【パナマ】中米縦断
モロッコで盗難にあってしまい半年分の写真データとブログ用旅情報(移動・宿の料金、所要時間など)のメモを失ってしまいました。一時はブログを辞めようとしましたが、少ないながらも閲覧して下さる方々と、なにより自分の思い出のために形に残そうと思いブログを継続することにしました。当記事は、かき集めた画像・動画と薄くなりつつある記憶を基に作成しています。断片的な説明だったり、分かりにくい表現になっているかもしれませんが、少しで旅している気分になる内容になるように頑張りたいと思います。今後とも宜しくお願い致します

ケツァールを観ることができて、やりきった感を得たので早々にパナマの首都パナマ・シティに移動した。
パナマは、陸路での入国でもパナマ出国チケットがないと入国できないので注意が必要です。(ボクはAAのダミーチケットを作成しました)
サン・ホセ → パナマ・シティ

パナマ・シティに到着した日は、5月1日の祝日「労働の日(メーデー)」で街でコンサートやパレードが行われ、パナマ市民に食事や水を無料で提供していた。(迷わず頂いた)
パナマで有名な観光名所といえば、パナマ運河。(土木建築に興味ある人にとっては心躍る観光名所)
パナマ・シティからはミラフローレス水門が一番近く、隣接するビジターセンターの展望台から行き来する船を間近で見ることができる





※1
水門を開け閉めして水位を調整し、エレベーターのように船を上げ下げする。単純なことだけど規模がハンパない。なんといってもアメリカ大陸をショートカットできるからね。それを約100年前にやったんだからね。通行料約3000万円の大工事だからね。そのあたりの歴史や工事の詳細はビジターセンターの中の博物館で触れることができます。

※1
パナマ・シティには世界遺産に登録されている遺跡と街がある。
パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区





中米パナマから南米コロンビアへは、スピードボートを利用して海路で国境越えをしようとした。

が、出発時間の知らせが5時間前(早朝4時出発)だったり、移動当日にスピードボートが来なかったり、英語もスペイン語も通じないクナ族が住む小島に置き去りにされたり、パナマシティに戻ろうにもド田舎の港なので全然車が捕まらなかったりと、疲労と怒りだけが残りパナマシティにとんぼ返りすることになった。
スピードボートを手配した宿とツアー会社に文句をいったところ、スピードボートは定員を満たさないと出発できず、いつになるかわからないとの回答。代わりにスピードボートの料金でセーリングボートでの国境越えを提供してくれた。
帆を張って風の力で進む

WEB検索するとセーリングボートでパナマ~コロンビア間を移動した様子が書かれた ブログがあった。
内容を見てみるとなんか楽しそう。(みんなでワイワイ、野生のイルカが観れちゃうみたいな)
またボートが来ないかもという不安もあったけど、貴重な体験ができると思い、4泊5日でセーリングボートでコロンビアを目指すことにした。(ちなみにスピードボートは1泊2日で宿泊は国境近くの宿、セーリングボートはずっと船の上)
1日目、乗船するメンバーと顔合わせ。船長ルイス(パナマ人)、副船長マグウェル(パナマ人)、フィリップ(カナダ人)、ファビアン(ドイツ人)、ボクの合計5名で3~4名乗りのセーリングボートに乗船することに。(船の上では客ではなく船員になる。帆をたたんだり、舵をとったりしたが楽しいのは最初だけ)
船は大きければ大きいほど波の影響を受けにくく揺れが少ない。3~4名乗りの小型船はモロに波の影響を受ける。(出港して1時間、船長、副船長以外、全員吐いた)
2日目、サンブラス諸島というカリブ海の無人島みないなところで終日シュノーケリングや島探索をして楽しんだ。(採ってきた魚と貝で作ったパスタは美味しかった)
ただ、日焼け止めを塗るのを忘れて、触ると激痛が走るほどの日焼けをしてしまった。
3日目、4日目、
360度、水平線しか見えない海の上で語り合った。
5日目、
南米大陸が見えた時興奮した。生まれて初めて「大陸だー!!」と叫び、船を降りた時「すげー!!地面が揺れない!!」と感動した。
5日間だけどワンピースの世界を体験でき、コロンブスの気持ちが味わえた。
ただ、もう2度とセーリングボートには乗りたくない。(というか3~4名級の船で荒波を越えるには過酷過ぎる、普通は9~10名級以上みたい)
※1 google画像から引用
最後まで読んでくれて


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| パナマ | 11:54 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑