ローマ_6 

夜も更けホテルに帰る途中に事件が起きた。

海外トラブ ~ File.02  オマエ、偽警官やないかーい ~
---------------------------------------------------------------
ホテルに戻る途中、2人組の私服警官に声を掛けられ、警察バッチの付いた手帳を見せていくつか質問された。

どこから来たのですか?
これからどこに行くのですか?

ありきたりな質問を受けた後に

パスポートを見せてくれますか?
現金はいくら持っていますか?

偽警察の話は聞いたことあったが、人が行き来する街のど真ん中ではさすがにしないだろうという先入観があり、身分確認や税関申告のなにかと思いパスポートと現金を渡した。

パスポートを広げ、確認するとすぐに返された。

次に現金。100€を10枚ほど持っていたのでそれを渡した。

受け取った警官は金を数え、確認するとすぐに返された。

受け取った瞬間、札の厚みが違うことに気付き、警官の腕を掴むと、袖に数枚の札が。

コイツ等、偽警官やん
オーマイゴッド 

袖の札を取り戻したと同時に1人の偽警察官が逃げて行き、もう1人は知らぬ顔で去ろうとした。
若かったボクは偽警官にローキックした。
道行く人も全員仲間ではと怖くなり深追いはやめて、札を戻してその場を離れた。

人が行き来する街のど真ん中だからと油断していた。

(教訓)

・ どんな状況においても警官が現金を要求することは決してない
・ 周りの人の状況に関わらず詐欺は起こる
・ 目の前で詐欺行為が行われていても現地人は気にしない



別の日にまた事件が起こった。

海外トラブル ~ File.03  ローマっ子を追うボク 時々 ボクを追う警察 ~
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泊っていたホテルで連泊することができず、別のホテルを探しても全く見つからなかった。
次の日は朝早くから移動することもあったのでローマのテルミニ駅のホームで仮眠することにした。
それまでにも何度か駅で仮眠したことはあった。
仮眠する場所は人通りがあること、先に仮眠している人がいるところを選んだ。

同じように終電後のテルミニ駅で仮眠する場所を確保し、荷物のキャリーケースはチェーンキーを使って閉店後の店のドアに繋ぎ、ミニボストンバックは腕に絡ませ抱え込んだ状態で仮眠した。

午前4時頃、ズボンのポケットがゴソゴソと動くので目が覚め、起きると20歳前後のヤンチャそうな地元のローマっ子が8名ぐらいに囲まれていて、ボクが立ち上がるとなにもなかったようにその場を離れて行った。

ポケットには何も入っておらず、キャリーケースはドアに繋がれたまま、でも抱え込んでいたミニボストンバックがなくなっていた。

ミニボストンバックには帰りの航空券クレジットカードが入っていた。

パニックになった
オーマイゴッド 

全力ダッシュでローマっ子のところに行き、ミニボストンバックを返せとしつこく言い寄るとローマっ子のリーダー格がボクの顎に肘鉄を打ってきた。

アドレナリンが出ていたせいなのか何事もなかったかのように平然としているボクに唖然とし、ローマっ子は面倒くさそうに足早に立ち去ろうとした。

さすがに人数が多いのでこっちからしかけることなく、いつ襲ってくるかという緊張感を抱えながら立ち去るローマっ子の横でひたすらミニボストンバックを返せと言い続けた。

現場から50m離れたぐらいで、ハッと気付き後を振り返ると別のローマっ子が獲物を見るようにキャリーケースを見つめていた。

キャリーケースの方にはパスポートや現金、カメラなどが入っていた。
(今思えばどういう荷物の分け方をしてたんだろう)

こっちを盗られる方が困るし、なにより2次被害を起こしたくなかったので、ミニボストンバックは諦め、キャリーケースの方にダッシュした。

キャリーケースの周りにいたローマっ子は、別に何もしてないでしょ?と言わんばかりにその場にずっといてこっちを見ていた。

キャリーケースを確保し、現場から20m先に駅舎内の交番があったので拙い英語で事情を説明した。

警官はあきれ顔で面倒くさそうに出してきた書類に指を指し、ココに書けといってくる。

それよりもどこかに行こうとしているローマっ子を追いかけてくれといったら、警官が更にあきれた顔をした。

焦りと苛立ちで思わず、ファッキューと呟いた。

それを聞いた警官がブチ切れ。

イタリア語で怒鳴り、ボクを捕まえようとする。


ボクは荷物を持って、逃げながら日本語で叫んだ。

“イタリアの警察はクソ
だな!!”
オーマイゴッド 
それから、まだ諦められずローマっ子がいるか駅周りを探したら見つかった。

が、このまま言い寄っても進展ないし、アジト?を突き詰めてもなにもできないと思い、ボクがローマっ子の立場だったらどうするか考えた。

ミニボストンバックを盗る

ミニボストンバックを物色する

残りはゴミ箱に捨てる

テルミニ駅内の全てのゴミ箱を見て回った。
20,30個はあったと思うが何も出てこなかった。

ここまでで約1時間経過

このままミニボストンバックを探しても成果がでないような気がし、また観光をする時間を削ってまでやることかと思い、ここでミニボストンバック帰りの航空券クレジットカード)は諦めた。

まずはインターネットカフェを探して、開店するのを待ち、日本に連絡してクレジットカードの利用履歴と使用停止を行った。(当時は今みたいに海外携帯電話やパソコン、タブレットなどインターネット端末を持参していなかった)

次に帰りの航空券は航空会社の店舗の場所が分からなかったので手っ取り早く空港に行って再発行を依頼した。
(当時は今みたいにeチケットではなく、紙チケットが主流で無くすと面倒でした)

被害はチケット再発行や交通費などの約2万円と約2日。
海外旅行保険に入っていなかったのでなにも手続きしなかった。

3日ほどへこみながら旅を続けた。

(教訓)
・ 駅のホームなど人通りがあるところで気を抜いてはいけない
・ 海外の警察はトラブルに巻き込まれる観光客が悪いと思っている

ちゃんとホテルに泊ることや海外旅行保険に入ることは横に置いています



こんな事件に合いながらも、観光は楽しめたのでローマの自己評価は好評価の4つ星にしました。

※ここからの画像は引用です。いっぱい写真を撮ったのに・・・

ローマ帝政期に造られた円形闘技場コロッセオ
是非中に入って欲しい
渡航歴_イタリア_コロッセオ_2 
渡航歴_イタリア_コロッセオ_1 
引用

スペイン広場
間近にあるスペイン大使館にちなんで命名された
渡航歴_イタリア_スペイン広場 
引用

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(真実の口)
元々は下水溝のマンホールの蓋であったらしい
渡航歴_イタリア_真実の口
引用

サンタンジェロ城
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは秘密の通路で繋がっているといわれている
渡航歴_イタリア_サンタンジェロ城
引用

スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ
SSラツィオとASローマのホームスタジアム
中田英寿が在籍していたACFフィオレンティーナとSSラツィオの試合を見に行ったが、中田はケガでベンチだった
渡航歴_イタリア_ローマスタジアム
引用


ヴァティカン市国
ローマにある世界最小の国家バチカン。

※ここからの画像は引用です。いっぱい写真を撮ったのに・・・

サン・ピエトロ広場
284本のドーリア式円柱で装飾された回廊により広場を取り囲むように構成されている
渡航歴_イタリア_ヴァチカン_1 
引用

サン ピエトロ大聖堂
カトリック教会の総本山
渡航歴_イタリア_ヴァチカン_2 
引用

ミケランジェロが設計したクーポラの天井、高さ136m
渡航歴_イタリア_ヴァチカン_3
引用

クーポラの真下にある教皇の祭壇を覆う、ベルニーニ作ブロンズの大天蓋
渡航歴_イタリア_ヴァチカン_4
引用

昼にヴァチカン美術館に行ったら、5時間待ち(この旅一番)だったので諦めた。
世界一周では再び訪れたいと思う。
(近年、ネット予約ができるようになったみたいです)

ミケランジェロが手掛けたシスティーナ礼拝堂のフレスコ画
渡航歴_イタリア_ヴァチカン_5
引用


ヴェネツィア/Venice
言わずと知れた水の都ヴェネツィア
渡航歴_イタリア_ヴェネチア_7
ヴェネツィア本島は大きな魚のような形をしており、本島全体が小さな島々からできている。その真ん中を全長約3kmにおよぶ逆S字形のカナル・グランデ大運河がヴェネツィアの北西から南東へ、市街を2つに分けながら湾曲して流れる。

ヴェネツィア本島
渡航歴_イタリア_ヴェネツィア地図
引用

カナル・グランデ大運河。交通手段は船。
渡航歴_イタリア_ヴェネチア_3

そこらじゅうに似た橋があり細い道で交差するヴェネツィアの街はまるで迷路。
渡航歴_イタリア_ヴェネチア_1 
渡航歴_イタリア_ヴェネチア_2 

中心にあるサン・マルコ広場。迷子になったらここに戻ってた。
渡航歴_イタリア_ヴェネチア_4 

サン・マルコ寺院
渡航歴_イタリア_ヴェネチア_5 

サン・マルコ寺院の内観
渡航歴_イタリア_サンマルコ寺院 
引用

サン・マルコ広場のサン・マルコ寺院と時計塔。
ナポレオン曰く、“世界で最も美しい広場”と。
渡航歴_イタリア_ヴェネチア_6 

当時、ヴェネツィア・カーニバルの仮面を買うかすごい迷っていた。
せっかくここまで来たし、でも荷物になるし・・・結局、買わなかった。

結構、高かった
渡航歴_イタリア_ヴェネチア_8 

渡航歴_イタリア_ヴェネチア_9 

ヴェネツィア・カーニバル
渡航歴_イタリア_ヴェネツィアカーニバル 
引用

ヴェネツィアは日帰りだったので、世界一周では夜のヴェネツィアを散策したいと思う。

名物のゴンドラ
渡航歴_イタリア_ヴェネチア_10 



ミラノ/Milano
ファッショナブルな街ミラノ。

地下鉄ドゥオモ駅を登るといきなり目の前に現れた。

ミラノのドゥオモ
世界最大のゴシック建築で、広さはバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ大きさ
渡航歴_イタリア_ミラノ_1 

残念なことに正面は修復中でほとんど見えない。

渡航歴_イタリア_ミラノ_2
 

天井部に立ち並ぶ尖塔は全部で135本。2245体の聖人の彫刻が施されている。

渡航歴_イタリア_ミラノ_3
 

ドゥオモの内観
渡航歴_イタリア_ミラノ_4 

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
ドゥオモとスカラ座を結ぶ、大理石とガラスのアーケード
渡航歴_イタリア_ミラノ_5
 

サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」を見たかったが予約制だったので諦めた。

最後の晩餐
世界遺産の登録定義として、世界遺産は不動産のみと決まっているので移動が可能な絵画は世界遺産に登録することができない。但し、「最後の晩餐」は不動産である食堂の壁に直接描かれているという理由から唯一絵画で世界遺産に登録されているんです。
渡航歴_イタリア_最後の晩餐 
引用

ミラノに来た最大の目的、ACミランvsユベントスFCの試合。

ACミランとインテルのホームスタジアムスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ
渡航歴_イタリア_ミラノ_7 
渡航歴_イタリア_ミラノ_8
 

当時、ACミランにはカカやシェフチェンコ、ユベントスFCにはネドベドやデルピエロなどが在籍していた。
渡航歴_イタリア_ミラノ_9 

この試合が人生初のヨーロッパサッカー観戦だった。
年寄りからチビッ子までサポーター全員がサッカーを楽しむというより人生をかけているかのように感情むき出しでリアクションして応援しているのが印象的だった。

ジャンプと声援で揺れるスタジアムの動画が見つからない・・・
渡航歴_イタリア_ミラノ_10 

街をぶらぶらして、スカラ座スフォルツェスコ城を観光した。
渡航歴_イタリア_ミラノ_13 
渡航歴_イタリア_ミラノ_6


フィレンツェ/Firenze
ルネッサンス芸術運動の中心地として栄えたフィレンツェ。
映画「冷静と情熱のあいだ」のロケ地。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。教会の名は「花の(聖母)マリア」の意である。

左から洗礼堂・大聖堂・鐘楼
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_1 

洗礼堂を右に行くと、大聖堂(正面)が現れ、
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_12

鐘楼を過ぎ、右に進み、大聖堂(後面)に大聖堂の天蓋への登り口がある。
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_1

大聖堂の天蓋からフィレンツェの街を一望できる
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_2 
引用

大聖堂の大蓋からの眺め
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_10

渡航歴_イタリア_フィレンツェ_9

渡航歴_イタリア_フィレンツェ_11

ミケランジェロ広場からのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_5

橋上家屋で有名なヴェッキオ橋。フィレンツェ最古の橋
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_3 

宝飾店が建ち並んでいる
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_4 

フィレンツェ観光の締めにウフィツィ美術館に行った。
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_2

ウフィツィ美術館の内観
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_3 
引用

展示作品
渡航歴_イタリア_フィレンツェ_4 
引用


ピサ/Pisa
斜塔で有名なピサ。

※ここからの画像は引用です。いっぱい写真を撮ったのに・・・

斜塔もそうだが併設するピサ大聖堂と洗礼堂(バッティステロ)も見ごたえがある。

ピサ大聖堂
渡航歴_イタリア_ピサ_2
引用

ピサ大聖堂の内観
渡航歴_イタリア_ピサ_3
引用

洗礼堂
渡航歴_イタリア_ピサ_1
引用

洗礼堂の内観
渡航歴_イタリア_ピサ_5 
引用

絶対に自分はしないと思っていたお決まりのポーズ。現地に来たらやってしまった。
渡航歴_イタリア_ピサ_4
引用


ナポリ/Napoli
イタリア南部の港町ナポリ。
当時はイタリアの中でも治安が悪かった。

※ここからの画像は引用です。いっぱい写真を撮ったのに・・・

ナポリの街並み
渡航歴_イタリア_ナポリ_1 
引用

セバスチァーノ通り
渡航歴_イタリア_ナポリ_2
引用

当時、ナポリはゴミ問題もあり、街並みは綺麗ではなかった
渡航歴_イタリア_ナポリ_3
引用

でもピザはうまかった
渡航歴_イタリア_ナポリ_4 

ナポリからフェリーでカプリ島に行った。


カプリ島/Isola di Capri
イタリア屈指のリゾート地であり、この旅の3つの目標のうちの3つ目、青の洞窟があるカプリ島

※ここからの画像は引用です。いっぱい写真を撮ったのに・・・

青の洞窟は、波が穏やかで(洞窟の入り口が小さいので波が高いと入れない)、晴れていて、昼頃(11~14時ぐらい)などの条件を満たして初めて洞窟内が青一色になる。

ナポリ発のフェリーを降り、青の洞窟に行くにはまだ早かったのでカプリ島を散策した。
渡航歴_イタリア_カプリ島_2 
引用

カプリ島はリゾート地でもあるのでセレブも多い。
渡航歴_イタリア_カプリ島_3 
引用

頂上に着くと土産物やリゾートホテル、教会があった。
渡航歴_イタリア_カプリ島_4 
引用

11時頃に青の洞窟行きの船に乗り(10€)、洞窟前で小舟に乗換え(5€)、洞窟に入った(4€)。

真ん中のくぼみに入口がある
渡航歴_イタリア_カプリ島_7 
引用

波は穏やかで洞窟に入るには問題はなかったが、天候が若干曇っていた。
とはいえここまで来て引き返す訳にはいかないので、青一色になっていることを願って洞窟に入った。

洞窟に入ると手漕ぎしながら船頭のオヤジが歌い始めた。

サンターアルチーア、サンタールチア

そして、肝心の青の洞窟内はというと、

ここまでは期待はしていなかたが、
渡航歴_イタリア_カプリ島_6
引用

せめてこのぐらいはと願っていた。
渡航歴_イタリア_カプリ島_8 
引用

実際のところ、こんな感じだった。
渡航歴_イタリア_カプリ島_9 
引用

期待していた分、ショックだった。

カプリ島に戻ってモヤモヤした気持ちを抱き、午後をどう過ごすか考えていた、

その時、若干晴れ、日差しが出てきた。

折角ここまで来たのだからと思い、再び青の洞窟に向かった。(10+5+4€)

世の中そんなにうまくいかないものだ。またこんな感じだった。
渡航歴_イタリア_カプリ島_9
引用

14時を過ぎ、青の洞窟のベストな時間帯が過ぎたので、諦めてフェリー乗り場近くのビーチでナポリ行きのフェリーを待った。

まさにこの場所で、こんな天候だった。すっごい天気良くなってやがんの
渡航歴_イタリア_カプリ島_1 
引用


全体を通して、現時点のイタリアの印象はこんな感じです。
・ 観光スポットだらけ
・ 観光客の行列
・ セリエA
・ 治安が悪い
・ それでも好きな国ランキング3位


~続く~

あとがき
久しぶりにユベントスFCのネドベドを見たら、
渡航歴_イタリア_ネドベド 

きゃりーぱみゅぱみゅのキッズダンサーが頭に浮かんだ。
渡航歴_イタリア_ダンサー_1_4 
渡航歴_イタリア_ダンサー_2_4 

“キッズダンサーはダンスが、ネドベドはドリブルと髪型がキレキレ”   と思ふ今日この頃でございます


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| 渡航歴_2001~2013 | 10:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【渡航歴】西欧・中欧(ドイツ)

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2005.04 西欧・中央旅行記(ドイツ)

~続き~

flag_flag_of_Germany_1.pngドイツ/Germany

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ドイツ_自己評価 

現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い

※行きたいところが多すぎて2つに分けてポイントしています。

渡航歴_ドイツ_訪問予定都市_1 

渡航歴_ドイツ_訪問予定都市_2 


ベルリン/Berlin
第2次世界大戦や東西ドイツの先入観なのかベルリンは曇りのイメージある。
(だぶん天候のせい)

ベルリンの街並み。奥にみえるのがベルリンテレビ塔。
渡航歴_ドイツ_ベルリン_1 

ブランデンブルク門
渡航歴_ドイツ_ベルリン_10

第2次世界大戦後は東ベルリンと西ベルリンとの境界線がこの門のすぐ西側に引かれ、門は東ベルリン側になった。そして、1989年にベルリンの壁が崩壊し、再び門の下を通行できるようになった。

渡航歴_ドイツ_ベルリン_11

ベルリン大聖堂
渡航歴_ドイツ_ベルリン_3

ベルリンの夜の散歩はオススメ。ゴシック建築のライトアップは雰囲気抜群。ベルリンの治安はそんなに悪くはない。

渡航歴_ドイツ_ベルリン_12

ベルリンは博物館の町でもある。

世界遺産に登録されているムゼウムスインゼル(博物館島)

この島には、旧博物館(古代ギリシャの美術品など)、旧ナショナルギャラリー(19世紀の絵画・彫刻)、ボーデ博物館(彫刻コレクション・ビザンティン美術)、ペルガモン博物館(古代コレクション・イスラム文化・西アジア文化)、新博物館(エジプト文化・先史と原始時代の文化)の5つの博物館・美術館が集まっている。

その中でも人気はペルガモン博物館

ペルガモン博物館の入口
渡航歴_ドイツ_ベルリン_5 

館名の由来になったペルガモンの大祭壇
渡航歴_ドイツ_ベルリン_6 

バビロンのイシュタル門
渡航歴_ドイツ_ベルリン_8 

イシュタル門を抜けると行列通り
渡航歴_ドイツ_ベルリン_7

他にも近代建築や現代アートなどベルリンはいろんな顔を持っている。

ベルリンのスーパーで買ったソーセージ達。
ドイツのスーパーではソーセージが50種類ぐらいある。
おもしろがってたくさん買ったが味は全く覚えていない。
渡航歴_ドイツ_ベルリン_13 


ポツダム/Potsdam
ベルリンの隣にある宮殿と湖の間に広がる庭園都市ポツダム

自然豊かで歴史的建造物があちこちにある
渡航歴_ドイツ_ポツダム_1 
渡航歴_ドイツ_ポツダム_7 

世界遺産のサンスーシ宮殿(意は「憂いなし」)に到着。
 渡航歴_ドイツ_ポツダム_2 
渡航歴_ドイツ_ポツダム_6 
渡航歴_ドイツ_ポツダム_3 

シンメトリーな設計
渡航歴_ドイツ_サンスーシ宮殿 
引用

サンスーシー宮殿の内部。ロココ調の室内装飾。
渡航歴_ドイツ_サンスーシ宮殿_2 
引用

※ここから自分の思い出に浸ります。ご覧の方は気分を害されると思いますので2スクロールほど記事を読み飛ばして頂くよう宜しくお願い致します。


ポツダムは自然がいっぱい
渡航歴_ドイツ_ポツダム_8 

こんな道がずっと続く

駅に向かって結構歩いたのに道は続く

便意を催しているのに道は続く

きっともう少しで駅に着くと願っているのに道は続く

常備しているトイレットペッパーを握る手の握力ハンパないのに道は続く

ケツ筋がつりそうになっているのに道は続く

便意のビックウェーブを3回ほど乗り越えたのに道は続く

もう無理、と諦めそうになってもプライドで踏ん張るのに道は続く

新しい呼吸法をあみだしたのに道は続く

渡航歴_ドイツ_千代の富士 

人が近くにいないことを確認して、森の奥で入り、成人になって初めて野グソをしてしまいました。

この奥でアタックしました
渡航歴_ドイツ_ポツダム_9 

(補足)この旅であと3回アタックしたと思います。


ハンブルク/Hamburg
元サッカー日本代表高原がスシボンバーと呼ばれた港街ハンブルク

ハンザ同盟で栄えた港町
渡航歴_ドイツ_ハンブルグ_4 

レンガ倉庫街
渡航歴_ドイツ_ハンブルグ_1 

デンマークの経由地点として寄っただけ。
ボクが知らないだけかもしれないが普通の港街で心躍る観光スポットはなかったと思う。


フランクフルト/Frankfurt
金融の都市フランクフルト。
ドイツの中心に位置し、交通の便が良かったので、ここを拠点にドイツを観光した。

高ビルが立ち並ぶ都会
渡航歴_ドイツ_フランクフルト_1 

街の中心にあるレーマー広場。ここでよくドイツ代表が優勝セレモニーをする。
渡航歴_ドイツ_フランクフルト_3 

自転車レースをしていたのでホットドッグとビールを飲んで観戦した
渡航歴_ドイツ_フランクフルト_4 
渡航歴_ドイツ_フランクフルト_5 
渡航歴_ドイツ_フランクフルト_6 

フランクフルトは都会で観光スポットがあまりなかったので美術館によく行った。
渡航歴_ドイツ_フランクフルト_10 
渡航歴_ドイツ_フランクフルト_9 
渡航歴_ドイツ_フランクフルト_8 
渡航歴_ドイツ_フランクフルト_7 

この旅でのフランクフルトの思い出といえば、日本に残してきた恋人からメールで別れて告げられたこと。
何度もインターネットカフェに行って、PCキーボードの日本語入力ができない環境だったのでローマ字でメールをやり取りし、なんだかんだで元鞘に戻った。
お互い子供だった。そんな彼女も今では立派な主婦になっている。
(ちなみに夫はボクではない)

そんな頃もあったなとブログを更新しながら思いふける。

今日も良い天気です。


ヴュルツブルク/Wurzburg
世界遺産の「ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場」がある都市。

ヴュルツブルク司教館(レジデンツ)
バロック建築様式を代表するヨーロッパでも屈指の宮殿
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_10

階段の間
柱の無い広大な吹き抜けに、画家ティエポロの描いた、世界で一番大きいフレスコ天井一枚画がある。が、修復中だった。
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_11

こんな感じみたいです
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルク_階段の間の天井に描かれた世界最大のフレスコ画 
引用

皇帝の間

ここでモーツァルト演奏会が行われている
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_12 

こんな部屋がいっぱいあります
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_13 

レジデンツ付属のホーフ教会
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルク_ホーフ教会 

街をぶらぶら
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_1 
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_9 

丘の上になにかあるのでとりあえず向かった
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_2 

アルテマイン橋
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_3 

ヴュルツブルクの街並み
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_8 

結構、高い
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_5 

緑がなくなり、だんだんと要塞っぽくなってきた
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_7 

やっと到着。思っていたよりデカイ
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_6 

要塞内をぶらぶら
渡航歴_ドイツ_ヴェルツブルグ_4 


ローテンブルク/Rotenburg
中世の街並みがそのまま残るおとぎの世界のようなローテンブルク。

かわいい木組みの住宅
渡航歴_ドイツ_ローテンブルグ_10 
渡航歴_ドイツ_ローテンブルグ_4

市庁舎
渡航歴_ドイツ_ローテンブルグ_6 

プレーンライン。有名な写真スポット。
渡航歴_ドイツ_ローテンブルグ_12 
  
クリスマスグッズショップ ケーテ・ヴォールファールトの巨大くるみ割り人形。
渡航歴_ドイツ_ローテンブルグ_11 

こんなかわいい街並みの中に拷問器具が展示されている中世犯罪博物館があります。

手枷やペンチ、鉄棒は序の口。
渡航歴_ドイツ_ローテンブルグ_5 

鉄の処女(アイアンメイデン)
空洞の人形の内部は内側に向けて釘が突き出している。
そこに人間を入れて閉めると、聖母マリアをかたどった鉄の処女は血の涙を流したそうです。
渡航歴_ドイツ_ローテンブルグ_2 

恥辱のマスク
現代では理解できないがこのマスクを付けることが当時の人にとってはこの上ない拷問だったそうです。
渡航歴_ドイツ_ローテンブルグ_1 


ミュンヘン/München
バイエルン州最大の都市ミュンヘン

バイエルン初日、夕方に到着しホテルを探してもどこも満室。
不思議に思いながらも探し続けてユースホステルのドミトリーを確保することができた。
3人1室のドミトリーでルームメイトはドイツ人大学生2人。
年も近かったことから仲良くなり、会話していると、2人がミュンヘンに来た目的がドイツサッカーチームのバイエルンミュンヘンのリーグ優勝を見届けるためと知る。
そして“バイエルンミュンヘンが優勝したから外に出よう”と誘われてミュンヘンの中心地に向かった。

地下鉄にでると号外の新聞の山。
当時のバイエルンミュンヘンはカーンやバラックが在籍していた。
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_1 

バイエルンミュンヘンのスポンサーがビール会社Paulaner(パウラーナー)なので、そこらでビールが無料で配られていた。

常に2つコップを持って飲みまくった
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_2 

飯を食いにレストランに入るとサポーターが大はしゃぎ。
何軒かハシゴして最後はマクドナルドでまったり。
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_3 

そんな嬉しい先制パンチをくらい、翌日、睡眠不足まま観光を始めた。

マリエン広場新市庁舎
新市庁舎の塔の下には仕掛け時計があり、からくり人形劇場が上演される。
昨日と違って静か。
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_9 
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_8 

ミュンヘン最古のペーター教会。白に金が映える。
 渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_10 
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_11 

ペーター教会からの眺め。階段で吐きそうになった。
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_12

ミュンヘンの最大の見所、バイエルン王国を統治したヴィッテルスバッハ家の宮殿レジデンツ
渡航歴_ドイツ_レジデンツ_3

宝物館
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_18 
渡航歴_ドイツ_レジデンツ_4  
渡航歴_ドイツ_レジデンツ_1 

そして、一気に目が覚めたアンティクヴァリウム (考古館)
フレスコ画で埋め尽くされた天井は全長69m。コレヤバイ。
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_5 
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_20 

一族の肖像画121枚が展示されている部屋
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_19  

宮殿内はこのような豪華な部屋が100以上あります
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_6 
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_25   
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_26 

ヴィッテルスバッハ王家の食器類
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_21 
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_23 

夢中で陽が落ちるまでいた
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_7

レジデンツ近くにあるテアティーナ教会
ヴィッテルスバッハ家の墓所があり、25人が安置されている。
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_13

ミュンヘンの肉屋では1,2€払えばソーセージやスープが食べれた。
レストランのものとほとんど変わらない。オススメ。
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_15 
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_14 
渡航歴_ドイツ_フッセン_10 

初夏の風物詩ホワイトアスパラガスの屋台がたくさんでていた。
ホワイトアスパラガススープはクリーミーでうまい。オススメ。
渡航歴_ドイツ_ミュンヘン_17


ダッハウ/Dachau
ミュンヘン近郊にあるナチス・ドイツのダッハウ強制収容所に行った。

並木道が寂しげ。フランスのヴェルサイユ宮殿の並木道と大違い。
渡航歴_ドイツ_ダッハウ_4

ここで20万人以上が収容され、3.2万人以上が亡くなった
渡航歴_ドイツ_ダッハウ_1 

ダッハウでは人体実験、「超高度実験」と「冷却実験」が行われており、その生々しい様子や「制裁」と呼ばれる鞭打ち、飢餓や栄養失調の様子も写真として展示されている
渡航歴_ドイツ_ダッハウ_2 

1棟の定員250人に対し、1,600人も詰め込まれていた時期もあったという
渡航歴_ドイツ_ダッハウ_3 

ガス室
渡航歴_ドイツ_ダッハウ_5 

命を奪われた3.2万人を処分するため遺体焼却釜はフル稼働
渡航歴_ドイツ_ダッハウ_6 

こういうのを見ると今自分がどれだけ自由かと思う。
この自由が当たり前すぎて自由と思えていない。
ほんの少し生まれる時期が早く、ほんの少し生まれる場所が違ったら自分がダッハウ強制収容所にいたかもしれない。
そんなことを思う。


フュッセン/Füssen
この旅の3つの目標のうちの2つ目、フランスのディズニーランド・パリの眠れる森の美女の城のモデルになっているノイシュヴァンシュタイン城

ノイシュヴァンシュタイン城はバイエルン王ルートヴィヒ2世の命によって建設された。このルートヴィヒ2世は18歳の若さで王位に就き、争いや政治という現実から逃避していき、次第に自分だけのファンタジーの世界に生きるようになる。ファンタジーを具現化するため、国家財政が圧迫するまで城を豪華絢爛にし続けた結果、精神病を宣告され、その後謎の死を遂げる。

ルートヴィヒ2世はノイシュヴァンシュタイン城の他に2つの城を建設している(後述)。

そんなノイシュヴァンシュタイン城の麓の町フュッセンに到着すると町全体が霧で覆われていた。

早朝で人が誰もおらず、教会が点々としていたのでサイレントヒル的な怖さがあった
渡航歴_ドイツ_フッセン_1 

フュッセンからノイシュヴァンシュタイン城手前までバスで移動した。

ノイシュヴァンシュタイン城はまだ霧で覆われていた
渡航歴_ドイツ_フッセン_2 

裏ルートで滝側から登った。なにも面白くないので通常ルートでいいと思う。
渡航歴_ドイツ_フッセン_3 

このころには霧がはれ、ノイシュヴァンシュタイン城は顔を出していた
渡航歴_ドイツ_フッセン_9

登り切ったところで、ガイドブックに載っていたノイシュヴァンシュタイン城の絶景ポイントのマリエン橋が見えた。
先を進む日本人のババアが乙女みたいな声を出して走り出した。

その理由がすぐわかった。

マリエン橋からの眺め。何度も目を擦って見直すぐらい非日常的な景色だった。CGみたい。
渡航歴_ドイツ_フッセン_4 

ノイシュヴァンシュタイン城内から撮った景色。上の写真と見比べるとよけいCGみたいに見える。
渡航歴_ドイツ_フッセン_6 

上空からのノイシュヴァンシュタイン城
渡航歴_ドイツ_ノイシュヴァンシュタイン城_1
引用
入口でチケットを購入して入城する
渡航歴_ドイツ_フッセン_5 

ノイシュヴァンシュタイン城の内観
渡航歴_ドイツ_ノイシュヴァンシュタイン城_2 
渡航歴_ドイツ_ノイシュヴァンシュタイン城_3 
渡航歴_ドイツ_ノイシュヴァンシュタイン城_4 
引用

宮殿のような壮麗な豪華さとは違って、豪華さの中にルードヴィヒ2世のこだわりを感じた。


キーム湖/Chiemsee
ルードヴィヒ2世が建設を命じた3つの城の内の1つ、ヘレンキームゼー城
キーム湖(キームゼー)の中央に浮かぶヘレン・インゼル(男島)に位置し、フランスのヴェルサイユ宮殿を模して造られたルートヴィヒ2世最後の城。

船でヘレン・インゼルに渡り、10分ほど歩くと城が出現。

優雅な噴水ショー
渡航歴_ドイツ_ヘレンキームゼ_1 

日当たり良好。まだ建造中だった。
渡航歴_ドイツ_ヘレンキームゼ_2 

ヴェルサイユ宮殿とそっくり
渡航歴_ドイツ_ヘレンキームゼ_4 

柱や柵の隅々まで彫刻が施されている
渡航歴_ドイツ_ヘレンキームゼ_3 

上空からのヘレンキームせー城
渡航歴_ドイツ_ヘレンキームゼー城_2 
引用

帰りの電車でデカいプレッツェルを食べていたら、
渡航歴_ドイツ_ヘレンキームゼ_5 

微笑ましい光景が。子供はなんでも真似したがる。
人形が不気味だった。
渡航歴_ドイツ_ヘレンキームゼ_6 


オーバーアマガウ/Oberammergau
ルードヴィヒ2世が建設を命じた3つの城のうちの最後の1つ、リンダーホーフ城
ルートヴィヒ2世が建設した3つの城のうち、唯一完成した城。
ヘレンキームゼー城と違って、これは既存の建物を模倣して建設されたわけでなく、バロック様式を加味するなどの装飾が加えられたルートヴィヒ2世の「作品」である。

※現地で撮影した写真が見れない状態のため、内観だけではなく全ての画像をWEB上から引用しています。

この頃には“豪華慣れ”していたのでノイシュヴァンシュタイン城やヘレンキームゼー城の時のように強い願望はなかったが、“どうせなら残り1つも”ということで観に行った。

すれ違いで帰っていく日本人観光客が“さっきSMAPの香取慎吾が来てたよ”と教えてくれた。
もう現場にはいないということで遠目から撮った写真を見せてもらった。
周りにスタッフやマネージャーらしき人がいるが・・・当の香取慎吾は本人に見えるっちゃ見えるが・・・

そんな出だしで城に向かった。

リンダーホーフ城の内観
渡航歴_ドイツ_リンダーホーフ城_1 
渡航歴_ドイツ_リンダーホーフ城_2 
渡航歴_ドイツ_リンダーホーフ城_3 
渡航歴_ドイツ_リンダーホーフ城_4 
渡航歴_ドイツ_リンダーホーフ城_5 
引用

リンダーホーフ城の外観
渡航歴_ドイツ_リンダーホーフ城_6 
引用

完成しているだけあって最もルードヴィヒ2世のファンタジーが全面にでている城だった。


全体を通して、現時点のドイツの印象はこんな感じです。
・ ビールとソーセージ
・ 交通機関が日本レベル
・ 壮麗な豪華さ
・ ルードヴィヒ2世はファンタジー
・ 好きな国ランキング2位


~続く~

あとがき
毎年9月半ばから10月上旬にミュンヘンで開催される世界一のビールの祭典オクトーバーフェスト
毎年650万人の来場者が訪れ、600万杯以上のビールが飲まれ、30万以上のソーセージが食べられるという。

渡航歴_ドイツ_オクトーバーフェスタ_1

渡航歴_ドイツ_オクトーバーフェスタ_4


ビールとソーセージもそうだがバイエルン州に古くから伝わる民族衣装を着たおねーちゃんも楽しみにしている。

ドイツ南部の方言で“お嬢さん”を意味する、エプロンが印象的な衣装ディアンドル(Dirndl)
渡航歴_ドイツ_オクトーバーフェスタ_5 

おにーちゃんもちょっと楽しみ。
伝統的な革製半ズボンのレーダーホーゼン(Lederhosen)
渡航歴_ドイツ_オクトーバーフェスタ_6


現実はこんな感じなのかな?
渡航歴_ドイツ_オクトーバーフェスタ_3

“制服、いいね~”   と思ふ今日この頃でございます

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【渡航歴】西欧・中欧(フランス)

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2005.04 西欧、中欧旅行記(フランス)

~続き~

flag_flag_of_France_1.pngフランス/France

訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_フランス_自己評価 
現時点で興味がある都市、観光スポット、世界遺産を挙げてみました。
オススメがあれば教えてくださ~い
渡航歴_フランス_訪問予定都市 


パリ/Paris
噂に聞いていたオシャレでエレガントな街、パリ。

パリで1発目に思ったこと。

“近くね?”
渡航歴_フランス_パリ_1 

そんなパリに3日間いた。

もーなんといっても街並みがシャレオツ
 渡航歴_フランス_パリ_11 渡航歴_フランス_パリ_24 

気分までエレガントにさせるシャンゼリゼ通りを歩いていると、ヴィトン本店。
渡航歴_フランス_パリ_3 

気に入った商品だけを手に取るヨーロッパ人に対して、商品は購入するものの何でも商品を触るのが日本人、商品は購入せずに散らかして帰るのが中国人、と当時店員が言っていた。

今では、中国人もバンバン購入するみたいで、商品価値を下げるアジア人対策かわからないが、ヴィトン本店では購入制限が設けられ1人3個までになっているそうです。(昔はそうじゃなかったような)

シャンゼリゼ通りの突き当りには、ナポレオンの命で建設されたエトワール凱旋門
渡航歴_フランス_パリ_4 

めっちゃ見てるし
渡航歴_フランス_パリ_5 

観光名所がたくさんあるパリ。
お上りさん状態で観光しました。

オリンピック招致アピールしているエッフェル塔
結果は、ロンドンが勝利しました。
渡航歴_フランス_パリ_6 

モンマルトルの丘のサクレ・クール寺院(意は「聖なる心臓」)
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オペラ座の内観
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ノートルダム大聖堂(意は聖母マリア)。ゴシック建築の代名詞。
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サント・シャペル(意は「聖なる礼拝堂」)。
高貴な青の天井と360度のステンドグラスが圧巻。オススメです。
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ルーブル美術館
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館内は広く、全部見回るのに2,3日いるとか言われています 
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平日でも人で溢れかえっています
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モナ・リザってすごい小さいんです
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ここまできてもよくわからん
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ルーブル美術館で一番のお気に入りはサモトラケのニケ
なのに写真がない??興奮して撮るのを忘れた?どこにいった?

引用
ニケ 

代わりにミロのヴィーナスの写真はいっぱいあった。
胸のアップとか。オレ、駄目だな~
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女子が喜びそうなギャラリー・ラファイエット百貨店。クリスマスシーズンが綺麗らしい。

ステンドグラスのクーポール(円形天井)
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こんなママゴト玩具ありますよね
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夕暮れのセーヌ河沿い
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エッフェル塔に登ってパリが夜になるのを観賞
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夜になるとエッフェル塔からライトビームが放たれる(ブレブレだな~)
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点滅したりめっちゃ光ったりする
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夜はシャンゼリゼ通りをぶらぶらした
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ムーラン・ルージュ(意は「赤い風車」)でフレンチカンカンの入場料の高さに完敗した。(1,2万円はしたと思う)
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パリ郊外にあるディズニーランドに行った、一人で。
東京ディズニーランドみたいに我先にと急いで乗り物に並ぼうとする人がいなかったのが印象に残っている。
乗り物は東京ディズニーランドとほぼ同じだが、手を伸ばせば地面つくぐらいスレスレのところを通過するスペースマウンテンやスピード出しすぎじゃね?と思わせるビッグサンダーマウンテンなどリアルな恐怖を感じさせられた。
そういえばパリにはピータパンとティンカーベルと一緒にロンドンの夜を飛行するアトラクションがあった。

眠れる森の美女のお城。東京はシンデレラ城。
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ヴェルサイユ/Versailles
言わずと知れたヴェルサイユ宮殿がある都市。

パリから近いとはいえ1,2時間かかる。

一歩目から石畳。エレガント~
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金の門構え。エレガント~
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この奥に入口がある。石像、エレガント~
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すごく空いていて不思議に思い、入口に近づくと、なにやらオッサンが紙を指差している。
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ん?何、何?

THE MUSEUMES CLOSED BECAUSE OF A STRIKE

これが人生初のストライキでした。

時間が解決してくれるのではと思い1時間ほど待ったが、次々に来る海外からの観光客の“オーマイゴッド”を聞くだけに終わった。

10日後ぐらいにパリに戻ることがあったので、再びヴェルサイユを訪れた。
2回目のエレガントな石畳、金の門、石像。

分かっていた、入口に行くまでもなく分かっていた。

だって、前回と雰囲気が同じなんだもん。

案の定入口に行くとあの張り紙が。

エレガントゥォォォォーーーー


ヴェルサイユ宮殿には庭園が併設している。
これも世界遺産。

庭園は入場できるとのことでチケットを購入した。

庭園入口からの眺め。労力は宮殿よりもかかっている
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のんびり歩いていたら1日が終わるぐらいの広さ
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庭園には皇居や離宮のような建造物や村みたいなものがいくつもあった
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山羊、牛、馬などが放牧されている
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ここまで来た時間と金の分を楽しむため全てのエリアを回った。

これからヴェルサイユに行く方に伝えたい。
庭園は少しだけ楽しむのがベスト。
そんなに景色変わらないよ、疲れるだけ。

世界1周では、リベンジしようと思っているが、ちょっと行くのが怖い。
次行ってストライキだったらトラウマになるかも。

ヴェルサイユ宮殿の内部
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引用

ストラスブール/Strasbourg
ドイツ語で「街道の街」の意。交通の要衝として栄えた都市。旧市街がグラン・ディルとして世界遺産登録されている。

カテドラル内のと時計仕掛けの人形が有名。
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カテドラルからの眺め。奥にみえるのがドイツの「黒い森」。
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プティ・フランス(意は小さいフランス)。この名前はドイツと隣接しているストラスブールの地が何度も国を変えたことが背景にある。
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リヨン/Lyon
美食の街と呼ばれるフランス第2の都市。
旧市街が世界遺産登録されている。

リヨン旧市街。美食なレストランがいっぱいあったが高いので断念した。
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フルヴィエールの丘からの旧市街
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フルヴィエールの丘にあるノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂
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ローマ劇場。ここでコンサートが開かれている。
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市庁舎前の広場。ここでファストフードのピザを食した。美食の街の思い出。
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アヴィニョン/Avignon
14世紀初め、フランス国王フィリップ4世は、教会の権威を利用してヨーロッパでの主導権を握ろうと、時の教皇クレメンス5世をロ-マからアビニョンに移