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【渡航歴】サマリー

まえがき
今回の内容でございます。
  • 渡航歴
  • 訪問した国々


渡航歴表
渡航歴まとめ


訪問した国々(赤色箇所) Map of the Worldにて作成
図_渡航歴


あとがき
“思い出を整理するまでが旅行なんだなぁ”   と思ふ今日この頃でございます

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| I2 渡航歴_2001~2013 | 16:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【渡航歴】やっと終わった

まえがき
今回の内容でございます。
  • これまでの海外旅行をまとめ終わって思うこと

ブログ記事の練習がてらこれまで行った海外旅行をまとめ始めてから5カ月。


やーーーーーっと終わった


今の気分。いやぁっほぉぅぅ

いやぁっほぉぅぅ

何度もブログを嫌いになりそうになりました。

何度もブログを往復ビンタしたくなりました。

ボク、頑張りました

そんなボクに拍手をあげたい
スタンディングオベーション_1

でも、

まとめ終わって思う。


世界一周、これからだよね?


あとがき
“燃え尽きたぜ 真っ白にな”   と思ふ今日この頃でございます

燃え尽きたぜ真っ白にな_1



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| I2 渡航歴_2001~2013 | 19:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【渡航歴】カンボジア、ベトナム③

まえがき
今回の内容でございます。
  • 2004.08 スペイン、ポルトガル、モロッコ旅行記

~続き~
flag_flag_of_VietNam_1.pngベトナム/Vietnam

ベトナムといえば、フォー、ベトナムコーヒー、水上人形劇、アオザイ
渡航歴_ベトナムフォーjpg渡航歴_ベトナムコーヒー渡航歴_水上人形劇_3
渡航歴_アオザイ_1モダンアオザイ_1


訪問都市の自己評価(凡例はココ   
渡航歴_ベトナム_自己評価

自分の中では十分にベトナムを満喫したので世界一周では訪れない予定です。
とはいえはあれから月日は経っていますし、ベトナムを全て観光した訳ではないので、もし
オススメがあれば教えてくださ~い



カンボジアから夜行バスでベトナムのホーチミンに向かった。

渡航歴_ベトナム地図_1

バスを乗せて船で川を渡る
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カンボジアの出国手続きとベトナムの入国手続きをして、いよいよベトナムに入国!!
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ホーチミン/Ho Chi Minh
旧南ベトナムの首都サイゴン。ベトナム戦争で陥落し、1976年の南北統一後、旧北ベトナムの指導者だったホー・チ・ミンにちなんで改称された。「政治都市」の首都ハノイに対し、「経済都市」として発展。

さっそく洗礼を受けた。バイク天国。怖いけどちゃんと直前でスピードを落としてくれます。(停まってはくれないです)
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アート作品のようなグッチャグチャな電線。屋台のねーちゃんが勝手に電線につないで電気を盗んでいました。
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ホーチミンは歴史ある都市だが、市内はそんなに観光するところはなかった。(2泊したけど1泊でよかったかも)

サイゴン大教会(聖母マリア教会)
ベトナム南部のホーチミン市(かつての南ベトナムの首都サイゴン)の市内(1区)、土産物店が並ぶドンコイ通りにある、カトリックの大司教座大聖堂。ベトナムがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて建設されたネオゴシック様式の聖堂である。「聖マリア大聖堂」とも呼ばれる。
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中央郵便局
フランス統治時代に建てられた。内部天井はクラシックなアーチ状になっている。
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戦争証跡博物館
ベトナム戦争の歴史を綴る博物館。建物は3階建てで、屋外にはベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車が展示されている。屋内には大砲や爆弾などの遺物、戦争の足跡をたどる貴重な記録が展示されている。枯葉剤の犠牲となった人々の写真もある。

1960年〜1975年に起こった共産主義陣営 vs 資本主義陣営の冷戦を背景とした代理戦争で、北ベトナムのホーチミン率いる社会主義陣営(ソ連・中国)と南ベトナムのゴ・ジン・ジェム大統領政権の資本主義陣営(アメリカ)が対立した。

入口には戦争で使用された重機や爆弾が展示されている
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屋内には数々の写真や戦争資料などが展示されいる
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ベトちゃんドクちゃん。戦争や枯葉剤の被害者。
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戦争で使用された銃器
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戦争被害の統計がベトナム都市別にまとめられていた。最大で49%の土地と23%の人間が無くなった。
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独房や拷問道具、犠牲者など
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街をぶらぶらした
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ベトナム雑貨を買いにお店を巡った。(各都市で買い物をしたけどホーチミンが一番品数が豊富でした。首都ハノイは期待外れだった。)

個人商店で御茶碗とコップなどの食器を買った際に、まとめて買うからまけてとお願いした。

少しだけまけてもらえたが納得できなかったので、値段はそのままでいいからアレもコレも付けてと言っていたらお店のオネーチャンが、げきオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリームしていた 
(怒りパラメータ2013)
おこ → 激おこ → 激おこぷんぷん丸 → ムカ着火ファイヤー→ カム着火インフェルノォォォオオオウ → げきオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム

生まれて初めて値切った後に謝った
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ベンタイン市場
露店がぎっしりと建ち並ぶ。品質が悪く値段も安くなかった。
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アオザイや家具、漆器、ベトナム雑貨など見ているだけでも楽しい。
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ホーチミンでは小洒落たレストランが多かった。(屋台や大衆食堂は少なかった)

「フォー24」 肉団子入りフォー。ベトナムではよくパクチーともやし、ライム、唐辛子が備え付けられていた。
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「gold fish」 バイン・セオの有名店とるるぶに載っていたので行った。他店の方が美味しく、他店よりも料金が3,4倍した(チャージ料がある)。オススメしない。
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バイン・セオ(ベトナム風お好み焼き)
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「パタシュー」 フレンチベーカリー
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フランスに統治されていただけあってベトナムのフランスパンはカリフアで美味しい
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「ラップ&ロール」春巻き専門店。空港前にあるデパートの食堂エリアで食べた。
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自分で包んで食べる
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今回の旅はバス移動で計画していた(カンボジア、ベトナムはバスに比べて飛行機は4,5倍高い)

とはいえ移動時間を短くしたかったので格安航空券がないかネット検索をしていた。

ベトナム国際線はベトナム航空の独占状態で航空券の値下げは無かった。(LCCも参入しているが便数が少なく、空きがほぼない)

ホーチミン⇒ベトナム中部のダナン行きのチケットは何日も前から確認していたが、ずっとベトナム航空1.8万円で一定だった。

移動日の前日、いつものようにネット検索しているとホーチミン⇒ダナン行きのチケットがジェットスター航空2,500円で販売されていた。(おそらく直前のキャンセルによるものかと)

ソッコーで購入した。

でも飛行機に乗るまで不安だった。(予約確認や注意事項など全文英字だったので見落としがないか何度も確認した)

ホントに2,500円で乗れた 
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ダナン/Da Nang
ベトナム中部の港市。人口38万3000(1992)。南シナ海に臨み,フランス植民地時代の旧名はトゥーラーヌTourane。フエの南東80kmに位置する。北のホンソンチャ岬,南のダナン半島とに抱かれたダナン湾の奥にある港で,カムレ川の河口にもあたる。古くからアンナン海岸の良港の一つとして知られ,フランスの中部ベトナム侵略に際してはまっさきに占領された港である(1858)。気候的には11~3月の北東モンスーン期はしのぎやすいが,あとの月は暑く,特に4~5月は酷暑となる。

ダナンはベトナム中部一の大都市。ベナンの北に位置するフエと南のホイアンの拠点として滞在した。(観光スポットはほぼない)

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現地住民に混じってフォーなどを食べた。揚げパンをフォーに浸して食べているベトナム人をよく見かけた。
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ホイアン/Hoi An
1999年に登録されたベトナムの世界遺産(文化遺産)で、ダナンの南東24km、トゥーボン川の河口にあるクアンナム・ダナン省の港町。16~19世紀は海上交易の中継地であり、かつてヨーロッパ人たちはフェイホという旧名で呼んでいた。この町には中国やポルトガル、日本、フランスの商人が定住し、シルクや茶、コーヒー、カシューナッツなどの貿易をしていたことから、商人たちが住んだ住居は、彼らの故郷を偲ばせる建築様式をほぼ完全な状態で残している。日本人墓地や「日本橋」の別名を持つ屋根つきの来遠橋が残っており、当時は日本人町や中国人町もあったといわれ、伊万里焼の磁器も発見されている。現在の町並みは18世紀後半以降のもので、ベトナム戦争時代に破壊されることもなかった。人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして、世界遺産に登録された。

ダナンからホイアンへの移動は市民バスを利用した

朝早いこともあって通勤、通学の人で溢れていた。

暫くするとアオザイを着た女子学生達が乗って来た。(ベトナムの制服はアオザイみたいです)

世界共通で若者はオシャレに敏感です。(丈を短くしたり、タイトにしたり、上着やアクセサリーで個性をだしたり)

盗撮してしまっただって目の前にあるんだもんもう少しで付いて行くところだった
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んーいいですねーアオザイ (変態度:60%)

ホイアンに到着してすぐシンカフェ(ベトナム大手の旅行代理店)に行き、ミーソン遺跡のツアーに申し込んだ。


ミーソン遺跡
チャンパ王国の聖地跡、ミーソン。ホイアンから南西30kmのトウ・ボン川流域のジャングルの中にあります。現在残っている遺跡群は、チャンパ王国が徐々に領土を追われ失っていくのがわかるように中部から南部にかけて点々と残されています。専門家によりAからGまでの7つのグループに分けられており、それらは約20の建築物からなっています。中でもB5と呼ばれる塔は極めて貴重なもののひとつであり、現存するチャンパ芸術の中でも一番優雅で荘厳の造りであるとされています。

他のツアー客と区別をするため各グループに名前が付けられます
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ボクのグループ名はモンキーでした。ガイドがモンキーみたいだからなんでしょうか
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ホイアンに戻って、街を観光した。

ランタンがホイアンの街全体に飾り付けられている
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お土産にランタンを10個ほど買った (今回はほどほどにまけてもらった。値切った後に謝るほど哀しいことはない)
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来遠橋(日本橋) ホイアンにする日本人達によって架けられたことからこの名前がついた。
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進記家(タンキーの家) 日本と中国の建築様式が入り混じった応接間
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廣勝家(クアンタンの家) 何百年もの歴史が刻まれた黒光りする柱や梁が見事
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貿易陶磁博物館(海のシルクロード博物館) ホイアンの日本人町や御朱印船を描いた絵巻の写真などが展示されている
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福建會館 會館内には大きな渦巻き先行がいくつもぶら下がっている
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古い街並みをぶらぶら
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ホイアンの夜は、ランタンや観光名所がライトアップされる。

夜のホイアンをぶらぶら
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ホイアン三大名物を食べた。(どれも絶品だった)

「チュンバック」ホイアン郷土料理カオ・ラウの有名店。
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具だくさんの濃い味付けの太い米麺。小盛もあるので小腹にちょうどいい。
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「ホワイト・ローズ」ホイアン名物のホワイト・ローズの製造卸元。他店のホワイト・ローズは全てここで製造されたもの。凄い数を手作りしていた。
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「ホワイト・ローズ」 米粉の皮にエビのすり身を詰めて蒸したもの。ヌックマムに付けて食べる。
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「揚げワンタン」豚ミンチとエビのすり身を黄色い皮で包み揚げたもの。チリソースを付けて食べる。
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フエ/Hue
1993年に登録された世界遺産(文化遺産)。ベトナム中部、ダナン北西にある古都フエは、1802年に国内を統一したベトナム最後の王朝、グエン(阮)朝の首都だった。碁盤の目状の旧市街に残る遺産規模は、約5km2に及び、北京の紫禁城を4分の3に縮小した王宮や、グエン朝第4代皇帝のトゥドゥック帝陵、第12代皇帝のカイディン帝陵などの歴代皇帝の帝陵、ホンチェン殿、トゥニャン塔があるティエンムー寺などが残っている。人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして世界遺産に登録された。

阮朝王宮
ベトナム中部の古都フエ(Hue)にある、かつての王宮跡。フエは、ベトナム最後の王朝である阮朝(グエン朝、1802~1945年)の都が置かれていた町である。この王宮は1803年に建設され、1833年にフォン川のほとりの現在の場所に移された。高さ5mの城壁で囲まれた600m四方の王宮には、80もの柱によって支えられた、巨大な装飾屋根の宮殿がある。フエはベトナム戦争時の激戦地だったこともあり、この王宮にも、多くの戦争の傷跡が残っている。

王宮門 
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太和殿 中国の紫禁城を真似て造られた
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顕臨閣 9つの大きな聖堂の鼎が置かれている
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顕臨閣内を見学していると、なんとアオザイを着た女子学生がたくさん。(今回はピンクです
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んーいいですねーアオザイ (変態度:70%)

延寿宮 以前は高価な椅子や中国式ランプなどアンティークな装いにしていたが、戦争による破壊や盗難のため現在はその面影はない。
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広い敷地をぶらぶらしていると、
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またまたアオザイを女子学生の団体が
 ちょっと付いて行っちゃいました
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んーいいですねーアオザイ (変態度:80%)

トゥドゥック帝廟
ベトナム中部の古都フエ(Hue)の郊外にある、トゥドゥック帝の墓所。トゥドゥック帝は、1848年から35年間にわたって在位した、阮朝(グエン朝)の第4代皇帝。生前に別荘として使用していた建物を、1864~1867年まで3年の歳月をかけて廟とした。この廟の近くに、かつてトゥドゥック帝が涼を求めて滞在し釣りを楽しんだ、蓮池と木造の釣殿が残っている。池の左側の階段を登ると皇帝を祀る寺院があり、その奥に皇帝の墓がある。
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ティエンム寺
かつての阮朝(グエン朝、1802~1945年)の王都だった、ベトナム中部の都市フエ(Hue)にある仏教寺院。フエの中心市街から5kmほどのところにある。この寺院には、フエで最も古く、美しいといわれる7層のパゴダ(仏塔)がある。この寺院の建立は1602年。現在のパゴダは、1844年に阮朝のティエウ・トゥリ王によって建てられた。最上階の7階には黄金の仏陀像が安置されていたが、1943年に盗まれてしまった。
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カイディン帝廟
ベトナム中部の都市フエ(Hue)の郊外にある、かつての王カイディン帝の墓所。フエは、1802年に成立し1945年まで存続した阮朝(グエン朝)の都が置かれた古都で、同市郊外には歴代の王の廟(びょう)がある。12代のカイディン帝廟もその一つで、フランス植民地時代の1920年から12年の歳月をかけて建設された、中国と西洋の折衷(せっちゅう)様式の廟である。
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「ブン・ボー・フエ」フエ名物ブン・ボー・フエの人気店。
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スパイシーなスープが美味しい。ガイドブックに書いているほど激辛ではなかった。
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夜行バスでフエからハノイに向かった

ベトナムの夜行バスは横になって寝れるが縦に狭い。ずっと足と体を曲げていた。
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ハノイ/Hanoi
ベトナムの首都。人口215万(1993)。ベトナム北部のトンキン・デルタの中央やや北寄りに位置する。中国語で河内と記されるように,ソンコイ川本流とその支流ドゥオン川に囲まれた地域に立地する。河口から約150km上流にあるが,標高は6mにすぎず,乾季にはトンキン湾の潮汐の影響がこの付近にまで及ぶ。ハノイでのソンコイ川の水位は低水時で2.5mほどであるが,増水期には11~12mにも及び,人々は絶えず築堤を行ってこれと対抗してきた。

ハノイには2泊した。(街は意外と小さく気になる観光スポットも少なかったので1泊でもよかったかも)

ハノイには思い描いていたベトナムの風景があった
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少し道を外れるとフランス様式の建物がある
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タンロン遺跡(旧ハノイ城跡)
2010年に登録された世界遺産(文化遺産)。ベトナムの首都ハノイ中心部に位置し、10世紀にわたって政治の中心であり続けている地域。7~8世紀に中国が進出し、その後、大越国が独立した11世紀に李朝が城を建造した。北の中国、南のチャンパ王国の影響を受け、それぞれの文化がこの地で混じり合い独特の文化を形成した。その特徴が王城と18の遺跡群に反映されている。
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ホアロー収容所
フランス支配に抵抗するベトナム人がここに捕らえられ、拷問されたりギロチンで死刑にされたりした
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ホアンキエム湖
何かないかとウロウロしたが何もなかった
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ベトナムで有名な水上人形劇。折角ここまで来たんだからと思ったが、それ以上に興味がなかったので行かなかった。
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引用

ハノイでは屋台や大衆食堂が多くある。(とはいえそんなに安くない。アジアって安いイメージがあったのに)

フォー・ティン ベトナムNo.1のフォー屋
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メニューはフォー・ボー・タイ(牛半生肉載せ)のみで、ネギとアサツキがどっさりと載るのが特徴
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ダック・キム ブン・チャーの専門店
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そうめんに似た米の麺を、焼き肉、揚げ春巻き、野菜と一緒に青パパイヤが入ったヌックマムベースのタレに付けて食べる付け麺
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バイン・ゴイ バイン・ゴイの専門店
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豚肉、春雨、キクラゲなどを米粉の皮に包んで揚げた餃子のようなもの。チリソースなどを付けて食べる。
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コム・リー ベトナムの大衆食堂。大皿のおかずと少しずつ選ぶ。オススメの品をお願いしたら普通過ぎてビックリした。
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ベトナム人の行列ができていた屋台。ビックリするぐらい不味かった。
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朝飯にフォーを路上で食べた。
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フォーを色々食べてきたけど、ここで食べた鶏ダシのあっさりしたシンプルなものが一番旨かった気がする
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ベトナム最終日、ベトナム通貨のベトナムドンを使いきろうと思い土産物屋を巡っていたが、店の数の割には同じようなものしかなく、結局ベトナム民族サパ族が造ったという花柄の鞄を買った。(使いもしない物を買うぐらいハノイに欲しい物が無かった。結局ベトナムドンは結構余ってしまった。)

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ハロン湾/Ha Long Bay
1994年に登録、2000年に登録内容が変更された世界遺産(自然遺産)。ベトナム北東部のトンキン湾に位置し、風光明媚であることから、中国の景勝地、桂林になぞらえて「海の桂林」と呼ばれる。湾内には大小約1600の奇岩、小島が存在する。ハはベトナム語で「降りる」、ロンは「竜」で、ハロンは「空飛ぶ竜が降り立った場所」という意味である。竜が敵を撃退した時に石灰岩の山が砕かれ、竜の足跡は深い谷となって海中に沈んだという「降竜伝説」がある。十数万年の歳月をかけた浸食作用により、石灰岩が独特の景観を生み出した。

前日にシンカフェ(ベトナム大手旅行代理店)で申し込んだツアーに参加してハロン湾に行った。

ハノイからの送迎(約3時間)、船、昼食、ガイド込みで5,000円ぐらいだった。(安かった印象がある)
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前評判でハロン湾はあまり期待していなかったが、思いのほか楽しめた
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の~んびり進んでいく
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さすがに数時間同じ景色だと飽きてしまい、この↓オバチャンに夢中になっていた
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ダウゴー島のティエンクン洞で鍾乳洞を見学する。(それっぽい岩の形にそれっぽい動物の名を付けていた)

入口
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中央
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出口
渡航歴_ベトナム_132


全体を通して、現時点のベトナムの印象はこんな感じです。
・ ベトナム雑貨
   
(安くてデザイン性の高い雑貨が多かった。これまでで一番多く買ったかもしれない。ホーチミンが一番品揃えがいい。)

・ ベトナム料理
   
(今回はいつも以上に郷土料理をよく食べたと思う。安いし、有名店の立地がよく、なにより味にハズレが少なかったからだと思う。)

・ アオザイ
   (んーいいですねーアオザイ(変態度:100%))


あとがき
帰りのハノイ国際空港にて、最後の最後に見つけてしまった
渡航歴_ベトナム_134

渡航歴_ベトナム航空CA制服
引用

“んーいいですねーアオザイ(変態度:∞)”   と思ふ今日この頃でございます

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